演技する死体

 「坊ちゃん、確かに、自殺の線を考えられたことはすばらしいと思います。でも、前田誠は、愛する妻に殺人犯になることを依頼するでしょうか?しかも、彼は、妊娠していたことを知っていたはずです。妻と子供を不幸にしてまで、隠さなければならない自殺原因があるでしょうか?お菊には、考えられません。ただ、女の第六感ですが、彼女は、犯人じゃないと思います。また、誰かをかばっているようにも思えません。考えられることは、やはり、自殺だと思います」お菊は、考えれば考えるほど、この事件がわからなくなっていた。

 

 コロンダ君は、自殺に賛成してくれたことにうれしくて話を続けた。「彼女は、殺していないんです。犯人じゃないんです。自殺した前田誠に頼まれて、射殺したと自白したに違いありません。自殺した原因さえわかれば、彼女の自白の謎かすべて解けるはずです。でも・・」コロンダ君は、どうすることもできない事態に愕然とした。自殺の原因は、彼女しか知らないはずだからだった。コロンダ君は、悲鳴を上げながら両手で頭の髪をかきむしった。

 

 お菊さんは心の中でつぶやいていた。他殺にしなければならないような自殺の原因って、いったいどんなことか?いや、彼女、彼の妻が犯人でなければならないような原因とは?

そんな原因があるのだろうか?お菊さんも、行き詰っていた。「坊ちゃん、お菊も降参です。彼女が殺人犯を名乗り出るような、そんな自殺の原因なんて、まったく、思いつきません。だからといって、不倫が原因で彼女が夫を射殺したとは考えられません。やはり、自殺の線は、確かだと思います。解明する方法はただ一つ、前田アツ子に聞くしかありません」お菊さんも、白旗を揚げた。

 コロンダ君は、今にも息が途絶えるような細い声で話し始めた。「お菊さん、お菊さんにしては、無謀な結論を出しましたね。彼女が、本当のことを言う程度のことだったら、殺人犯になるような自白はしなかったと思いますよ。彼女は、死んでも口を割らないと思いますけどね」コロンダ君も、彼女が本当のことを話してくれることを何度も願っていた。できれば、直接会って、真実を知りたいと思っていた。

 

 お菊さんは、この事件の真実は明らかにされないと思った。きっと、自白が証拠となり彼女は有罪になると確信した。でも、彼女が最愛の夫を嫉妬から射殺するとは到底思えなかった。コロンダ君は、当初から彼女の自白は嘘と思っていた。お菊さんとコロンダ君は自殺と考えたが、これを証明することはできないと思った。自白を撤回しない限り、彼女の射殺が事実となってしまう。コロンダ君は、右手の拳骨で頭をゴツンと叩いた。

 

 コロンダ君は苦虫をつぶしたような顔をすると、急に思い出したように話し始めた。「前田誠は、睡眠薬を飲んでいましたね。猟銃で自殺するのに、睡眠薬を飲みますかね?」お菊さんに疑問を投げかけた。お菊さんは、このことについてすでに考えていた。「坊ちゃん、まさに、睡眠薬こそ、他殺に見せかけるための策謀ですよ。“睡眠薬で眠らせ、射殺した”これは誰もが信じる他殺方法じゃないですか。彼は、嘘を演じてくれる妻のために、睡眠薬を飲んで自殺したに違いありません」お菊は、断定的口調で話した。

 コロンダ君は、大きく頷き、お菊さんの推理に感激した。「さすが、お菊さん、何度も言いますが、お菊さんは、小説家になれますよ。いつもお菊さんのひらめきと推理には、感心しています。お菊さんのおっしゃるとおり、他殺に見せかけるために前田誠は、睡眠薬を飲んだに違いありません。ますます、前田誠の自殺の線は、堅くなりましたね。でも、どうやって・・」またもや、コロンダ君は、頭の髪を両手でかきむしった。

 

お菊さんは、推理が行き詰ると、異常にムキになるところがあった。お菊さんの顔が少し紅潮しはじめていた。お菊さんは、自殺についてもっと深く考えるべきじゃないかと思った。「坊ちゃん、自殺は誰のために、するんでしょうか?」コロンダ君に当たり前のような質問をした。コロンダ君は、それは愚問でしょう、というような顔で答えた。「自分自身が苦しみから逃れるために自殺するんじゃありませんか」いとも簡単に答えた。

 

お菊さんは、常識人の回答に大きく頷いた。「簡単に言えば、自分のために自殺するわけですね」念を押すように質問した。コロンダ君は、二度頷いてはっきりと答えた。「そのとおり、自殺は自分のためにするものです。自分が楽になりたいから、自殺するのです。間違っていますか?」コロンダ君は少し怒ったように答えた。お菊さんは、大きく頷き、右手をあごの下に当て話し始めた。

「一般的な自殺は、きっと、自分が楽になるためでしょう。それと違った、自分以外の人のために自殺するということはないでしょうか?たとえば、最愛の妻の幸せのために、自殺するということはないでしょうか?」コロンダ君の目を見つめた。「え!それって、保険金のことですか?」コロンダ君は、この事件にはまったく当てはまらないように思った。お菊さんは、右手を顔の前でひらひらと振ると、さらに、核心的なことを質問した。

 

「いいえ、お金ではありません。夫が自殺することによって、妻が幸せになり、さらに、妻を犯人に仕立て上げ、自殺を他殺に摩り替えることによって、妻が幸せになる。こんなことって、あるでしょうか?」お菊さんの妄想はフル回転していた。コロンダ君は、お菊さんの言っている意味がさっぱりわからなくなっていた。「お菊さん、意味がさっぱりわかりません。常識人の僕にもわかるように話してください。頭が、こんがらがってきました」コロンダ君は、またもや、両手で頭の髪をかきむしった。

 

お菊さんは残りのジャスミンティーを飲み干し、大きく深呼吸した。そして、目を閉じしばらく沈黙した。何か、ひらめきがあったのか、目を大きく見開くと話し始めた。「坊ちゃん、お互い、気がめいってますね、ここで、推理を進めていくために、私たちの仮定を明確にしましょう」お菊さんが話し終えるとコロンダ君は大きく頷いた。「僕もそう思っていたんだ。頭が変になってきたからね」コロンダ君は、お菊さんの話をじっと待った。

春日信彦
作家:春日信彦
演技する死体
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