この記事を書いたのは、ISIS 160号で「Nobody Has Any
Respects」というアナログ・ブートレッグのコーナーを再開して以来、読者諸兄姉からたくさんのお便りをいただいたのがきっかけだ。私は1970年代初頭にコレクションを開始して以来ずっと、アナログのブートレッグ・レコード、特にTrade Mark Of
Qualityのリリースに大きな愛着を抱き続けている。ブートレッグ・レコードが歴史の遺物になって既に久しいが、ウキウキするほど「天真爛漫」だったあの頃のことについて記事を書くのは楽しくてしかたない。
そもそも私がブートレッグというものと初めて出会ったのは、1971年に、当時暮らしていたコヴェントリー市の中古品店でだった。この店は市の中心部から歩いて10分ほどのさえない地区にあり、狭くて雑然とした店内には、巨乳を披露している若い女性をフィーチャーした雑誌をはじめ、ありとあらゆるものが
あった。私は店内を移動する際、彼女たちの目に追われているように感じたのを覚えている。
私は土曜日になるとよくこの店に行った。もちろん、こうした雑誌ではなく、中古レコードが入っている箱をチェックするためだ。ある日、店のオーナーから、奥にある「別の」レコードも見てみないかと言われた。きっと、常連だと認めてもらえたのだろう。私がイエスと言うと、オーナーは2つの箱を持って来た。間もなく、それはブートレッグLPだと分かった。私は箱の中にある奇妙な体裁のレコードを興奮してチェックしながら、一生分のクリスマスが一度に来たように感じた。ブートレッグを集めるくらい音楽が好きな人なら、非合法のレコードを初めて手にしたのはきっと楽しい思い出であるに違いない。私にとっても、それは魔法のような瞬間だった。
Har-Kubレーベルからリリースされたボブ・ディランの
『Stealin'』、Winkelhoferレーベルの
『While The Establishment Burns』、見事な赤の透明ビニール盤の
『John Birch Society Blues』『Seems Like A Freeze Out』があった。この頃の私はまだディラン一辺倒ではなかったので、他のアルバムも目にとまった。ジェスロ・タルの
『My God』、ストーンズの
『LIVEr Than You'll Ever Be』、レッド・ツェッペリンの
『Live On Blueberry Hill』等もあった。この時、私はアルバムを2枚買った。赤いレコードは絶対にはずせない。オーナーからいくらと言われたかは正確には覚えてないが、2枚組の
『Blueberry Hill』は6ポンドだったと思う(当時、1枚組の正規盤の値段は2ポンドだった)。毎週7ポンド50ペンスというのが私の小遣いだったので、6ポンドはひと財産だった。私は週末になるとその店に通ったが、財布にとって幸運なことに、新入荷は殆どなかった。カウンターのところにいた人がしてくれた話では、こうしたレコードの殆どはアメリカから入ってくるのだが、いいところ1カ月に1度だとのことだった。とにかく電話で問い合わせを続けて、いわゆる
『Royal Albert Hall』コンサートを売ってもらうことが出来たのだが、その頃には、私はビニール・ジャンキーになっていたのだ。
悲しいことに、パラダイスで過ごした時間は束の間だった。当時は知らなかったのだが、1972年2月15日にアメリカでは海賊盤を取り締まるマクレラン法が施行されて、こうしたものを商うことは連邦法に反する行為となっていた。コヴェントリーの店に卸していたアメリカの業者は、これでイギリスにブートレッグを輸出する機会は断たれたと判断したので、たった数カ月の間に(長くてもせいぜい半年間だろうか)私の夢は膨らみ、そして打ち砕かれたのだ。私はその後もあちこちで、たいていはロンドンに行った時に、ブートレッグを買った。そして、1975年になってやっと、地元の町に夢のレコードを売る別の店が出来た。この頃には、音楽が私の宗教で、ブタは聖なる動物になっていた。
【1】
註
【1】Barker, Derek『My Life In Stolen Moments』ISIS 134 2007年10月