対馬の闇Ⅱ

 

 ひろ子は、母親を覗き見た。「え、大変なこと、って言ったんですね」出口君は、何かの不正にかかわっていたと考えて間違いなさそうに思えた。母親は、うなずき話を続けた。「交通事故でも起こしたのか?って聞いたんですが、黙ったまま、すぐに電話を切ってしまいました。心配になって、こちらから電話したんですが、何度かけても出ませんでした」貴重な情報だと思ったひろ子は、母親に質問した。「この話は、警察になされましたか?」母親は、うつむいたまま顔を左右に振った。「なぜですか?」母親は、しばらく黙っていたが、申し訳なさそうに話し始めた。「話せば、自殺と判断されると思ったからです。でも、あの子は、自分の過ちを償うために、自殺するような卑怯者ではありません。自殺なんて・・」

 

 ひろ子も同感だった。警察にその話をすれば、自責の念からの自殺と断定し、そのことがニュースで報道され、捜査は打ち切られたに違いない。「お母さん、私も正義感が強く男気のある出口君が自殺するとは思いません。私は、出口君を信じます。ところで、遺品の中に、日記か愛読書はありませんでしたか?」母親は、しばらく考えていたようだったが、かぶりを振った。「日記はありませんでした。あの子が読む本といえば、車の本だけです。その本であれば、あそこにあります。部屋の隅に段ボール箱があった。一瞬、本の間にメモがあるように思えたが、おそらく、警察はすべての本をチェックしていると思えた。でも、念のためにすべての本をチェックしようと思った。「お母さん、あの本、見させてもらってもいいですか?50冊以上はあるようなので、一寸お借りしていいですか?」

 

 母親は元気のない表情でうなずいた。「どうぞ」万が一、警察の犯行であれば、徹底的にチェックし、問題ないと思えたものを遺品として母親に渡しているはず。でも、警察の見落としもあり得ないわけではない。「今のところ、死因は、皆目見当がつきません。殺害の可能性があるかもしれませんが、娘さんには、無茶はしないように、とお伝えください」魂が抜けてしまったような表情の母親は、小さくうなずいた。母親が思い出したように話し始めた。「あの子が、警官に採用されたとき、すごく喜んでいました。よかったね、って言ったら、卒業写真の女子を指さして、この子も警官になったんだ、って言って、ニコニコしていました。あの時のこの子、ってあなただったんですね」

 

 

 


 ひろ子は、過去の素性が知れて、一瞬気まずくなったが、この際、事情を話すことにした。「23の時、寿退社しました。今は、タクシードライバーです」母親は、子供の不運をつくづく悔やんでいるようだった。「そうですか。あの子にとっては、高嶺の花だったんですね。でも、こうやって心配してもらえて、あの子も天国で喜んでますよ。ひろ子さん、もういいんです。人には運命というものがあります。悔やんだからといって、何もいいことはありません。ひろ子さんも無理な調査はやめてください。万が一のことがあれば、あの子も悲しみます。もう、忘れましょう。あの子は、神を信じていました。きっと、神様が与えた運命だと思います」

 

 ひろ子はもうこれ以上何も言えなくなった。「はい、わかりました。出口君のご冥福をお祈ります」もう一度、お位牌に手を居合わせた。「明日は、いらっしゃいますか?」母親は、即座に返事した。「明日は、遅番だから、午前中はいます」ひろ子は部屋の隅においてある段ボール箱を抱え上げると返事した。「明日の早朝には、お返しします」ぎっくり腰になるのではないかと思ったが、力を振り絞って玄関まで運び、ひとまずそこに置くとスニーカーを履いた。母親が、心配そうに声をかけた。「大丈夫ですか。少し減らしましょうか?」ひろ子は、ガッツポーズで答えた。「大丈夫です。足腰は、テニスで鍛えてますから」ひろ子は両太ももをパチンとたたいて、ガニ股で段ボール箱を抱え上げ、玄関を出た。

 

 異国が見える丘展望台からしばらく対馬海峡西水道(朝鮮海峡)を眺め、昼食に”あがたの里”でいりやきそばを食べ、そばコーヒーを飲み、3時過ぎに民宿みふねに到着した。さゆりは、段ボール箱を抱えたひろ子を見て尋ねた。「何よ。これ。重たそうだけど」ひろ子は、ハ~~ハ~~と息を切らせて返事した。「いやね、これは、お母さんから、ちょっと借りてきたの。出口君の愛読書。ここに何か手掛かりがあるかもしれないと思って」さゆりは呆れた顔で返事した。「やるわね~~。名探偵、コナンかよ。手掛かりがあるといいね」ひろ子は階段を指さして尋ねた。「階段の下においてもいい。今夜、調べるから」目を丸くしてさゆりはうなずいた。「これ全部、今夜中にチェックするの?」ひろ子は、腕組みをしてうなずいた。「モチよ。明日の早朝に返すことにしてるから」

 

 

 


 時刻は、3時半を過ぎていた。さゆりが叫んだ。「行く準備して。4時前には、出よう」ひろ子は、駆け足で階段を上ると洗面台の鏡の前に立ち”美しくな~れ、美しくな~れ”と心でつぶやき思いっきし厚化粧をした。二人は、スズキ・ソリオに乗り込むと県道182号線を南下した。10分ほど走ると右手に見える上対馬高校に入るT字路を右折し、職員用の駐車場にソリオを止めた。二人は、職員室で挨拶を済ませ表に出ると3面のテニスコートで後輩たちが練習していた。ひろ子がさゆりに声をかけた。「まずは、担任に会おう。」二人はグランドの奥までかけて行った。バックネットの横で腕組みをした武田監督がじっとグランドの選手たちを見ていた。さゆりが大声で叫んだ。「センセ~~。お元気ですか~」

 

 武田監督は、振り向き、化粧で化けた二人を見て、一瞬だれだろうと首をかしげたが、即座にビューティーペアであることに気づいた。「よ~~。なんだ、今日は?お願いとかだったら、聞かないぞ。お前らとかかわったら、ろくなことはないからな」さゆりが口をとがらせて返事した。「何言ってんですか。かわいい女子に言う挨拶ですか?ちょっと、聞きたいことがあって、来たんですよ~だ」武田監督は、死亡した出口の件だろうと直感した。「今頃、来るってことは、出口のことやろ。俺も、びっくりした。仕事の悩みで、自殺したのかもしれんな~」ひろ子が質問した。「え、自殺ですか?どうしてそう思われるんですか?警察では、事故死と・・」

 

 武田監督は、しかめっ面で話し始めた。「いやな、このことは、だれにも話してはいないんだが、二人には話す。出口のことを思って、わざわざ、ここまで来たんだからな。いやな、非番の時、出口に、バッティングピッチャーをやってもらってたんだが。10月の終わりごろも、やってもらった。その時、別人のように、全く、元気がなかった。ボールに威力がないというか、魂が抜けたようなボールを投げよった。だから、体のぐわいでも悪いのか?って聞いたんだ。出口のやつ、苦笑いしながら、いや大丈夫です、とは言ってたが、かなり顔色が悪かったな~」

 

 

 


 

 二人は、見つめあってうなずいた。ひろ子は、自分の思いを話し始めた。「出口君は、悩んでいたんですね。でも、自殺するでしょうか?男気のある出口君は、自殺なんかしないと思います」武田監督も同感だった。「俺もだ。いやな。”また、頼むな”って言ったら。”ハイ”って言って帰ったんだ。だから、どうも腑に落ちないんだ。もしかしたら、何かの事件に巻き込まれて、崖から墜落したのかもしれん」さゆりが、話を始めた。「それって、あり得る。例えば、誰かが争っていて、警官の出口君が止めに入った。ところが、出口君が崖から突き落とされてしまった。考えられない?ひろ子」ひろ子も、考えられないこともないように思えたが、今一つ、ピンとこなかった。「そうね、何か引っかかるのよね。「やはり、出口君の悩みは何だったのか?ここよ。いったい、何だったんだろう?」

 

 武田監督が二人を諭すように言った。「二人の気持ちは、天国の出口に届いてるさ。警察は、事故死といっている。これ以上は、だれにも、何もわからん。あまり、詮索しないほうがいい。あとは、警察にませとけ。そう、鮎太郎監督にも会っていくんだろ。相変わらず、モテない男だ。いまだ独身だ。ひろ子、どうだ。あ~ゆうの?バツイチなんだし」ひろ子は、目を吊り上げて文句を言った。「ちょっと~、だれに聞いたんです?バツイチって。死んでも嫌です、あんなオカマ。ちょっと言い過ぎたか」さゆりが声をかけた。「後輩たちの練習を見てみよう。私たちの時より、強くなってるみたいよ」2人は、武田監督に会釈をするとテニスコートに向かった。コートの片隅の席で鮎太郎監督が舟をこいでいた。

 

 さゆりがつぶやいた。「まったく、監督ったら」二人は大声で監督の耳元で叫んだ。「こんにちは~~。元気ですか~~」びっくりして飛び上がった監督は、二人を見て目をパチクリさせた。「いや~~、ビューティーペアじゃないですか。夢か幻か」さゆりが呆れた顔で返事した。「監督が居眠りしてても、成績はいいみたいですね。今年も県大会に行ったみたいだし」笑顔で監督は答えた。「まあな。監督の指導がいいってことだ。ところで、武田監督と長い間話してたな。出口のことか?」ひろ子は、目を丸くして尋ねた。「よくわかりましたね。その通り。出口君のことで、ちょっと、聞きたいことがあって」鮎太郎監督はうなずき神妙な顔で話し始めた。「かわいそうだよな。いったい何があったかわからんが。これからっていうのに。先生たちみんな、残念がってるよ」先生たちも出口君の死を不審がっているように思えた。

 


春日信彦
作家:春日信彦
対馬の闇Ⅱ
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