ピース

 風来坊にピースの身の上に突然降りかかった災難を相談しても、どうにもならないとは思ったが、話だけでも聞いてほしくなった。「失礼なことを言わないでよ。もう老年かもしれないけど、ピースは、交通事故に会うようなドジはしないわよ。それがね。どういえばいいか、ピースの縁談のことなの。どうも、ピースは乗り気でないんだけど、一方的な結婚話だけが、トントン拍子に進んじゃって、ピースは、落ち込んでいるの」風来坊は、何度もうなずき、考えをまとめていた。

 

 「ほう、そういうことだったのか。ピースは、血統書付きのクレオパトラ・ネコだからな~。相手は、雑種のブサイクなネコということか。ピースは、フランス育ちだから、ガサツな日本のネコとは馬があいっこないさ。そんなにいやな相手なら、家出すりゃいいんじゃないか。そうだ、雷山にいる男気のあるイケメンを紹介してやってもいいぞ。とにかく、いやだったら、あのクソババ~なんかの言いなりになることはない。善は、急げというじゃないか、今夜にでも家出するがいい」

 

 全く話が通じていないとあきれた亜紀ちゃんは、具体的に話をし始めた。「ちょっと、早とちりしないでよ。家出してことが解決するようなことじゃないの。結婚相手というのが、例の小太りのヒフミンなのよ。あの能天気なヒフミンが、史上最年少プロ棋士になったものだから、ピースとの結婚話まで、世間一般に知れ渡ってしまったの。どこにも、逃げようがないってこと。わかってくれた?」結婚相手が小太りの少年と聞いて、ますます怒りが込み上げてきた。

 

 「なってこった、あの薄汚い小太り少年が、結婚相手だと。もってのほかだ。しかも、ブサイクな人間じゃないか。ネコが人間と結婚することは、キリスト教でも仏教でも禁じられている。なんという神への冒涜(ぼうとく)。地震よりも恐ろしいことだ。断じて許せん。俺が、成敗してくれる。あの不埒(ふらち)な少年は、どこにいるんだ」風来坊も結婚に反対してくれたことはうれしかったが、カラスが人間を攻撃して解決するようなことではないことを諭すことにした。

 

 「そう、むきになっても、解決することじゃないのよ。ヒフミンは、単にピースが好きなだけなの。それを、マスコミが大げさに取り上げるから、収拾がつかなくなったのよ。本当に、世間って、怖いね。きっと、近々、取材にやってくるわ。そうなったら、ピースはノイローゼになって、死んじゃうかも。もう、年なんだから。大きな声で質問されて、パチパチと写真を撮られたりしたら、ピースの命は縮まるにきまってる。もう、どうすりゃいいの」

 

 風来坊はヒフミンを責めたことが浅はかであったことに気づいた。悪いのは、マスコミだと風来坊も思えてきた。人間は、ちょっとしたことでも金儲けに結び付けてしまう。ヒフミンとピースとのことは、世間が騒ぐことじゃない。一人の少年が猫が好きだということでしかない。でも、カラスが屁理屈を言ったからといって、人間に太刀打ちできるわけじゃない。とにかく、ピースを救う方法を考えなければと風来坊も両手で頭を抱えた。

 

 風来坊も取材を受けないで済むいい方法はないかしばらく考えたが、名案が浮かばなかった。ちょっと悪質のようだったが、人間の目をくらますには、これしかないと思えた。「亜紀ちゃん、こうなったら。非常手段をとるしかない。死んだことにしよう。これしかない」死んだ、と聞いて一瞬ドキッとしたが、確かに、名案と思えた。「そうね。死んでしまえば、結婚もなくなるし、取材もできなくなる。それって、いいかも」亜紀ちゃんは、ヒョイと立ち上がり、一度うなずき、自宅にかけていった。

 

 ドバっとドアを開き、ポイと靴を脱ぎ捨て、ピョンと廊下に駆け上がっり、大きな声で叫んだ。「ママ、さやかおねえちゃん、話があるの」リビングに飛び込むとアンナとさやかは、ソファーにぐったりと横になったピースを挟んで腰掛けていた。「どう、ピースの様子。ちょっと聞いて。今、名案が浮かんだの。ここではなんだから。こっちに来て」亜紀ちゃんは、素早くキッチンテーブルに向かった。

 アンナとさやかは、突然のことで顔を見合わせて、目を丸くした。亜紀ちゃんは、早くこっちに来るように招き猫のまねをして、右手の指先をピクピクと動かした。二人がテーブルに着くと亜紀ちゃんは、二人の顔を交互に見つめた。「あのね、取材を断る方法は、これしかないと思う。ピースには、内緒よ。あのね、ピースが死んだことにするの。死んでしまえば、結婚もできないし、取材もできないでしょ。どう?名案じゃない」

 

 アンナもさやかも返事に困った。しばらく、沈黙が続いた。アンナは思った。確かに、死んだことにすれば、結婚話も取材もなくなる。でも、今度は、ピースが死んだことが、世間の話題になってしまう。こうなれば、一生、ピースは家に引きこもらなくてはならなくなる。ピースは納得するだろうか。さやかも嘘をつくことに後ろめたさを感じた。いずれ、嘘はばれる。それが愛猫家たちに知られたら、非難の的になる。

 

 アンナもさやかも、頭を抱えてしまった。さやかが囁くように話し始めた。「嘘は、いずればれるのよ。ピースだって、嘘をつきたくないと思うの。このさい、今は婚約ということで、ヒフミンが名人になれたら結婚する、ということでいいんじゃない。それまで亜紀ちゃんがピースを預かるってのは、どうかしら。ヒフミンはやさしくて、ネコのことを第一に思ってくれているから、わかってくれると思う。ピースも、亜紀ちゃんが話して聞かせれば、きっとわかってくれるわよ。どうかしら」

 

 アンナも何度もうなずいていた。嘘は災いのもとと思ったアンナも同意の意見を述べた。「さやかが言うように、嘘は、きっとばれる。そんなことより、ヒフミンを信じてあげよう。ヒフミンだったら、きっと、ピースを幸せにしてくれる。さやかが言うように、ヒフミンが名人になるまでは、亜紀が預かればいい。ヒフミンだって、男よ。納得するわよ」嘘はよくないといわれ亜紀も反省した。ヒフミンを信じてあげられなかったことが恥ずかしくなった。

 

 亜紀は、とにかくピースにヒフミンの良さを話してみることにした。そして、婚約したからといって、このうちを出なくてもいいことを話すことにした。亜紀は、アンナとさやかに大きくうなずき、返事した。「亜紀が間違っていた。ヒフミンを信じる」そう言い終えた亜紀は、ソファーでぐったりと横になっているピースの横に腰を落とした。「元気を出して、ピース」亜紀はそっとピースを抱きかかえ、二階の自分の部屋に向かった。ベッドに寝かすと、亜紀もピースをいたわるように添い寝した。

 

 亜紀は、ぼんやりと天井を見つめて独り言のように話し始めた。「あのね、ヒフミンってね、本当に能天気なの。そう、小学校四年生の夏休みの時だった。薄汚いランニングシャツを着たヒフミンが、垣根の向こうから、ピース、ピース、って叫ぶの。亜紀がね、ピースを両手で持ち上げて、ここよ~~、って叫ぶと、一心不乱に玄関に突進してきて、ママに挨拶もせずに、ガタガタと階段を駆け上って、亜紀の部屋に飛び込んできたのよ。そしてさ~~、グイっとピースを奪い取って、抱きかかえると、好き好き、ピースって言って、ピースにチュ~~したのよ。ほんと、ヒフミンって、ピースのことが好きなんだな~」

 

 ピースは、耳をピクピクと振るわせ、聞いている様子を示した。亜紀は話を続けた。「そう、ヒフミンってね、勉強はできなかったけれど、将棋が得意でね、だから、プロになるように勧めたの。でも、貧乏だから、あきらめるといって、将棋の駒を捨ててしまったのよ。でも、ピースが王将のネックレスをして、ヒフミンを励ましてあげたじゃない。そうしたら、奇跡が起きて、ついに、ヒフミンったら、プロになったの。それも、史上最年少で。すべて、ピースのおかげだと思う」

 

 亜紀はそっとピースの頭を撫でた。閉じられていた目が、少し開き、亜紀の顔を見つめた。ピースも昔のヒフミンを思い出しているようだった。「ヒフミンはね、いま、大阪の師匠のうちで暮らしているの。必ず、名人になるって、約束してくれたの。名人になって、大金持ちになって、ピースと一緒に暮らしたいって、言ってた。でも、名人になるって、すっごく大変なことなのよ。おそらく、後10年でなれるかどうか。もしかしたら、20年先かも。それほど、大変なことなの。でも、ピースのためなら、頑張れるって言ってた。ヒフミンは、ブサイクでも、ヤッパ、男よね」

 

春日信彦
作家:春日信彦
ピース
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