A(エース)

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A(エース)

 空気の断片の内に、自分と過去のAとの姿を見た気がして男は仕方なく独り言を呟き始める。その姿はこの世での自然の営みと柵に疲れ果てては居るが、二人の間に矛盾に思えるものがなく、正直が生きて居る様に思え、Aが自分に未だ、その本能の奥義と生活に於けるエネルギーの散乱を集め切れて居ない失態を仄めかす様な姿勢を持って居る様に見え、嬉しく成った。途端に直り始めた過去の隠蔽が付けたその身の傷は緩やかに現実を這い回り始めて、TVのブラウン管から七光りが来ようが誰が来ようが流行というものを抹殺するかの如く孤独を光が照らし、〝神風連〟に見た様な正義への拍手を男は独りでにし始めて、又彼女の影を追う事と成った。煩悶、反問、斑紋、これ迄に見た数々のトラウマにも成る様な努力に奏でた失敗が、無尽蔵に改築された〝意識〟という存在の開闢迄へと燃え広がって、それでも苦心宛らに逃げ果せた個の覇権は疾風の如く虚空へ迄吹き上げた春風の柔らかさにその身を解され、遂に常識を極める意識の再生へと目を凝らす事と成る。自然と男との間で芽生えた常識の狭間が織り成す当面の結界の内で展開されるドラマでは、男を主人公にして回転し始めた。Aに似た部分を自分は持って居ると、その男は何処かでほくそ笑んで居た様子が在る。

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 Aは幼くして別れた母親との関係をその後も保ちながら父親、弟、との父子家庭の内で育てられて居り、母親とは時折会う等して互いの近況を報告し合って居た様だ。何でもその母親は他に男を作ったとか何とかでひっそりとその家庭から身を隠し、夫が束ねる菓子職の手腕にその身を添える事が出来ず、楽と刺激とを求めて人生を彷徨い歩いたという噂がAの話を聞いたその男の心でのみに流れて、その実は知らぬでも良いとする都合の良い算段がその男の脳裏には在った。〝人生に於ける楽と刺激を求める母の姿〟というのに少し男は関心を覚え我が身を重ねる様にして見せて、その土台を発条に尚男はAとの距離を縮めようと躍起に成った事さえ現実に在った。その弟は某メーカー会社に勤めて居てAとは違って真面で、身体に相応の障害は持たず若くして働き、やがてはエリート商社マンにでも成れるのではないかしら、等という一身の火照りを見せながら、同じ屋根の下でも全くAとは違う生活の謳歌を成し遂げて居る様に思われて男はホッとすると同時に、少々の哀しさを想って居た。男はその弟にAの自宅の玄関先で二、三度会った事があったが、その表情は奥の部屋から漏れた蛍光灯の明りで逆光に成ったその内に一瞬見た程度であって、その様子をその後に何度繰り返して回想して見てもそれ以上の弟の様子を探る事は出来ずに、唯〝某メーカーで気丈に働き、自分よりもAよりも高給取りの新入商社マン〟程度にしか図れずに居た。又、それで良しとする理由には、その弟の様子に気弱な腰を窺えた気分が在り、いざと成ればその弟のお義兄さんにも、その弟を取って喰う鬼人の様にも自分が成れる、と踏んだ為である。

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Aはその弟を執拗に自分の唯一人の弟だとして可愛がる様子が在り、その男とデートする際でも、何かと弟の話を持って来ては何等かの場面でその男の出来と比較する様な失笑を沢山話して居た。その父親には、職人とは言うが一瞥する様子の内にも何か狂気の様なものを秘めた突発的な恐ろしさが窺え、このAとの間に何か不義が在れば忽ち顔から禿げ上がった頭頂迄を茹で蛸の様にして暴力を振るって来るという様な、馴染み辛い処が在ると男は感じて居た。しかしその父親は知的障害を患って居るその娘の言動が引き起こして来たこれ迄数々の愚問・悪行、摂理の伴わない形相に免じてか、娘のガードを最低限度に止める様にと一見諦めの感が在る様に思われて、男はその処に身を寄せようとする狡さを憶えさせられて居た。その父親とも男はAの自宅の玄関先で一瞥して居り、弟の時と同じ様に奥の部屋から玄関へ差す蛍光灯の明りでその表情は逆光の内に深淵を描く事が出来ず、その威厳は不十分なものとして男に伝わったかも知れないが、それでも玄関へ入りAが〝○○さん来たで―〟と叫んだ後にドタドタドタ!と豪快な足音を踏み込んでやって来たその父親の姿には気後れを憶えさせた「父の強さ」が在り、以前にAから写真で見せて貰ったその父の顔に見慣れた安心が在った筈だが、矢張り実物が目前に来てじいっと睨まれるとその表情に、〝割り込めば忽ち殺される〟といった親子の絆が成す規律の様なものを見た訳であり、Aと自分との関係を大切に扱わなければ、と結果的には一瞬の改悛をその心中で構築するに至った訳である。Aが男のそうした心中を察して居たか否かは疑問だったが、無為な父の威圧に対して男を慰めようとした為か、場を明るくしようと努める節が見え、男はその後、〝崩せない親子の絆の様なもの〟を心中に宿しながら帰宅する暗い夜道の途中で、一瞬でもAと自分との淡く魅了された世界に身を押し沈めてその形を共に心中に宿し、スカイラインに身を預けて相応の高速で走って行った。

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天川裕司
作家:天川裕司
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