算命学余話 #R94

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算命学余話 #R94 (page 1)

 細菌やウィルスといった病原は、病原にとって一番居心地のいい場所や時を選んでごく自然に人間に取りつくのだそうです。居心地の悪い所、生存環境の悪い場所には病原だって行きたくはないし、そこに棲みついたところで繁栄できません。だから病原が蔓延るということは、そこにいる人間や人間集団が病原にとって都合のいい条件を提供しているのであり、またタイミングとしても病原の繁栄に適していることを物語っているのです。逆に言えば、人間の生き方が自ら病気を招いているとも言えるでしょう。
 これは病原に限らず、目に見えない霊的な作用や運勢の高低も同じで、その人の生き方や社会集団のあり方が、病気・霊作用・運不運を自ら招いているのです。

 算命学は自然の大本である宇宙のあり方を考える学問ですが、宇宙という二文字は時間と空間を表しています。また干支は十干が空間を、十二支が時間を表しています。つまり算命学は、どこから見ても時間と空間の二本立てだということです。
 人が病気になるのは、上述の病原の話と重ねるなら、人が病気を呼び寄せるような環境(栄養状態や衛生環境など)を空間として提示している時に、病気が蔓延するような時節(季節による温度や湿度の違い、戦争や災害といった非常時、社会の劣化、個人の老化など)がちょうど当たっているからだということになるでしょう。そして、人間ひとりではなく集団として病気が蔓延する時は、そうした病気を招くに相応しい時間と空間が、集団の側から大々的に提供されているという風に解釈できます。

 算命学がしばしば病人や弱者に対して冷淡なのは、病人や弱者は外的要因による被害者なのではなく、本人に、或いは本人が属する集団に問題があるからだと考えているからです。集団に問題があるのなら、個人はその集団を脱すればよいのです。それをする勇気もなければ努力もしない上で病気になったと被害者ぶるのは、筋違いだというのが算命学の考え方なのです。
 病気や弱者になりたくないのなら、それなりの努力と工夫をしろ。巡る四季(つまり時間)に逆らうことはできないが、居場所(つまり空間)を変えることはできるはず。もし物理的に空間を移動できない場合でも、その場所の性質を変える手立てはあるはずです。部屋が散らかっているなら整理整頓をし、病原が減るよう床や家具を磨き、窓を開けて換気をし、陽光を入れる。人間が菌を持っているなら全身を洗浄し、服は洗濯し、湿気をとる。健康的な食事をし、運動をし、睡眠をとる。誰もが日常的にできることです。この空間を狭い部屋から家全体、職場や社会全体に広げても同じことです。病気や不運を招いているのは、全てそこにいる本人の責任なのです。安易に宿命のせいにするのは間違いです。

 さて今回の余話のテーマは、最近現役を引退して、国民栄誉賞も辞退したスポーツ選手の命式です。国民栄誉賞は三度目の辞退というから、よほど名誉欲のない命式なのだろうと見当をつけましたが、賞をもらわなくても既に十分名誉は上げている人です。ではこの人にとって名誉とは何なのか。その辺りに焦点を当てて命式を眺めてみます。
 まだ生きている人なので、人生を総括するのは早すぎます。今後の半生がどう展開していくかは判りませんが、冒頭の話の通り、この人の前半生の成功は命式だけの功績だとは言えない、という点に着目していきます。
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