記憶の弊害
脳は遺伝子情報をもとに胎児のころから発達成長しています。ということは、胎児のころから記憶が生成されているということです。記憶と言えば、言語を思い浮かべますが、それは記憶情報の一つにしかすぎません。胎児の脳は、聴覚、触覚、嗅覚、などを媒介として、多種多様な情報を入手しています。これらの記憶情報は自覚されなくとも脳の発達に大きな影響を与えています。
空気を摂取する呼吸を行い、太陽の光を感知する幼児になると、さらに多くの情報を記憶するようになります。おそらく、ほとんどの大人は、幼児や子供のころの記憶を具体的に鮮明に思い出せないのではないでしょうか?幼稚園児ともなれば、文字を覚えて、反復学習をすることにより、記憶情報の自覚が芽生えてきます。
文字を記憶するにしたがって、言語記憶脳は急速に発達していきます。そして、言語記憶が記憶の主流を占めるようになっていきます。当然、五感を媒介とする記憶があるわけですが、言語中枢が発達するにつれて、それらの記憶も文字に置き換えられ、あらゆる記憶が文字記憶として保存されていきます。次第に、記憶情報の一部は、自覚できない潜在意識知識となっていきます。
日常生活から形成された潜在意識知識は、社会生活をする上でとても役に立ちます。確かに、潜在意識知識は、生活するうえでも人間関係を構築するうえでも、必要不可欠です。ところが、この役に立つ潜在意識知識が、新しい知識の習得の弊害になることが多々あるのです。特に、高齢になるにしたがって、潜在意識知識が新しい知識を拒絶するようになっていきます。そのことは、知性の退化をもたらすことにもなります。
一般的に、潜在意識知識は、その人の性格を形成する基礎となっていきますので、潜在意識知識の変更を余儀なくされても、かなり変更が困難になります。例えば、学校の教科書は正しい、と信じ込んでしまうと、疑うことを拒絶するようになります。また、政府や医者は間違ったことは決してしない、と信じ込んでしまうと自分の命が危うくなる場合も出てくるのです。
誰しも自分の信念や知識を疑う時、大きな不安と恐怖が押し寄せてきます。だからと言って、自分の信念や知識に固執しすぎると、未来を失う事になってしまう場合もあるのです。人間の脳が他の動物の脳と比較して発達していると言えども、やはり限界はあるのです。脳の限外を素直に認め、自分の意識と知識に変革をもたらすことができたならば、日本人は生き延びることができるのではないでしょうか?
優秀な人間の脳は、人類を幸福にすると同時に、人類を破滅に追いやる一面も持ち合わせているように思えてなりません。人間の脳は、今日まで文化を創造し、人類に幸福をもたらしてきましたが、今後、人間の脳をどのように取り扱っていけばよいかじっくり考える時がやってきたように思えます。各自一人一人、お金や名誉にとらわれず、人類の未来を考えて、脳の有効利用について考えてみてはいかがでしょうか?
一休閃颯
*いつまでも 庶民の味方 スズキ産
*共産党 国民エサに 大富豪
*高跳びは 1000mで 宇宙一?
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