対馬の闇Ⅱ

 

 母親は、うなずき返事した。「はい、車が大好きで、ちっちゃいころ、絵本を見ながら、レーサーになるんだ、なんて言ってました」ひろ子の頭にピンときた。「車なんですが、車のことで、何か、言ってなかったですか?」母親は、首をかしげ考え込んだ。「車ですか?あの子は、スズキ・スイフトに乗ってました。そう、その車に今私が乗ってます。ほかには、あ~~、一度、電話があった時、上司の車を整備に持っていくとか言ってました。そのほかは・・別に」ひろ子は、スイフトのどこかに手紙が隠されているかもしてないと一瞬思ったが、おそらく、隠していたなら、警察が探し出しているように思えた。出口君は、警察のやり方を知っている。だから、警察が調べそうな場所には、手紙は隠していないように思えた。

 

 母親は遅番と聞いていたひろ子は、早々に引き上げることにした。「また、長居してしまいました。そう、今、福岡に住んでいるんですが、来年1年間は対馬に戻ります。何かあれば、何でも相談してください。出口君は、お母さんが元気で長生きしてくれることを願っていると思います。それでは、失礼します」再度、出口君のお位牌に手を合わせ部屋を出た。さゆりには、帰りの便について知らせていたため、民宿みふねに戻らず、比田勝港に向かった。105分発のビートルに乗り込んだひろ子は、座席に腰掛け、両手を組んだ。そして、豊崎神社で追いかけっこしていた無邪気な子供の頃の二人を思い浮かべ、神のご加護を祈った。

 

 


               野球小僧

  

 1215分に博多港についたため、天神ソラリアでのんびりと食事を済ませ、七隈の自宅マンションに帰った。対馬での聞き込み内容を忘れないうちに、ひろ子は6時には夕食を済ませ、キリマンを淹れるとノートPCを開いた。キリマンを一口すすり、一息つくと対馬での聞き込みについて、まず、頭の中で文章化した。キーボードをたたこうと指を動かし始めた時、”水の星へ愛をこめて”のメロディーが響き渡った。右横に置いていたスマホを覗くと姉、陽子からだった。「はい、ひろ子」即座に姉の声が流れてきた。「ひろ子、ちょっと、よくわかんないんだけど、日曜日のミサの時、ドギャン・シタトネ神父に聞かれたの。ひろ子さんって、妹さんですか?って。はい、妹はひろ子といいます、って言ったら。確かめたいことがあるから、是非、会いたい、って言われたのよ。電話番号を言うから、ひろ子、電話してみて。電話番号いうわよ。いい」

 

 即座にメモの準備をして電話番号を控えた。まだ、6時過ぎだから問題ないと思い、ドギャン・シタトネ神父に電話した。3回の発信音で神父の声が返ってきた。「はい、ドギャン・シタトネ神父ですが、どなたですか?」ひろ子は、ゆっくりと自分の名前を述べた。「口森ひろ子と申します。姉からの伝言があったので、お電話差し上げました」ドギャン・シタトネ神父は、少し緊張したような甲高い声で話し始めた。「是非、お会いして、確かめたいことがあります。今週の金曜日から日曜日まで福岡市に滞在します。ぜひ、その期間にお会いしたいのですが」その期間は仕事だったが、食事の時間であれば、話しぐらいは聞けると思った。「それでは、金曜日のお昼はいかがでしょう、神父様」

 

 ドギャン・シタトネ神父は即座に返事した。「わかりました。金曜日のお昼ですね。私は、ホテルニューオータニ博多に宿泊します。そこで食事いたしましょう。それじゃ、ホテルのロビーで、12時に、お待ちしています。よろしいでしょうか?」はい、と承諾し、ディスプレイに目を戻したひろ子は、ふと、思った。出口君に関することではないか?と。約束の金曜日、12時少し前にホテルのロビーに到着した。ドギャン・シタトネ神父は、ひろ子の姿を確認すると笑顔で近づいてきた。「わざわざ、時間をとっていただいて申し訳ありません。それじゃ、レストランに参りましょう。私のおごりですから、好きなものを召し上がってください」二人は、レストランのテーブルに着くとウェイトレスが勧めたランチを注文した。

 

 


 ドギャン・シタトネ神父は、膝の上に置いていたショルダーバッグから封筒を取り出し、表面をひろ子に見せるとマジな顔つきで口火を切った。「早速なんですが、こちらの手紙は教会あてに送られてきたものです。消印は、佐須奈です。手紙の差出人は、”野球小僧”とあります。そして、懺悔します、とあり、ちょっと気にかかることが書いてあります。どうぞ、お読みください」ドギャン・シタトネ神父は、長く細い指で5枚の便せんを取り出し、ひろ子に手渡した。ひろ子は、便せんを手に取ると視線を落とした。

 

 

             懺悔します

 

 神様、僕は愚か者です。僕の悪行を聞いてください。僕は、平成27年の6月、10月。平成28年の2月、6月、10月。平成29年の2月、6月、10月。平成30年の2月、6月、10月。合計11回、麻薬を運びました。これから僕の愚かな行為を順を追って話します。平成27年の5月に、上司から、福岡市の知り合いの整備工場で整備したいから、非番の日に車を運んでほしいと頼まれました。巡査長になれたのも上司のお力添えと思い、快く承諾しました。すると、交通費だけでなく日当までも、その場で手渡されました。

 

 その時、僕は、マジ単なる車の整備だと思っていました。だから、何の疑いもなく、引き受けました。でも、それは違っていました。なんと、その車には麻薬が隠されていたのです。全く知らなかったとはいえ、麻薬が隠されていた車を平然と11回も運んでしまったのです。その手順は、まず、ドアの内側に麻薬が隠された上司の車を厳原港から博多港にフェリーで運びました。次に、博多港に到着すると、そこで、整備士の運び屋がやってくるのを待ちました。その整備士は、博多港近くにある整備工場に車を運び込み、そこで麻薬を取り出し、2時間ほどして、その上司の車を博多港に戻しに来ました。

 


 このような悪行を11回も繰り返しておきながら、弁解がましいことを言うようですが、自分が運び屋をやっていることを知ったのは、平成30年の10月に車を運んだ時だったのです。というのは、博多港にやってくる整備士の運び屋は、ギンジというのですが、なぜか、平成30年の10月に限って、彼の代わりにケイスケという若者がやってきました。僕は、車が好きで、メカのことにも興味がありました。そこで、ケイスケに、一緒について行ってもいいかな~、と何気に、聞いてみました。すると、即座に、いいよ、って言ったのです。今日は、ついてると思い、素早く助手席に滑り込みました。ケイスケは、平然とした顔で車を走らせました。車は中洲方面に10分ほど走るとかなり古びた小さな整備工場に到着しました。

 

 整備工場の中に車が運び込まれると整備の邪魔にならないようにと少し離れたところから作業を見学しました。僕は、整備というからエンジン関係かと思っていましたが、彼は助手席のドアの内側のカバーを取り外し始めました。カバーを取り外すとそこには白い袋がありました。僕は目を疑いました。あれは、いったい何だ?と思った時、一瞬、声が出そうになりました。でも、必死に、声を抑えました。ギンジの代わりのケイスケは、僕が麻薬を運んでいることを知っている、と勘違いしていたのです。当然、僕は麻薬がドアの内側に隠されていることなど知りません。上司は、そのようなことは一切口にしませんでした。ただ、車を整備に出してほしい、と言っただけでした。

 

 もし、白い袋を見た瞬間、驚いて、それは何ですか?などとケイスケに尋ねていたなら、その場で拉致されていたことでしょう。でも、僕は素知らぬ顔で修復された車に乗り込み、逃げるように博多港に戻りました。フェリーに乗り込んでも、厳原港に到着するまで、僕の様子に疑いを持ち、後を追ってこないかと内心びくびくしていました。対馬に戻ってからは、毎日、僕は、どうすべきかを考えました。一時は、判断がつかず、自殺も考えました。でも、自殺してしまえば、上司の悪行が暴かれることもなく、これからも僕の代わりが運び屋をやらされる。そう考えると、次から次に、僕のような犠牲者が出ると思いました。そして、自首するのが人間としての道だ、という答えにたどり着きました。


春日信彦
作家:春日信彦
対馬の闇Ⅱ
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