こころ

上 先生と私( 7 / 36 )

 私は不思議に思った。しかし私は先生を研究する気でその宅へ出入りをするのではなかった。私はただそのままにして打ち過ぎた。今考えるとその時の私の態度は、私の生活のうちでむしろ尊むべきものの一つであった。私は全くそのために先生と人間らしい温かい交際ができたのだと思う。もし私の好奇心が幾分でも先生の心に向かって、研究的に働き掛けたなら、二人の間を繋ぐ同情の糸は、何の容赦もなくその時ふつりと切れてしまったろう。若い私は全く自分の態度を自覚していなかった。それだから尊いのかも知れないが、もし間違えて裏へ出たとしたら、どんな結果が二人の仲に落ちて来たろう。私は想像してもぞっとする。先生はそれでなくても、冷たい眼で研究されるのを絶えず恐れていたのである。
 私は月に二度もしくは三度ずつ必ず先生の宅へ行くようになった。私の足が段々繁くなった時のある日、先生は突然私に向かって聞いた。
「あなたは何でそうたびたび私のようなものの宅へやって来るのですか」
「何でといって、そんな特別な意味はありません。――しかしお邪魔なんですか」
「邪魔だとはいいません」
 なるほど迷惑という様子は、先生のどこにも見えなかった。私は先生の交際の範囲の極めて狭い事を知っていた。先生の元の同級生などで、その頃東京にいるものはほとんど二人か三人しかないという事も知っていた。先生と同郷の学生などには時たま座敷で同座する場合もあったが、彼らのいずれもは皆な私ほど先生に親しみをもっていないように見受けられた。
「私は淋しい人間です」と先生がいった。「だからあなたの来て下さる事を喜んでいます。だからなぜそうたびたび来るのかといって聞いたのです」
「そりゃまたなぜです」
 私がこう聞き返した時、先生は何とも答えなかった。ただ私の顔を見て「あなたは幾歳ですか」といった。
 この問答は私にとってすこぶる不得要領のものであったが、私はその時底まで押さずに帰ってしまった。しかもそれから四日と経たないうちにまた先生を訪問した。先生は座敷へ出るや否や笑い出した。
「また来ましたね」といった。
「ええ来ました」といって自分も笑った。
 私は外の人からこういわれたらきっと癪に触ったろうと思う。しかし先生にこういわれた時は、まるで反対であった。癪に触らないばかりでなくかえって愉快だった。
「私は淋しい人間です」と先生はその晩またこの間の言葉を繰り返した。「私は淋しい人間ですが、ことによるとあなたも淋しい人間じゃないですか。私は淋しくっても年を取っているから、動かずにいられるが、若いあなたはそうは行かないのでしょう。動けるだけ動きたいのでしょう。動いて何かに打つかりたいのでしょう……」
「私はちっとも淋しくはありません」
「若いうちほど淋しいものはありません。そんならなぜあなたはそうたびたび私の宅へ来るのですか」
 ここでもこの間の言葉がまた先生の口から繰り返された。
「あなたは私に会ってもおそらくまだ淋しい気がどこかでしているでしょう。私にはあなたのためにその淋しさを根元から引き抜いて上げるだけの力がないんだから。あなたは外の方を向いて今に手を広げなければならなくなります。今に私の宅の方へは足が向かなくなります」
 先生はこういって淋しい笑い方をした。

上 先生と私( 8 / 36 )

 幸いにして先生の予言は実現されずに済んだ。経験のない当時の私は、この予言の中に含まれている明白な意義さえ了解し得なかった。私は依然として先生に会いに行った。その内いつの間にか先生の食卓で飯を食うようになった。自然の結果奥さんとも口を利かなければならないようになった。
 普通の人間として私は女に対して冷淡ではなかった。けれども年の若い私の今まで経過して来た境遇からいって、私はほとんど交際らしい交際を女に結んだ事がなかった。それが源因かどうかは疑問だが、私の興味は往来で出合う知りもしない女に向かって多く働くだけであった。先生の奥さんにはその前玄関で会った時、美しいという印象を受けた。それから会うたんびに同じ印象を受けない事はなかった。しかしそれ以外に私はこれといってとくに奥さんについて語るべき何物ももたないような気がした。
 これは奥さんに特色がないというよりも、特色を示す機会が来なかったのだと解釈する方が正当かも知れない。しかし私はいつでも先生に付属した一部分のような心持で奥さんに対していた。奥さんも自分の夫の所へ来る書生だからという好意で、私を遇していたらしい。だから中間に立つ先生を取り除ければ、つまり二人はばらばらになっていた。それで始めて知り合いになった時の奥さんについては、ただ美しいという外に何の感じも残っていない。
 ある時私は先生の宅で酒を飲まされた。その時奥さんが出て来て傍で酌をしてくれた。先生はいつもより愉快そうに見えた。奥さんに「お前も一つお上がり」といって、自分の呑み干した盃を差した。奥さんは「私は……」と辞退しかけた後、迷惑そうにそれを受け取った。奥さんは綺麗な眉を寄せて、私の半分ばかり注いで上げた盃を、唇の先へ持って行った。奥さんと先生の間に下のような会話が始まった。
「珍らしい事。私に呑めとおっしゃった事は滅多にないのにね」
「お前は嫌いだからさ。しかし稀には飲むといいよ。好い心持になるよ」
「ちっともならないわ。苦しいぎりで。でもあなたは大変ご愉快そうね、少しご酒を召し上がると」
「時によると大変愉快になる。しかしいつでもというわけにはいかない」
「今夜はいかがです」
「今夜は好い心持だね」
「これから毎晩少しずつ召し上がると宜ござんすよ」
「そうはいかない」
「召し上がって下さいよ。その方が淋しくなくって好いから」
 先生の宅は夫婦と下女だけであった。行くたびに大抵はひそりとしていた。高い笑い声などの聞こえる試しはまるでなかった。或る時は宅の中にいるものは先生と私だけのような気がした。
「子供でもあると好いんですがね」と奥さんは私の方を向いていった。私は「そうですな」と答えた。しかし私の心には何の同情も起らなかった。子供を持った事のないその時の私は、子供をただ蒼蠅いもののように考えていた。
「一人貰ってやろうか」と先生がいった。
「貰ッ子じゃ、ねえあなた」と奥さんはまた私の方を向いた。
「子供はいつまで経ったってできっこないよ」と先生がいった。
 奥さんは黙っていた。「なぜです」と私が代りに聞いた時先生は「天罰だからさ」といって高く笑った。

上 先生と私( 9 / 36 )

 私の知る限り先生と奥さんとは、仲の好い夫婦の一対であった。家庭の一員として暮した事のない私のことだから、深い消息は無論解らなかったけれども、座敷で私と対坐している時、先生は何かのついでに、下女を呼ばないで、奥さんを呼ぶ事があった。(奥さんの名は静といった)。先生は「おい静」といつでも襖の方を振り向いた。その呼びかたが私には優しく聞こえた。返事をして出て来る奥さんの様子も甚だ素直であった。ときたまご馳走になって、奥さんが席へ現われる場合などには、この関係が一層明らかに二人の間に描き出されるようであった。
 先生は時々奥さんを伴れて、音楽会だの芝居だのに行った。それから夫婦づれで一週間以内の旅行をした事も、私の記憶によると、二、三度以上あった。私は箱根から貰った絵端書をまだ持っている。日光へ行った時は紅葉の葉を一枚封じ込めた郵便も貰った。
 当時の私の眼に映った先生と奥さんの間柄はまずこんなものであった。そのうちにたった一つの例外があった。ある日私がいつもの通り、先生の玄関から案内を頼もうとすると、座敷の方でだれかの話し声がした。よく聞くと、それが尋常の談話でなくって、どうも言逆いらしかった。先生の宅は玄関の次がすぐ座敷になっているので、格子の前に立っていた私の耳にその言逆いの調子だけはほぼ分った。そうしてそのうちの一人が先生だという事も、時々高まって来る男の方の声で解った。相手は先生よりも低い音なので、誰だか判然しなかったが、どうも奥さんらしく感ぜられた。泣いているようでもあった。私はどうしたものだろうと思って玄関先で迷ったが、すぐ決心をしてそのまま下宿へ帰った。
 妙に不安な心持が私を襲って来た。私は書物を読んでも呑み込む能力を失ってしまった。約一時間ばかりすると先生が窓の下へ来て私の名を呼んだ。私は驚いて窓を開けた。先生は散歩しようといって、下から私を誘った。先刻帯の間へ包んだままの時計を出して見ると、もう八時過ぎであった。私は帰ったなりまだ袴を着けていた。私はそれなりすぐ表へ出た。
 その晩私は先生といっしょに麦酒を飲んだ。先生は元来酒量に乏しい人であった。ある程度まで飲んで、それで酔えなければ、酔うまで飲んでみるという冒険のできない人であった。
「今日は駄目です」といって先生は苦笑した。
「愉快になれませんか」と私は気の毒そうに聞いた。
 私の腹の中には始終先刻の事が引っ懸っていた。肴の骨が咽喉に刺さった時のように、私は苦しんだ。打ち明けてみようかと考えたり、止した方が好かろうかと思い直したりする動揺が、妙に私の様子をそわそわさせた。
「君、今夜はどうかしていますね」と先生の方からいい出した。「実は私も少し変なのですよ。君に分りますか」
 私は何の答えもし得なかった。
「実は先刻妻と少し喧嘩をしてね。それで下らない神経を昂奮させてしまったんです」と先生がまたいった。
「どうして……」
 私には喧嘩という言葉が口へ出て来なかった。
「妻が私を誤解するのです。それを誤解だといって聞かせても承知しないのです。つい腹を立てたのです」
「どんなに先生を誤解なさるんですか」
 先生は私のこの問いに答えようとはしなかった。
「妻が考えているような人間なら、私だってこんなに苦しんでいやしない」
 先生がどんなに苦しんでいるか、これも私には想像の及ばない問題であった。

上 先生と私( 10 / 36 )

 二人が帰るとき歩きながらの沈黙が一丁も二丁もつづいた。その後で突然先生が口を利き出した。
「悪い事をした。怒って出たから妻はさぞ心配をしているだろう。考えると女は可哀そうなものですね。私の妻などは私より外にまるで頼りにするものがないんだから」
 先生の言葉はちょっとそこで途切れたが、別に私の返事を期待する様子もなく、すぐその続きへ移って行った。
「そういうと、夫の方はいかにも心丈夫のようで少し滑稽だが。君、私は君の眼にどう映りますかね。強い人に見えますか、弱い人に見えますか」
「中位に見えます」と私は答えた。この答えは先生にとって少し案外らしかった。先生はまた口を閉じて、無言で歩き出した。
 先生の宅へ帰るには私の下宿のつい傍を通るのが順路であった。私はそこまで来て、曲り角で分れるのが先生に済まないような気がした。「ついでにお宅の前までお伴しましょうか」といった。先生は忽ち手で私を遮った。
「もう遅いから早く帰りたまえ。私も早く帰ってやるんだから、妻君のために」
 先生が最後に付け加えた「妻君のために」という言葉は妙にその時の私の心を暖かにした。私はその言葉のために、帰ってから安心して寝る事ができた。私はその後も長い間この「妻君のために」という言葉を忘れなかった。
 先生と奥さんの間に起った波瀾が、大したものでない事はこれでも解った。それがまた滅多に起る現象でなかった事も、その後絶えず出入りをして来た私にはほぼ推察ができた。それどころか先生はある時こんな感想すら私に洩らした。
「私は世の中で女というものをたった一人しか知らない。妻以外の女はほとんど女として私に訴えないのです。妻の方でも、私を天下にただ一人しかない男と思ってくれています。そういう意味からいって、私たちは最も幸福に生れた人間の一対であるべきはずです」
 私は今前後の行き掛りを忘れてしまったから、先生が何のためにこんな自白を私にして聞かせたのか、判然いう事ができない。けれども先生の態度の真面目であったのと、調子の沈んでいたのとは、いまだに記憶に残っている。その時ただ私の耳に異様に響いたのは、「最も幸福に生れた人間の一対であるべきはずです」という最後の一句であった。先生はなぜ幸福な人間といい切らないで、あるべきはずであると断わったのか。私にはそれだけが不審であった。ことにそこへ一種の力を入れた先生の語気が不審であった。先生は事実はたして幸福なのだろうか、また幸福であるべきはずでありながら、それほど幸福でないのだろうか。私は心の中で疑らざるを得なかった。けれどもその疑いは一時限りどこかへ葬られてしまった。
 私はそのうち先生の留守に行って、奥さんと二人差向いで話をする機会に出合った。先生はその日横浜を出帆する汽船に乗って外国へ行くべき友人を新橋へ送りに行って留守であった。横浜から船に乗る人が、朝八時半の汽車で新橋を立つのはその頃の習慣であった。私はある書物について先生に話してもらう必要があったので、あらかじめ先生の承諾を得た通り、約束の九時に訪問した。先生の新橋行きは前日わざわざ告別に来た友人に対する礼義としてその日突然起った出来事であった。先生はすぐ帰るから留守でも私に待っているようにといい残して行った。それで私は座敷へ上がって、先生を待つ間、奥さんと話をした。

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作家:夏目漱石
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