さよなら命ーくつのひもが結べないー

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 健一は初めて自分のとった行動がどれだけ馬鹿げたことであったかに気づき始めた。

自分はうぬぼれていた。
きっと亜紀子は自分のことを知っているという確信を持っていた。
文化祭で主役をしたし、バスケットで素晴らしいプレーもした。
しかしそれはひとりよがりの思い過ごしであったのだ。
亜紀子は自分のことを知らなかった。
ああなんて自分は馬鹿なことをしたのか、なんてうぬぼれやなんだ・・・

健一はそう考えると、自分がつくづく嫌になった。
そして学校でこの噂を聞くたびに健一は無口になっていった。

 それでも2年の最後の実力テストで105番という好成績をとったことが、
かろうじてそんな崩れそうになった健一を支えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 


 

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 12、高校3年生

 そして高校生活最後の3年がきた。
始業式の日、新しい教室に入って健一は驚いた。
その中に矢野恵子がいたのだ。
健一は恵子の顔を見ると恵子は微笑んだ。
健一はその微笑みに耐えきれず、下を向いてしまった。そして
 恵子、君は偽りの僕しか知らないんだ。高一の僕はうぬぼれ野郎の僕で、今の自分は
そういう自分を非難し、何もできなくなっている僕なんだ。お願いだ僕を見つめないでくれ。
健一は心の中でそう叫ぶのだった。
健一は恵子の視線を避けるようにさらに教室を見回すと森村裕子がいた。
森村と視線があって健一は何か不思議な気持ちがした。
それが何であるのか健一には分からなかった。
健一は矢野恵子と森村裕子が同じクラスにいることに何か因縁のようなものを感じた。

 3年になってまもなく実力テストが行われた。
これが健一にとって大きな転機となった。
健一は330番という成績をとったのだ。
健一は一つも出来なかったので今度は大分平均点が下がるだろうと思っていたのに
予想外に平均点はいつもより上であった。
そして自分の席次が330番だと担任の数学教師谷山先生から伝えられたとき健一は
目の前が真っ暗になった。

「お前がこんな成績の人間じゃないのは知っているが、実力テストやからな、
 どうしたんや。」
「数学が一つも出来ませんでした。」
 健一はそう言うしかなかった。
今まで行われた実力テストは、国語、数学、英語、理科、社会の5教科7科目で

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行われたが、今回は国語、数学、英語の3科目しか行われなかった。
健一はいつも数学と理科で平均点を上回り、あとは平均点前後あったので、今までの
成績を維持できたのだが、今回は得意のはずの数学が一つも出来なかったのでこんな
成績をとったのだった。

「この1年みっちりしこんでやるからな、
 とにかく頑張れ。」

 谷山先生の言葉にはいたわりが感じられた。

 健一は1年の終わりのテストで270番という成績をとった事で、初めて成績について、自分の能力について悩んだ。
そして2年では睡眠時間にも気をつけてなるべく十二時までには寝るようにしていたのにもかかわらず成績はまずまずだったので健一は健康を取り戻し、勉強にたいする自信
もついてきた所だった。
今回の成績をとったことは、そういう健一の回復をしてきた自信を粉々に破壊してしまっただけでなく、児島亜紀子の件で自分がうぬぼれ野郎であることに気づき、そんな
自分を非難していた時だったので、頭が悪い、うぬぼれ野郎という事になれば、自分は
いったい何なのかと思い始めた。
小さい頃から勉強だけをしてきた健一にとって悩んでも悩んでもやる事は勉強しかなかった。健一は再び夜中の2時、3時まで勉強するようになった。

 健一のクラスは理系のクラスだったので四十人中三十人が男子で、女子は十名程
しかいなかった。
高校3年という事もあってクラスのメンバーの表情は緊張しているように見えた。
そして自分の表情もきっとみんなと同じなのだろうと思った。
そういう仲間たちの表情がいっそう緊張するのが担任の谷山先生の授業だった。

「今日は対数の導関数のつづきをやる。」
谷山先生は問題を黒板に書いた。

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「これを解けるやつは立て。」
さっと4,5人が立った。健一も少し遅れて立った。
1分程立つとクラスのほとんどが立ったが2,3人がまだ座って考えている。

「おい松本こんなのわからんのか。お前何を勉強してきたんや。」

「おい吉田お前やってみろ。」
吉田は黒板の所へ行きその問題を解き始めた。

「あほかお前、何をやってるんや。4xを微分したら何が出てくるんや。」
吉田は間違いに気づき書き直した。

「そういうこっちゃ。すぐわからんかったら殺したるところやったぞ。」

そこで笑いが起こった。
しかしその笑いは腹の底からの笑いではなかった。

 

「次の問題、これができるやつは立て。」

今度はすぐに二人程立ったがあまり立つ者はいなかった。
健一を入れて十四,五人しか立たなかった。

「おいお前たち目開いてるんか。問題目に入ってるんやろな。
おいおい石川お前こんなもんわからんの。医学部に行きたいっていうやつがこんなもん
分からんのやったら、やめとき。お前みたいなやつが医者になったら患者がかわいそうや。」

 

富士 健
作家:富士 健
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