とよみ父ちゃんの破天荒日記

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第1章( 1 / 1 )

とよみ父ちゃんの破天荒日記

とよみ父ちゃんの破天荒追悼日記1

幼い頃に記憶を遡ると、父ちゃんの記憶は定かではないのでスミちゃん(母親)に一部を聞いて

付け足ししたが、だいたいのところはこの本の中に書いてある通りだった。

 

さて、父ちゃんの思い出は小学校3年生にさかのぼります。

ある日父ちゃんは、キャッチボールをしようと私を誘います。

私はグローブを買ってもらって、いたのでグローブがあったのですが、父ちゃんは素手です。

私は父ちゃんは、手があついんだなあっとかってに思いこんだものでしたがグローブのない父ちゃんは

5球が精一杯だった。でもそんな父ちゃんが、とても好きだった。

いつだったか、野球をみにいったときでもただお酒(ビール)を飲んでどっちが勝ったかを

スミちゃんに聞いたものだった。

私は何をしに父ちゃんはきたんだろう?っと当時は思ったものだった。

と同時に父ちゃんは野球を知らないことがわかってしまった。

父ちゃんの時代はまだ、車が家庭にある時代ではなかったので、良く会社からクルマを借りて

俺たちを、海につれていってくれた。

会社のvanだったので、会社のロゴが入っていた。

父ちゃんは、素潜りが上手で良く海で貝やかにのとりかたなどを教えてくれた。

中でも一番楽しかったのは川での魚しびれだった。

魚しびれというのは、車のバッテリーをもってきて、川で電流を流すとバタバタと

一時は魚が仮死状態になるのだった。

だから、魚がばしばしとれたのだった。

 

しかし、大人になってわかったこのことは、非常に危険なことがわかった。

でもそんなことは関係なく「ちょっとしびれるかもしれんから・・・俺からはなれとけ」っと

びしっ・・・びしっ・・・っと音がしたかと思ったら、バシバシと魚が浮いてきて魚をとっていた。

しばらくすると・・・魚は仮死状態から回復して何事もなく泳ぎだした。

父ちゃんは「かえるぞっ」といって川を後にしようとしたので、俺は父ちゃんに「魚は持って帰らなの?」って

聞いたら、父ちゃんは「うん・・・今日は取り方を教えにきただけだからまた今度な・・・」と言って

川を後にした。

でもあとになったら父ちゃんは魚を取るけど魚はさばけないので、とっても後で困ると思っていたようだった。

 

 

 

父ちゃんは、夜が遅かったので俺たちを良く帰ってきては寝床に酒くさい息を吐いて

「おい・・・今帰ってきたぞ・・・」っと頭をなでて、自分の寝床に行った。

俺たちは、酒臭い息が嫌いで寝たふりを妹としたものだった。

父ちゃんは手で回す方式のパチンコまでは、良く行っていた。

ニコニコして、良くチョコをもらってきたから、私たちにもチョコがいつもたくさんあった。

私が虫歯だらけだったのもこんな理由だったかもしれない。

でも父ちゃんは、チョコは一つも食べなくて「なあ・・・ありきよ・・・なぜパチンコやには

お酒がおいてないんかな?」っといっていた。

父ちゃんは、どこへでもビールを飲んでいたからいつでも欲しかったんだろう。

父ちゃんの仲間で、植木さんという人がいたその人がくると家族中でまたガラス代がかかると思ったものだっ

た。植木さんは目が少しわるいのか?ガラスに激突してガラスを割るという特技をもっていた。

だから、家族はまたガラス代がかかるので、すみちゃんはああ・・・また修理代がっ・・・と思いながらも

「植木さん大丈夫・・・」っと声をかけていた。

時代は前後するが、小学校高学年になった時には、自家用車があった。

当時トヨタのカリーナという車を買ってのっていた。

父ちゃんはクルマ好きと言うこともあってか・・・今のような広いクルマもなかったこともあって、

クーペタイプにのっていたので、後ろのスペースは非常に狭かった。

だけど、小さかった俺たちには一番居心地の良いスペースだった。

でもいつも行ったのは、競艇場と競馬場であった。

俺たちは、父ちゃんがレースが終わってかえるまで競馬場での遊園地で遊んでいた。

レースに勝つとラーメン等が食べれたので楽しみのひとつでもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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