だからこそ、『 天罰 』 とは、
そのそもそもからして、人自らの責任逃れの、
要するには、都合好くも神に託(かこつ)けた、
所詮は 『 責任転嫁(せきにんてんか)』 であり、
その実、それ以外の何ものでもないのです!
ですから、『 天罰 』 と他責しようが、
『 人災 』 と自責しようが、つまりは、
異句同義(いくどうぎ)にも違いない、
というわけなのです。
果たして、そうでもあればこそ、
その危害を被(こうむ)らずにも措(お)かれなかった、
当の人々にしろ、該当(がいとう)する物事にしろ、
それを 『 戒(いまし)め 』 ともして、
改め正されるべきことの、
おそらくも必ずや、有ろうともされようもの、
なのではないでしょうか?
どうか、折角のこの機会にも、
『 禍(わざわい)転じて福となす 』 べく、
精々努々(せいぜいゆめゆめ)、
努(つと)めてお役立てください!
何よりあなたご自身のためにこそ・・・