スラム街の天使

監督の目が輝いてきた。やはり、キムは思っていた通りの男であった。早速、優希を呼び寄せることにした。優希は献身的で監督が困っているときには必ず手助けをしてきた。しかも、窮地に陥っても機転を利かして問題を解決できる才女だ。「キムさん、そんなに自暴自棄になることはありませんよ。日本の男も女性との会話は苦手なものです。女性の前に立つと真っ赤になって一言も話せない男もたくさんいます。要は、練習です。訓練です。英会話も実践じゃないですか。日本語も同じです。男なら、当たって砕けろ、とにかく、女性と話すことですよ。女優でとても愉快な優希という女優がいます。彼女と話をすればきっとコンプレックスも吹っ飛びますよ。今からはじめましょう」

 

監督は携帯を取り出し、優希にマンションに来るように頼んだ。40分ほど、キムと趣味やAVについて話していると、玄関からの呼び出しの声がした。優希の甘い声だ。しばらくすると、インターホンが鳴った。監督は即座に立って迎えに行った。優希を迎え入れると入口のところで小さな声で、ここに住んでいる少女スアールの素性をキムから聞き出してほしい、と耳打ちした。ピンと来た優希は豊満な胸を両手で持ち上げた。

 

監督は固まってしまったキムに優希を紹介すると、彼女をキムの右横に座らせた。監督はサイドボードに目をやると、さっと優希は立ち上がった。優希はウイスキーとグラスを運んできた。次に、氷と水も持ってきた。手際よく水割りを作ると、キムの右手を取ってそっとグラスを握らせた。キムは日本女性の手に触れたのは始めてであった。震えながら唇にグラスを当てるとカチカチと音がした。

 

監督はいっそうキムをおだてることにした。「キムさんはソウル大学卒業のエリートなんだ。現在、東京外国語大学で教鞭をとられ、通訳もなされていらっしゃる。趣味はカラオケ、乗馬、登山、囲碁、卓球、切手収集、遺跡巡りなど多趣味でいらっしゃる。キムさんとお話しているととても勉強になるよ」監督のおだては効果があったと見えて、キムは優希から眼をそらしていたが、時々、笑顔を優希に見せるようになった。

 

優希は情報を得ると機転を利かせた。「キムさんはどんな歌を歌われるんですか?」キムは笑顔を見せると「ミスチル、嵐、カラ、AKBとか一人で歌っています。人に聞かれると恥ずかしいもので」AKBと聞いた優希は水を得た魚のように大きな声をだした。「え!AKBは誰押しなの!教えて!」優希はキムに身体を預けるようにキムに寄りかかり、ナイトドレスからあふれ出そうな豊満な胸を押し付けた。キムはウイスキーをこぼしそうになったが、気持ちよかったのか目じりを下げて優希を見つめた。

 

「ゆうこ押しです。優希さんは?」優希の媚薬が効き始めた。キムの心は羽目を外し始めた。「優希も、ゆうこ押し、うれしいわ!」優希はキムを抱きしめ、右の頬にチュ~をした。キムはお酒が回ってきたらしくニンマリと笑顔を作った。「優希さんもカラオケ好きですか?いつか一緒にカラオケ行きませんか?」キムはとうとう優希の罠にはまってしまった。「素敵、約束ね!でも、奥さん、やきもちやかないかしら?」優希は監督にウインクをした。さすが優希、と心でほめたが、これからが本番とキムに水割りを作り手渡した。

 

「キムさんはまだ独身なんだよ、チョ~イケメンなのに」キムはイケメンといわれ少し身を乗り出した。「え~~~、信じらんない!うっそ~」優希はキムを見つめると彼の右手をしっかり握り締めた。「そうなんです、彼女もいないんです、淋しいです」酔いがかなり回ってきたのか、キムの口調はろれつが回っていなかった。「キムさん、少女と二人っきりだとやりきれないでしょう。今夜は優希がとことん付き合ってくれますよ、ね、優希!」キムの眼はうつろになってきた。

 

「さあ、キム、飲みましょう、優希でよかったら、付き合うわ」優希は彼女のグラスを右手に取るとキムの唇に当てた。キムは笑顔を作ると口をあけた。優希はグラスを置くと彼女の右手でキムの右太ももの内側をそっとさすった。キムはぼんやりとした眼で「この仕事は少しヤバかったです、もう疲れました」キムはやはり少女から何かを聞きだしていたと監督は直感した。

 

「少女に何か小言でも言われましたか?」監督はあと少しと感じた。「う~~~」キムの理性が消えかかっているのが分かった。キムは秘密にしていたことを誰かに話したいのだ。秘密にすればするほど人は苦しくなる。「少女と口喧嘩でもしたんですか?」監督は追い討ちをかけた。「彼女は、彼女は、She ‘s a call girl. She’ll be killed.」キムはとうとう落ちた。キムは死んだように優希の両太ももの上に顔を伏せた。

 

無謀な賭け

 

 監督は身の毛もよだつ言葉を聴いてしまった。もし、そのことが事実であれば少女はマフィアに殺されるに違いない。また、このことは誰にも相談できないばかりか、誰にもどうすることもできないことだった。キムも彼女から聞いた言葉に苦しんだに違いない。監督は聞き出すべきではなかったと後悔した。キムの言葉は徐々に監督を苦しめていった。しかも、少女を撮影するという不運を背負ってしまった。

 

翌日、監督はあまりのショックに仕事をする気力を失っていた。撮影現場の指示は右腕の優希に任せて、自分にできることは無いかと悶々としていた。自宅マンションのベッドに横たわり、昨夜のキムのやるせない表情を何度も思い浮かべていた。「She’ll be killed.」この言葉が頭の中を何度も駆け巡っていた。この言葉から次から次へといろんな思いが湧き出てきた。

 

中国、インド、東南アジアでは多くの少女が売買されているように、少女は貧しい家庭に生まれ、人身売買ブローカーに親は彼女を売ったのか?マフィアは少女をコールガールとしてどのように利用しているのか?利用価値がなくなったとき、警察の手の届かないデリーの売春宿に売られてしまうのか?マフィアのことを知りすぎたために殺されるのか?絶望のあまり自殺するのではないか?

春日信彦
作家:春日信彦
スラム街の天使
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