私は、誰も周りにいないとき、一つの指輪を支えにしていました。しかし、その指輪を捨てました。いつしか、その指輪は腐っているように見えていました。
この理由を私はずっと考えていました。どうして宝物が腐るのかと。そして、わかったのです。今の人に恋をしたから。
結婚は墓場だとその人は言いました。私にはわかる。カントも結婚せず、一生哲学を恋人にした。私は、その指輪に依存しすぎたのです。まるで結婚して旦那さんにしがみつく奥さんのように。
私が大好きなその人は、仕事に生きています。心に深い愛を持っていて、しかし、何にも依存せずに強く生きている。
五月の新緑の芽のようだと私は思いました。私も、恋をしていても、自分の道を生きたい。強く、折られても芽を出す、木になりたい。
こんな詩を書いてみました。
「木」
私が浪人していたころ、よく木を見ていた。
木になりたい。
何も、支えがなくても、若々しく、自分の中で生まれ変わる、木になりたい。
肩書きが欲しくて大学に行きたいのではない。
でも、どこかにずっとあった。
自分は勉強で身を立てるという、おごったプライド。
木は、何も葉がなくても、ただじっとそこに立っていられるのに。
冬をじっと耐えるあなたを、雪が美しく飾っていく。
クリスマスになると、人は木にネオンを飾るけれど、木はきっと雪に飾られたい。
人の目に美しく見えることよりも、もっと純粋な、純白の雪。
私も、自然の力に飾られるために、二回目の人生を見直した。
ゆがんでしまった人生をやり直したい。
でも、肩書きよりも、自分の輝ける世界をもう知っている。