言葉の手前で

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 二十四

 なにかをしようと意見が一致したものの、英子があれこれわからずに困っているとき、
ゆうりも一緒に探してくれる。
 帽子なのヘルメットなのというようにさわってみせる。
 ちがう、自転車はおばあちゃん乗せられないのよ、もうそれでわかっている。

 普段履きの靴にはNOというサイン。上等の靴を探すと喜んで叫んだ。
 バギーをさわってこれは、というサイン。歩いて行くのよ、これで了解。

 遊んでいる時のアッタ、とかアリ?とかさまざまな似たような発音、プーさえ言えない
のが可哀想だが、言っているつもりなのだろう。

 長い昼寝から目覚めた時、この日は午前中も何か不機嫌、というか気分が優れないとい
うか、シッターが来たということは両親がいなくなるということだと関係がわかっている
のか、さだかではないが、起きた時も泣いて起きた。

 ふとんの片付けも忘れていたので、あとから一緒に片付けた。ともかくそれまでは悲し
そうに泣くので、おとうさんたち、すぐ帰るからちょっと待っててね、わかった、大丈夫
よ、ちょっと待ってようね、と抱いてやった。
 それから、ドアまでいき、隙間に指を入れようとするので開けてやろうとすると、乱暴
に(これはゆうりの唯一の欠点だ、ノーの反応が大きすぎる、余りに嫌そうな顔をする)
それをとめた。
 だれかが禁じたのを認識しているのだろうか。

 布団を片付けてからも、電動のゆりかごにすわった。そこに先に陣取っていた大きなぬ
いぐるみを乱暴に捨てた、ぬいぐるみは余り好まないようだ。揺らしてやると歯を見せて
笑ったが、何かを背中に欲しいらしい。
 クッションがあったのでそれを裏表おかまいなく入れてやると満足していた。しばらく
するとわざわざ振り返って、その柄を見た。
 否定的な様子なので、表面の柄にしてやるとにやっとした。それは美しい模様だった。
 きれいね、きれいな柄ね、というとこっくりした。
 

 二十五

 トイレでおむつを替え、おむつ用のバケツをもとうとするので、それはしなくて大丈夫
よといい、すぐに理解したので、自分からおむつを履き立ってからぐいとひきあげる、こ
れはもう二度目なので英子も理解が早い。

 このあと、英子自身がちょっとおしっこするね、とそこに座り、ドアは明けっ放しにし
た。子育ての経験からいうと、子どもはある期間トイレに母と一緒にいるものなのだ。
 ところが、ゆうりはさっと姿を消した。遊びの部屋で少し考え深い困ったような顔をし
て、いいのかな、悪かったのかなみたいな顔をしてゆりかごの電動ボタンをいじっていた。
 英子は全体の意味をそのボタンに託して、あ、これが消せなかったのね、と言いかちっ
と消した。余りにしつけが成功している、そうも言えた。
 それほど理解力がいいということだが、まあそうなのだが。

 雨が降って公園に行けなくなったが、かわりに玄関で道路を通る車を見ることでゆうり
はまったく異存がなかった。
 疲れて祖母がしゃがんでいると、ゆうりもにや、として隣にしゃがんだ。
 ゆうくんも疲れたの、といって祖母はまた力を込めて数日で背丈が伸びた感じのゆうり
を抱き上げ、バス、タクシー、トラックー、タンクローリー、救急車と叫んだ。
 
 ゆうりもきっと叫んでいたのだ。
 最初の瞬間に喜んで叫んでくれたことがその日の喜びだった。
 丸い胴体はいつものように可愛かった。

 ゆうりの表情をもうひとつ英子は思い出して、かわいそうでたまらなかった。
さとみさんが、彼女にも分からないダンスがあり、それを英子の前で踊ってみせた。ツン
ツンツン、と人差し指を尖らして左右に腕を突き上げる。
 そのあとを英子は思い出せないのだが、要するに手遊び唄のようなものだった。それを保育園でするのだという。
 それを見ていたゆうりの恥ずかしそうな照れたような表情もひとつ追加の表情集だ。

 ちょうどそのとき、あろうことかパトカーがゆっくりと前を走っていた。
「パトカーがきたよ」
と英子が叫ぶと、ゆうりは ぱ、と囁いた。
「そうね、パパパパトカー」

 ゆうりは着ていた新しいTシャツの柄のパトカーを指先でつんつんつついた。
                     了

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東天
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