初冬の寒い夜。仕事を終えた私は田舎の小さな無人駅に着いた。
すぐに乗れれば良いが、と思いつつ時間表を見上げると、あいにく数分前に出たばかり。30分ほど待たなければならなかった。駅前は雨戸を閉めた元煙草屋兼雑貨店が一軒あるのみ。古く痛んだ駅舎の木の壁のスプレー書きの落書きの文字が薄れ消えかけていた。
そこに中に人間はいなかったが、茶トラの猫が一匹ちょこんと長椅子の上に座っていた。ぽつんと次の電車を待つしかないから、私は猫の横に座った。すると猫が
「ニャー」
と挨拶してから私の膝の上に乗ってきて(礼儀正しい猫だ)、丸くなってすやすやと眠ってしまった。
ひとと猫、天地に二人きり。
体を動かせないので尻が痛くなったが、おかげで半時間を暖かく過ごせた。
別れ際に、
「きみが駅長なのか?」
と尋ねたら、
「みゃ」
と彼は応えた。
人の一生とは育った環境に左右されるものらしい。現代社会に生まれれば自動的に現代人になるものではないらしい。
テレビがない家で育ったので今でもテレビが苦手だ。テレビ番組はニュースのようにお固いのも、バラエティも、総じて暴力的で刺激が強すぎる。テレビを見るとぐったりする。心身ともに疲労する。だから現在もテレビ受像機を持っていない。無い方が快適なのだ。街のお店に入ったときテレビが流されていたら、神経が苦痛なのですぐ出てしまう。
電話機がない家で育ったので今でも電話が苦手だ。電話を受けたりかけたりする練習をしないで大人になってしまったせいだ。電話をするという行為が「非日常」の行為なのだ。そのせいで緊張する。
家族がいない環境で育ったせいで今だに家族とか家庭ということがわからない。
母親が病身で生まれた時からよその家を転々として育った。親戚の家や、親の友達の家や、親戚の親戚の家とかだ。どの家もまったく知らない人ばかりの家だった。そしてここからは想像だが、幼児を預かった家々は世間の義理で仕方なく預かったのでこの「お荷物」を約束した日数だけ預かり、次の家にさっさと回した。
こうして自分の養育者が誰なのかわからぬまま大きくなった。時たま親の家にいることもあった。そこにいる人が親というものだということを理屈では理解できた。しかしいつも通り、知らない家のおじさんおばさんに見えた。自分にとっての親または養育者のイメージとは、ある日なんの前触れもなく、すうっと消えてしまう人のことだ。
映画を見る。映画の中で家族が死ぬ。配偶者が死ぬ。生き残った家族役の役者さんが悲しみのあまり泣く。嗚咽する。この感情が分からない。こういうシーンになると途端にしらけてしまう。悲しいものなのかしら? 家族を喪失するって。
家庭を経験せずに育つと家族の感情というものがわからない。
家庭を知らずに育つと自分の居場所がわからない。どこに居ても、職場にいても自宅にいてさえも、自分はここにいていいのだろうか。自分はいてはいけない存在なのだ。そう思ってしまう。何事につけても人はOKな人で自分はNGな人だとつい思ってしまう。世の中に百パーセントOKな人や、百パーセントNGな人など昼はずがないと理屈ではわかっているつもりなのだけれども、この感情をどうすることもできない。