現世の実在の意義について
現世の実在こそは、どうにも疑いようのありません。
そもそもからして、もとより在(あ)りもしないものを、
疑う意味すらの無いのですから。
なぜなら、仮にも現世が無ければ、
その一部にも違いない、それを疑う者の、
その存在すらのあるはずの無く、
在りもしない者が、考えをめぐらすなどの、
それこそありもしないからです。
さて、それにもかかわらず、
然(さ)もその実在さえをも疑い、
その上、厭(いと)いさえもするかの、
『 夢幻観 』 やら 『 厭世観 』 などの、
古今東西遍く久しくも禁じ得ないのは、
一体どうした訳からなのでしょうか?
先ず以っては、それこその、
糺(ただ)され明かされなければなりません。