芸術の監獄 ミシェル・フーコー

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芸術の監獄 ミシェル・フーコー( 2 / 4 )

1980年10月20日の夜、カリフォルニア大学バークレー校で行われた講演で、フーコーは「スターとその熱烈な信徒」を目撃することになった。

 

「ミシェル・フーコーがバークレーに来てる!」聞きつけた学生や野次馬(?)が開始1時間前から会場に集まってきた。程なく会場は満席になったが、それでも人の波は止まらない。数百人単位の群衆が中に入れよと騒ぎはじめ、ついに警察がやってきた。

 

微笑して手を振ればよかったのかもしれないが、俳優ならぬ哲学者にはそんな発想はなかった。招聘元の教授、ヒューバート・ドレイファスに「この人たちを立ち去らせてください」と懇願する。ドレイファスは、しょうがなく、マイクを持って呼びかけた。「フーコー教授は、今回の講演は非常に専門的で難解で、退屈なものだとおっしゃっています。お帰りになるなら今です」誰も帰りはしなかった。フーコーは、「自分自身に関する真実の発見とその定式化を志向する技術」の起源をたどる研究についての俯瞰を、2回に分けて講演した(註3)。

 

彼が一生をかけて追求した疑問は、一見拍子抜けするほど素朴なものだ。


「人間は、どのようにして今あるにんげんになったのだろうか? 誰かを支配するとは、どういうことだろうか? 人間は神を必要としているのだろうか?それとも利用しているのだろうか?」あらゆる著述家と同じく、彼もまた溢れんばかりの「表現欲求」があったが、欲求以上に実は「語りたくない、ぼくのことは見ないでほしい」というはにかみ(本人に向かって言ったら爆笑されそうだが)もまた強かったような気がする。特に70年代後半からは、「自分の思想は展開したい、でも自分は匿名的な存在でありたい」という矛盾した欲求が募っていたようだ。ファンたちには決して届かない願いだった。

 

私は、彼の著作の中では「監獄の誕生」がベストだと思う。この本は、主張も斬新だが、主張を証拠立てるための「引用」の用い方(デザイン配置と言いたくなる)が壮麗だ。

 

冒頭部は、あの有名な「国王殺害犯人、ダミヤンの処刑の様子を伝える古文書からの引用」だ。「処刑台の上で、胸、腕、もも、ふくらはぎを灼熱したやっとこで懲らしめ、その右手は、国王殺害を犯した際の短刀を握らせたまま、硫黄の火で焼かれるべし、次いで、やっとこで懲らしめた箇所へ、溶かした鉛、煮えたぎる油、焼け付く松脂、蝋と硫黄との溶解物を浴びせかけ、さらに、体は4頭の馬に四つ裂きにさせたうえ、手足と体は焼き尽くして、その灰はまき散らすべし」

 

ここまでは判決文で、実際に刑に処した際の模様まで記されている。「硫黄を燃やしたが、その火は極めて小さかったので、単に囚人の手の甲の皮だけが、ごく少し傷ついたにとどまった。次に、袖を肘の上までまくり上げた死刑執行人が、長さ1尺5寸ほどの特製のやっとこを手に取り、灼熱したそのやっとこで、まず右脚のふくらはぎを、(以下略)」

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深良マユミ
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