小説の未来(19)

 

 沈殿している憎しみは、日頃は浮き上がってきません。でも、心の底に沈殿した憎しみは、何かのきっかけで、突然、急激に浮上してくる場合もあります。そして、自分の性格に悩み始めた時、心の底に沈殿していた憎しみに気づくことがあるのです。

 

 小説を書き続けているうちに、私は心の底に沈殿していた憎しみを具体的に感じ取れるようになりました。そして、自分の性格形成の過程までもある程度理解できるようになり、さらに、内在する恐怖も自覚できるようになりました。

 

 自分の恐怖を自覚することは、自分の感情と思考を理解する上で、大いに役に立ちます。そして、存在の原則というようなものをなんとなくわかるようになりました。

 

 


          小説は現実の鏡    

 

 小説を書くということは、私をどこに導いてくれたのか。何を教えてくれたのか?それは、内在する恐怖の自覚と存在の原則の理解であったように思えます。物理学的には、”いかなる物質も運動もバランスをとるように存在する”

数学的には、”無限集合は有限集合からなり、有限集合は無限集合からなる”という概念です。

 

 当然、小説を書くということは、脳細胞の運動の一つです。だから、脳細胞の運動について考察することにもつながります。そう考えると、小説を書くということは、科学的行為のようにも思えます。

 

 物質と運動を解明するのは、科学論文ですが、架空の世界を設定する小説でも、物質と運動の理解へのアプローチができるようにも思えてきます。私の小説がどこに向かっていくかは、未知なるものですが、架空の世界が、実は、現実だったというような驚きをもたらしてくれるような予感もします。

 


 私は、無意識に、子供のころから架空の世界を楽しんできましたが、若い人たちには、もっと、架空の世界を楽しんでもらいたいと思います。架空の世界を作り上げることが、現実の世界をより良いものにしていくためのヒントになってくれるような気がしてなりません。

 

 地球上に存在するものには、物質と運動があります。いまだ未知なる人間という物質の考察も厄介なのですが、最も考察が厄介なのが、非生物的人間集団ではないかと思っています。その中でも、歴史的に多くの学者や作家を悩ませ続けている国家”ではないでしょうか。

 

 生物的人間個人と非生物的人間集団の関係を考察すること、また、物質と運動の考察をすることは、人間の責務のように思えます。そう考えると、なんだか気が重くなりますが、人間が存在する限り、誰かが、どこかで、研究し続けるのではないかと思います。

 


 

           小説は無限関数

 

 作者は、言語・記号を使って、自分の考えを構築するのですが、でも、必ずしも作者の意図が読者に伝わるとは限りません。というのは、小説の言語・記号というものは、読者の脳細胞に”作用するにすぎない”からです。

 

 小説の言語・記号によって作用を受けた読者の脳細胞は、独自の運動を無限に行います。また、その無限運動は、各人違ってくるのです。このことから、小説は、無限関数と言えるのです。

 

 小説では、言語・記号が使われ、多種多様な人間関係が描かれ、家族や社会について考察しています。小説を手に取った読者の言語・記号関数中枢は、小説に書かれている言語・記号から、視覚的作用を受けて、自分なりの言語・記号無限運動を行い、作者の言語・記号関数概念に近づいているのです。


春日信彦
作家:春日信彦
小説の未来(19)
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