だからあなたは救われない 6
キリスト教の救いについての疑問
キリスト教とは、改めて述べるまでもなく、誰しもが知るところの、イエス・キリストを始祖とする教えで、今や世界三大宗教の、その筆頭にも他なりません。
そしてその教えの拠(よ)りどころは、本来はユダヤ教の聖典(キリスト教が 『旧約聖書』 とする)に基づきながらも、イエスこそを最後の預言者として、その言行を纏(まと)めたとされる伝承記述を、『新約聖書』 と称(しょう)し、旧来のユダヤ教とは、一線を画(かく)したかに、イエスの死後、その弟子たちによって体系化された、師イエス自身が神にも代(か)わって、自(みずか)らの体現(たいげん)をして、教え下されたとされるものにも他なりません。
ですから、その教えは、『新約聖書』 に示されたそのものであり、当然それ以外の何ものでもないはずなのです。
さて、こうも話を始めたばかりで、早速にも次のような疑問が、自(おの)ずと思い浮かばずに措(お)かれません。
1. イエスが信じた神は、ユダヤの神とは異(こと)なるのか?
2. なぜイエスの死後にしか、キリスト教は生まれなかったのか?
3. 変節(へんせつ)したのは、イエスなのか、それとも、その神そのものなのか?
4. 教えのとおりに、イエスが最後の預言者なら、なぜ 『新約聖書』 の記述は、実に お粗末(そまつ)なほど確証(かくしょう)を欠(か)き、取り繕(つくろ)いの見るからに弥縫(びほう)的なほど不整然として、齟齬(そご)・矛盾(むじゅん)・こじ付けの顕(あきら)かこの上なくも、無理を道理のさながらに不悉(ふしつ)極(きわ)まりないのか?