バッキーのこと

逃げる

 バッキーは何度かうちから逃げたことがある。

 その一回目が、この時じゃなかっただろうか。

 我が家から歩いて十五分くらいのところにあるスーパーで、ご近所のYさんの奥さんが買い物し、車で帰ろうとしたら、駐車場をうろついているバッキーを見つけたという。

 ぼくはこの話を母から聞いた。それで、詳しいところはよく分からないのだが、Yさんが

「バッキーに似てるみたいだけど違うかしら

 そうおもいながら、試しに

「バッキー」

 と呼んでみたらトコトコ寄ってきたらしい。


 その後どうやって家まで帰ってきたのか。Yさんが連れてきてくれたのか、それ以外にどうにかしたのか。ちょっと分からない。

 スーパーが開いている時間帯だから、日中、遅くてもせいぜい夕方までだろう。ぼくらは学校というところに行っていた、はずである。だから、学校から帰ってきた時には既にバッキーも戻っていたので、ぼくからしたら普段通りの格好になっていた。

 そのせいか、この話を聞かされた時の印象がうすい。逃げたことも知らず、探しに行ったわけでもなくて、まるで実感がないからだろう。

王者の風格

 母犬パイロンの血によるものか、バッキーの毛はもこもこしていた。中でも後ろ足のお尻側というか、うらももあたりの毛はフワフワで、老人の白ひげみたいだった。

 子犬でありながら(少し大げさに言えば)、そこの毛だけ、威厳のようなものを保っていた。大げさついでに言ってしまえば、ライオンのたてがみだ。

 名付けて

「王者の風格」

 猫とケンカもできず、どころか風に揺れる落ち葉に警戒して吠える、大意気地なしに対して王者の風格と称するのが、浮世離れした感じで、いっそ愛嬌がある。


 ただしこれはバッキー本人のニックネームというより、後ろ足のその毛に対して送った称号だったとおもう。

夢見て笑う

 バッキーが何歳頃から始まったか判然しないけど、バッキーは夢を見てよく笑った。

 実際に夢を見ていたのか、そしてまた、あれは笑いだったのか、確かめる方法はない。だが反対に、あれが夢を見て笑っていたのではないと言い切ることもできないんじゃないかとおもう。

 そこはあまり気にせず、書き進めよう。

 24 IMG_2763.jpg腹ばいになって後ろ足を開き加減にし、お腹をぺたりと地面にくっつけて、昼寝をしている。もちろんこれはぼくでなく、バッキーが、である。

 ああ、寝てるんだな、とおもう。すると

 フッ、フッ、フッ、フッと、なき声ともなんとも言いようのない、体にどこか穴があいて空気が漏れてるみたいな、高くて変な声が聞こえてくる。

 バッキーが寝たまま、腹をきゅっ、きゅっ、と波打たせて、その度にフッ、フッと声を出している。

 腹式呼吸と発声練習を一度にやったらあんな声が出るんじゃないかという気がする。


 目が覚めているときはこの発声法を出したことはなかった。変わってるなー、というくらいにおもっていた。

昼寝9.jpg

 何年も経って、フィラリアにかかり、病院に行った。獣医さんに

「咳はしませんか」

 と訊かれた。

「咳はしませんが寝てる時に変な声を出す時があります」

 例の笑っているような声を出すことを伝えた。「それは、フィラリアとは関係ないわね。かわいいじゃない」

 と言われた。

ボール遊び

 バッキーの写真を見ると、サッカーボールにあごを乗せて半分眠ったような顔をしているのがある。

 ボール遊びが好きだったかというとそうでなく、むしろ反対で、ボールを投げても反応はイマイチだった。

昼寝7.jpg

 子犬の頃ボールで遊ぶことを教えなかったからか。そういうことをしてやった記憶がないでもないが、いわゆるしつけとか、ちゃんと育てるための手順に則ったものではなかった(ちゃんと育てるというのが正確にはどういうことか分からないが)。

 野球ボールを投げてバッキーに取ってこさせるというのを繰り返したが、それはバッキーではなくぼくらが楽しむためにやっていた。

 サッカーボールも同様だった。蹴り出すと、追いかける。が、野球ボールと違って大きいので、バッキーはくわえて持ってくることができない。噛みつこうとしてあぐあぐやるのを見て、ぼくらは笑い転げた。


 ぼくらも成長して、家よりも学校にいる時間のほうが長くなっていき、バッキーとそういう風に遊ぶことが減っていった。

 で、サッカーボールはいつの間にかバッキーの枕になった。

小関三千男
作家:コセキミチオ
バッキーのこと
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