神仏習合と私

後記 憲法九条改正と靖国神社

「 神仏習合と私 」を書いてみて、恥ずかしながら、国家神道の施設である「 靖国神社 」について、初めて、鎌田東二さんの「 神と仏の出逢う国 」を通して知ることが出来ました。

 

日本は「 神国 」とよくいわれますが、これまでは、元寇の役で、攻めてきた元の船舶を「台風 」が沈めて、日本をまもってくれたから、そういうのだろうぐらいにしか、思いませんでした。

 

しかし、「 神仏習合と私 」を書いているうちに、「 日本は縄文の時代から神を感じ取り、百済から来た「 仏教 」を取り入れてきて、自然の神を信じているから、「 神国 」といわれるのではないかと思い始めました。

 

 

私たちの生活に、縄文から続く習俗が、自分がきづかない中で自然に取り入れられて、年の初めに神社に行き、年末はクリスマスを祝うという行為に対して、外国人から、「 日本人の宗教は何なのか? 世界に圧倒的な信者を持つキリスト教の学校は、日本にたくさんあって、首には十字架をかけている日本人がキリスト教徒ではないことが信じられない 」とかいう言葉になると思います。

 

日本には霊山といった山々があったり山を「 御神体 」とする神社もあります。

 

 

昔から山岳信仰があったのは、「 神仏習合と私 」に書いたように、人は死んだら山に戻るといった信仰があり、鎌田さんの本によれば、江戸時代の本居宣長もそう考えていたようです。

 

 

ところが、本居宣長の没後、弟子と称した平田篤胤が、本居宣長が軽視していた霊魂を研究し、その後、薩摩や長州が唱える「 勤皇思想 」や「 尊王攘夷思想 」に、幕藩体制を覆すイデオロギーとして利用され、西洋の軍隊が強烈であることを知り、「 文明開化思想 」がおこると共に、平田篤胤の思想が衰退し、「 王政復古 」と「 神仏分離 」と「 廃仏毀釈 」が断行され、「 王政復古 」の名のもとに、聖徳太子のころの神仏習合に元ずく政治とは正反対の、万世一系とする天皇を現人神として、神道を宗教ではなくて「 祀り」とする「 国家神道 」を基礎とした中央集権国家となり、戦争で亡くなったミタマを祀る国家神道の施設として「 靖国神社 」が出来たと、私は認識しました。

 

 

恥ずかしながら、昔、学校でこのような日本の歴史を教えて頂いたはずなのに、私は、鎌田さんの本を見るまでは知らず、私のように無知な人に分かるように、鎌田さんに本から盗用ともとれるほど、引用しました。

 

いままでの私は、歴史を知らないため、戦争の軍歌などを聞きながら、戦死された人たちは、靖国神社の桜になって、我々の参拝を待っているんだと思いこんでいました。

 

しかし、「 神 」を「 自然エネルギー 」だと解釈すると、戦死された人たちのミタマは日本に残した家族のもとに戻るでしょうし、「 ミタマは靖国の桜になるんだ 」と勝手に、戦死された人のミタマに靖国神社の桜になるように方向づけをすることは出来ません。

 

天皇が供養として祀るのならば、その意味があるかも知れませんが、総理大臣は靖国神社に参拝するというのに、昭和天皇が戦場の各地に巡行されましたが、死ぬまで靖国神社に参拝されなかったのが不思議です。

 

それに、現政権は、毎年参拝する靖国神社のことには触れずに、憲法九条を廃止し、「 国軍 」を創設するといいますが、不幸にして亡くなった国軍の人を、靖国神社に祀るのでしょうか?

 

戊申戦争や第一次、第二次大戦で戦死された人と一緒に祀るのでしょうか?

 

もし、「 国軍 」の戦死された人のミタマを家族のもとで祀るというなら、現在、靖国神社で祀られている戦死された人は、なぜ靖国の桜になって、毎年、靖国神社で桜花を咲かせねばならないのでしょうか?

 

その人たちのミタマは、いつになったら、家族のもとに戻るのでしょうか?

 

それと、今までの戦死された人は、天皇を主権とする日本国救済の犠牲者ですが、これから将来の「 国軍 」の戦死されたひとは、まさしく国民を守るために亡くなるのですから、同じ扱いをして、いままで祀られたミタマとこれから祀られるミタマは同意するのでしょうか?

 

それに、アメリカもいうように、アメリカの戦略武器があったからこそ、日本の自衛隊の自衛する武器も進歩したんだと思います。

 

まだ、アメリカも後ろにいて、沖縄の基地も返還されずに駐留を許している状態の今、どうして、相手国に武力を行使する「 国軍 」が必要なのでしょうか?

 

薩摩や長州の一部の考えで、軍備拡張した戦争に突き進んだ経験を反省しなければなりません。

 

明治政府がしたように、国家神道を復興させるのですか?

 

私たちが「 神国 」といわれる意味を良く認識したうえで、単なる自民党の憲法改正案だけではなく、世界各国の憲法を、マスコミやネットで公開し、国民全体の広い議論が必要だと思います。

 

広ク会議を興シ 万機公論ニ決スベシ

kandk55
作家:高口克則
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