すれちがい

スーパーでの夕飯の買い出しの最後に、私はデザートのコーナーで立ち止まっていた。昨日、妹の紗也香がプリンを食べたいと言っていたことを思い出して。
「うーん……」
紗也香が昨日食べたいと言っていたのは、東京で売っているという何やら高いプリンで、スーパーで二個百円で売っているのとはちょっと別物だった。普段ならここでわざわざ買ったりしない。でも今日は練習試合に負けたという紗也香が少し気になっていた。勝てるはずの試合だったらしく、学校から帰ってきた紗也香はかなりへこんでいた。今晩はお兄ちゃん達居ないし、二人で食べるのは抜け駆けするみたいで少し気が引けるけど……。
「買っていったら少しは元気出してくれる、かな?」
迷った末私はプリンをかごに入れて、レジへ向かった。


「ただいまー」
茉莉姉が買い物から帰ってきた。私は読んでいた漫画を仕舞い、問題集を広げながら「おかえり」と返した。けど、茉莉姉がこっちの部屋へ向かってくる様子は無くて、階段の下から声をかけてきた。
「今晩はお好み焼きでいいよねー?」
それに対して私は「なんでもいい」と答え、広げた数学の問題集を嫌々解き始めた。一問目は順調に解けたけど、二問目の途中で早速手が止まる。すると止まったシャーペンがさっきの試合でパスを一瞬迷った自分の姿と重なって、私はそのシャーペンをぎゅっと握りしめた。あの一瞬の隙にボールを取られて、どうしていいか分からなくなって、そのままあっけなく一点を取られてしまった。


今夜はお兄ちゃん達だけでなくママンも少し遅くなるらしいので、珍しく私が夕飯の準備をする。キャベツを千切りにして、具の準備をして、お好み焼きの生地を作る。紗也香がいる二階からは何の音もしなくて、静かだった。多分宿題をやっているのだろう。食卓にホットプレートを置いて、二人分のお好み焼きの生地を焼き始める。ここまでは一人でも平気だったけど、ひっくり返すのがちょっと怖い。二枚とも表側がほどよく焼けたところで紗也香を呼ぶことにした。
「紗也香ー、お好み焼きそろそろだよー」
二階から紗也香の返事が小さく聞こえて、紗也香が下りてきた。
居間に入ってきた紗也香は口とか目元とかがなんとなくいつもより尖っていて、やっぱり機嫌が悪そうだった。心なしかいつものショートカットも刺々しく見える。そんな紗也香に二本のフライ返しをそっと差し出した。
「はい」
「何?」
「ちょっと怖いからひっくり返して」
「えー」
すごーく嫌そうな声を上げる紗也香。これくらいは文句言わないでやってほしい。
「自分の分だけ自分でやってよ」
私がそう言うと、紗也香はため息をつきながら「分かったよ」と答え、フライ返しを受け取ってくれた。
「えいっと」
少しホットプレートの脇の方へ寄ったけど紗也香はきれいに返した。その後私も無事にひっくり返して、二人で焼けるのを待つ。
「そうそう紗也香、今日プリンを二個買ってきたんだよ」
「ふーん」
「夕飯後一緒に食べようね」
「分かった」
紗也香がプリンに興味を示してくれなくて少し残念に思う。けど、しょうがないか。
さて、焼ける前に皿とか準備しないと。


結局宿題は終わらずに、夕飯の時間になった。今日は珍しく茉莉姉しかいないから、手伝った方がいいとは思っていたのだけど、いざ呼ばれると面倒くさい。私より茉莉姉の方がずっと器用だし、ひっくり返すのも上手いのだからやってくれればいいのに。
裏面を焼く間に茉莉姉は食器の準備を始めた。私はソースとマヨネーズを出すために冷蔵庫を開けた。ソースはいつもの場所にあったけど、マヨネーズが見つからない。手前のプリンをどけて奥まで覗いてもどこにもない。
「茉莉姉!マヨネーズない!」
「え?いつもの所にない?」
「どこにもないよ」
「あっ、ごめん買い忘れた!でもマヨネーズならなくても何とかなるよね」
茉莉姉は平然とそう返してきた。どうして茉莉姉は自分の失敗にこんなにも楽観的なのかな!
「何とかなるってどうなの?自分の好きなものだけ買って、必要なもの買い忘れて、それでも何とかなるからオッケーってどうなの?ちょっと勝手じゃない?茉莉姉ってホント抜けてる。“何とかなる”とか“まだ取り返せる”とか、いい加減な事言わないでよね!」
私がそう言うと茉莉姉はびっくりしてこっちを向いて、何か言おうと口を開く。でもそのまま言葉は紡がれず、黙って俯いてしまった。
ここまで言うこと無かったし、何にも手伝ってない私がこんな事言っちゃいけないのに。もう殆どただの八つ当たりだった。お互いに何も言えなくなって居間が無音になる。
「……そうだね。ごめん、許して」
やがて茉莉姉が悲しそうに謝ってきた。謝るべきは私の方なのに、私はまた迷って動けないでいた。茉莉姉は笑顔を作って場の空気を戻そうとする。
「焼けたし、食べよ?」


紗也香は夕飯の間中口をきいてくれなかった。私も気まずくて何も言えなかったのだけれど。
紗也香に責められた時、最初は反論しようかと思った。でも、失敗したのは事実で、プリンを買ったのは私の勝手で、結局私は迷惑な親切を押し売りしようとしていただけに思えて、何も言えなくなってしまった。マヨネーズのないお好み焼きを食べた後、プリンもふたりで食べた。でも、その時もやっぱりうまく喋れなくて、やるせなかった。


今日は厄日だ。何をやってもうまくいかない!試合で負けるし、茉莉姉に当たっちゃうし、数学の問題集も丸つけしてみたらミスばっかりで全然解けていないし!
赤ペンを机に置いてベッドに飛び込む。
「……いや、本当は運とかじゃなくて、全部私が悪いだけなんだよね」
ボールを取られた後、すぐに追いかければ良かったんだ。さっきもすぐに謝れば良かったんだ。ベッドの上でため息をついていたら、玄関の戸がガラガラ開く音が聞こえてきた。ママンが帰ってきたらしい。ママンの分の夕飯準備も、結局茉莉姉に全部やらせてしまった。そういえば冷蔵庫の中にママンの分のプリンは無かったっけ。あれ、プリンって……。


「おかえりママン」
「ただいまー。あれ、紗也香は二階?」
「うん」
「そう。茉莉、喧嘩でもした?」
「えっ」
ママンは帰ってきて一分も経たない内に、私たちに何かあったことを見抜いてしまった。流石ママン。私は「まぁね」と言いつつ苦笑する。そこへ階段を下りるドタドタという音が聞こえてきた。紗也香だ。サッカー部のウインドブレーカーを羽織ながら私とママンの前を素通りして、靴に足を入れる。
「すぐ戻る。いってきます!!」
そのままドアを閉めてどこかに行ってしまった。


思い出した!昨日テレビを見ていた時に私がプリンを食べたいって言った事。
今度こそ、私は一瞬も迷わずに動き出した。茉莉姉は自分が謝って解決したと思っているかもしれないけど、それじゃ私が納得できない。私はアレを持って行って謝ることにした。昨日一緒にテレビを見ていた茉莉姉が、あの時食べたいって言っていたアレ。


「ただいま!」
二十分くらいして紗也香は帰ってきた。ママンが皿を洗う手を止めて玄関へ向かう。
「おかえり。紗也香、こんな遅くに一人で出て行っちゃ危ないでしょ?」
「ごめんママン。これ剥いて」
「え?ちょっと」
早口で謝りつつママンに何かを渡したらしい紗也香は、食卓で勉強していた私の方へ向かってきた。相当急いできたらしく、息を弾ませ、頬を赤く染めていた。
「茉莉姉!」
「何?」
それから少しだけ躊躇って、紗也香は顔を更に赤くして今度は少し小さい声で言った。
「えっと、さっきはごめん」
急に態度が変わった紗也香に私はかなり驚いた。
「お詫びにリンゴ買ってきたの」
リンゴ……?
「さっきのプリン、私のためだったんでしょう?昨日私が食べたいって」
あぁ、そうか。気づいたんだ……。紗也香はまた強い語調に戻って早口に続けた。
「私のためなら私のためだって、ちゃんと言ってくれなきゃ分からないでしょ!」
このちょっとツンとした感じの態度が紗也香らしくて、いつもの調子を取り戻してきた気がして少し安心する。
「ごめんね、試合のことでへこんでたみたいだったからさ」
「全くもう、ちゃんと言ってよね!」
「はーい。で、何でリンゴ?」
「え?だって、昨日食べたいって言ってたでしょ?」
紗也香がそう言うので、私は昨日の記憶を辿る。もしかして紗也香が言っているのは果樹園のCMを見ていた時の事だろうか……?
「茉莉姉、覚えてないの?まぁいいや。食べよう?」
「あー、うーん……。これもちゃんと言った方がいいよね……」
「何?」
「確かに昨日、果樹園のCM見ながら“果物欲しいなー”って言ったけど……あれ実はデッサンのモデルにしたいなって意味だったんだ」
私の言葉を聞いた紗也香が台所を振り返ると、そこには既に可愛いリンゴウサギがお皿の上にきれいに並んでいた。

における。
作家:月乃
すれちがい
0
  • 0円
  • ダウンロード

1 / 1

  • 最初のページ
  • 前のページ
  • 次のページ
  • 最後のページ
  • もくじ
  • ダウンロード
  • 設定

    文字サイズ

    フォント