悠然と広がる野菜畑を抜け、果樹課の梨園へと続く砂利道。見通しはいいが重機の往来で凸凹がやたらに多い道を、杉島空太が操縦するトラクターが、エンジンを唸らせながら突き進んでくる。
基本的にコンクリート舗装された道路は、校舎の周りにしかない。
他は、各課の露地畑やビニール・ハウスが飽き飽きするほど延々と広がっていて、田畑の合間を、舗装されていない土剥き出しの道が縦横に貫いていた。吹き抜ける微風さえも、土臭い。
どれだけトラクターを好き放題走らせても、ご近所からの苦情は来ないだろう。とはいえ、いささか杉島は、加減というものを知らない。
「おいっ、もっとスピード落とせ! そこ、凹んでるから、避けろ! おい、杉島!」
堂山竜一は、トラクターを操縦する杉島に向かって、喉が割れんばかりに叫ぶ。だが、エンジン音や走行音で、堂山の決死の呼びかけは無力にも掻き消されてしまった。
「アホが! そのまま行ったら――おい、杉島っ!」
間近まで駆け寄ってアホの杉島に気付いてもらうしかない。
運転席からでも視界には入るだろう所で、堂山は飛んだり跳ねたりして、ブンブン手を振って合図を送る。
無神経な杉島を救えるのは俺しかいない、といった正義感がありながらも、早く気づけアホが! と堂山は苛立ちを露にする。
時々現れる凹みで、ぐらっと車体が傾く。杉島がとっさに体勢を直そうとして、どデカいタイヤがすぐそばで〝くの字〟によろけたりする。
まともに突っ込んで来そうに思えるものだから、「ヒイっ」と血の気が引く。
やっと合図に気付いた杉島ではあったが、時、既に遅し。
カーブに差し掛かったと同時に、タイヤが凹みに突っ込んだ。車体は勢いを殺すことなく、素直に傾いていく。
「ヒイっ」どころではない。人よりデカいタイヤが真っ直ぐ迫ってくる。
このままボケッと突っ立っていたら、確実にプレスされる。雨の日に呑気に車道で天を仰いでいるカエルのように。
生まれて始めて命の危機を感じながらも、堂山の思考は穏やかで、後方へ後ずさりをしながら、そのまま尻餅を搗いてしまった。
明日の朝刊の一面記事とまではいかないが、「農業大学でトラクター転倒、大学生一人死亡」と載るに違いない。
名前が載っちゃうのかな、とか、まだ人生なんもしてないのに、とか、妙な妄想が脳裏によぎった瞬間、稲妻が落ちたような爆音を響かせて、トラクターは堂山の目と鼻の先で横転した。
しばらく放心状態だった堂山は、「ごめんごめん」と決まりきったセリフを暢気に吐く杉島を、心底ムっとして睨み付けた。
「ちょっとスピードに乗ったまま、カーブに入っただけなのに」
「ちょっとスピードに乗っただと、どアホォ! 凹みで車体が斜めになってたことぐらい、気付け! 俺を殺す気かっ! 殺人未遂だぞ!」
「悪かったって、そんなに怒るなよ」
情けなく眉根を寄せる杉島は、恐々と堂山を宥めた。
「こっちは、死ぬかと思ったんだぞっ、ここでキレない人間がどこにいる!」
杉島の図体は山のようにデカいくせに、スマイリー・シールを貼り付けたような顔をしている。その面が更に堂山の怒りを煽る。
しかも運転していた杉島本人は、全くの無傷だ。屋根なしなので、横転しようものなら、先ず運転手がトラクターの下敷きになるようなものだ。それなのに杉島はまるで何もなかったかのように、ピンピンしている。
野次馬のように覗いてきた杉島に苛立ちを覚えながら堂山は、どっこらっしょと膝に手を突いて立ち上がった。
直後、休み時間に入る予鈴が鳴った。
横転した現場は果樹課の農機具小屋の前だが、道を挟んだ向こう側には野菜課の農機具小屋がある。生徒たちの注目の的になることは、間違いない。
極めて安定感はいいはずのトラクターが、見事に横倒しになっている。
横になられると改めて車体のデカさに鳥肌が立った。これに潰されていたかも、と思うと血の気が引く。
「八代、呼んだほうがいいだろ。しっかし、スッゲェー光景。こんなことって、ありえるんだなぁ。お前、もうトラクター、乗んないほうが、身のためだぞ」
杉島の旧友として、心の底からの堂山の助言だ。
中学まで同じクラスで、しかも互い家が近所なので、幼い頃からの腐れ縁だ。
高校だけは別々だったが、大学でまた、こうして再会するという、ちょっとした運命的な縁を感じてしまいそうだが。
だとしたら、いつまで手を焼かされる羽目になるのだろうか。
「やっぱり、呼んだほうがいいよな」
「当たり前だろ。人の手で起こせないだろ。ったく、俺が呼んでくるから、ここで待ってろ」
言葉の終わりは、とりあえずソフトに言ってやった。
2
足を向けた先から「ええっ?」と高い声が飛んできた。
草刈機を両手で抱えている月原玲は、絶景でも見つけてしまったかのように、目を皿にして唖然と突っ立っていた。
堂山に駆け寄り、初めは言葉も出ずに「ええ? ええ?」と、やたらに「え」を繰り返していた。
ストレートの黒髪を肩口で揺らし、花柄模様が眩しいタオルを首に巻き、Tシャツの襟の中に入れている姿が可愛らしい。
少し汗ばんだ肌はエロいというより、瑞々しい。若さ弾ける、ぷっくりした頬が日の光を反射させていた。今時の、アイライナーでバッチリ囲われた目ではなく、自然なままの幼さ残る二重だった。
実習作業用の黒い長靴には、草の破片がビッシリ張り付いていた。実習用のTシャツにも、草が飛んでいる。
しかも、白いせいか、下に着ているキャミソールのピンク色が微妙に透けていた。
「どうしたの、これ?」
横になったままのトラクターを感心するように唖然と見つめたまま、月原が遠慮がちに、お上品な高い声で訊いてきた。
「トラクターの暴走だよ。いや、トラクターは悪くない。アホな杉島が暴走したんだ」
「ええー、暴走して、こんななっちゃったの、凄ーい!」
どういうわけか月原は瞳を輝かせて、横転するトラクターを見つめた。
「まぁ、すごいっちゃあ、すごいけど、とりあえず、大目玉は免れないな。俺は知らないからな。関与してないんだから」
腕を組む堂山はピクッと片眉を吊り上げ、杉島を睨み付けた。
「杉島君、凄い運転テクニックだね、トラクターを倒すなんて。でも、杉島君、トラクターと一緒に転倒して、平気だったの?」
興味津々だが、ちょっとだけ申し訳程度に心配そうな月原の視線が、杉島に向けられた。
「大丈夫、大丈夫。月原さんが来たってことは、八代センセーもそろそろ来るよな。あーあ、怒られるぅ」
怒られるだけなら、まだいい。悪くすれば停学だってありえるぞ――とは思ったが、気を遣って、口には出さなかった。
そんなことよりも、この大惨事の飛ばっちりが堂山にまで飛び火するんじゃないかという心配のほうが強かった。巻き添えは真っ平ごめんだ。
一抹の不安を抱えながら堂山も事故現場で待つことにした。一応、事故の目撃者として。
「それにしても凄いね。トラクターが倒れてる姿なんて、初めて見るよ。なんか、『ダイハード』級に凄い迫力だね。どうすればこうなるのかな、つるんって滑っちゃったの?」
「俺も初めて見る、こんな大事故。俺は必死に止めたのに、こいつときたら見事に無視してくれちゃってさ。トラクターで猪突猛進すんな、アホが」
呆れて口端を引きつらせて笑う堂山の横で、相変わらず月原は、子供が新しい玩具を見つけたような眼差しで、トラクターを見上げていた。
最初は驚いたとしても、そこまで釘付けになるだろうかと不思議に思うぐらい、月原は倒れるトラクターに夢中だった。
「おい、なんだ、あれ」と、やって来た誰も彼もが、似たようなセリフを、矢のように飛ばしてきた。
「堂山がやったのか?」などと、デタラメな妄言を吐くクラスメイトがいたので、「ちげーよ!」と怒鳴り返した。頼むから、真犯人を間違わないでほしい。
特にクラスの中でも賑やかな岩瀬智也、中井秀、高森健といった面倒臭い面々が、口々に現場実況を始める。
何かとクラスメイトを冷やかすのが好きで、実習中もちょっかいを出しては遊んでいたりするのが、このトリオだ。
しかも、三人とも同じ班なので、お祭り騒ぎのようにうるさい。三馬鹿トリオと同じ班になった人たちに、同情する。
杉島程度のイノシシなら、まだ可愛いほうだと思えてくる。
「どうすれば、こうなるわけ? 堂山、見てたんだろ?」とか、「本当は、お前がやったんだろ?」とか、「乱暴に扱われるトラクターが可哀相だぜ」とか言いたい放題、ほざいてくれる。
堂山は、言い返すのも面倒になり、ほっといた。
あっという間に野次馬がトラクターを囲み、「あーあ」と口々に哀れみの呟きが漏れる。
取り囲んでいた野次馬が静まり返ると、スッと花道ができた。
その花道からは無表情の八代が昂然とした面持ちで歩いてきた。
一気に緊張感が増す。
四十代にしては張った胸が一際目を惹いた。鍛えられた肉体は、とても中年とは思えない張りを、服の上からでも充分、見受けられた。
後頭部で髪を一つに結い、薄ピンクのポロシャツに、グレーの作業パンツを履き、裾は長靴の中にキッチリしまわれている。
自分が事故を起こしたわけでもないのに、萎縮しなくてはいけない状況に堂山は生唾を飲み込むしかなかった。
「これを運転していたのは?」
小麦色の肌に、目尻に薄っすら小皺が刻まれた双眸を細め、八代は厳しく学生たちを見回した。
五秒後に「はい」と返事をした杉島がトラクターの後ろから申し訳なさそうに出てきた。
「誘導がいながら、この惨事とは、私の教育不足でもある。だが!」
八代の怒鳴り声に野次馬含め、堂山と杉島はビクリと肩を震わせた。
「きっちり反省はしてもらう。堂山班はここに残れ、後は解散しろ」
野次馬は八代の指示に即座に答えた。
誰も彼もが、火の粉が飛んでくる事態を恐れて、いそいそと退散する。野次馬がいなくなった現場に、合計で五人の学生が残った。
心底、嫌そうに眉と口を歪める沢中泉は、濃すぎるメイクが汗で滲んで、目の周りが黒ずんでいた。
沢中から距離を置いて突っ立ている猪口秦矢は、誰よりも淡々としているのかと思いきや、既に八代の言いたいことを予感してか、不機嫌そうに双眸を細くしていた。
「今日の放課後、お前たちは実習棟にくるように、連帯責任だ、誰か一人でも来なかった場合、延々と放課後実習をしてもらう。杉島は実習棟に来る前に来い」
八代の怒鳴り砲撃にビッグと杉島は肩を震わせてから、「はい」とか細く返事をした。
やめていおけばいいものを、堂山は分かってはいながら、してはいけない質問を呟いた。
「あの、今日バイトが入っているんですけど、日をずらすのはダメですか、ダメですよね……」
言いながら堂山は、八代の顔が引き攣りながら強張っていく様子をまじまじと目撃した。やはり、地雷を踏んだなと覚悟する。
「貴様は、今、私が言った言葉が聞こえなかったか、それとも理解できないほど、脳は腐敗しているのか。学生の本文は学ぶことだと思うが、違うか?」
恐ろしく沈着な八代に、堂山は身の危険さえ感じるほどの、末恐ろしさが漂ってきた。
「違わないです」
「そうだよな、じゃあ、もうこれ以上言わなくても、理解できるな」
そこらの女子より張のある胸の下で、八代は腕を組んだ。
ここで「はい」と言わなければ、明日の太陽は見られないだろう。
「分かったら、解散」
有無を言わさず八代は命令を下した。
まだ怒鳴ってくれたほうが生きた心地がする。今回は地雷を踏んでしまった自分が悪いと、堂山は深く反省した。身の毛が弥立つを実感できたが、金輪際御免だとつくづく思い知らされた。
3
取り残された五人は、錘を引きずるような足取りで、果樹課の実習棟へ向かって歩き出した。
他のクラスメイトは、実習棟で長靴から靴に履き替えたり、草刈機を農機具室へ戻しに行ったりと、何事もなかったかのような軽い足取りで、片付けに入っていた。
「マジかよぉ、俺も今日、バイト入ってるし」
携帯でスケジュール帳を見て渋っていた堂山は、ちらりと月原を見遣った。
「月原さんはバイトとか、ないの?」
「今日は入ってないの。いくら学校の用事だからって、連絡しづらいよね」
堂山に同情して、月原も一緒になって困った顔をしてくれた。
柴犬が首を傾げた時みたいに、酷く愛らしかった。
「ちょーしづらいってぇ、マジめんどくさいし、杉島ぁ、どうしてくれんの」
列の一番後ろから沢中が気怠そうに唸って、杉島を責めた。
汗のせいか、沢中の目の下にはマスカラが滲んでいた。
「マジでごめんって、代わりに俺がバイトに出てやろうか」
にこにこする杉島に、沢中は本気で睨み付けた。
「何、その冗談、なんにも面白くないし、マジ、サイヤクゥ」
重たい草刈機をずりそうに持ちながら、苛立ち募った足取りで実習棟へ歩いていった。
「沢中、さぼるなよ」と、とりあえず堂山は釘を刺した、でないと沢中の場合、放課後実習を無視して平気でバイトに行くんじゃないかと、内心ひやひやした。
堂山もバイトへ行きたいところだが、生憎、さぼれるほど度胸もないし、郷に入っては郷に従えが無難なのだ。
「おい、猪口は、なんもないのか」
三歩先を歩いていた長身の猪口は、三歩遅れて返事をしてくれた。
「バイト、してないから」
足の長さのせいか、なかなか堂山は猪口の隣に辿り着けず、斜め後ろから顔を覗き込んだ。
堂山にとって、猪口はクラスの中で一番声を掛けづらいキャラだ。
野薔薇とまではいわないが、大きく湾曲しながらも真っ直ぐ伸びた軸に棘がある感じだ。
「……へぇ、今時、変わってるねぇ、寮にいても、ヒマじゃね?」
「ヒマじゃないから、バイトしてないんだろ」
前髪の下から覗く双眸は、切れ長で鋭利だ、おまけに睫毛が長い。冷た過ぎて近寄れない炎が深々と灯っているみたいだった。
「ああ、そうね、なるほどな。確かに、そうだな。さっすが猪口だな」
ハハハと口端を引き攣らせて愛想笑いを見せた。
凛としたルックスが、いかにも秀才そうで、おまけに寡黙というチャーム・ポイントをくっ付けているので、尚のこと苦手だ。これでも、入学当初よりは、話すようになったほうだ。
アミダくじで決まった運命共同体だ。少しでも班の輪を丸くしようと、堂山は心がけていた。
班長に任命されたからには、いざという時の団結力が絶対に必要になる。班で、あれをやれ、これをやれという時は、間違いなく協力性が試される。そこでいつまでも作業をしている班にはなりたくない。
農作業は、だらだらやるものではない、時間を掛ければ疲れるだけだ。入学してから三ヶ月が経って分かったこと、スピーディーに仕事は片付けて後はのんびりと、が理想だ。
「職員室で、何を言われるんだろ、あー、胃が痛い、どうすればいい? 主任とか、登場しちゃうのかな? あー、どうしよう。絶対、怒られる」
斜め後ろから従いて来ていた杉島が胃、鳩尾を撫でながら、ナメクジのように粘り気のあるグチをこぼしていた。
「言っても仕方ないだろ。お前がやっちまったんだから。こっちは、バイト先に連絡しなくちゃいけないんだぞ。振り回される、こっちの身にもなれ」
とは言うものの、やはり杉島は自分のことで手一杯で、他人の話など右から左へ流れているだけだった。
呆れながらも堂山は、旧友の変わりなさに鼻で笑った。
4
四限目の選択科目、加工食品の授業が終わり、周りの調理台では片付けを始める中で、杉島だけが、まだねちっこく「いやだなぁ」と漏らしていた。
肩を窄める杉島は、作った苺ジャムをいつまでもスプーンで、こねこね掻き回していたので、堂山が見かねてスプーンを取り上げた。いつまでもショックを引きずるところも、昔と何にも変わっていない。
一度、がっくり落胆すると、活を入れてやったとしてもなかなかエンジンが入らず、首根っこを掴んで引きずるしかないのが、杉島のイラッとするところだ。
堂山は、杉島から「悩みって、あるの?」と何度も訊かれたことがある。堂山からしたら、失礼な話だ。
「しょうがないだろ。ドジったお前が悪いんだからさ。そんなに掻き回すなって、せっかくキレイに苺が残ってるんだからさぁ、夜食のパンに付けよっと」
ジャムが付いているスプーンをパクリと口に咥え、甘すぎず絶妙な砂糖加減に感激した。苺の種がぷつぷつと口の中で細かく潰れるのが、たまらない。
頬をにやにやさせている堂山を見て、杉島はますます曇天な顔をした。
「何だかんだいって、能天気でいいよな、堂山って」
キレイに舐めたスプーンを洗いながら、堂山の眉根は、ピクッと力が入った。
言うことが中学生の時から何も変わっていない。精神年齢は歳を取るのを無意識に拒否しているに違いない。
まさか、そんなことはないにしても、杉島からそんなことを言われると、単純馬鹿と言われているみたいで、素直に苛立った。
「いちいち落ち込んでたら、きりねえじゃん。俺だって放課後実習、すっげーイヤなんだからな。早く片付けちまうぜ」
ナメクジのように粘り気を帯びたヘビーローテーションの人生なんて、時間がどれだけあっても足りない。その無情な現実を杉島にも早く気付いてほしいものだが、無理強いもしたくないので、ほっとく。
杉島に調味料などをしまわせて、堂山は料理器具の洗い物を進める。叱られることで頭がいっぱいの杉島には、とてもじゃないが、任せられない。
調理台を片付け終えた者たちが、ちらほらと調理室を後にしていく。
自分たちの調理台もキレイさっぱり片付いたところで、「後、やっとくから、八代のとこ行ってこいよ」と、杉島に声を掛けた。
「わりいな、先に叱られに行ってくる」
堂山より体格がいいはずなのに、萎縮しているせいか、背中が小さく見えた。
「おお」と泡だらけの手をひょいと上げて、見送った。
調理室を後にした堂山は、寮に戻って作業服に着替えた。
本校舎と学生寮は渡り廊下で繋がっているので、目と鼻の先ほど近いところにある。寝坊しても、一番遠い三階の講義室までダッシュで三分以内には着けるという、とんでもなく立地条件のいい環境だ。
朝から実習の場合は、少し違う。寮から実習棟までは、少し距離ある。
南北に横長い本校舎の前を通り、生徒にはあまり関係のない職員専用の実験校舎の前を通り過ぎ、職員用の駐車場を更に越えた先に、各学科の実習棟が点在し、農大のメインとなる広大な農場が広がっている。
とりあえず、やたらに土地が広い。寝坊しようものなら、素直に諦めて、ダッシュするのは控えたほうがいい。実習のためにも。
果樹課実習棟は職員駐車場から道路を挟んだ向かいにある。
東側には草花課、野菜課、茶業課、林業課といった実験棟と農機具室、なんだか用途がよく分からない小屋が点在している。課によって建物が新しかったり、果樹課のようにプレハブ倉庫みたいだったりと、統一感がないのも、不思議だ。
堂山は一番乗りで、実習棟に到着した。
年季の入った果樹課実習棟は、二階建てだ。黒板のある講義室が一階と二階にあり、裏には貯蔵庫と農機具庫を持つ。立派な建物というより、倉庫だ。
誰もいない講義室に整然と並ぶ机を見ると、今頃は自分の時間を謳歌しているだろうクラスメイトが羨ましくて、腹立たしくなる。
「やったー、俺いっちばーん――って、なにも嬉しくないし」
机の端っこに尻を乗せてぼんやりしていると、一、二分差で、猪口がやってきた。
アイロンでも掛けているのかと思うぐらい、ぴっちり皺が伸ばされた作業服を着こなしていている。
猪口と待ちぼうけかよ、と小心者になりながら待つこと三分。次に、月原と沢中が一緒にやって来た。
二人とも汚れてもいいような素朴なTシャツに、緑茶色の作業パンツという出で立ちだ。
基本的に下は作業パンツで、上は作業さえできれば、なんでもいい。
「おせーよ、お前ら。お前ら待ってる間に、何個カップラーメンできたと思ってんだよっ」
訳の分からない八つ当たりに、月原と沢中は口を開けたまま棒立ちした。
「はぁ、あんた、カップラーメン、作ってたわけ?」
濃い化粧をバッチリ顔に施した沢中が携帯から視線を外して、不審そうに眉間に皺を寄せた。
「んなわけねーだろ。そんぐらい、お前たちが来るのが遅い、って言ってんだよ」
「あっ、そ。でも、まだ八代っち来てないんだから、いいじゃん」
携帯を親指で早撃ちしながら、鼻で笑った沢中は、適当なイスに腰掛けた。
「堂山君って、面白いね」
天使がどんな囁きをするかは知らないが、もし天使がいたら、月原のように穏やかに喋るんだろうなと、要らぬ妄想をした。
「面白いね」と言ってくれた月原の微笑みは、嘘偽りのない、心からの微笑みだ。
受け狙いでボケたつもりは全然ない。でも、堂山は、嬉しい反面、どう対処していいか分からず、無性に恥ずかしくなった。
5
そうこうしている内に、杉島と担任が、ほぼ同時に講義室へやって来た。
「全員いるねぇ。じゃあ、堆肥置き場へ行きまーす。全員、一輪車を持ってくること」
担任の一言で、作業内容が連想できた。
農機具倉庫に一輪車を取りに行きながら、沢中が「もう疲れたしー」と駄々を捏ねた。
「だったら、早く終わらせようぜ、堆肥運び」
八代に案内された堆肥置き場の前で堂山は腰に手を当てて、仁王立ちした。
見上げるほど高く積まれた堆肥からは、湯気が昇っていた。見れば見るほど、糞の山に見えて気分が悪かった。
でも、匂いは鼻を曲げるほど酷いものでもなかった。どちらかと言うと、しっかりした土の香りがした。畑を掘り返した時の匂いを更に発酵させたような濃厚さがある。
「微生物が活発に働いている堆肥からは、こうして湯気が出る。手を突っ込んでみろ。中が熱くなっているはずだ。いい堆肥の証拠だ」
勇ましい八代は素手で堆肥を鷲掴み、皆の前に持ってくる。
真剣に堆肥を観察していた猪口は、なんの抵抗も見せず手を突っ込み、感触を確かめている。
「マジか、じゃあ、俺も」
へっぴり腰の堂山だったが、負けじと堆肥の山に手を突っ込む。
布団の中に手を入れたような感触にも驚いたが、柔らかい温かさが手を包んだ。
土が生きている、堆肥に住む微生物たちが呼吸をしている証拠だ。
土を掴んで引き抜き、見てるだけの月原と中沢にも見せた。
中沢は「うげー」と嫌がっていたが、興味津々の月原は、手を伸ばした。
「本当だ、温かいね。すごーい」
見開いた目をキラキラさせていたので、見せた甲斐があった。
すると、後ろから杉島が顔を出してきて、情けなく笑いながら「俺にも見せて」と、どさくさに紛れて甘えてきた。
「オメーも堆肥ぐらい、自分で掴め」
肩で杉島を押し返した。
「この堆肥を一輪車に積み、果樹課の堆肥置き場へ運ぶ。スコップは、ここのを使うように。さっさとやらないと、終わらないからな。土に負けるな、若者!」
土を払って腰に手を当てる八代は、オバ様に近い凛々しい声音を放つ。絶対優勝しろよ、と試合前の選手に激を飛ばす部活顧問のようだ。
八代のさっぱりとした熱意に、一歩引き気味の堂山は、眉を歪めて「あのぉ」と恐々口を開いた。
「かなり距離あるんですけど」
ただ歩くだけなら散歩がてらになるし、ダッシュすれば少し息が上がる程度だろうが、土を積んだ一輪車を引いて歩くとなると、ゾワッとおぞましくなる。
「そうれがどうした、堂山。そうだな、一人が五往復ぐらいすれば、とりあえずハウスミカン分ぐらいは、できるだろ」
すがすがしく、八代は言い切った。頭の中ではすでに運び終わった様子が映し出されているようで、始まる前からひどく満足げだった。
「五もかよぉ……」
高校一年の後半で退部した、陸上部時代の筋トレを思い出す。運動場に水溜りができると、筋トレ兼ねて、よく一輪車を借りて砂運びをよくやらされた。
農大の土地がもう少し狭ければ、移動にも実習作業領域も格段にちょうど良い按配だったろうに。
堂山は一気に肩の力を抜いてしまった。
「ぼさっとするな。日が暮れちゃうぞお」
ポニーテールを揺らしながら、担任は勢いよく堂山の一輪車に堆肥を積む。
これだから体育会系の教師は、と眉間に皺を寄せた。中沢が愚痴る気持ちも、分からないでもない。
6
家畜小屋を改造して作ったかのような果樹課の農機具小屋の前を通過し、何の畑なのか、よく分からない広々とした長閑な農園を眺められる間はよかった。
だが、ハウス蜜柑のみを横目に一輪車を押し続けるのは、さすがに辛くなった。
舗装されていない砂利道のせいで、一輪車の安定感が悪く、堆肥の重みで手元ぐらつく、最初は良かったが、次第に重みが腰や膝に来る。
薄ぼやけたビニールハウスの内側に整然と並ぶ蜜柑の木が、ぼんやり見える。
いつまでこの風景なんだろうかと、変わらぬ風景に飽き飽きしてきた頃、後から出発したはずの猪口が、涼しい顔で、さーっと横を通り過ぎていった。しかも、その後、幾ほどもしない内に、月原が追いついて来た。
休憩を挟みたいところだが、女子の前で、それは断固したくない。笑顔を引き攣らせながらも、どうにか平常心を保ちながら訊いた。
「は、早いね、月原さん。重くない?」
くりんとした目元が、小さなイタズラを楽しむ子供のように、細くなって笑った。
「私は高校の時、陸上部だったから、これぐらいは、ね」
華奢のわりに、一輪車も難なく押す軽快さは、男らしい力強ささえ感じた。
「マジで? 俺も陸上部だったよ。でも、一年生の時だけね」
ハハハッと情けなく笑うしかなかった堂山だったが、「だから俺、運動不足かぁ」と思い切って開き直った。
「運動は大事だよ、ほら、ファイト!」
とんでもなく愛らしい笑顔を振り撒きながら、月原は軽快に一輪車を押しながら駆けていった。
「おっ先に、堂山」
さらに杉島が抜き去っていった。
「元運動部集団め」と悔し混じりにぼやくと、息切れを覚えて、本格的に「ヤバ」と感じた。
ヤバくても、こんな所でくたばってたまるかと、早い段階で必死に歯を食い縛る体たらくになった。
「ねぇ、ちょっと、待ってよぉ」
後方から沢中が気怠そうな声を発した。まだ後ろがいた事実に堂山は安心した。
成人病間近の太った少年になったみたいで、情けないったらありゃしない。
沢中だけには負けまいと、堂山は歩調を速めた。後ろから「ちょっと、待ってよぉ」と泣きべそを掻かれても、「ファイトー」とだけ言葉を送り、先へ行った。
ハウス蜜柑の隣にある堆肥置き場に着く前に、先に着いていた猪口と月原と杉島が、Uターンして戻ってきた。
今度は、堂山が「ファイトー」と言われる側になった。
二人が並んで戻っていく光景を見て、悔し混じりに苦笑いをすると、気合で堆肥置き場へ駆け込んだ。
「クソッ、なんだよ、面白くねぇ」
「そんなに急がなくたっていいじゃん、遅い者同士、のんびり行こうよ」
悠長に歩いてきた沢中は、ゴールの手前で一輪車を置いてしまった。
「そんなところで休憩すんなよ。あと少しだぞ。じゃあ、俺、先に行くからな」
「えーえ、待っててよぉ」と沢中が眉をハの字にして助けを請う。
息を切らしながら堂山は、堆肥をさっさと一輪車から降ろし、「がんばれよ」と沢中の肩を強めに叩き、くるっと引き返した。
後ろのほうで「もおぉ」とメス牛が吠えた。
絶対に追いついてやるぞと、闘志をエネルギーに変えて、ひたすら輪車を押しまくった。
7
糞みたいな堆肥がもりもりと山積みになった堆肥置き場で、ようやく堂山は、三人に追いついた。
情けないぐらい息が上がっていた堂山は、月原と猪口の間に割り込んだ。
「追いついたぜぇー! なんの、これしき」
汗だくの顔を二人の間から突き出し、堆肥に突っ込んだ一輪車に掴まりながら、くったりと膝を折った。
「早かったね。でも、まだ四往復もあるから、無理しないほうがいいよ」
女子からフォローされ、涙をちびりそうなぐらい恥ずかしかった。
呼吸がまだ上がったままの堂山は鼻から大きく空気を吸い込む。すると、濃厚な土の匂いが飛び込んできて、咽るところだった。
「大丈夫だって。さっさと終わらせようぜ。月原さんは、家の仕事の手伝いとか、するの?」
気を取り直して、家庭の事を訊いてみた。堂山は、自然にプライベートな質問ができたので、頬が弛みそうになった。
「収穫期は手伝ったりするよ。倉庫を直売市に変えて、蜜柑を売ったりもするからバイトさんも沢山来るの。観光バスまで来ちゃうの、だから十二月から二月ぐらいは、大賑わい。選果の手伝いなら単純作業でいいんだけど、お店の手伝いはすごく嫌。計算とか苦手で、いつでもパニック」
「観光バスって、マジッすか。直売っていいなぁ。ウチも、そうなりてぇなぁ」
「勉強兼ねて、手伝いに来てくれてもいいよ。猫の手も借りたいぐらいだから」
顔の横で手を招き猫のように動かす月原に、思わず見惚れた堂山は、たっぷり数秒間、言葉を失った。
何か言わなきゃと焦りながらも、言葉が上手く出てこない。
あまりにも言葉が出てこないものだから、堂山も月原の真似をして手を顔の横に上げて、手招きした。
「えあっ、えっ、ほんとに」と声が裏返りそうになり、鼓動が高鳴った。
「うん、猪口くんも、よくバイトしに来てたよ、ウチに」
「ええっ、よくって……、よくバイトしに来るほどご近所さんとか?」
月原は、コスモスが揺れるように愛らしく笑った。
何か聞き間違えただろうかと、困惑する堂山は「エ?」と「ハ?」を壊れたロボットのように繰り返した。
「そう、お隣さん、幼馴染だよ」
またしても童顔で無垢な笑顔が堂山の胸を貫くと同時に、「幼馴染だよ」の一言で、思考回路がフリーズした。
「お隣って言っても、五百メートルは離れてるんだけどね。猪口くんちは梨園だから、逆に私が夏休みにバイトに行ってたりしてたよ。暑くて大変だけどね、でも、猪口君のお母さんがカキ氷を作ってくれたりして、楽しいよ」
楽しいよって、家族ぐるみの仲で、カレ、カノジョみたいな付き合いはなんですか、と聞きたかった。
ところが、フリーズしたままの堂山の口は、言うことを聞かない。
「おい、手ェ止まってるぞ」
まるでプリンをシャベルで掘るような軽快さで、堆肥を一輪車へ積んでいた猪口が口を挟んできた。
積み終えたらしく、サクッと音を立ててシャベルを堆肥に突き刺す。まだ猪口の体温が残るシャベルを奪い取った堂山は唇を尖らせて、堆肥を掬い上げた。
「すいませんね、シャベルが占領されてたもんでね」
ニヤッと口端を吊り上げた堂山は、掬った堆肥を猪口の一輪車へ放り込んだ。
「なにすんだよっ」
犬のように怒鳴った猪口は今にも堂山を殴らんとする、鬼のような形相をした。
「いや、少なく見えたからさ」
しれーと北叟笑んだ堂山は、ぎゃんぎゃんと何か言ってくる猪口に背を向けた。
「ふざけてないで、さっさと――」
益々苛立ちを込めて怒鳴る猪口に、堂山はシャベルを取り上げられそうになった。
そこで堂山が、体をくの字に曲げながら上手く避けていると、「おーい」と八代の声が飛んできた。
「なーに遊んじゃってるの、協力しないと、終わらないぞ」
声を張った猪口以上に、果樹棟の方角から歩いてくる八代の鶴の一声が響いた。
シャベルを取り上げられなくて悔しそうに眉根を歪める猪口に、堂山はいたずらを楽しむ子供のように、ニヤニヤ口元を緩めた。
「堂山、ひどーい、レディーを置いていくなんて」
重たい足をどうにか前に進めて戻ってきた沢中が、崩れ落ちるように一輪車を放り出して、地べたにそのまま尻を落とした。
「若いのに、だらしないなぁ。杉島っ、沢中の一輪車に積んで上げて。堂山は、月原の一輪車にね、たらたらしない」
八代の一声によって、堆肥運びは再開された。
何かの競技のように黙々と堆肥を一輪車へ積み、戻ってきた道を再び、えっちらおっちら重くなった足を引きずった。
今は堆肥を運ぶことだけで手一杯の堂山は、月原と猪口の関係に取り憑かれるほど気にしながらも、一先ずは棚の上に置いた。
8
「よーし、こんなもんでいいでしょう」
「よっしゃあー、終わったぁ」
声を引っくり返した堂山はその場に崩れ落ちた。粒になった汗が全身に流れ落ちる、
少し風が吹くと、汗が冷えて心地よかった。まだ梅雨前だというのに、真夏を思わせる射光だ。
全員が地べたに尻をつけて、根を生やしている。
「全く、最近の若者は! 杉島は、明日までにレポートを提出すること。放課後実習は、これにて終了。今後、トラクターの運転には気をつけること。じゃ、お疲れー」
八代が、誰よりも満足そうな笑みを作って、飄々と帰っていった。
猪口が一番早く立ち上がり、一輪車を引いて歩き出した。他の面々も、まだかったるい体を無理に起こして、一輪車を引き始めた。
実習授業の中でも、今日の放課後実習が最も体力を使った、肉体労働だった。マラソンをした後みたいに、体中が重かった。
「農家って、つくづく大変だなぁ、本当に継げるかな、こんなんで」
「へぇ、堂山君は、ここ卒業したら、就農するの?」
大きな目をぱちくりさせた月原が訊いてきた。
月原の笑顔の爽やかさときたら、横っ腹が痛くなるほどの肉体疲労など、けろりと忘れることができた。
「うーん、まだ分かんない。一旦、就職して、それからでもいいかな、って。にしても、実習って、キツイなぁ」
苦笑いの堂山は額から流れてきた汗を袖で拭った。
「そうだね。でも、楽しいな。私、勉強は苦手だけど、体を動かすのは好きだから。それに、農高だったから、実習は慣れてるの。堂山君は確か、普通高だよね。進学校だったんでしょ? 凄いね」
額の上できらきら小さく光る汗の粒を、月原はタオルで押さえるように軽く拭いた。
「何にも凄くないよ、俺の場合は。従いていくのにやっとで、私立大に行くなら県立の農大の方が学費も安いし、寮ってのも楽しそうだったし、家が農家だから、就職先は何とかなるかな、って。案外、土いじり、嫌じゃないんだよね、俺。月原さんは、卒業したら、どうしたいとか、あるの?」
すると月原は少々困った顔をしながら、申し訳なさそうに答えた。
「農業は弟に継いでもらおうと思ってるの、弟も農大に進学する予定で、私は、その、声優になりたくて」
「へぇ、いい夢じゃん。でも、どうして、農大? 専門とかは」
「本当は、専門に行きたかったんだけど、親が賛成してくれなくて、行きたいなら、自分で払って行きなさい、って。だから、ここなら二年制もあるし、短大卒の資格があれば就職先も多少は増えるかな、って。専門にも行きたいけど、声優になる道は、幾つもあるから」
「ちゃんと考えてるんだ。なんか、凄ぇな。その、夢を追いかけようって思うところ」
一輪車を見下ろしながら茫然としてしまった。
卒業した先の人生だったり、やりたい仕事だったりが霧の中に包まれている堂山にとって、月原の話は、とんでもなく眩しく見えた。
夢を話す月原は、子供のように、はしゃいでいるように見えた。
「あっ、ねえ、猪口は梨農家だろ? やっぱり、卒業したら、就農か?」
数歩前を行く猪口に向かって、声を張って訊いてみた。
「ああ」
低い声色だったが、意外とすんなり返事が来た。
「へぇ、凄いなぁ、猪口のことだから、ちゃんと就農の考えてるんだよな」
「そうだな。就農を甘く見ないほうがいいかもな」
珍しく猪口が真剣に答えてくれた。
気になっていた子とまともに話ができた時に似た興奮を覚えて、堂山は決壊したダムのように喋り始めた。
「俺さぁ、一旦は就職してから継ごうかと思ったけど、この不景気だし、地元にいい就職先があるかも分からないし、継いだとしても、俺んち、幾つかの世帯が集まって運営してる組合農家で、経営も厳しいらしくて、立て直すにも組合が絡んでるんじゃあ、俺如きが足掻いて、どうにかなるのかな、って」
「そんなことないよ。きっと方法があるよ」
励ますように月原が返事をすると、間髪を入れずに、むしろ最後のほうからセリフが重なっていた。
「言い訳ばっかなら、就農なんて、やめちまえばいいだろ。お気楽な奴は、いいよな」
かあっと堂山の顔面が熱くなった。
叱られたわけではないが、あえて自ら嫌われにいくようなセリフを吐かれたのは、初めてだった。
言いようのない恥じ感みたいな、言い訳もできない憤り感のような、よく分からないグルグルと回転する熱が、頭の天辺を貫いた。
猪口は一方的に言い放つと、あっという間に差を付けて行ってしまった。
「あんな言い方、しなくてもいいのに。気にすることないよ、堂山君」
眉端を撫で下げながら、姐御肌の月原にフォローされても、顔面を熱くした悔しさは引かなかった。
「……なんだよ、偉そうに! 何でも知ったような口、しやがって」
悔しいが、猪口の放った科白は正論だと、堂山は認めざるおえなかった。
農大の授業カリキュラムは、普通の大学とは少し違う。
堂山の思う普通とは、カリキュラムを自分で組んでいくという方式なんだろうが、ここの農大は、そうではない。まるで高校と同じなのだ。一週間の授業カリキュラムは、学校側で組まれている。
自分で組む必要がないので、楽には楽だが、大学に進学したぞ、という新鮮な気分は、些細なものだった。
実習作業をやっていると、つい、大学生という身分を忘れそうになる。
湿度が日に日に上がり始める季節は、雑草が萌え、病害虫がうじゃうじゃ活動し始める。そんな野生の命溢れる環境に毎日いると、とても大学にいるとは思えなくなる。
特に梨園は、緑一色に染まる。切り揃えられたばかりの草叢に、木漏れ日が広がる。
規則正しく植えられた梨の樹の高さは、それほど高くない、頭の直ぐ上ぐらいに、枝や葉が、絨毯のように広がっている。要は、上も下も緑だらけなのだ。
棚仕立てが、梨の樹の基本的姿だ。要は、枝が地面と並行するように横に伸びている姿のことをいう。
初めて梨の樹を見た時の堂山は、口をあんぐり開けっ放しにしながら、繁々と眺めていた。そのせいで、口の中に虫が飛び込んでくる災難も味わっていた。
「三百年前、発芽と結実を促進させるために、枝を副えて竹で誘引した技が、棚栽培の始まりだ。しかし、上に伸びるという枝の本能を歪めているために、どうしても主枝先端が貧弱になりやすく、真上に伸びる徒長枝が発生しやすいクセを持っている。だから、梨園の天井には、枝を誘引する針金が、網目状に張られている」
常に怒り口調みたいな八代が上を向くと、全員が上を向いて、針金が網目状に梨園の天井に張られているのを確認した。
堂山も天井を観察しながら空を眺めていたが、首が痛くなりそうだったので正面に向き直った。
「前年の生徒が冬に剪定しているので、あまりないとは思うが、主幹に近い徒長枝は剪定しろよ。下が陰るし、養分を持っていかれる。発育枝や予備枝が栄養不足になれば悲惨な結果になるからな」
実習中の八代は、やたらとハツラツで、男らしい口調になる。
枝には既に、小粒の梨が実っていた。
入学した仕立ての頃は、ちょうど梨の花が満開だった。
桜の花からピンクを抜き取ったような白くて小さな花だ。春だというのに、幹や枝に雪が積もったような光景になる。
風が通れば粉雪が舞っているようで、思わず「おー!」と感嘆した。天気のいい日は、実習より花見をしなくては勿体ない。
だが、堂山の梨の樹は「花の咲きすぎだ。これじゃあ、葉のないハゲ頭だ」と八代に叱られて、ちまちまと花摘みをした。
その後は、誘引の甘い枝は頭を釣ってやったり、花粉を花に付け回って人工授粉させたりと、入学早々、梨の管理に大忙しだった。
「俺の可愛い梨ちゃーん」
枝に生った、まだ五センチほどの実をそっと撫でながら、堂山は頬を弛ませた。
「なに、ニヤニヤしてんだ?」
突如、杉島が太目の枝越しに声を掛けてきたので、堂山は「おわっ!」と声を上げた。
「べ、別に、よく生ってるな、って」
うっかりニヤついていた顔を見られしまい、恥ずかしさを誤魔化すために、つい威張り口調になった。
「本当だ。堂山のところも、すごい生ってる。けど、俺のほうが生ってるぜ」
杉島が勝ち誇ったように言ってきたので、そのセリフが真実かどうか、堂山は確かめに行った。
杉島の樹を覗きに行くと、言ってきた言葉は嘘ではなかった。まるで鈴なりだ。確かに、自慢したくなる気持ちは分かる。
愛情の掛けかたが違うのだよ、とでも言いたげな勝ち誇った顔をする杉島に対して、堂山は眉を歪めながら「ハンッ」と鼻で笑った。
「こういうのはな、量より質だ。味が不味かったら、意味ねーだろ。だから摘果してるんだろ。人の手によって左右される梨の生存競争だよな、これって」
摘果とは、まだ果実が小粒の時に実を間引く作業だ。
形のいいもの、発育がいいもの、病気に罹っていないものを残す作業でもある。数が多すぎれば味が落ちてしまうので、高糖度の良玉を作るためにも、欠かせない仕事だ。
堂山は負けじと杉島に言い返してやると、横から猪口が寄ってきた。切れ長で半開きの目は、杉島の梨の樹を見上げながら、呆れた口調で呟いてきた。
「ただの花粉の付けすぎだろ。これじゃあ、何のための人工授粉だよ。花も摘んでるのに、どうしてこうなるんだ、アホ過ぎ」
痛いところを突かれた堂山は苛っと奥歯を噛みしめ、眉根を歪めて反論した。
「そりゃあ、摘果を楽にするためだろ。生りすぎを防ぐためにも。でもさぁ、受粉してると、どこまで受粉したか分からなくなるだろ」
乾いた笑みを向けた堂山に対して、猪口は恐ろしく冷ややかだった。
「だから八代がやや上向きの花に受粉しろって言っただろ。実の仕上がりや作業を想定しないで無闇に付けるから、こうなるんだ。単純作業だからって手を抜けば、後にデカく響く」
猪口の大人ぶった言い草に、堂山は顔面を熱くさせるほどに、悔しさに似た苛立ちが膨らんだ。
だが、今度は反論できずに、黙りこくった。
「摘果したやつは、班で運ぶんだろ。早くしろよ、いつまで経っても、運べないだろ」
言い放って、猪口は自分の樹へ戻っていった。
「そっか」と恐ろしく素直に納得した杉島は、大人しく摘果作業に励んだ。プラスチック製のコンテナに、小粒の梨がゴロゴロ放り込まれる。
「ちょっと、はしゃいでただけだろ」
猪口の背中に向かって独り言を飛ばす堂山は、不貞腐れながらも、渋々作業を開始した。
一人につき、二本の梨の樹が与えられ、一年間に亘って管理する。講義で習ったことを、実習で実践し、収穫して販売するまでが、果樹課の基本的な流れだ。
入学して、収穫したものは、まだ一つもない。
だが、おそらく収穫したら、試食と称した食べ放題になるかもしれないと、堂山は内心それが楽しみで、今からでも心が躍る。
「ちゃんと摘果しろよ。勿体無いからって、残しておけば、言わなくても分かってると思うが、不味くて、後が売れなくなる」
見回りしながら八代が言った言葉に、堂山が即座に耳を立てた。
「センセー。梨って、収穫したら、売るんですか?」
堂山が訊こうとした質問を、沢中が先に訊ねた。
「そうだ。近くの総合庁舎だったり、ここの職員棟、大学のマーケットや、近くのファーマーズ・マーケットにな。早生品種の蜜柑は文化祭でも売る。自分たちは好きなだけ食べられると思った者もいるだろうが、安心しろ。すぐに飽きるから」
「えー、売るのぉ、めんどぉ」
渋る沢中は、さっきまでてきぱき動かしていた手を、すっかり緩めて脱力した。
ささやかな幻想が現実という名のトンカチに叩き割られて、堂山もガッカリした。
だが、まあ、そんなもんだろと、直ぐに納得した。
2
摘果した小粒梨でいっぱいになったコンテナを一輪車に積み、堂山がフンッと鼻から息を抜きながら、一輪車を持ち上げた。
予想以上の重みに、手元がぐらついた。
堂山たちの後ろから別の班が、運びに出てきた。
摘果作業に飽きてきたとみえる三馬鹿トリオは、八代の目を盗んでは、梨をぶつけ合って遊んでいた。三人の後ろを従いて行く、一輪車を運ぶ班員が、迷惑そうに眉間に皺を寄せていた。
お祭りのように騒がしい三馬鹿トリオのふざけた笑いを、背中で受けていた堂山の頭に、硬いものが、ごっつん! と見事に命中した。
「いってぇ」
小粒のわりに、意外と破壊力がある痛さだ、声を上げた堂山は頭をさすることもできず、歩きながら後方の三馬鹿トリオを睨みつけた。
「あっ、わりーわりー、ヘンなところ飛んでった」
「ヘンなところってなんだよ、俺の頭だぞ、気をつけろ」
とんでもなく適当に謝った岩瀬は、へらへらと笑っていた。このうすら馬鹿が、と喉まで出掛かった。
だが、ぐっと堪えて、奥歯で噛み締めた。
三馬鹿トリオの真ん中に、だいたいいるのが、岩瀬だ、しかも三人の中で一番声がでかくて、五月蝿い。口を開けて笑うと八重歯が顔を出すところが気に食わない。
月原みたいな小顔で小動物みたいな子なら、こちらも素直に納得するし、癒される。だが、岩瀬の八重歯を見ても、気色悪いだけだ。
実家は、西部地域では名の知れたマンゴー専門の大農家だ。発注があれば全国何所へでも出荷している。高級果実で有名な『岩瀬マンゴー』と聞けば、こいつんちを指すことぐらい、普通校を卒業した堂山でも、知っていた。
旬の時季になると、岩瀬の親父さんが新聞やラジオに出演しているらしい。
「安泰な就職先を約束されてる奴は、いいよな、羨ましいよ」
梨をぶつけられた仕返しに、堂山は皮肉交じりに独り言を漏らしてみる。ところが、岩瀬の耳は、意外と地獄耳だった。
「だったら、俺も苦労しねぇっつーの。もう、就活しろっつってんだぜ、うちの親」
「へぇ、就農じゃないんだ」
沢中が物珍しそうに岩瀬をチラ見した。
「社会に出て働けって言われたんだろ? お前じゃ、役に立ねー、とか」
冗談気に投げた堂山は、どう返ってくるか楽しみで、ニヤリと陰険な笑みを浮かべながら、首を捻った。
先に飛んで返ってきたのは、小粒の梨だった。岩瀬が投げた梨は尻に命中した。
肉厚のところだったので大した痛みはなかったが、「イテーだろ」と堂山は声を上げた。
「うっせーんだよ! バカで悪かったな」
ふざけて言ったつもりが、真剣に岩瀬が言い返してきたので、「へぇ?」と困惑した堂山は眉根を歪めてきょとんと固まった。
大の大人が子供みたいに拗ねて梨をぶつけてくるような奴でも、それなりに欠点を自覚しているんだなと、感心さえした。
岩瀬家の事情は知らないが、農家も不況と温暖化による異常気象で、何かと打撃を受けている事情は、嫌でも目に付いた。
金銭的な問題や、日頃の疲れからくる両親の衝突は、日常茶飯事とは言わないが、見ていて『火の車?』かと、脳裏によぎらせてしまう。
岩瀬が、図星を突かれたことに拗ねたのかは分からない。
とはいえ、「有名農家なら、うちほどヤバイわけじゃないんだから、いいよな」と、やはり僻んでしまう。
午後一番の授業は「これぞ大学」と思わせる講義室での座学だった。
しかも、一年全員が一同に会したので、圧倒的な人数と賑やかさに、ますます大学らしさを感じて、堂山はイベント時のようにウキウキした。
天井が高い講義室には、やや弧を描く長机が段々に並んでいた。上下にスライドする特大黒板が、この部屋の中だと、小さく見える。
教壇の前に立った教員は、手元にあったマイクのスイッチを入れた。
保健体育を教えそうな、おまけに、女子が喜びそうな体育会系の細マッチョだったが、話し始めた内容は、体育のタの字もなかった。
「やっと今日から、マーケティングの講義が始まります、入学早々、実習だらけだったかもしれないけど、毎週この時間にマーケティングが入るので、遅刻しないように。私は担当の水森宗也です」
お調子者みたいな挨拶に、皆は耳を立てて真面目に聞いていた。
マイクを通して発する音声は講義室中の隅々まで響き渡っていた。聞き取りが良すぎて、逆に眠くなってしまいそうだ。
おまけに腹もちょうど良い感じに膨れていて、堂山はさっそく睡魔に襲われかけていた。
「さぁて、スタート早々だが、これから君たちが就農したり、農業を始めた場合、十年後には、高い確率で潰れる」
「ハイ?」
視界も睡魔の海へと沈みかけていた堂山は、水森の一言で、転覆寸前の船から丘へと這い上がった。
唐突に潰れると言い放った水森は、ここに会する生徒たちの平々凡々な面々なんかより、一人でとんでもなく豪快な存在に見えた。
しかも、よく見ると、派手めな顔付きは、これもまた女子にモテそうな甘いマスクをしていた。
「企業の営業は、なぜ外回りをするか、分かるか? 営業が外回りをするのは当たり前だとか漠然と思った奴は、就農しても、間違いなく失敗する。企業でも農家でも、必要なのは市場調査だ。開発も流通も、その後だ。常にアンテナを高くしておくことだ」
水森は、背後にある黒板には何も書かず、ひたすら話した。
聞くことと書くことが同時にできない堂山は、記憶に残しておきたい単語だけをノートに書きとめることにした。
だが、書きなぐる字がヘタすぎて、落書きに見えてきた。自分で自分の字が解読できないので、後で月原に見せてもらえばいいやと、書き取りはあっさり諦めた。
「農業だからって、ただ作物を作ればいいじゃない。味はもちろんだが、自分たちがどれだけ危機的状況に置かれているか、よく自覚することだ。諦めずに考えた奴だけが生き残ると思え」
八代もそうだが、水森といい、ここの農大はやたらと熱血講師が存在する。中学や高校とかならまだ分かるが、大学で熱血は、なんだか珍しい気がする。
しかも、一向に教科書を開く気配がない。ひたすら教科書と参考書のみだった高校時代と比べると、笑ってしまいそうなほどに別世界だった。
生き残るとか、危機とか、農業はサバイバルかい――と水森にツッコミかけた堂山は、汚い字で書きなぐったノートに、「諦めずに」と付け足した。
授業が残り十五分という時に、水森は自営業を支えるための経理についても語って、初回のマーケティング授業を終えた。
3
衝撃的な一言から始まったマーケティング授業は、最初から最後まで、水森の熱い人生論のオンパレードだった。それでも、一時間半ずっと聞き続けることが、苦ではなかった。
水森は日本を旅しながら、色々な地域の農業に触れ、市場事情だったり農業技術だったりを肌で感じてきた。
培った智恵なり経験なりを、後世に伝えようという姿勢が、ありありと伝わってきた。
実習棟へ向かいながら、杉島は、解けない問題を目の前にした小学生のように、うーんと唸っていた。
「人生論みたいなトークで面白かったのに、シメは経理の話かよ。俺、簿記とか、スッゲェー苦手。あそっか、税理士に頼めばいいんじゃね?」
良いアイディアだろ、と言いたげに、杉島は目を輝かせていた。
「アホ、それぐらい、勉強して自分でやれよ。依頼料だって、バカになんねーぞ。しかも、経理関係は全部、丸投げして、それでどうやって経営計画を立てるんだよ」
変な期待を膨らます杉島に、親が子を心配するような思いで見つめた堂山は「俺も簿記ムリだぁ」と付け加えた。
確か、水森が人生観を語りながら、「良い農園は働きやすさから来ている」と話し始めたところから、自営業を支えるための経理に、話題がシフトした。
途中までは、ドキュメンタリー映画を観ている時に似た、面白くて引き込まれる感覚に支配されていた。
だが、ラスト十五分という時だ。突然、ロウム――おそらく労務――という言葉が出てきた瞬間、「ハ?」と口を開けたまま、静止してしまった。
今こうして、ぼおーっと思考停止状態で実習棟へ歩いている理由も、そのせいだ。
「自営って、大変だな」
遠い彼方へ呟きかける堂山は、ふと実家を思い出した。
どの仕事もそうだろうが、実家は蜜柑農家で、根気と体力が要る仕事だ。良くぞここまで子を育ててくれたな――と、しんみり肩を竦めた。
「そうだろう? そう思うなら、勉強しろよ」
突然、背後から声がして、堂山と杉島は「おわっ!」と声を上げて、振り返った。
サーフィン帰りのような清々しい面構えの水森が、「やあ」と笑顔を作って立っていた。
「確かに、個人経営は納税申告を自分たちで計算して提出することが多い、だが、年収一千万を超えたら税理士に頼んだほうが利口だ」
何故か勝ち誇った笑みを作る水森の真意が分からず、堂山は首を傾げて訊き返した。
「何故ですか?」
「ズバリッ、計算している時間が勿体無いからだ。利口な企業家は時間を有効活用するためにも、プロに依頼する、何より確実だしな。できた時間はビジネスに励む、だから年収一千万になるまでは頑張りな」
男前な美声で清々しく笑う水森は堂山と杉島の肩をポンポン叩いてくるが、簡単に一千万と言われても想像がつかなくて、また魂の抜け殻みたいに思考停止状態になった。
「で、今日の僕の講義、どうだった? 面白かった? 久しぶりの講義だったから、緊張してさ。僕が伝えたいこと、伝わった? 旅はいいよ、うん」
圧倒された堂山は、二秒か三秒ほど、あんぐり口を開けたまま、何て返事をしていいか分からなかった。
山のようにどっしりと講義していた時とは違い、ずいぶんハッチャケた人柄に摩り替わっていたので、「はぁ」と、つい情けない返事をした。
「で、どうよ、面白かった?」
水森は改めて訊ねてきた。
「あ、はい、面白かったです。でも、やっぱり最後のほうが難しくて……」
言いながら、堂山の声は弱弱しく、水森に対して失礼なほど小声になった。
「ああ、それはまた来週、詳しく話すよ。僕も、話しやすいところだけをベラベラ話したいんだけど、そういう訳にもいかないし。でも、ま、面白かったなら、いいや。じゃあ、実習、頑張ってねぇ」
堂山と杉島の肩を力強く掴みながら、二人を抜かして職員室の方角へと渡り廊下を歩いていった。
勢力の強い熱帯低気圧が去った後のように、渡り廊下は熱気を帯びたまま静けさが戻った。
とにかく熱血だが、「現実」を熱の塊にして投げつけられた気分は否めなかった。
話が聞きやすかった分、理解してしまうのが辛くなるぐらい。
とにもかくにも、四限目の実習授業のため、実習棟に向かった。