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 田柴は、二人のコーヒーが無くなっていることに気付き、もう一杯飲むことにした。田柴が、二つのコーヒーを運んでくると、静かに崎山の前に置いた。「心配かけてすまん。実を言うと、このバイトを始めてから、体調がおかしくなったような気がする。でも、このバイトをやめるつもりは無い。このバイトのおかげで大学に残れたし、漫才も受けるようになった。このバイトに、本当に感謝している。俺は気が弱いから、死体を見たショックで、体調を崩したに違いないと思う。もうしばらくやっていれば、死体にもなれて、またもとの体調に戻ると思う。俺は、どうしてこんなに気が弱いんだろうな」田柴は、コーヒーを一口弱弱しくすすった。

 

 崎山もコーヒーをすすると笑顔を作った。「そうすか。ガンバっすよ。二人で天下を取りましょう。もし、気分が悪い日は、俺が一人で何でもやりますから、先輩は、横で目を瞑って、休んでいてください。摘出の要領は、もう完璧です。まかしてください」崎山は、神経が図太いのか、まったく、死体を見ても、臓器の摘出にもまったく動じなかった。ほんの少し笑顔を作った田柴は、小さな声を放った。「すまん。漫才日本一になろう」田柴は、弱弱しいガッツポーズを作った。

 

 二人は、今年に入り、生活費を切り詰めようと、寮での同居を始めていた。同居をするようになり、稽古もやりやすくなり、二人にとっては、好都合であったが、二人が寝ているとき、田柴が真夜中に、突然、大きな叫び声を発するのには困惑していた。目を覚ました崎山は、田柴の様子を窺っては見たが、田柴は、気持ち悪い夢を見たと言うだけであった。稽古をやっているときも、時々、とんちんかんなアドリブを言うようにもなっていた。

 「あ、そうそう、二人の自殺志願の漫才、バカ受けでしたね。原発の仕事がなくなり、絶望して自殺の場所を探しに行ったところ、偶然、自殺志願の二人の男がビルの屋上で出くわし、飛び降りたい場所が同じだったが、場所を譲り合い、お先にどうぞ、お先にどうぞと言い合っているうち、太った男が足を滑らして、ビルから真っ逆さまってやつ。それを笑ったメガネの男も、足を滑らして、真っ逆さま。ところが、ビルの下を歩いていた集団に落下して、偶然助かり、その中の一人が不運にも即死。その命の恩人の顔を見てみると、なんと、今人気の総理だったと言う落ち。バカ受けでしたね」崎山は、田柴を元気付けようと、漫才のネタを笑いながら話した。

 

 この原発労働者の自殺漫才は、田森教授から絶賛され、この漫才は、M-1でも評価されると太鼓判を押されていた。TV九州の人気番組の「旬の漫才師」に二人が大学から推奨を受けていて、彼らは、田森教授からの朗報を待っていた。「先輩、もし、TVに出られたら、一躍人気者ですよ。うまく行けば、東京のTVにも出演できるかもですね。いつごろ、わかるんでしょうね」崎山は、結果を期待し、ワクワクしていた。

 

 田柴はほんの少し笑顔を作り相槌をうったが、気分はブルーで一向に身体のだるさが取れなかった。「俺は、足を引っ張ってないか?せりふはド忘れするし、よくカムし、いったい俺はどうしたことだ。これから、お前とコンビ組めるのか?いやだったら、コンビ解消してもいいんだぞ」田柴は、自分の体調不良と精神的な異変を感じ、崎山にコンビ解消を打診した。目を丸くした崎山は、即座に打ち消した。

 「何、言っているんですか。相方は、先輩以外いません。いま、ちょっと、体調が悪いだけじゃありませんか。もう一息です、きっと、道は開けます。田森教授も太鼓判を押してくれたじゃないですか。そうだ、こんなときこそ、桂子さんとデートされたらいいんですよ。うまく行ってるんでしょ」崎山は、落ち込んだときには、彼女に励ましてもらうのが一番と考えた。

 

 崎山は、田柴の身体に異変が起きていることを察知していたが、気を重くさせてはいけないと、話を変えることにした。「先輩、ちょっと疲れているだけです。漫才の稽古をやれば、気分もスカッとしますよ。さっそく、かえって、稽古しましょう」崎山は、席を立とうとほんの少し腰を持ち上げたとき、スマホの着メロが鳴った。田森教授からだった。即座にタッチすると左耳に押し当てた。

 

ちょっとダミ声の田森教授の弾んだ声がスマホからあふれ出た。「おい、やったぞ、お前たち、TVに出演だ。ディレクターの野北さんが、大いに気に入ってくださり、二人に会いたいそうだ。早速、今週の金曜日にリハーサルをやるそうだ。しっかりやれ」崎山は、嬉しさのあまり、頭が真っ白になっていた。田柴も耳を寄せ田森教授の声を必死に拾っていた。

 「おい、崎山、教授は、なんて言っていた。俺たち、TVに出られるんだな」崎山は、涙を流して、喉から絞り出すような声で答えた。「そうです。先輩。やっと、僕たちにも道ができました」崎山は、涙で顔がぐしゃぐしゃになっていた。もはや、声も出なくなっていた。スマホを取り上げた田柴は、田森教授に再確認した。「教授、本当ですね、出演が決まったのですね」即座に返事が返ってきた。

 

「そうだ、ついにやったな。すぐに、教授室に来い。稽古をつけてやる」田森教授も、嬉しさのあまり、涙声だった。田森教授が二人を留年させたのは、彼らの漫才に期待していたからだった。彼らの漫才を売り込むために、田森教授は野北ディレクターに何度も交渉を重ねていた。ついに、その熱意が伝わり、しかも、今回の自殺ネタが好評で、TV出演が実現した。

 

 崎山は、田柴の言葉から、コンビを解散するのではないかと不安でならなかった。二人は、中学のころからの親友で、そのころから漫才のコンビを組んでいた。崎山は、涙を手で拭きながら、小さな声で話し始めた。「先輩、ついに、僕たちも運が回ってきました。もう、ダメかと何度思ったことか。つらかったです。でも、先輩を信じ、やってきてよかったです。日本一になりましょう。先輩」田柴も涙で顔がぐしゃぐしゃになっていた。

春日信彦
作家:春日信彦
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