私は予知夢などというものにはまったく興味がないし、その手の、たとえば占いすら嫌いと言ってもいいくらい、その手のことには興味がない。元々だし今でもそうだ。第一私が予知夢を見たなどと書いても誰も信じるわけもないし、「病気の症状だろう」と言われるのがいいところだろう。あるいはただの勘違いかもしれない。しかし今朝の夢には自分でも驚いたので一応書いておくことにした。今朝東京都北区の自宅で眠っていた私は地震の揺れで目が覚めた。確か午前4時半頃だったと思う。震度は、ここはほぼ埼玉県南部に近いからいつものことだが、だいたい今から思っても震度3くらいだったと思う。震源地は確か茨城県南部で最大震度は4の地震だ。2012年7月16日午前4時半頃の地震だ。
ところが私はその地震の直前、夢を見ていた。それは怖い夢で、もうすぐ直下型大地震が起こるから逃げろとかいう、大騒ぎの夢だったのである。そしてかと思ったら私は、現実の震度およそ3の地震で目が覚めたというわけだ。
もちろん私は目が覚めてびっくりしたが、一応現実の情報を確認したら、そんな直下型の大地震ではなかったので、厳密な予知夢ではないなと逆に安心したほどだ。
誰にも信じて戴かなくてもいいが、自分自身もびっくりした生まれて初めての体験だったのである。今でも思い出すと気味が悪い。
「国民の意見をお聴きしたい」あるいは「パブリックコメント」の類。電話にしてもファクシミリにしても「はい貴重なご意見ありがとうございました」。
いわゆるやらせまで行かなくても政治家や官僚、あるいは電力会社のような事実上の独占の政府の「息のかかった企業」などはいつもそうだ。
一般の民間企業、厳しい競争にさらされた企業にとってお客様の声が命と言っても過言ではない。まさに「お客様の貴重な声」こそが間接的にも口コミや評判となってもろに跳ね返ってくるはずだ。
昔の政権の馬鹿の一つ覚えではないが、結局のところ極論を言えば中央官庁ですら民営化して厳しい競争にさらされないとだめなのだろうか?
自分がそうだから別に人を非難するつもりはもちろんないのだが、よく考えてみたら人格のどこかに欠落した部分がない人なんていないのではないだろうか。人格の欠落というのは短所とか欠点などという生半可なものではなく、若い人の流行り言葉で言えば決定的にダメな部分である。もっときつい言葉で言えば人間失格な部分である。私も、そして家族のことを考えてみてもやはり答えは同じだ。私たちにはどこか人格的に、つまり人間として欠落している部分がある。異常な、と言っても同じかもしれない。そう言えば以前に私は人は皆欠陥商品だみたいなせりふを書いた気がする。もちろん逆に言えばそれでいいのだと開き直ってしまおう。「私は欠陥人間なのだ」と。そしてその欠陥人間の集まりが社会なのだから社会におかしいところがあるのは当然と言えば当然だろう。