だからあなたは救われない 3
「 救いはある 」 とする伝統宗教の、その救いこそは本当なのでしょうか?
それが本当でもあるならば、なぜそれにもかかわらず、この世の現状に一向に改善(かいぜん)の見られないばかりか、その兆(きざ)しすらの感じられないのはどうしてでしょう?
それも伝統宗教が教えるように、わたしたちがそもそも罪深くもあるからでしょうか?
祖先からのいわゆる 『 原罪 』 を引き継(つ)ぐ、つまりは罪人の子孫にも他ならないからでしょうか?
しかし、この世に生まれてくる子供らこそは、それこそ純真無垢(じゅんしんむく)にして、文字どおりにも罪や穢(けが)れの、本来もって微塵(みじん)にすらないはずなのではないでしょうか?
それにもかかわらず、そんな子供らにさえ罪を押し付け、神との契約(けいやく)の下にのみ、救いを迫(せま)るのは、はたしていかがなものでしょう?
神は、
『 この世で人を試(ため)し、罪深くも責(せ)めさいなめるために、わざわざ生命を
お授(さず)けになられるのだ 』
とでもされるのでしょうか?
「 いや、救いこそは、来世の天国にこそある 」
と、もしや反論のあろうかもしれません。
しかし、それも本当なのでしょうか?
この世で正しき者は、天国に迎えられ、悪(あ)しき者は、地獄に堕(お)とされる、ともされるその教えの、正しくもあるのでしょうか?
あなたはどう思われますか?
なるほどそうにも違いないと、心底ご納得(なっとく)なのでしょうか?
それとも、半信半疑でいらっしゃるのでしょうか?
さて、神理に基づく、その答えは・・・
いまだに、あるともないとも決めかねてお見えの方々に、この際あらためてもよくよくお考えいただくために、その答えは、あえても本編では差し控(ひか)えさせていただき、次編に回させていただきます。
どうぞ乞(こ)うご期待ください。
神理救済教会 『 救いの途 』
主宰 主代 宗元