女子会

                                  嫉妬病

 

 安田は、最近の体調不良を大学の仲間に相談できず落ち込んでいたが、このままでは衰弱死するような不安にさいなまれ、思い余って鳥羽に相談することにした。”死にそうだ”という地獄から送られたような安田からのメールを見た鳥羽は、交通事故にでもあって死にかけているのではないかと思い、原チャリ”

スズキアドレス”にまたがりアクセルをふかした。ジェットヘルメットを左わきに抱え息を整えた鳥羽は、玄関のチャイムを三度鳴らした。だが、誰も出てこなかった。留守と思ったが、念のためノブに手をやるとノブは回転した。

 

 ドアのすき間から頭を突っ込み「コンチワ~、センパ~~イ、トバデ~~ス」と大声で挨拶したが、返事の声は帰ってこなかった。もしかしたら、病院からのメールではなかったかと思ったとき、二階から誰かが下りてくるパタンパタンというスリッパの足音が聞こえてきた。いるのなら返事ぐらいすればいいのにと思い、ちょっとむかついたが、姿が現れるまで玄関でじっと待った。間の抜けた足音を聞いていると青白く精彩のない落ちくぼんだ眼の顔が幽霊のごとく現れた。

 

 安田は今にも息が途絶えそうな声で返事した。「ヨ~~、鳥羽か。上がれ」あまりにも変わり果てた安田の姿を見た鳥羽は、もしかしてガンにでもなったのではないかと思い、静かに安田の後について歩いた。キッチンテーブルの椅子に腰かけ安田のやせ細った姿を見つめながら、どのように慰めればいいか考えた。魂が抜き取られたように精気を失った安田は、ゆっくりとフレッジのドアを開きパックの野菜ジュースを取り出した。「おい」と鳥羽に振り向き声をかけた。

 

 とっさに反応した鳥羽は、即座に立ち上がりフレッジにかけていった。安田は、食洗器から二つのグラスを取り出し病人のような足取りでテーブルについた。ぼんやりとしたまなざしで鳥羽を見つめ、二つのグラスを鳥羽の前に押し出した。鳥羽はパックの野菜ジュースをコップ半分ほど注ぎ、「元気、ナイスね」と言って安田に差し出した。安田は、グラスの野菜ジュースをしばらくじっと見つめグラスを手に取ろうとしなかった。見かねた鳥羽は、安否を気遣った。

 

 

 「先輩、いったいどうしたんですか?かなりやせたんじゃないですか?病気ですか?」大きくため息をついた安田は、この世の終わりといわんばかりの悲壮な顔で返事した。「死神に取りつかれた。もう、俺の人生は終わりだ」言い終えた安田は、ゆっくりとグラスを手に取り口に運んだ。おそらくガンだと察知した鳥羽は、病気のことに触れるべきか悩んだが、事実を知ってあげることは親友の役目だと決心した。「ガンですか?」慰めの言葉を探したが、これ以上の言葉が出てこなかった。

 

 安田はしばらく沈黙を保っていたが、小さな声で返事した。「いや、違う。生き地獄ってやつだ。いっそ、ガンで死んだほうがましだ」ガンよりも深刻な病気を考えてみたが、とっさには思いつかなかった。一瞬、筋ジストロフィー症ではないかと思ったが、言葉にはしなかった。「かなりやせましたね。栄養が足りなんじゃ?栄養バランスが悪くなれば、体調がおかしくなりますよ。あ、そうか、それで、野菜ジュースを」一瞬、安田の表情にニッコっと小さな笑顔が現れたが、即座に表情は凍りつき、コクンと首が前に折れた。

 

 打ち明ける決意がついたのか顔を持ち上げた安田は、恥ずかしそうな表情を浮かべると唇をほんの少し動かした。もしや、エイズではないかと思った鳥羽は、言葉を遮った。「わかりました。でも、今は、よく効く治療薬があります。でも、かなり高いですが」安田は、どんな病気と勘違いしたのだろうかと目を丸くして鳥羽の顔を覗き見た。「おい、俺が思うに、今のところ、特効薬はないと思うが」鳥羽は、これ以上病気の話をしたくなかったが、エイズでもちゃんと生活している人は多いことを教えることにした。

 

 「先輩、どのような方と関係を持たれたかは、聞きません。魔が差すということもあります。薬もありますし、気を落とすことはありません。たとえ、先輩がエイズでも、僕は、一生親友です。先輩の苦しみは僕の苦しみです。一緒に、病気と闘いましょう」鳥羽の心配もやせ細った今の姿を見れば無理もないと思ったが、それにしてもエイズと間違えられるとは、かなり、見くびられたものだとがっかりした。少しむかついた安田は、語気を強め返事した。「おい、エイズだと。俺は、エイズなんかと違う。あいつのは、一切薬が効かない、不治の病だ」

 

 

 鳥羽は、あいつと聞いて首をかしげた。「先輩、あいつって、誰ですか?先輩が病気だと思っていました」肩を落とした安田は、人生相談をするように話し始めた。「俺の病は、あいつのせいなんだ。あいつとは、リノだ。どうして、俺がこんな目にあわされなければ、ならないんだ。あ~~」リノと聞いた鳥羽は、何が何だか分からなくなってしまった。婚約者のリノさんに何かが起きたのだろうかと思い質問した。「いったい、何があったんですか。リノさんが、どうしたっていうんですか?まさか、リノさんが、ガン?」

 

 安田は、頭を抱えうつむいていた。鳥羽は慰めるように声をかけた。「心配のあまり、食事ものどに通らないって、ことですね。入院されてあるんですか?今から、お見舞いに行きましょう」頭を抱えた安田は、鳥羽の早とちりにはどうしようもないといわんばかりの顔つきで話し始めた。「おい、リノの病気は、ガンどころじゃない。不治の病だ。あれは、何という病気か知らんが、リノはますます元気になって、俺が衰弱していく病気だ。あ~~、誰か助けてくれ」安田の悩みは、何が何だかさっぱりわからなかった。

 

 「先輩、いったいどうしたっていうんですか?元気になる病気って聞いたことがありません。要は、先輩が浮気して、ヒステリーを起こしたリノさんに叱られているってことでしょ。女性のヒステリーってのは、周期的に起きる生理現象であって、病気ではありません。恋人同士には、よくあることです。先輩が、意地を張らずに土下座して謝れば済むことです。先輩は頑固だからな~~」安田は、叫んだ。「俺は浮気なんかしていない。リノが勝手に思い込んでいるだけだ。

 

 男というものは、自分の罪を認めたがらないものだとわかっていたが、素直に謝るのが最善の解決法だと思った。「先輩、本当は、浮気したんでしょ。そりゃ~~、リノさん、怒りますよ。婚約した限りは、浮気は厳禁です。僕も、許しません。先輩が悪い。反省すべきです」顔を激しく振った安田は、つぶやいた。「俺は、悪くない。浮気もしていない。どうして、疑われるんだ。そのうえ、拷問まで」拷問と聞こえたと思い問い返した。「拷問?いったい、拷問って、何ですか?リノさんは、暴力をふるうんですか?まさか?」

 

 顔を左右にゆっくり振った安田は、告白するようにつぶやいた。「いや、暴力以上の拷問だ。俺の精気をすべて抜き取る拷問だ。近々、俺は、きっと死ぬ」暴力以上の拷問と聞かされても具体的なことがさっぱりわからなかった。「いったい、どういうことですか?僕には、さっぱりわかりません。もっと、わかりやすく話してください。僕は、親友じゃないですか。はっきりと、悩みを打ち明けてください。必ず、力になりますから」鳥羽は、にらみつけるように顔を覗き込んだ。 

 

 安田は、相談してもどうすることもできないと思ったが、実情を話し始めた。「リノは、セックスに狂ってしまった。俺の浮気が心配なのか、毎日、セックスさせられる。もはや、拷問の何物でもない。鳥羽が、医者の卵でも、こればっかりは、どうすることもできないだろう。結婚するまでに、きっと、俺は死ぬ」鳥羽も話を聞いて、顔が引きつってしまった。確かに、嫉妬のあまりセックスを要求される事例を聞いたことがあったが、実例が目の前に現れるとどう対応していいかわからなかった。

 

 鳥羽は、いくつかの事例を考えてみた。確かに、セックス依存症というのはある。失恋のショックのあまり、恋愛恐怖症に陥り、不特定多数とセックスする場合。また、夫の浮気に対する不安から、過度にセックスを強要する場合。先輩の事例は、後者にあたる。だが、セックスに関しては、特効薬があるわけではない。男女間の関係を円滑にするには、信頼関係を築く以外にない。リノさんに信用されて、決して、浮気しないと思ってもらう以外にない。問題は、どうやって、信用してもらうかだ。

 

 「先輩、何度か浮気したんじゃないんですか?きっとそれが原因で、信用を失ったんですよ。二度と浮気いたしませんと土下座されてはどうですか」安田は、目をむいて反論した。「バカ言うな。俺が一体いつ浮気したというんだ。俺は、浮気なんか一度だってしていない。神に誓ってもいい。リノはな、勘違いしているんだ。俺は、執行幹部の女子と話し合う場合がよくある。でもそれは、学生運動には不可欠なんだ。決して、浮気なんかじゃない。それがわからないんだ。困ったもんだ」

 

 

 

春日信彦
作家:春日信彦
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