Eさんの妻、今は亡き麻央さんのことについて。この作は、たいへん批判を受けることを覚悟して、書きます。麻央さんは、今決して天国にはいないでしょう。あれだけ、派手な結婚式を挙げて、世の中に認められ、誰もがうらやんだ、しかし、ガンにおかされた。
私は、ああやっぱり、と思いました。前世の宿業が強すぎたのだと。そうでないと、あんな派手な結婚式はできるものではありません。
あの結婚式のとき、私は苦しみの真っただ中にいました。しかし、テレビをつけずに、一人で黙々と哲学をして生きていました。結婚とは、何か、と思いました。人に自分の幸せを見せびらかすことなのかと。
Eさんは、今、一人で子供を育てています。しかし、私はEさんに同情する気はありません。何故、ガンになってまで、ブログをしてアピールしたのか・・・。結局、世間の賞賛の女性になりたいのでしょう。そのような女性を選んだのですから、先立たれてしまうのです。
私は、今、創価学会に入っている彼と、暮らしています。聖教新聞をとっています。しかし、創価学会には入らず、やっぱり哲学を続けています。
梨園の妻・・・自分の、アナウンサーとしての道をあっさりやめて、梨園の妻を選び、子育てに没頭し、世の中から理想の女性と思われた。そして、きっといい気になってしまったのでしょうね。だから、ガンにおかされたのでしょう。ガンになってできることは何か、やっぱり彼女には、「アピールする」ことしかなかったのです。
聖教新聞を読むと、宿業転換という言葉がよく出てきます。あまりにも耐えがたいことがあって、創価学会に入会する人は、「衆生のために祈る」ただ、それだけのことで、重い宿業から逃れます。
麻央さんのように、みんなの注目を集め、「ガンになっても、愛の中で生きている立派な女性」を、いくらアピールしても、結局彼女は死んでしまったではないですか。
聖教新聞の中には、お題目に助けられた人の話がたくさん、毎日載っていますよ。