Keystoneのアンビリバボー体験談集

No.22 痛みを通して神の愛を知る( 1 / 1 )

この話は、最も封印していた部分のお話になります。
この内容を公開するのは、まるで心理学者フロイトが自分のプライベートな体験談を犠牲にして、精神医学のために赤裸々に公開したのと同じです。

(※この件に関して20年以上たって初めて知った不思議な事実があります。この章の最初から最後まで順番にお読み下さい。)

今回は、僕が壮絶な結婚生活を通して、学んだ神様の深くて激しい愛についてお話しします。
僕は、結婚前に9年ほどお付き合いした女性がいましたが、彼女の遊び癖に何年も悩んでいて、もうお別れしようと決断して、別れた翌日位に、偶然ですが、9年ぶりに幼馴染だったある女性と再会したのでした。

僕はその時、仕事中の仕入先で、彼女に突然名前を呼ばれて、そちらに向かって歩いて行きました。

そうすると、聖霊様から声がありました。

「彼女を助けなさい。」

僕は、「どういうことだろう?」と思いました。

しかし、「聖霊様がそういうのなら、何か大きな問題があるはずだ」と確信しました。

すると、彼女は僕に、「ひさしぶりだね。なつかしいから一緒にお酒でも飲みに行こう」と誘ってくれましたが、僕は彼女に答えました。

「僕は、お酒は飲まないし、単なるおしゃべりなら他の人といけばいいとは思うけど・・・でも、もし、コーヒーとか食事だけでもいいのなら明日ならOKだよ。」と答えました。

聖霊様から、「彼女を助けなさい。」と言われていたので、僕は彼女の誘いに乗ることにしました。

そして翌日、僕の車でドライブをすることになりました。

ある海辺のレストランで一緒にディナーをしましたが、その時に僕が言いました。

「今日君と会ったのは、デートとかが目的ではなくて、実は、神様から啓示があって、君を助けなさいと言われたからだよ。ばかみたいに思うかもしれないけれど、僕はクリスチャンなので、神様の声が聞こえるから、これは真剣な話だよ。それで一体どうしたの?そんなに深刻な問題があるのなら、何でも気軽に僕に話して欲しい。」

僕が最初にこのことを話すと、彼女は涙をぼろぼろ流して言いました。

「実は、毎日苦しくて誰にも相談出来なくて、いつも死ぬことばかり考えているの・・・」

彼女は、最初で僕が自分のことを打ち明けたので、信頼して全てを打ち明けてくれました。

彼女の悩みを簡潔に言うと、こう言う事でした。

彼女は実家の家業をしていて、仕事内容は、毎日夜中に起きて、大きなトラックに荷物を山積みして乗せて、それを店舗で販売すると言うことでした。

その中で問題なのが、彼女のお付き合いしている男性の件でした。
水商売をしているときに出会った男性で、元々は暴力団員。

しかし、お付き合いをしてからは彼女の運転手をしていました。

ところが、毎日仕事前にお酒を飲もので、運転もできない状態で、更に重たい荷物を彼女一人でトラックに載せていて、彼はそばで熟睡しているだけなので、体も心も疲れ果て、長年の無理がたたり、子宮内膜症で出血も止まらないし、どんなに苦しくても家族にも相談出来なくて、うつ状態になってしまいました。

また、そのための解決法がないのでいっそのこと死んでしまいたいと言う極限状態でした。

そして、更にこう言いました。

「あなたが、中学の時にもっと私に優しくしていてくれたら、人生はもっといいものに変わっていたかも知れない・・・」

僕は、この言葉を聞いて心が痛くなりました。

実は、彼女とは小学校からの同級生で、更に家も近所なので、よくみんなで遊んだりしていました。

そして彼女の初恋の相手は僕でした。
中学にあがると、そのことがうわさになり、みんなが僕を冷やかしました。
思春期の僕は、それが嫌でたまらずに、彼女を逆恨みして徹底的に無視して、影で悪口ばかりを言っていました。

しかも中学の3年間ずっとです。
廊下で会うと、僕は彼女を避けて反対方向にいつも歩いていました。

露骨にみんなが分るように、そう言うひどい態度を3年間も続けてしまいました。

ほんとは、彼女のことを嫌いではないのに、僕は赤面症なので、みんなが冷やかすのが耐え切れませんでした。

しかし、修学旅行のときに夜遅く、誰もいないときに船の中で彼女とばったり出くわしてしまいました

僕は二人きりだったので、どきどきしながらも声をかけました。
簡単なあいさつだけでしたが、ほんとは意地悪なことをして心が苦しかったので、そのときはお互い、にこやかに少しでも会話が出来たので、僕は嬉しかったのを覚えていますが、話をしたのはその時1度限りでした。

そう言う背景があっての再会でしたし、だからこそ僕は、彼女に対してすまないと思いました。

そして、それだけではありませんでした。

実は、夜のお仕事をしている時に、僕の職場の同僚が数名、彼女との結婚を目当てに毎晩のように会いに来ていたらしいのですが、僕をぜひお店に連れてきて欲しいと毎回お願いしたそうです。

しかし、僕は仕事が忙しくて全然来てくれないと言う事でした。
でも、僕はそんな話は一度も聞いたことがありませんでした。

その後、彼女はとても落ち込んだそうです。
そしてその頃に、この例の男性と出会って、寂しさを埋めるためにお付き合いしたと言うことでした。

僕はなお更、彼女に対して心が痛くなり、その場で今までのことを謝り、そのことを許してもらいました。

そうすると、彼女はとても癒されて満足していました。

しかし、現実的な問題は残されたままです。

そこで、僕は言いました。

「じゃあ、僕はこれから君の事を命がけで助けるので、心配しないでいいからもう、死にたいなんて考えないでね。」

彼女は、うなずいて涙を流して喜んでくれました。

そしてその後は、夜通しいろんなお話をして、夜が明ける前に彼女を帰してあげました。

それから結婚前提でちょうど1年お付き合いをして僕らは結婚しました。

実はその1年も波乱万丈でした。

それと、結婚前に彼女と話をしていると、何度も同じ幻を見ました。

それは、新約聖書の使徒行伝に出てくる、殉教者ステパノのシーンとよく似ていました。

ステパノは12使徒ではありませんが、使徒達の給仕役でした。
しかし、ステパノは恵みと力とに満ちて、民衆の中で、めざましい奇跡としるしとを行っていました。

更に、イエス様とまったく同じ経験をして殉教しています。
つまり、正しい神の言葉を述べて、更に癒しや奇跡や不思議を大胆に行い、イエス様と同じく不当な裁判にかけられて、それでも神の言葉を大胆に語り、石で撃ち殺されましたが、イエス様と同じで彼らの為にとりなしをしました。

では、彼が殉教するシーンだけ紹介します。

使徒行伝第7章54節~60節

人々はこれを聞いて、心の底から激しく怒り、ステパノにむかって、歯ぎしりをした。

しかし、彼は聖霊に満たされて、天を見つめていると、神の栄光が現れ、イエスが神の右に立っておられるのが見えた。

そこで、彼は「ああ、天が開けて、人の子が神の右に立っておいでになるのが見える」と言った。

人々は大声で叫びながら、耳をおおい、ステパノを目がけて、いっせいに殺到し、彼を市外に引き出して、石で打った。

これに立ち合った人たちは、自分の上着を脱いで、サウロという若者の足もとに置いた。

こうして、彼らがステパノに石を投げつけている間、ステパノは祈りつづけて言った、「主イエスよ、わたしの霊をお受け下さい」。

そして、ひざまずいて、大声で叫んだ、「主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせないで下さい」。こう言って、彼は眠りについた。

以上ですが、ステパノは僕がイエス様の弟子達の中で一番尊敬している人物でした。

そのステパノと同じシーンの幻を数回見ました。

僕が、彼女の家族にかこまれて罵倒され、石で撃ち殺されているシーンでした。
このリアルな映像が結婚の直前に何度もはっきり見えました。

そして、それが現実なものになりました。

不当な裁判を受け、迫害に遭い、挙句の果てに無残に殺されてしまったのと同じでした。

それに関連してのことなのですが、僕は仕事中にいつも一人の時間を持ち、祈っていました。

あるときの事ですが何と、僕が自分の意識しない言葉で勝手に祈りだしました。

簡単に言うとこう言う事です。

「イエス様、僕はこれから自分に降りかかる、多くの災難を感謝して受け入れます。」

僕は、この言葉が自分の口から出たときに、びっくりしました。

なぜなら、自分の結婚や将来についての祝福を祈っていたからです。

ですから、自分の口から勝手に全く正反対な言葉が出てきたので、驚いてしまいました。

ステパノと同じ内容の数回にわたる幻といい、結婚生活はかなりの苦難があることを覚悟していましたが、それでも僕は彼女を愛しぬこうと決めていました。

しかし、そんな僕の思いを簡単に完全に打ち砕くことが起こりました。

ある時、僕が一人でコーヒーを飲んでいた時の事です。
突然聖霊様が言いました。

「あなたは預言者ホセアの体験をしなさい」

実は、僕は偶然ですが、ホセア書だけはなぜか読んだことがありませんでした。
あんなに聖書を読んでいるのに自分でも不思議です。

教会に行って7年も経つのに、なぜだか、そこだけは読まないで、その日までいたのでした。

僕は、一体どういう体験なのだろうかと思いながら、かなり期待をして聖書を開けてみました。

なぜなら、預言者の体験なので、神様の栄光が現れる特別な素晴らしい働きだと知っていたからです

しかし、僕は最初の数行を読んだだけで、一気に血の気が引き、失意と絶望のどん底に突き落とされてしまいました。

ホセア書第1章1節~11節

ユダヤの王ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの世、イスラエルの王ヨアシの子ヤラベアムの世に、ベエリの子ホセアに臨んだ主の言葉。

主が最初ホセアによって語られた時、主はホセアに言われた、「行って、淫行の妻と、淫行によって生れた子らを受けいれよ。この国は主にそむいて、はなはだしい淫行をなしているからである」。

そこで彼は行ってデブライムの娘ゴメルをめとった。彼女はみごもって男の子を産んだ。

主はまた彼に言われた、「あなたはその子の名をエズレルと名づけよ。しばらくしてわたしはエズレルの血のためにエヒウの家を罰し、イスラエルの家の国を滅ぼすからである。

その日、わたしはエズレルの谷でイスラエルの弓を折る」と。

ゴメルはまたみごもって女の子を産んだ。主はホセアに言われた、「あなたはその名をロルハマと名づけよ。わたしはもはやイスラエルの家をあわれまず、決してこれをゆるさないからである。

しかし、わたしはユダの家をあわれみ、その神、主によってこれを救う。わたしは弓、つるぎ、戦争、馬および騎兵によって救うのではない」と。

ゴメルはロルハマを乳離れさせたとき、またみごもって男の子を産んだ。

主は言われた、「その子の名をロアンミと名づけよ。あなたがたは、わたしの民ではなく、わたしは、あなたがたの神ではないからである」。

しかしイスラエルの人々の数は海の砂のように量ることも、数えることもできないほどになって、さきに彼らが「あなたがたは、わたしの民ではない」と言われたその所で、「あなたがたは生ける神の子である」と言われるようになる。

そしてユダの人々とイスラエルの人々は共に集まり、ひとりの長を立てて、その地からのぼって来る。エズレルの日は大いなるものとなる。

以上ですが、僕はこのホセア書を数行読んで、泣きながらイエス様にお願いをしました。

「イエス様、どうかお願いします。僕には無理な体験です。僕は死ねと言われれば、それさえ受け入れますが、この体験だけは止めて下さい。絶対に無理です。どうか助けてください。」

しかし、イエス様は何も答えてくれませんでした。

僕は、仕方がないのでホセア書全体を一気に読みました。

そして、結果的に神様の深い愛を知ることが出来ました。
ホセアの体験が無ければ、人間が神様の愛の深みや激しさを知ることは、不可能だと言うことがよく理解できました。

そして、その神様の深くて激しい愛を知るために、僕はそのことを受け入れるしかありませんでした。

そして僕は静かに祈りました。

「ただただ、あなたのみこころが行われますように・・・あなたの深くて激しい愛を知ることが出来ますように・・そしてイエス様だけが栄光を受けますように・・・イエス様の名前によりお祈りします。アーメン。」

僕はそれ以上の祈りの言葉が出ませんでした。

僕は、結婚前にこの啓示を受けましたが、それを受け入れました。

その後、僕は結婚をするにあたり、彼女に条件を付けました。

「もし、この条件を守れないのなら、結婚は到底無理なので、必ず守るように」とお願いしました。

それは、「今は仕事はしない」と言う事と、「今は家族との縁を切る」と言う事と、「教会には毎週行く」と言う事です。

そして僕は、彼女に対して最低でも体を1年以上は休めて、体も治して丈夫な赤ちゃんをちゃんと産める体になる為に、仕事を今すぐ辞めてとお願いしましたが、誰も彼女の為に仕事を代わってくれる人はいませんでした。

職場の人間は皆、家族や兄弟であるにもかかわらず、誰も彼女の体の事には気を使わず、更に、酒を飲んで遊んでばかりいる元カレの事で死にたいくらいに悩んでいる彼女の苦しさを誰一人、知ろうとはしませんでしたし、そればかりか、誰も元カレに文句を言う人もいませんでした。

又、彼女が仕事を辞めると、他の誰かが嫌な仕事を代わりにやらないといけなくなるので、その理由だけで僕はみんなに嫌われていました。

つまり、誰一人僕が彼女と付き合うのを喜んではいませんでした。

逆に、彼女の元彼が仕事を辞めたり、彼女と別れることなどが、会社や自分らにとっては不利益だと考えているくらいの、何とも言えない凄い家族でした。

仕方が無いのでしばらくは、僕がタダ働きでずっと彼女の仕事を手伝っていました。
そして、結婚前には仕事を辞めてもらいました。

しかし、妻は結婚後、たったの2週間で僕に一言も相談せずに勝手に仕事を始めてしまったのでした。

僕は、そのことについてかなりショックを受け、ほんとに裏切られたと言う気持ちでいっぱいでした。

あれだけ苦しんでも元カノよりも妻を選んで結婚したのに、簡単に僕との約束を破って家族を選んでしまったのでした。

妻は、「たった2週間だけお願いと言う事だったので、それならいいと思って引き受けた。」・・・と言う事でしたが、僕は家族を全く信用していませんでした。

しかし、それよりも妻が僕の事を全く無視して、結婚についての約束を破ってしまったと言う事が何よりも衝撃的でした。

結果的に僕の願いに反して、それからも妻は仕事をしていましたが、元彼と仕事をさせるのが嫌だったので僕が代わりに仕事を手伝いました。

僕自身も仕事を別にしていたし、更に妻の父親の会社の子会社も設立して事業を行っていたので、その中で夜中から朝までハードな肉体労働を手伝うと言うのは、まさに殺人的な仕事量でした。

あまりにも仕事が忙しいので、お互いに時間的なすれ違いが多く、結婚をしてからの2週間以外は一緒に食事も出来ず、一緒にお風呂も入れず、一緒に寝ることも出来ませんでした。

しかも、仕事を3つもこなしていたので、ほとんど妻の実家の会社で寝泊りをしている状態でした。

家に戻るのはお風呂に入る時くらいでしたが、その時でも妻はいつも家族と食事をしたり、遊びに行ったりして、僕と時間を共にする事は全くありませんでした。

更に、こんな状態でも仕事とは言え、妻は元彼と二人きりで車に乗って家に帰ってくることがありました

僕は何よりそれが耐え切れなくてずいぶん苦しみました。

「僕は、一体何のために妻と結婚したんだろう?二人が少しでも長い時間一緒にいたいから誰でも結婚するのではないのか?だとしたら自分の結婚生活は何て悲しい結婚生活なんだろう?」

いつも、そんな事を考えながら、毎日忙しい日々を過ごしていました。
こんな事が結婚してから3年も続きました。

ちょうど、そのころ僕の体はあまりの過労のために、極限状態にまで来ていました。

僕は、ほんとは早く二人とも健康になって、そのあとにかわいい赤ちゃんも欲しくてたまりませんでした。

それは、毎日その為に苦しくて惨めな思いをしていたからです。

例えば、妻の妹夫婦が出来ちゃった結婚をした時のお祝いの席で、家族や親戚に「何でお前たちは結婚して3年にもなるのに子供が出来ないんだ?もし作りかたが分からないのだったら、妹夫婦に習ったらいいんじゃないのか!?」

と言われて、皆、大爆笑でしたが、僕はただ下をうつむいて涙を必死にこらえているだけでした。

そして、妻の実家で飼っている牛の去勢手術の手伝いをしている時にも、「お前も全く何の役にも立たないから、牛と一緒に去勢をしたほうがいいんじゃないのか?」と、親兄弟に言われ、みんなに腹を抱えて笑われてしまいました。

僕は、妻に最初で約束したとおりに、彼女が仕事を辞めて体調を整えてからしか子供を作ろうとは考えていなかったので、悔しいけれど将来の元気な赤ちゃんの為に、どんな屈辱にも耐えていました。

しかし、肝心の妻がどうしても仕事も辞めずに、僕よりも家族の方を大切にするので、いつまでも苦しく惨めな日が続きました。

それからしばらくたったある日、僕は原因不明の腹痛と共に高熱を出して苦しんでいました。

熱は40度近くにもなっていましたが、それでも妻が看病をしてくれるわけではありませんでした。

それどころか、「今日は年末だから家族と忘年会があるので、付き合いでもあるし行ってくるね。」・・・と、言われてしまいました。

僕は、高熱を出しながらも、さすがにその言葉にぶち切れてしまいました。

「何で自分の夫が死にそうな思いで苦しんでいるのに、又家族を選ぶの?しかも今日は年越しなのに自分はまたいつものように一人でいるしかないわけ?それなら自分は家の鍵を閉めるよ!それでもいいなら行けばいいよ!」・・・と、言いましたが、妻は「なるべく早く帰ってくるから・・・」と言って、僕を残して行ってしまいました。

僕は結婚して3年間もこんな事が続いていたので、もう何もかもが嫌になっていました。
そして、深夜零時を過ぎても妻が帰らなかったので、怒ってドアの内鍵をかけてしまいました。

それから、何時間かして妻は帰ってきましたが、僕は高熱のせいで声も出ないし、全く動く事も出来ませんでした。

ましてや自分の事を捨てていった妻の為に、もはや起き上がる気力もありませんでした。
僕はそのまま気を失うようにして寝てしまいましたが、翌日の午後に妻は帰ってきました。

そして、妻は帰ってくるなり、泣きながらこう言いました。「何でドアのロックをかけたの?何で何度開けてとお願いしても開けてくれなかったの?」

僕は、「何を泣いてるんだこいつは?」と思いながら、「何でって、そんなに行きたいのなら鍵をかけるからと最初で言ってあったし、その前にあまりにもきつくて声も出ないし、動く事も出来ない状態だったから仕方が無いよ。」と言いました。

そして、「泣きたいのはこっちのほうだよ」と心の中で怒っていました。

しかし、妻はそれでも泣き続けていたので僕は何かおかしいと思い、「どうしたの?何か悲しい事でもあったの?」と、聞きました。

そうすると、妻は泣きながら答えました。

「実は、あなたに鍵を閉められたから、仕方なく妹の家に泊めてもらいに行ったのだけど、朝になったら妹は出かけていて・・・そしたら妹の旦那が突然私に抱きかかってきて・・・そして、前からお前の事が好きだったとか言われて・・・・
それに、このことを内緒にしないと妹と別れてしまうから誰にも言わないようにと言われたの・・・」

僕は、妻の言葉を聞いて、とても怒りを感じ、すぐに妹夫婦の家に行こうとしました。

しかし、僕は妻の言葉で行くのを止めてしまいました。

「私のせいで妹が離婚をしたらかわいそうだから、絶対に行かないで!お願いだから何も無かった事にして!」

僕は、妻の口から全く想像もしなかった言葉を聞いてしまい、とても心が苦しいうえに無気力になり、激しい怒りも一瞬にして消え、僕の心はただのむなしさと、深い悲しみとに変ってしまいました。

しかし、この後更に、苦しくて悲しい出来事が突然の津波のように立て続けに起こるとは全く想像もしていませんでした。

その後も、殺人的なスケジュールの中で、仕事をこなしていましたが、それから2ヶ月たったある日に又、過労で2日ほど高熱を出してしまいました。

しかも、お腹の痛みが尋常ではありません。
僕は一人で病院へ行き、診察の前に妻に電話をしました。

「実は、ある遠くの病院の駐車場で今激しい腹痛と高熱で死にそうになっているのだけど、もし今まで通りの結婚生活を送るつもりなら、自分はこのまま死んでもそれでいいと思っている。だけどもし、君が僕の事を、家族よりも大切に思って、毎日ご飯も一緒に食べたり、普通の夫婦のように愛し合ってくれるんだったら、診察をうけて治してもらおうと考えているのだけど、君はどっちがいいの?」

僕がこのように真剣に尋ねると、

「ごめんなさい。自分が今まであなたに対して悪い事をしていたので、それは心から謝るし、これからは反省して、良い妻になるから、だから病院でちゃんと診て貰って、お願いだから死んでもいいとか言わないで・・・」

と、妻は泣きながら言いました。

「じゃあ、君が今すぐ来てくれるのなら、自分は診察を受けるから、どうか気を失わないうちに気をつけてこっちに来てね。」

僕は、そう言って高熱と激痛の中、妻をひたすら待っていました。
その後、妻がやって来たので一緒に病院へ入り診察を受けました。

その結果、緊急入院となりましたが、大きな総合病院であるにも関わらず、全く原因が分かりませんでした。

各専門の検査師や医者が体中を調べましたが、レントゲンを写しても僕の内臓は、影が出ていて全く内臓の状況が分からなかったそうです。

もっと言えば、内臓が全く写っていなかったので、「あなたは宇宙人なの?」と先生方に言われてしまいました。

1週間以上も40度近い高熱が続き、お腹の激痛もピークに達していたのですが、原因が分からない為に、薬の投与も無く、一切の治療行為も行われませんでした。

連日の高熱と、あまりの激痛の為に何度も気を失ってしまいましたが、僕のそんな姿を見るたびに妻は、心が締め付けられ、自責の念に駆られ、自宅に帰ってからいつも泣いていたそうです。

そんなある日の夜遅くに、このままでは危険だと言う事なので、緊急手術を行うと言う事になりました。

手術の説明の時に、執刀医の院長先生が僕に言いました。

「あなたは、このままだと確実に死ぬでしょう。でも、原因はまだ分かりませんが、手術を今すぐ行えば助かるかもしれません。しかし、無事成功出来たとしても、一生子供は作れないと思いますので、それは覚悟していて下さいね。それでは、手術の前にぜひ家族を呼んでいて下さい。」

僕は最初から、「もう死んでもいい」と思っていたので、それは仕方がないと、死を受け入れていましたが、このままでは心を入れ替えてくれた妻がかわいそうです。

それで僕は、妻に電話をしました。

「もしもし?実はこれから緊急手術に入るけど、もしかしたら手術しても死ぬかもしれないし、成功しても子供は作れないと言われた。それと、家族を呼べと言われたけど、僕は誰にも会いたくないし、君ひとりだけがいれば、自分はそれで十分なので、ここに来て欲しい。」

電話を切った後、僕は死を覚悟しました。

しかし、そのとき突然、聖霊様から、ある、み言葉を頂きました。

コリント人への第一の手紙第15章55節

「死は勝利にのまれてしまった。
死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。
死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」。

何とこの聖書の言葉が目の前に浮かんでいました。

僕は、聖霊様に感謝して平安を得ました。

そして、しばらくして手術は行われましたが、部分麻酔だったので、その一部始終を僕は覚えています。

まずは麻酔を打って、お腹を切開しました。
そして、しばらくの沈黙の後、看護婦が一言。
「先生。これは一体なんですか?」
そして、医者の言葉。
「う~ん。これはちょっと分かりません。」

この医者の言葉を聞いて僕は「確実に今日で自分は死ぬな」と思いました。


それから数秒間、沈黙が続いた後、
「誰か、急いでカメラ、カメラを持ってきて下さい。」

医者がそう叫ぶと、突然手術室が慌しくなり、ドタバタと看護婦達が走り回っていました。


僕は、「もしかしたらお腹からエイリアンでも出てきたのかな?」と考えてしまいましたが、誰よりも落ち着いていたので、

「先生。落ち着いて下さい。僕は大丈夫ですが、一体何があったんですか?」と言いました。

そうすると、医者は言いました。
「医学的にとても珍しいので、学会に発表したいと思いますから、写真を撮ってもよろしいですか?」

僕は「何だそんな事か」と思い、「いいですよ。ではその代わりに、僕がVサインしているところも一緒に写して下さいね。」といった後、「これで僕は助かる!」と、なぜか確信していました。

何枚も写真撮影をしていましたが、その後、無事手術は成功しました。

しかし手術後は更に、地獄の苦しみが待っていました。
麻酔がすぐに切れて、更に痛み止めも睡眠薬も全く効果が無く、お腹の激痛の為に、1週間も眠れませんでした。

その痛みを表現すると、お腹の上にガソリンをかけて24時間燃やしているような感じの痛みでした。

それが連日続き、1時間以上も連続して眠る事が出来ませんでした。

究極の痛みと、睡眠不足で気が狂いそうでしたが、手術から10日ほどたったある日、久しぶりにぐっすり眠る事が出来ました。

起きた後、妻に電話でそのことを報告すると、泣きながら喜んでくれました。

僕は、とても狂しい体験をしましたが、妻の心を取り戻す事が出来たので、とても満足していました。

そして、地獄の永遠の火で焼かれ続ける苦しみとは、こういう事なのだと、体験して分りました。地獄は絶対に誰も行くべきところではないと理解できました。

そして、そんなある日、妻が病院で僕に言いました。

「実は、ずっと生理が無かったから、思い切って今日産婦人科に行ってみたら、妊娠2ヶ月と言われたんだけど・・・いつのまに妊娠したのかな?

僕は「本当?良かったね。」と、言いましたが、良く考えてみると、確かに妻の言うとおりだと思い「いつのまに妊娠したのかな?」と、僕も深く考え込んでしまいました。

なぜなら、仕事がハードすぎてほとんど自宅にも戻らず、一緒に寝ることもありませんでした。

でも、2ヶ月前には今回と同じように高熱を出して自宅で寝込んでいましたが、その時に妻は、妹の旦那に襲われてしまいました。

しかも、「その事は何も無かった事にして」と言う事だったので、僕はとても狂しいながらも今でも誰にも言わずに、その事で妻を責める事もありませんでした。

「・・・とすれば、一体この子は・・・。」
僕はあまりの受け入れがたい事実に、衝撃を受けてしまいました。

医者からは「例え手術が成功しても、子供は作れない」と言われました。
それならば、今回子供が出来た事は何よりも喜ぶべき事です。

しかし、お互いに何の覚えもないのなら、本来は最も嬉しい事が、最も受け入れがたい事実となります。

僕は、地獄のような肉体的苦しみの後、更にその痛み以上の精神的苦痛を味わう事になってしまいました。

「一体どうすればいいのだろう。」

僕は、ひとり悩んでしまいましたが、預言者ホセアのことを思い出しました。
そして、心の中で言いました。

「ああ、神様はこういう事を通して神様の深い激しい愛を僕に教えたいんだ。」

そして、その子を心から祝福し、生涯心から愛していこうと決心しました。

1ヶ月後には無事退院して自宅へ戻りましたが、まだ痛みがあったので、僕は仕事がほとんど出来ないような状態になっていました。

仕方がないので、肉体労働をしなくてもいいようなセールス業を選び、子供が生まれるまでに収入を稼げるようにしました。

子供に対しては、お腹にいる時から子守唄を歌ってあげたり、話しかけたり、音楽を聴かせてあげたりして、毎日コミュニケーションをとりました。

やがて子供が誕生し、妻の家族がお祝いにやってきました。
僕は、心の内側ではただ苦しいばかりでしたが、愛しい子供の為に我慢していました。

しかし、あまりにも妹夫婦のやり方が僕の人格を傷つける事ばかりなので、それからの娘の誕生日には一度も家にいる事はありませんでした。

娘の誕生日の日には、夜明けごろまで一人で海沿いをドライブし、ただただ悔しくて悲しくて泣いてばかりいました。

そんなある日、仕事場に僕の元カノの一番の親友が来ていました。

そして、僕に突然こう言いました。

「お願いだから彼女のところに戻ってあげて。彼女を見ていてあまりにもかわいそうだよ。いつもあなたのことばかり考えて泣いているし、あなたが彼女を愛していないなんて、絶対に考えられない。結婚したのも何か仕方のない理由があるからなのでしょ?ほんとは奥さんよりも彼女のことを愛しているんでしょ?どっちにしても今のあなたが幸せとは絶対に思えない。だから今からでも考え直して!」

僕は、彼女が言っている事は全く図星だし、元カノの事を考えると、とても心が痛みましたが、「もう、子供もいるし今更そんな事を言われても、悪いけど僕にはどうする事も出来ないよ。だから彼女にはごめんと言っておいて。」と言って、その親友を帰しました。

その後、娘も2歳になったので保育園に預ける事にしたのですが、そんなある日保育園で元カノの別の同級生に会いました。

そして僕は彼女から衝撃的な事を聞いてしまいました。

「久しぶりだね。実は、あなたの元カノの事で今噂があるのを知ってる?
あなたと別れてからは、かなり落ち込んでいたみたいだし、彼女をこの1年誰も見かけないし・・・彼女はきっと自殺したんだよと今、物凄い噂だよ。」

僕は、彼女からこの話を聞いて愕然としました。

「どうしよう、彼女が自殺したなんて・・・。
もしそうならそれは間違いなく自分のせいだ。
彼女だけには幸せになって欲しかったのに。」

僕は言葉では言い表せないほど心が痛み、胸が引き裂かれそうになりました。

あまりにも苦しくて仕事も手につかないので、妻に電話をして、元カノの事と同時に、自分の気持ちを打ち明けました。

そして、妻が彼女の自宅に電話をして、その事実を確認すると言う事になりました。
その結果、お母さんが電話を取り、「娘は今、出かけています。」と言う事で、彼女が生きていると言う事が分かりました。

それを聞いて僕はほんとに安心しました。
しかし、以前から彼女が毎日苦しんでいると言う事も、彼女の親友から聞いていたので、自殺をするとか、そんな噂が立つほどに苦しめていたのだと言う事が、更に分かり、毎日苦しくて仕方がありませんでした。

それからしばらくして、僕は妻との生活がいよいよ息苦しくなっていきました。

なぜなら、子供が生まれてしまうと、結局、僕との約束を忘れ、僕の事をないがしろにする生活となってしまったからです。

それに、いつも妹夫婦が家を出入りするので、それが一番苦しくて我慢が出来ませんでした。

その為に毎日仕事ばかりして、家に帰るのは夜中や明け方になっていました。

又、子供が生まれてからはいつも二人の間で寝かせていたし、時間も気持ちもいつもすれ違っていて、夫婦関係なんてありませんでした。

それに、いつも妻が、僕の仕事の邪魔をしたり、縛り付けたりするので、ほんとに何もかも嫌になっていきました。

しかし、ある日妻が意外なことを打ち明けてくれました。

「私が、あなたにわざと意地悪したり嫌な目に合わせたりするのは、あなたのことが嫌いだからじゃなくて、ほんとはもっと私のことを誰よりも心から愛して欲しいからなんだよ。それに毎日私の事を愛して欲しいし、いつでも私の事を大事にして欲しい。」

僕はこの言葉を聞いて、びっくりしたのと同時に「何だそんな理由だったのか」と言う事が分かり、妻の事が愛おしく思えるようになりました。

それから、二人は結婚した頃のように愛し合うことが出来ました。
そしてその頃愛し合った結果、二人目の娘が与えられました。

しかし、妻との愛を取り戻した瞬間から、逆に妹の旦那に対する怒りや、妹の全くプライバシーの無い態度に怒りを感じてしまい、家にいるのが以前よりも苦しくなりました。

更に、二人目の子供を身ごもってからは、姉妹のところに入りびたりで、食事も一緒に摂らないし、僕が食事を用意しても、いつも家族と外食に行ったりしていたので、僕は毎日一生懸命作った食事をゴミ箱に捨てていました。

僕は、朝早くから毎日夜中や明け方まで働いていましたが、自営業なので時間を自由に使うことは、ある程度可能でした。

しかし、家に帰ってもいつも誰もいないし、正月休みやお盆休みの時でも妻は、子供を連れて家族と休暇を過ごすので、僕は結婚をして子供がいても、まるでさびしい独身者のようでした。

又、それ以外にも妻のヒステリックや、暴力行為にはとても悩まされていました。
娘はそれをみていつもお父さんを助けようと一生懸命でしたが、いつも母親に突き飛ばされ、更に目の前で僕の事を棒やヌンチャクなどで叩きました。

妻は気に入らない事があるといつでも暴力や暴言を吐くようになっていきました。

それで僕は、あまりにも結婚生活に虚しさを感じてしまい、どこか遠いところで一人で暮らそうと考えました。

娘達と別れるのはとてもつらいことではありましたが、教育上悪いし、もう自分にとっては限界でした。

毎日娘を保育園に送った後は、ひとりでリゾートホテルや海辺へ行き、食事をしながらどうやって出て行こうかと計画を立てていました。

それで、とにかく県外に行こうと決めました。

自分は今の生活から離れて、県外で自分のやりたい事が出来ると思いました。

しかし、その後、この計画が妻にばれてしまったので、全ての計画がだめになってしまいました。

僕は半年以上も、家で監禁に近い状況を強いられ、子供の保育園の送迎以外は仕事も一切しないようにと言われてしまいました。

結果的に次女が生まれたすぐあとに、彼女は子供たちを残してどこかに出て行ってしまいました。

僕は、二人の子供を連れて自分の実家で暮らすようになりましたが、


いつのまにか自分の家の持ち物は、全て持ち去られ、僕の私物や子供たちのアルバムやおもちゃなどはその兄弟たちにより、全てごみに出されていました。

そして、その年のクリスマス・イブの日に妻が僕の実家に突然押しかけ、何の断りも無く次女を連れて行ってしまいました。

長女は一緒に連れ歩いてたので、大丈夫でしたが僕は1週間ほど次女の事を想って涙を流し続け、仕事も全く手につきませんでした。

僕は、突然自分の長女以外の全てのものを、失ってしまいました。

まるで、旧約聖書のヨブの体験のようでした。
僕はあまりに苦しくて、イエス様に言いました。

「イエス様、僕はあなたを自分の救い主として信じて来ましたが、あまりにも今の状態は残酷です。僕は救われているのですか?それとも呪われているのですか?もし、救われているのなら今すぐ、その証拠を見せて下さい!」

僕はあまりにも状況が受け入れきれなくて、今すぐ証拠を見せてくれと、無理なお願いをしました。

ところがすぐに、イエス様が言いました。

「私は2,000年前にあなたの為に十字架にかかり、死んで生き返りました。これがあなたに対する救いの証拠です。」

僕は、この言葉を聞いて、イエス様に悔い改めて感謝を捧げました。
これもイエス様の偉大な計画に違いないと分りました。

そして、それから3年ほどは長女と二人で暮らしていましたが、次女のことを考えるととてもかわいそうになってしまい、さらに娘を手放しなさいという啓示を頂いたので、長女を母親に預ける事にしました。

長女はお父さん子なので、「お父さんとは絶対に離れたくない」と言いましたが、「妹がかわいそうだし、お母さんも一緒に暮らしたいはずだから、お母さんたちと一緒に暮らしてね。」と言いました。

娘は、「でもお父さんがひとりぼっちでさびしくなるから嫌だよ。」と言いましたが、「お父さんは男だし、お母さんよりも強いから大丈夫だよ。それにいつか必ずお母さんと仲直りするからその時まで我慢して待っていてね。」と、約束をして妻に預けました。

しかし、実際はしばらくしてから強制的に離婚をされてしまいました。

一体、自分の人生や結婚は何だったのだろうと思ってしまいましたが、今では自分自身に相手を徹底的に愛しぬく力が無かった結果だと思っています。

それと、結婚前から、そう言う啓示も与えられていて、そのことも、最初から受け入れていました。
このことは、人間的には絶対に、理解不可能で、受け入れがたいことです。
しかし、僕は、ホセアの体験を通して、神様の深くて激しい愛を知りました。
究極の痛みを通してしか知ることの出来ない、神様の愛を体験しました。
これは、体験してみないと分らない愛です。
この、ゆるしの愛があれば、誰も人を憎まないし、離婚なんてありえません。僕は、誰にもこの体験を明かしていませんが、痛みを通して神様の愛を知る事が出来た事を感謝します。

全ての栄光が主イエス・キリストにありますように・・・
アーメン

追伸 1

妹の旦那に対しての事ですが、ある時、僕があまりにも苦しくて祈っていました。
すると、聖霊様は僕に幻を見せてくれました。

そこは世の終わりに開かれる裁判の席でした。

なんと僕は、イエス様のそばに座り裁きを行っていました。

するとそこに、例の婿兄弟の弟が出てきました。
そして彼に、裁きが宣告されました。

僕は、彼が絶望に浸っているのを見て、イエス様に言いました。

「イエス様、彼は僕の弟でした。彼は罪を悔いていますし、僕も彼を赦しています。なので、彼の罪を赦してあげてください。」

そうすると、イエス様は彼の罪を赦してくれました。

僕は、幻の中で彼を赦すことが出来ました。

自分の罪を赦されたからこそ僕も誰かの罪を赦すことが出来ます。
それから僕は心の痛みが消えて完全に彼を赦すことが出来ました。
偉大なイエス様に栄光をお返しします。
アーメン!
 
追伸 2
 
この記事を書いたのは、東日本大震災(2011/3/11)のあった翌年の夏のことですが、更にその4年後の2016年の1月ごろに、SNSで娘二人の写真を発見しました。
長女は僕の若いころによく似ていて、次女は母親の若いころにそっくりでした。
また、長女の他の写真を見てみると、僕の母の若いころにもよく似ていました。
実はそれらを見てとても驚きました。
なぜなら、自分と元妻の間で生まれた子ではないと信じていたからです。
夫婦とも、覚えがなかったし、その頃はほとんど職場で寝泊まりしていて夫婦関係もなかったからでした。
更に、婿兄弟との事件もあったし、ほんとに不思議ではありますが、神様の計画で行われたことですし、結婚前に預言者ホセアの体験をしなさいと言われていたので、とても苦しくて悲しい出来事ではありましたが、娘のことを生涯愛しています。もちろん、次女のことも生涯愛しています。
 
ところで、アブラハムは神様に生け贄としてイサクの命を捧げなさいと言われてその通りイサクの命を奪おうとしたときに神様がそれを止めました。
理由は、アブラハムが独り子でさえも神様に対して捧げることが出来るか信仰を試した結果、アブラハムの信仰心を認めたからです。
それで、実際にはイサクを殺さなくて済みました。
そして、その代わりに子羊を神様が用意してくれました。
アブラハムは、たとえイサクを殺しても、神様が生き返らせてくれると信じていました。
神様はアブラハムの信仰を義と認めました。
 
それと同じように、今回神様が特別な計らいで、僕らの正真正銘の娘として神様が与えてくれたと今は信じています。
自分の実の子だとわかりましたが、たとえ自分の実の娘でなかったとしても当然ながら生涯娘として愛しています。
 
Keystoneより
 
 
 
 
証し(youtube
(※イエスを信じる人に神は現れます。)

癒し・奇跡
(※あなたが神の子の特権を行使すると全く同じことが起こります。)
天国と地獄
(※死後の世界が確実にある事を知って下さい。)
 
キリストの再臨
(※大艱難時代が目前なので、今すぐ神の国を目指して下さい。)
 
■賛美
 
■オンライン教会

No.23 エフライム(沖縄に関する啓示)( 1 / 1 )

鳥居→十字架.JPG

 

今回のお話は、とても不思議で神秘的なお話です。

ある時、突然聖霊様が僕に語りました。

「あなたはエフライムです。」

僕は聖霊様に唐突に、そう言われたので、驚きました。

「ええ?あなたはエフライム?エフライムって、もしかしてヨセフの次男のことかな?」

僕は、気になったので聖書を読んでみました。

聖書を読んでみると、エフライムとはやはりヨセフの次男のことでした。

このエフライムはこの世の終わりのときに、イスラエル部族の中で最も祝福される民族のことです。

しかも、この部族は歴史の中で消え去り、今は幻の部族となっています。

まさかこの幻の部族が僕と関係があると言うことでしょうか?

もし、そうならこれは歴史的な大事件になります。

ちなみに、聖霊様が僕に対して「あなた」と言う場合には、僕のことを教会に見立てたり、地域に見立てたり、国に見立てたりします。

つまり、「あなたはエフライムです。」と言う意味は、沖縄を指すものと思われます。


聖書の創世記に、エフライムのことが紹介されています。

創世記第41章50節~52節

ききんの年の来る前にヨセフにふたりの子が生れた。これらはオンの祭司ポテペラの娘アセナテが産んだのである。

ヨセフは長子の名をマナセと名づけて言った、「神がわたしにすべての苦難と父の家のすべての事を忘れさせられた」。

また次の子の名をエフライムと名づけて言った、「神がわたしを悩みの地で豊かにせられた」。

以上ですが、
エフライムの父ヨセフは少年の頃、兄たちの妬みをかい、エジプトに奴隷として売られましたが、獄中で王様の夢を解き明かし、エジプトの大臣にまでなりました。

そして、ユダヤ民族を飢饉から救い、エイジプトの地において二人の男の子を得ました。

その長男がマナセで、次男がエフライムです。

祖父であるヤコブことイスラエルが、マナセとエフライムを祝福するときの面白いエピソードがあります

実は、長男を祝福するときには、通常、右の手を頭に置いて祝福します。
しかし、イスラエルは長子の祝福をエフライムに授けました。

これは、イスラエル自身が兄エサウから長子の特権を獲得したのと同じです

創世記第48章8節~20節

ところで、イスラエルはヨセフの子らを見て言った、「これはだれですか」。

ヨセフは父に言った、「神がここでわたしにくださった子どもです」。
父は言った、「彼らをわたしの所に連れてきて、わたしに祝福させてください」。

イスラエルの目は老齢のゆえに、かすんで見えなかったが、ヨセフが彼らを父の所に近寄らせたので、父は彼らに口づけし、彼らを抱いた。

そしてイスラエルはヨセフに言った、「あなたの顔が見られようとは思わなかったのに、神はあなたの子らをもわたしに見させてくださった」。

そこでヨセフは彼らをヤコブのひざの間から取り出し、地に伏して拝した。

ヨセフはエフライムを右の手に取ってイスラエルの左の手に向かわせ、マナセを左の手に取ってイスラエルの右の手に向かわせ、ふたりを近寄らせた。

すると、イスラエルは右の手を伸べて弟エフライムの頭に置き、左の手をマナセの頭に置いた。マナセは長子であるが、ことさらそのように手を置いたのである。

そしてヨセフを祝福して言った、
「わが先祖アブラハムとイサクの仕えた神、
生れてからきょうまでわたしを養われた神、

すべての災からわたしをあがなわれたみ使よ、
この子供たちを祝福してください。
またわが名と先祖アブラハムとイサクの名とが、
彼らによって唱えられますように、
また彼らが地の上にふえひろがりますように」。

ヨセフは父が右の手をエフライムの頭に置いているのを見て不満に思い、父の手を取ってエフライムの頭からマナセの頭へ移そうとした。

そしてヨセフは父に言った、「父よ、そうではありません。こちらが長子です。その頭に右の手を置いてください」。

父は拒んで言った、「わかっている。子よ、わたしにはわかっている。彼もまた一つの民となり、また大いなる者となるであろう。しかし弟は彼よりも大いなる者となり、その子孫は多くの国民となるであろう」。
こうして彼はこの日、彼らを祝福して言った、
「あなたを指して、イスラエルは、
人を祝福して言うであろう、
『神があなたをエフライムのごとく、
またマナセのごとくにせられるように』」。
このように、彼はエフライムをマナセの先に立てた。

以上ですが、
更に、イスラエルはヨセフの子エフライムに対する祝福をしました。
他の11部族の祝福とは比べ物にならないほどの豊かな祝福を預言しました。

創世記第49章22節~26節

ヨセフは実を結ぶ若木、
泉のほとりの実を結ぶ若木。

その枝は、かきねを越えるであろう。

射る者は彼を激しく攻め、
彼を射、彼をいたく悩ました。

しかし彼の弓はなお強く、
彼の腕は素早い。
これはヤコブの全能者の手により、
イスラエルの岩なる牧者の名により、

あなたを助ける父の神により、
また上なる天の祝福、
下に横たわる淵の祝福、
乳ぶさと胎の祝福をもって、
あなたを恵まれる全能者による。

あなたの父の祝福は永遠の山の祝福にまさり、
永久の丘の賜物にまさる。
これらの祝福はヨセフのかしらに帰し、
その兄弟たちの君たる者の頭の頂に帰する。

以上ですが、聖霊様は、ある日突然、僕に対して「あなたはエフライムです。」と語ったのでした。

僕は、一体これはどう言う事なのだろうと、思い巡らしていると、更に聖霊様が言いました。

「あなたは、エイサーのことを調べなさい。そしてへブル語を調べなさい。」

僕は、この言葉を聞いて驚きました。

何で、沖縄のエイサーとヘブル語を調べる必要があるのだろう?
何か、不思議な感じがしましたが、僕の友人を通して、ヘブル語に詳しい牧師先生に翌日会うことにしました。

僕が、先生に自己紹介をしてお伺いした経緯をお話しました。
そうすると、牧師先生が言いました。

実は、昨日お祈りをしていたら、聖霊様からこう言う啓示がありました。
「明日、あなたに会いに来る青年がいますが、彼は私があなたのところへ導きました。
あなたに前もって示してある、封印されていた聖書の奥義を彼に伝えなさい。」

と言うことで、聖書に関する隠された秘密を特別に教えて頂きました。
これは、ヘブル語やイスラエルに詳しい先生に特別に神様が示された奥義的な聖書の解き明かしでした。
神学的なことをヘブル言語の正しい解釈で解き明かしてくれましたが、一般的な聖書理解とはまるで反対のことでした。
しかし、よく考えてみるとそれは神様の愛と真理にかなうものでした。

僕はその啓示の解き明かしを聞いて益々、聖書理解が深まりました。
そして感動して涙を流しながらお互いに抱き合い、神様を褒め称えました。


そして、その牧師先生に聖霊様からの言葉を伝えて、エイサーと、ヘブル語が何か関係しているのかを聞いてみました。

すると、驚きの返事がありました。

なんと、エイサーの掛け声はヘブル語なんだそうです。

まさかとは思いましたが、どんぴしゃでした。

沖縄の人たちは意味も分らないで、エイサーの掛け声を毎年叫んだり、聞いたりしていますが、実はこの掛け声こそヘブル語でした。

神様を褒め称える言葉だそうです。

この事実を知り僕は興奮しました。

それで、更にこのことを追求しようと思いました。
しかし、この事実は、隠されたことでした。

沖縄の風習や文化と、イスラエルの風習などが、かなり類似していることもすぐに判明しました。

その中から少しだけ紹介したいと思います。


沖縄伝説・・・男は肋骨が一本足りぬ

「イギガー、ソーキプニヌ、ティーチ、タラーン」

この方言は「男は肋骨が一本足りない」と言う意味ですが、沖縄ではたまにお年寄りが言う言葉です。

どんな時に使うかと言うと、夫がだらしなくてどうしようもないと嘆いている妻に対して慰めるためにお年寄りが使います。

つまり、「女よりも男は不完全なものだから少しぐらい浮気したり、仕事しないからと言って悩んでも仕方がないし、その分女性が苦労して頑張れば良い」等という意味です。

でもこれって沖縄の男性のイメージダウンになりますし、このように教えられた女性は凄く可哀想ですよね。

ちなみに聖書箇所はこちらです。

☆創世記2:21~2:25☆

そこで主なる神は人を深く眠らせ、眠った時に、そのあばら骨の一つを取って、その所を肉でふさがれた。

主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。

そのとき、人は言った。「これこそ、ついにわたしの骨の骨、わたしの肉の肉。男から取ったものだから、これを女と名づけよう。

それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。 人とその妻とは、ふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった。」

以上です。

でもなぜ沖縄に聖書の創世記の始めの記事が昔からあるのでしょうか?

不思議です。

更に、今日聞いた情報では、沖縄で子供を何かにくるみ川に浮かべる儀式があるそうです。
それは、「カームーシー」と言うものだそうです。

聖書を読んだことがある人ならもうわかりますよね?
あるいはモーセーの十戒と言う映画を見たならわかると思います。

つまり、「カームーシー」とは「川・モーセ」を混ぜた言葉です。

と言うことは、モーセが幼いころ川で流されたシーンと一致します。


出エジプト記第2章1節~10節


さて、レビの家のひとりの人が行ってレビの娘をめとった。
女はみごもって、男の子を産んだが、その麗しいのを見て、三月のあいだ隠していた。
しかし、もう隠しきれなくなったので、パピルスで編んだかごを取り、それにアスファルトと樹脂とを塗って、子をその中に入れ、これをナイル川の岸の葦の中においた。
その姉は、彼がどうされるかを知ろうと、遠く離れて立っていた。


ときにパロの娘が身を洗おうと、川に降りてきた。侍女たちは川べを歩いていたが、彼女は、葦の中にかごのあるのを見て、つかえめをやり、それを取ってこさせ、
あけて見ると子供がいた。見よ、幼な子は泣いていた。
彼女はかわいそうに思って言った、「これはヘブルびとの子供です」
そのとき幼な子の姉はパロの娘に言った、「わたしが行ってヘブルの女のうちから、あなたのために、この子に乳を飲ませるうばを呼んでまいりましょうか」。


パロの娘が「行ってきてください」と言うと、少女は行ってその子の母を呼んできた。
パロの娘は彼女に言った、「この子を連れて行って、わたしに代り、乳を飲ませてください。わたしはその報酬をさしあげます」。
女はその子を引き取って、これに乳を与えた。
その子が成長したので、彼女はこれをパロの娘のところに連れて行った。
そして彼はその子となった。
彼女はその名をモーセと名づけて言った、「水の中からわたしが引き出したからです」。

以上ですが、これもほんとに凄い事ですね。

そして、沖縄には「シマクサラシ」という習慣があります。

旧暦2月、3月、6月、8月、11月に行われる厄除け・厄払い悪魔払いのための行事です。
それは家畜の血を家の鴨居や柱に塗ったり、血に浸した木の枝を軒(のき)にさし、あるいは家畜の骨を村や集落の出入り口の上空に吊るして、厄払いを祈るものです。
また集落の入り口や四隅などにも、同様のことをします。

またこの行事のことを看過(カンカー)とも言います。
つまり、疫病を見過ごすという意味で「過越し」を意味しますので、これは過ぎ越しの祭りとまったく同じ意味ですね。
厄除け・厄払いのためという理由も同じであり、儀式における行動様式も非常に似通っています。

文献によると上代沖縄各地にあったと言うことですが、近年でも一部の部落や集落で行っています。
調べてみたら、僕が通っていた教会のとなりの部落でも現在行われています。
これには驚きました。

この起源は何も伝えられていないみたいなのですが、これが古代の沖縄人の先祖たちの信仰から生まれたものであることは間違いないはずです。

古代沖縄の先祖たちは、獣の血を門にまたとに塗ることが悪い厄から免れる方法であると信じた証拠であると思います。

この事もやはり、聖書の中の記事にかなり似通った記事が記載されています。

それは、ヘブライ民族のエジプト脱出のときの過ぎ越しの事件でのヘブライ民族が行ったある儀式です。

200万とも300万とも言える人々の奴隷解放時の記念となる独得な儀式です。


これを記念してユダヤ人は過ぎ越しの祭りを国を上げて年1回しているのですが、この習慣が沖縄にあるのはどういうことなのでしょうか?

☆出エジプト記12:1~12:14☆

主はエジプトの国で、モーセとアロンに告げて言われた、

「この月をあなたがたの初めの月とし、これを年の正月としなさい。

あなたがたはイスラエルの全会衆に言いなさい、『この月の十日におのおの、その父の家ごとに小羊を取らなければならない。すなわち、一家族に小羊一頭を取らなければならない。

もし家族が少なくて一頭の小羊を食べきれないときは、家のすぐ隣の人と共に、人数に従って一頭を取り、おのおの食べるところに応じて、小羊を見計らわなければならない。

小羊は傷のないもので、一歳の雄でなければならない。羊またはやぎのうちから、これを取らなければならない。

そしてこの月の十四日まで、これを守って置き、イスラエルの会衆はみな、夕暮にこれをほふり、その血を取り、小羊を食する家の入口の二つの柱と、かもいにそれを塗らなければならない。

そしてその夜、その肉を火に焼いて食べ、種入れぬパンと苦菜を添えて食べなければならない。

生でも、水で煮ても、食べてはならない。火に焼いて、その頭を足と内臓と共に食べなければならない。

朝までそれを残しておいてはならない。朝まで残るものは火で焼きつくさなければならない。

あなたがたは、こうして、それを食べなければならない。すなわち腰を引きからげ、足にくつをはき、手につえを取って、急いでそれを食べなければならない。

これは主の過越である。

その夜わたしはエジプトの国を巡って、エジプトの国におる人と獣との、すべてのういごを打ち、またエジプトのすべての神々に審判を行うであろう。

わたしは主である。 その血はあなたがたのおる家々で、あなたがたのために、しるしとなり、わたしはその血を見て、あなたがたの所を過ぎ越すであろう。

わたしがエジプトの国を撃つ時、災が臨んで、あなたがたを滅ぼすことはないであろう。

この日はあなたがたに記念となり、あなたがたは主の祭としてこれを守り、代々、永久の定めとしてこれを守らなければならない。」

以上ですが、どうしてこの儀式が沖縄にあるのか誰も分かりません。

ちなみにこの過ぎ越しの儀式ですが、実はイエスキリストの十字架を旧約の時代に表現したものです。

イスラエルでは昔、民が罪を犯したときには子羊などを犠牲にして殺し、その血によって一人一人の罪も許されていました。

しかし新約の時代には神の子羊なるイエス・キリストが十字架上で血を流して死ぬ事によって信じる全ての人々が罪許され救われると言う事になっています。

バプテスマのヨハネもイエス・キリストの事を「世の罪を取り除く神の子羊」と呼んでいました。

でもこれって不思議ですね。

どうして沖縄にキリストの十字架を暗示するような儀式があるのでしょう?


更に、そのことに深く関連することなのですが、沖縄の読谷にトリイステーションと言う米軍基地があります。

その名の通り、神社などにある鳥居がシンボルマークになっている基地です。
なんと、基地の出入り口のゲートには大きな鳥居が2つも立っています。

また、沖縄だけではなく、在日米軍の基地内にはあちこちに鳥居(ゲートや交差点等)があるそうですし、部隊のシンボルマークにも使用されています。

そして、トリイステーション付近のアメリカ人の住宅を見てみると、やはり家の前に鳥居が立てられています。

さて、この鳥居なのですが、「トリイ」とはヘブライ語アラム方言で「門」という意味だそうです。

更に、鳥居(とりい)とは、神社などにおいても神域と人間が住む俗界を区画するもの(結界)であり、神域への入口を示すもの。一種の「門」であるそうです。


ですから、トリイステーションのゲートに鳥居があるのは理にかなっています
それと、聖書でイエス様自身が「私は門です。」と言っています。

つまり、ある意味イエス様を象徴する鳥居を基地の入り口や到る所に設置してあると言うことになります。

先ほど説明したとおり、過ぎ越しの祭りのときに、小羊を食する家の入口の二つの柱と、鴨居に血を塗ります。


鴨居(かもい)とは、和室の襖や障子などの建具を立て込むために引き戸状開口部の上枠として取り付けられる横木のことです。建具を滑らせるために溝を彫られていて、下部に取り付ける敷居と対になっている、レールや溝の付いた水平材のことです。


イスラエルの人たちは、神の災いに合わないように、玄関口の二本の柱と鴨居に羊の血を塗らせ、災いが静かに通り過ぎるまで家の中で待つように指示しました。これが過ぎ越しの祭りです。

つまり、災いが過ぎこすのを待つ祭りです。

しかし、これこそが鳥居のルーツであるとされています。

なぜなら、過ぎ越しの祭りの時に2本の柱と鴨居に子羊の血を塗りますが、それがそのまま鳥居の形になるからです。
しかも、血の色ですね。

つまり、イエス・キリストの十字架を象徴しています。

イエス・キリストは世の罪を取り除く神の子羊です。

これは洗礼者ヨハネがそう言いました。

なぜなら、すでに啓示を受けていたからです。

イスラエルの家の入り口の柱と鴨居に子羊の血を塗りつけると、災いが過ぎこしました。
そして、それはイエス・キリストの十字架を示しています。ですからこれが、鳥居の本当の意味です。

鳥居はイエス・キリストの十字架を暗示しています。

そういう、ものが日本の神社にもありますし、沖縄の基地にもあります。

さらに、沖縄の行事の中でも鴨居に血を塗ります。
これは間違いなく過ぎ越しの祭りのことで、イエス・キリストの十字架を象徴していると考えられます。

詳しくは、以下のyoutube動画をご覧下さい。


★イスラエル10支族:鳥居と過越祭
http://youtu.be/oNpMScU4mC4



それと、何と今日、すばらしい情報を得ました。
岩手の被災地のことですが、そこにちょっとした観光地ができたそうです。
元々、鳥居が立っていた場所なのですが、津波の影響で部分的に破壊されてしまいました。
そして残ったのが真っ赤な十字架の形でした。
これは奇跡ですね。
この記事を書いている日に写真を見せられました。

それで許可を得て使わせて頂きました。
僕が今日お話したかったことを聖霊様が準備してくれました。
この鳥居の意味はイエス・キリストの十字架だということです。


実は更に、沖縄のイスラエル性についてイスラエルの専門家が認めました。
きっかけは、僕が啓示を受けたからです。
それが、何と結果的にイスラエルまで動いてしまいました。

その経緯を紹介したいと思います。


ある時、僕は友人に誘われて、ある姉妹の経営する小さな喫茶店に行きました。

この姉妹は、イスラエル支援に関しての支持者で、教会では誰よりも熱心にその働きに関与していました。

僕は、この姉妹に、ある質問をしました。

「もし、今あるイスラエルが、人間が作り出した国で、実は神様の語っているほんとのイスラエルがこれから現れるとしたら、そう言うことに興味がありますか?」

僕が、この質問をすると、その姉妹はかなり食いついてきました。

そして、僕は聖書を解き明かしながら、エフライムについて証しをしました。

更に、毎週、このエフライムについての学びを僕が教えることになりました。

それから、沖縄とエフライムの関係性をみんなで調べることになりました。

しばらくすると、ユダヤと日本の関係性について専門に調べて活動している、「聖書と日本フォーラム」と言う団体と情報交換をすることになりました。

 

★聖書と日本フォーラム

http://biblejapan.info/index.php


沖縄のイスラエル性についての情報にかなり興味を持って頂きました。

沖縄での第1回目の講演会はkeystone revival missionの主催で行いました。

司会も僕が、担当しましたが、多くの方々が講演会に参加してくれました。

その後、その姉妹に、この活動については全てお任せしたのですが、活動が拡大して書籍も2冊目を出すほどになっていますし、2006年の第十三回大会は沖縄での大会となりました。

沖縄での講演内容については、

第13回 聖書と日本フォーラム 沖縄大会

沖縄のルーツ・日本のルーツを探る

「聖書に書かれている記事が日常の生活風習、習慣になっている沖縄」

ー主はご自分の民の残りを、海の島々から買い取られるー

イザヤ11:11

講師・パネリスト

手束正昭牧師「日本民族とキリスト教」
久保有政牧師「沖縄と日本のルーツ」
知念金徳牧師「沖縄の風習と聖書」
ジム・ピーコック師「文化と宣教」
与儀喜美江氏の研究発表「沖縄の年中行事と聖書の祭り」

と言う、興味深い内容でした。

ちなみに、僕が最初にエフライムに関してのことを教えた姉妹が書籍も出し、研究発表までするほどになっています。

凄いですね。

 

その姉妹の喫茶店の動画が紹介されています。

ここで最初にKeystoneがエフライムについて語り、1ヶ月以上聖書から解き明かししました。

なつかしいですね。

http://youtu.be/uS69dmu0eE4


以下は、関連記事意です。


『おきなわルーツ紀行』 聖書でひも解く風習

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-173716-storytopic-6.html

(※「ハーイヤ」はへブル語で「神は生きている」の意味だと書かれています。)


http://ost58.ti-da.net/e3588705.html

http://www.shima.mctv.ne.jp/~newlife/kouenkaihoukoku.htm

 

ちなみに、Keystoneは、第1回目の沖縄での講演会以外は関わっていません。


沖縄にはまだ面白いことがいろいろあります。

先ほどお話したとおり、エイサーのかけ声も全てヘブル語です。

ヘブル語やイスラエルに詳しい牧師先生から直接聞いたときにはほんとにビックリしました。

また以前直接聞いたお話ですが、沖縄での「聖書と日本フォーラム」の講演会の中で元ユタの沖縄の女性が証しをしていました。

ちなみにユタとは、沖縄版のイタコです。つまり、霊能者の方です。

彼女はユタ家系で、小さな頃からユタのおばあちゃんに方言でお祈りを毎日させられていました。

よく意味も分からないまま、その時まである言葉を祈り、ユタをしていたそうです。

ところが沖縄のこのフォーラムの働きの中で突然自分のほんとの神様はキリストだと言うことが分かってしまいました。

それは自分達が知らずにしていたことと聖書に書かれていることがあまりにも似通っていたと言う事と、もう一つ決定的だったのが、聖書にも書かれていて、クリスチャンがよく祈る「主の祈り」と言うのを初めて聞いてしまったからです。

何とその祈りは小さい頃から方言で祈っていた言葉と全く同じ意味だったからと言う事でした。

お陰様でユタの方でキリストを受入れる人が増えてきています。

聖書的に言うなら主の預言者集団が突然沖縄から誕生してしまったと言う事になります。

☆新約聖書マタイによる福音書6章9節~13節☆

主の祈り

天にまします われらの父よ
願わくは御名(みな)をあがめさせたまえ
御国(みくに)をきたらせたまえ
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ
われらの日用(にちよう)の糧(かて)を今日も与えたまえ
われらに罪をおかすものを
われらがゆるすごとく
われらの罪をもゆるしたまえ
われらを試みにあわせず
悪より救い いだしたまえ
国と力と栄えとは
限りなくなんじのものなればなり

アーメン

これと、全く同じ内容をユタの人は方言で意味も分らず祈っていたそうです

ほんとに凄いですね。

また、平成10年には沖縄で「アミシャーブ“失われた10部族帰還運動団体”代表ラビ エリヤフ・アビハイル師」によるセミナーまで行われました。

しかも、その内容は以下になります。

エリヤフ師「失われた10部族を探して」
畠田会長「エフライムへの預言」

イスラエルの10部族帰還運動団体がこんな小さな沖縄に来るのですから、
やはり、沖縄とエフライムには深いつながりがあるようですね。

ユダヤ教のラビ(教師)が沖縄を調査!
「沖縄と古代イスラエルが似ている点は、動物犠牲の風習があるところだ」。
ユダヤ教のラビ(教師)、エリヤフ・アビハイル氏(イスラエルの失われた10支族を調査する「アミシャーブ」の代表ラビ)は、こう主張する。

彼は、失われたイスラエルの同胞を探し出すために、しばしば来日していますが、沖縄にまで足を運びました。

沖縄で開かれたセミナーの中でも、沖縄に見られるユダヤ性、沖縄の風習とイスラエルとの類似性を語ってます。
彼らは、日本には、イスラエルの失われた10支族が来ていたと思われる根拠を幾つも発見することができていて、特に神道的な文化の中に、顕著に見られると言っています。
ただ神仏習合などで、仏教的な要素が入り込んでしまった領域では、それがぼやけて分かりにくくなっています。
ところが、沖縄には仏教がそれほど浸透しておらず、昔ながらの神事、儀礼が残っており、その中に多くのユダヤ性を発見するということです。

ラビ(教師)、エリヤフ・アビハイル氏は、特に動物犠牲の風習が似ていると言われた。
その動物犠牲の風習は、沖縄の各地で見ることができるが、なぜこのようなことをするのかと問いかけても、「古くからの習わしだから」「代々このようにしてきたから」というのが殆どの答えで、「なぜ、いつ、どのようにして」このような風習がなされたのかは、明確には分かりません。

ところが不思議なことに、ユダヤ教のラビ(教師)が主張する程に、沖縄には古代イスラエルの風習との類似点、共通点が多く見られ、それは「単なる偶然」では、説明できない程の一致なのだそうです。

それから、聖書と日本フォーラムの現会長、畠田先生も、沖縄の地において、エフライムに対する預言について語りました。

更に、聖書と日本フォーラム理事で、レムナント・ミニストリーの久保先生も、沖縄のイスラエル性についてメディアで積極的に語っていますし、沖縄大会でも「沖縄と日本のルーツ」と言うことで、沖縄のイスラエル性について語っています。

また、インターネットを検索してみると、その件について紹介しているサイトがありましたので、紹介させて頂きます。


沖縄におけるイスラエル性

沖縄知事選や安保体制強化、石油資源問題、フランクリン・グラハム大会など最近何かと話題の多い沖縄であるが、沖縄こそ本土のように仏教の影響をあまり受けないで、日本古来の神道が因習や言い伝えとして残っている貴重な土地である。

それらはすべてユダヤ性をあかしするものであり、日本神道のルーツを証明するための重要な傍証となるものであり、日本のリバイバルに対する一つの引き金になると考えられる。

* シンディー・ジェイコブス師の預言:

『 私は日本を動かす。沖縄を見よ。北海道を見よ。本立てにはさまれたようなリバイバルが起きる。私は北を動かす。南を動かす。

私は私の霊によって臨む。この時が私の時となり,私は福音派と聖霊派を和解させる。
私の霊によってそれらを動かそうとしている。

日本は私の手にある剣である。私は日本を動かす。そして,日本は東南アジアの諸国に触れる。
リバイバルの炎は,バングラディシュ,ラオス,カンボジア,ベトナムに流れて行く。私は宣教師をこれらの国に送る。
宣教運動が日本で起こる。私はこの国の殉教者や私の民が流した涙を忘れてはいない。』

・・・・・ 日本のリバイバルで我々がすることは、 沖縄: 日本人のルーツのあかし(+ 石油)、  北海道: 国家の罪の悔い改めととりなし
、の2つがポイントとなると解釈される。

以上ですが、これも久保先生の解説に基づいた内容になります。

ちなみに、この、シンディー・ジェイコブス師についての興味深いエピソードがあります。

このサイトを調べた翌日に、僕の霊的母であるM牧師先生と交わりをしました。

そして、ほんとに偶然なのですが、霊の母は、シンディー・ジェイコブス師の預言に関することついて語りました。

実は、シンディー・ジェイコブス師の集会があった時に、聖霊様の啓示により、北海道からお土産を買ってそれをその集会に届けなさいと言うことでした。

そうすると、北海道から聖火リレーの炎が会場に届いて、それが沖縄につながると言うことなので、それが預言の成就になるということでした。

しかし、霊の母は、その会場にそのお土産を持参していましたが、それをシンディー・ジェイコブス師に手渡すことがなかなか出来ませんでした。

しかし、集会が終わりそうになったときに、突然司会者の方が、沖縄から来た人はステージに上がるようにと言ったそうです。

そして、僕の霊の母がその霊的聖火リレーをもってステージに上がりました

そして、このお土産を司会者に渡して、聖霊様からの啓示を伝えました。

その瞬間、司会者が言いました。

「これで、北海道と沖縄がつながりました。この預言はこれから成就します!」

会場は拍手喝采だったそうです。

このサイトや久保先生の話によると、沖縄とイスラエルの関係性と日本のリバイバルが関わっているようですね。

この問題は、直接救いとは関係ありませんが、聖書の奥義に深く関わっています。

今後、聖霊様の啓示や沖縄での奉仕の働きに注目したいと思います。

沖縄がエフライムだとしたら、まさに歴史的大事件になります。
だから沖縄近海に海底遺跡もあるのでしょうか?
石を敷き詰めた建造物ですが、礼拝所の痕跡も見られるようです。

しかし、僕は聖霊様から更にいろいろ啓示を頂きました。
そして、エフライムに関する隠された真理が分るようになりました。

ここでは、今は公表を控えますが、かなり興味深い内容です

かなり神秘的ですが、それは、あとあとのお楽しみです。
いつか、時機がきたら、聖霊様からの啓示をまた分かち合いたいと思います。

どちらにしても聖霊様に「あなたはエフライムです」と言われてから、こう言う動きになりました。

まさかこんなに、多くの人に影響を与えるとは驚きです。
癒しや奇跡も不思議ですが、こう言う聖書的な隠されたこともかなり不思議ですね。

沖縄が日本のリバイバルに関与しているのならそれは感謝なことです。
どちらにしてもイエス様の栄光が現れますようにと心から願います

Keystoneより



※この記事を書いてから2年後に以下のサイトを発見しました。

僕自身、驚きました。

この啓示も本物でした。

イスラエル王国の滅亡後、預言者イザヤの一行は預言されていた「東の島々」を目指して渡航したそうです。

そして新天新地として琉球列島、つまり沖縄諸島に辿り着いたそうです。

又、最初の天皇である神武天皇も琉球で出生したと書かれています。

実は、日本の建国記念日が、この神武天皇の即位日になっています。

★琉球諸島を一大拠点としたイスラエル
http://www.historyjp.com/article.asp?kiji=195

★高天原神話の背景に潜む南西諸島の存在
http://www.historyjp.com/article.asp?kiji=212

★★国生みの神々と沖縄の古代史高天原神話の背景に潜む沖縄の真相
http://www.nihoncity.com/journal/main/journal_main_140118.asp

★建国記念の日
http://ja.wikipedia.org/wiki/建国記念の日

★世界最強の天皇陛下(youtube動画)
http://youtu.be/lsOFxj9To-o

★日本人が知らない天皇陛下の権威
http://81.xmbs.jp/piroshigogo-237564-ch.php

★神道イスラエルのプレイリスト
https://www.youtube.com/playlist?list=PLMmJMZzWqlWTa_Gv1rIM81cxypAnzkxGl


※あなたが、イエスの愛と救いを受ける為にもぜひ以下の記事をお読み下さい。


No.2 どうしても知って欲しい大切な情報

 

 
証し(youtube
(※イエスを信じる人に神は現れます。)

癒し・奇跡
(※あなたが神の子の特権を行使すると全く同じことが起こります。)
天国と地獄
(※死後の世界が確実にある事を知って下さい。)
 
キリストの再臨
(※大艱難時代が目前なので、今すぐ神の国を目指して下さい。)
 
■賛美
 
■オンライン教会

No.24 教会の外で働きなさい( 1 / 1 )

僕が、教会で献身しているときのことです。
そちらの教会では目覚しいほど多くの奇跡や癒しが起きていました

聖霊様の臨在で集会は満たされ,、賛美で満たされ、栄光で満ち溢れていて、これ以上にないと思うほど素晴らしい状態でした。

ところが、聖霊様は僕に言いました。

「これは私の求めているものではありません。」
集会は素晴らしいのに、そのたびに聖霊様は同じことを僕に語りかけました。

それで、僕は苦しくなりました。
「一体、これはどういうことだろう?」

僕はその意味が理解出来ずにかなり苦しみました。

それで、献身の身でありながら、集会や礼拝に行くのが嫌になりました。

そして、しばらくすると、聖霊様が言いました。

「あなたは教会の外で働くようになります。」

僕はこの言葉を聞いて驚きました。

「一体どういう意味だろう?」

僕は、よけいに悩んでしまいました。

そして次の日に、ある兄弟から集会案内があったので、そちらに参加することにしました。

それは、アメリカの預言者のチームの奉仕の働きで、集会の内容は、神様からの預言をいただいて、それを多くの人々に語り、癒しや励ましを与えるというものでした。

そういう他の集会に参加するのは初めてでしたが、聖霊様が行くように勧めてくれたので、僕は、その兄弟と待ち合わせをして、車の中で聖書を読みながら連絡を待っていました。

すると、突然目の前に白い衣を着て天の御座に座しているイエス・キリストが現れました。

僕は、感動しながら天にいるイエス様を見ていましたが、突然イエス様がワイングラスを片手に持ち、自分の目の下にそれをあてました。
そして、イエス様の目から血の涙が流れてきて、そのワイングラスに溜まっていきました。

そのグラスが血の涙で溢れると、イエス様が僕に言いました。

「あなたは、この杯を受けなさい。」

僕は、恐れの心を持って答えました。

「イエス様、僕がそれを受けることは出来ません。」

清くて尊いイエス様の血の涙を、僕のようなものが飲むなんて絶対に考えられないことでした。

すると、イエス様が言いました。

「いや、あなたはこれを受けなさい。あなたはこれから、教会や他の人々から見下されたり、軽んじられたりしている人々を私の元に導かなければなりません。
彼らは、この世や教会ではそういう扱いを受けていますが、私の王国では彼らが王の座に着きます。そしてその国民を裁くようになります。」

僕は、この言葉を聞いて驚いたとともに、感動しました。
僕自身がそういう見下されて軽んじられている人間だからこそ、僕を選んでくれたのだとわかりました。
更に、イエス様の見る目や判断は、人間の評価やこの世の常識とは全く別だと言うこともわかりました
一般常識も含め、教会が認識していることとも全然違うものだと確信できました。

実はこのことが聖書にはっきり書かれています。

コリント人への第一の手紙1章26節~31

兄弟たちよ。あなたがたが召された時のことを考えてみるがよい。
人間的には、知恵のある者が多くはなく、権力のある者も多くはなく、身分の高い者も多くはいない。

それだのに神は、知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。

それは、どんな人間でも、神のみまえに誇ることがないためである。

あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのである。キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのである。

それは、「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりである。

以上です。

ですから僕は、感謝してそのイエス様の血の涙を受けました。

すると、突然イエス様の後ろ側の天が大きく開きました。

そして大きな雲がたくさん見えました。

更に、それを見ていると、何とその雲の上には、旧約聖書に出てくる有名な預言者や新約聖書に出てくる使徒たちがいました。
更に、僕の親友の父で尊敬していた兄弟もそこにいました。

そして、僕はある聖書のみことばを思い起こしました。

ヘブル人への手紙第12章1節~14節

「こういうわけで、わたしたちは、このような多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、わたしたちの参加すべき競走を、耐え忍んで走りぬこうではないか。
信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。
彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。

あなたがたは、弱り果てて意気そそうしないために、罪人らのこのような反抗を耐え忍んだかたのことを、思いみるべきである。
あなたがたは、罪と取り組んで戦う時、まだ血を流すほどの抵抗をしたことがない。

また子たちに対するように、あなたがたに語られたこの勧めの言葉を忘れている、/「わたしの子よ、/主の訓練を軽んじてはいけない。
主に責められるとき、弱り果ててはならない。
主は愛する者を訓練し、/受けいれるすべての子を、/むち打たれるのである」。

あなたがたは訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを、子として取り扱っておられるのである。
いったい、父に訓練されない子があるだろうか。

だれでも受ける訓練が、あなたがたに与えられないとすれば、それこそ、あなたがたは私生子であって、ほんとうの子ではない。
その上、肉親の父はわたしたちを訓練するのに、なお彼をうやまうとすれば、なおさら、わたしたちは、たましいの父に服従して、真に生きるべきではないか。
肉親の父は、しばらくの間、自分の考えに従って訓練を与えるが、たましいの父は、わたしたちの益のため、そのきよさにあずからせるために、そうされるのである。
すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。

しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。
それだから、あなたがたのなえた手と、弱くなっているひざとを、まっすぐにしなさい。

また、足のなえている者が踏みはずすことなく、むしろいやされるように、あなたがたの足のために、まっすぐな道をつくりなさい。
すべての人と相和し、また、自らきよくなるように努めなさい。きよくならなければ、だれも主を見ることはできない。」

以上ですが、このヘブル書に書かれていることの意味がよく理解出来ました。
そして、聖書に出てくる信仰者たちは皆、迫害や誤解や孤独と戦って、その中から勝利を勝ち得て、更に天国から同じ信仰仲間のことを見守っているのだと言うことがはっきりわかりました。

僕は、この幻を見て、「多くの証人に雲のように囲まれている」と言う聖書の言葉が自分のものとなりました。

何と彼らは僕のことをいつでもとりなし、応援していました。
僕は、いつも孤独で誰からも理解されず、愛する人からはさげすまれ、誤解され、中傷誹謗され、まるで犯罪人のように扱われていましたが、そんな僕のことを天の住民達が祈りで支えて、励ましていると言うことを初めて知って感動し、大きな力を得ました。
その後は、聖書のことばを読むたびに、彼らの思いがよく伝わり、僕への個人的な直接のメッセージであることが実感出来、地上にいながらでも、天の彼らと会話が楽しめるようになりました。

そして、一番大事なことですが、イエス様の清い尊い血の力無くしては、絶対に神様を見ることは出来ないのだと再確認できました。
清いことだけが全てに勝る力の源だと強く感じました。

まさに、「清さは力なり」です!

僕は益々、イエス様の血で自分の思いも感情も全て清めつくし、自分自身を完全に捧げたいと言う思いに満たされました。
そしてその場でイエス様を礼拝しました。

それから僕は、大きな感動に満たされながら、兄弟とその集会に行きました。

その集会では、アメリカ人の女性の牧師先生が僕のことを預言しました。

「あなたは、教会の外で働くようになります。これは特別な働きです。神様はあなたの手に大きなことを任せています。あなたには物事を整理して解決していく特別な賜物が与えられています。
そして、あなたには預言者ダニエルのような霊が注がれています。また、あなたは教会の外だけではなく、国々の政府高官に直接会って、大きな主の働きをするようになります。」

僕は、この預言を聞いて感謝しました。

なぜなら、やはり教会の外で働くことになるとわかったからです。
それで、僕はそのことを教会の牧師先生に伝えました。

そうすると、なんと昨日先生も同じ啓示を受けたそうです。
つまり、僕が教会の外で働くようになると言う啓示を同じ日に受けました。

そのあと、僕は仕事の都合を理由にしばらくは集会や礼拝を欠席していました

そしてそれからしばらくして僕は、その教会を出ることになりました。

教会を出ると言う啓示は受けていましたが、そのきっかけになったのはアンビリバボー体験No.8(ある姉妹の生き返り)で紹介した事件が起きたからでした。

僕は、その後、その生き返った姉妹とその家族と一緒に家庭礼拝を持つ事にしました。

そして、一緒に仕事をしようということになりました。

お仕事の内容は、食事療法の指導やカウンセリングなどの癒し全般にかかわることでした。

この仕事をするにあたり、どうせなら主の働きを求めて仕事もしたいので、そのためにその姉妹と祈ることにしました。

そうすると、僕に啓示が与えられました。

一緒に聖餐式をしてその後、賛美をすると、彼女に啓示が与えられると言うことでした。

それを、姉妹に話してその通りにしました。

聖餐式を終えて、賛美も終えたので僕は姉妹に尋ねました。

「聖霊様から何か、啓示を受けた?」

すると、彼女は言いました。

「実は、賛美をしているときに、突然白い衣を着た人が現れて、私を見ていたので、心の中で『あなたは誰ですか?』と聞いたら、その人が、『私はミカエルです。』と答えたので、私は『ああ、ミカエルさんですか。それで私に何か用ですか?』と言うと、『あなたがたが行くところに、どこにでも私はついて行き、あなたがたを守り、敵と戦います。
それを覚えて安心して仕事をするように・・・』」と言うことでした。

僕は、「ミカエル」と聞いて驚きました。
なぜなら、戦いの天使長だからです。

唯一、サタンと直接戦える大天使だからです。

そんなイスラエルを守護する大天使が、僕らに着いて来て守ってくれるなんて、ほんとに信じられないほどの驚きでした。

しかし、僕が興奮していると、姉妹はきょとんとして言いました。

「ミカエルさんて誰なの?」

僕は思わず、ドン引きしました。

「え~?戦いの天使長ミカエルを知らないの?」

彼女は、ミカエルのことを全然知りませんでした。

僕は、その凄さを彼女に教えてあげました。

そして主を賛美して感謝をささげて仕事をすることにしました。

おかげで仕事をしていく中で、多くの方々が救われていきました。
癒しと魂の救いです。死人さえ生き返りました。

また、その働きが教会関係でも行われるようになりました。
しかし、聖霊様が言いました。

「あなたは、今は教会で霊の賜物を用いないで、知識や知恵を通して人々を癒して行きなさい。そして霊の内側だけを養いなさい。」

つまり、奇跡的な霊の賜物による癒しではなくて、食事療法やカウンセリングで多くの人々を癒しなさいと言う聖霊様の啓示でした。
そして、外側ではなくて、内側を清めてその部分を養いなさいと言うことでした。
僕はその言葉に従いました。
おかげで、今ではインターネットの世界だけでも2000人以上の方々に癒しやカウンセリングを行い、更にそういう情報を提供していくことが出来ました。

また、その中からイエス様を信じた方々も出てきて、奇跡的な癒しや悪霊からの解放も聖霊様によって起きるようになりました。
また、知り合いの牧師先生と一緒にインターネット・チャーチの働きも出来ることになりました。
更に、そういう方々を中心に独自で福音番組も配信することにもなりました。
僕が、番組を配信するとなんと同時に2,000人近くの方が率先してその情報を受け取ります。
なぜなら、健康番組をしていたのでみんなヘビー・リスナー登録をしているからです。
ですから番組を配信するだけで、その方々のパソコンや携帯に情報が自動的に福音番組が配信されます。

更に、不特定多数の方々がその番組を視聴するので数万人単位に福音を述べ伝えることが出来ます。
ほんとに神様の知恵に感謝します。

そしてそんなある時、ある教会に韓国一の祈祷院から預言者が来ていました。

僕らも誘われたので、そこに行きました。

そして、僕が預言を受ける時が来ました。

通訳の方がいて、その先生の言葉を訳していました。

「あなたは、どんなお仕事をしているのですか?」

そこで僕は答えました。

「僕の仕事は健康に関することですが、これからはインターネットも活用したいと考えています。」

そこで、その先生が預言を語りました。

「あなたは、主から受けたことを文字を使って世界中に伝えるようになります。
その賜物が特別に与えられていて、文章を通して油注ぎが与えられてその働きは祝福されます。
その働きは沖縄だけではなく、日本全国、更にアジアまで影響を与え、拡大していきます。
そして多くの方々が、それにより祝福を受けます。
その影響はとても大きいです。私がいる韓国にもあなたはくるようになります。またアジアにも行きます。
そのときには何も持たないで来て下さい。私たちがあなたを世話するのでぜひ、祈祷院に来て下さい。
しかし、あなたの働きはあまりにも大きすぎて、誰も理解が出来ません。
それどころか、あなたの愛する人々からあなたは誤解され、責められ、傷つけられひどい目に遭います。
更にあなたは一人ぼっちになります。それはあなたに与えられた働きが大きすぎて理解が出来ないからです。
しかし、この働きが大きくなり、あきらかになると、それがその人たちにもわかる時が来ます。
その時には、あなたを迫害してきた人たちが、あなたの前にひざまずき、涙を流して和解を求めます。
そしてあなたは、それを許し、それからその人々とともに主の大きな働きをするようになります。

僕はこの預言を聞いて驚きましたが、全て「アーメン」と受け入れました。

実は、そのときはまだ、パソコンで仕事もしたことがない状態でした。
しかし、現在半分は成就しています。

つまり、迫害されて非難されて一人きりになり、3年間家に引きこもり仕事をしていたので、その期間は誰とも口をききませんでした。
唯一、家に住み着いた猫に話しかける程度でした。

あとは、話し相手はもちろん聖霊様のみでした。
起きている時も、寝ているときも、賛美と、み言葉の音声や映像を流していて、ほんとに充実した3年間でした。
誰よりも祈り、誰よりも賛美し、誰よりも、み言葉を聞き、聖霊様から直接真理を学ぶことが出来ました。

僕は静かに、インターネットで仕事をしていました。
しかし、その中でも知識や知恵を用いて主の働きをさせて頂きました。

そして、メールを通して多くの人が癒され、救われました。
平均的な睡眠時間は1日半に1度数時間寝るほどでしたが、それだけの方々にカウンセリングをしたり、食事指導をしたり福音を語ったり、忙しくしていて、外からは想像できないほど充実していました。
しかし、他の人々から見れば僕は教会を離れた堕落したクリスチャンです。

更に現在は、このようにして文章や音声を活用して仕事もしています。

確かに、単なるメールですが、聖霊様の油注ぎの影響があり、聖霊のみわざも起きています。

あとは、この事業が祝福されて関わる方々が癒され解放されていくのを見るだけです。

ところで僕は、神様から御霊の賜物をたくさん頂きました。
しかし、その賜物は個人の為や一つの教会の為に用いられるものではありません。

それはイエス・キリストのからだが霊的に建て上げられるためのものです。
そして、お互いの賜物を通して各人が仕え合い、徳を高めるために用いられるものです。
そうすると、キリストのからだである教会が癒され、成長していきます。

そういう意味で、僕の御霊の賜物は7年間も用いられることがありませんでした。

その代わり、内側の御霊の実と言うものが、養われていきました。

僕は、体験してわかったのですが、実は個人的には御霊の賜物よりも、御霊の実のほうが自分にとっては大きな武器だと言うことがわかりました。

御霊の賜物を求める方は多いと思いますが、御霊の実の実りを何よりも求めている人は少ないのではないかと思います。

実は、個人の信仰生活の中では、この御霊の実が信仰生活の勝利を左右します。

つまり、戦いの武器になるわけです。

特に、僕が助かったのは「平安の実」と、「自制の実」です。
この2つがあれば最強です。

この10年、怒った記憶がありません。
義の怒りはありますが、感情的に怒ると言う事が無くなりました。

そして、環境が僕の心を支配することが全く無くなりました。
他人が僕の心を支配することが全く無くなりました。

何が起きても平安です。
どんな目にあっても、自制心が働きます。
そして環境は大嵐でも、心は平安です。

まるで、嵐の中でも船でぐっすり寝ていたイエス様と同じです。

これは体験しなければ理解できない素晴らしいものです。
どうか皆さんも、御霊の実の祝福を求めて下さいね。

それと、御霊の賜物を求めるのなら「霊を見分ける力の賜物」と、「信仰の賜物」があれば最強です。
この2つがあれば、全部頂いたのと同じだと思います。

これは教会の徳を高めてお互いが仕えるためであり、キリストのからだを癒し、建て上げるためなので、ぜひ聖霊様に求めて下さいね。

・・・と言う感じで、僕は神様の計画と守りの中で、秘かに主の働きもさせられていました。
しかし、いよいよそれが苦しみの頂点にもなりました。

それは、韓国の預言者の先生が語ったことが、自分の身に突然降りかかってきたからです。

僕は、生き返った例の姉妹と一緒に仕事をしていましたが、結果的に別々に仕事をすることになりました。
しかも、大きな誤解や問題が津波のように押し寄せてきて、僕は預言どおり憎まれ、排斥され、批難され、孤独の中に閉じ込められてしまいました。
更に、最も尊敬している同労者のパートナーからも排斥され、批難され、僕の悪口を沖縄中の教会に言い広めました。

僕はそれがあまりにも苦痛でからだも壊し、3年も引きこもり、もう一生涯、誰とも関わらなくてもいいと感じました。
更に、もう沖縄から出て行って、誰にも気づかれずに、どこかでひっそり死んでもいいとさえ思いました。

そして、その準備のためにも、3年間計画を立てて秘かに動いていました。

僕は、ある時、聖霊様に言われました。

「沖縄に世界一のメディアが誕生します。」

この言葉を聞いて驚きました。

なぜなら、僕にその働きをするように言っているからです。

しかし、その直後に僕は、FMラジオでゴスペル音楽番組をスタートしました。
途中で教会の奉仕が忙しくなったので、仲間に任せて僕はプロデューサーを止めましたが、その番組は6年以上も続きました。

それとは、別に「ラジオ健康相談室」と言う、健康番組を半年間FMラジオで放送しました。

また同時にオンライン配信をしていました。
最後の放送では、三位一体の健康ということで、人間の体と心と霊の健康に関する話を紹介しました。

そして、イエス・キリストの救いや創造主のことについても紹介しました。

福音番組に移行する準備が出来たので、現在はそのために動いています。

数年前に聖霊様に「世界一のメディアが沖縄に誕生する」と言われましたが、実は一度その手前まで行きました。

世界一の通信・放送会社と、世界一の端末会社と提携して沖縄でIP携帯電話を作りました。これは僕らの企画でした。

その携帯電話を活用して放送事業をするためでした。

世界初のハイブリットIP携帯電話でしたが、ビジネスパートナーが事業資金を個人的に使い果たしだめになってしまいました。

僕は、プロジェクト・リーダーという立場で関わりましたが、大切な企画が全てだめになりました。

もう誰も信用出来ない上に、預言のとおり排斥されて孤独の中で、メディア事業の為に準備を進めて来ました。

そう言う経緯の中で現在、このようにしてアンビリバボーな体験を配信しています。

実はこのアンビリバボーな体験の証しを書いたきっかけは、やはり聖霊様の啓示によるものでした。

僕が、数年前に仕事をしていると突然聖霊様が言いました。

「あなたが救われたときの証しを書いて、それをチャーチ・スクールの子供たちに読ませなさい。」

僕は、言われた通りに証しを書いて、僕の霊の母でもあるチャーチ・スクールの先生に電話をしました。

実は数年ぶりの電話でしたが、ちょうど僕から電話が来るようにと、この数日祈っていたそうです。

なぜなら、先生が北海道に出かけるのでその期間、子供たちを預かって欲しいと言うことでした。

それで僕は、1ヶ月ほどチャーチスクールの先生をしながら証しをしたり、聖書や賛美を教えたりしました。

この時の話はまた、いつかお話したいと思います。

とにかく、この証しを書いた理由は聖霊様の啓示によるものでした。

3年以上誰とも会わないでインターネットの世界で活動をしていましたが、聖霊様が、主の働きをしなさいと言うことなので、僕は霊の母にそのことを告げて協力してもらうことにしました。

7年間、教会の外で活動してきましたが、それは僕の内側を整えるためのものでした。
実は、これから大きな働きが始まろうとしています。

まさに預言の通りなのですが、具体的な内容は次の 「No.25 1匹の羊のために命を捨てなさい」 で詳しくお話したいと思います。

Keystoneより


 
証し(youtube
(※イエスを信じる人に神は現れます。)

癒し・奇跡
(※あなたが神の子の特権を行使すると全く同じことが起こります。)
天国と地獄
(※死後の世界が確実にある事を知って下さい。)
 
キリストの再臨
(※大艱難時代が目前なので、今すぐ神の国を目指して下さい。)
 
■賛美
 
■オンライン教会

No.25 1匹の羊のために命を捨てなさい( 1 / 1 )

聖霊様から啓示を頂いたので、僕は動くことにしました。
つまり主の働きをするための準備です。

まず最初に、FMラジオ放送番組を始めることにしました。
元々、知人がクリスチャン新聞を発刊していたので、それをFMラジオとインターネット配信で放送することにしました

なぜメディアを通して福音番組を企画したかと言うと、伝道はもちろんですが教会同士の和解や一致が大きな目的でした。

元々、そのクリスチャン新聞は教会の枠を超えていろんな教会の牧師先生や信徒が証しをしていたので、そのままラジオをスムーズに始める事が出来ます。

僕は、それを始めるに当たり、どうしても祈りのサポートの必要性を感じました。
それで、僕が知る限り、最強の祈りの人である霊の母の元へと行きました。

僕は聖霊様に祈りました。

「僕は、これから被災地で必要を求めている人々のために働きに行くつもりですが、どうかその前に沖縄の教会が和解して一致している姿を見せて下さい。どうかキリストのからだが癒され建て上げられていく姿を見せて下さい。また、キリストの花嫁である栄光の教会を見せて下さい。それを見ることが出来れば僕は満足です。喜んでどこにでも行きます。」

僕は、心からそう祈り、霊の母に会い、その話をしました。

1年ぶりに会いましたが、ちょうど僕が来るように祈っていて僕に関する啓示があったそうです。

つまり、僕を通して働きが拡大していくと言う事でした。

これは2ヶ月前の話ですが、今書いている時点で確かにそうなりました。
その働きの為の影のコーディネーターになったのですから・・・

実は、霊の母は教会の看板を下ろして24時間体制のプレーヤーセンターを始めると言う事でした。
つまり、複数の教会と協力して24時間体制の祈りのセンターを運営するという意味です。

僕はこの話を聞いて喜びました。
なぜなら、とりなしをして祈ってくれる人たちがいれば、霊的に戦いやすくなるからです。
祈りのサポートがあれば前線で戦うことが出来ます。

僕はまさにそのまっ只中にいたのですから・・・

もし、それがなければ援護射撃が無いのに戦場で無防備なままがむしゃらに敵に向かっていくのと同じです。

それでは、ずたずたにされてしまいます。
それで僕は、霊の母にお祈りのサポートをお願いしました。

それと、霊の母は更に興味深いことを始めていました。
それはクリスチャンに対する教えのセミナーです。
これはご主人が7年もかけてまとめたものでした。

僕はそのテキストを開く前にそれが凄い物であることがわかりました。
そして僕は言いました。

「これはまるで、ウォッチマン・ニーが中国でしたことと同じですね。それならこれは、日本を変える凄いものになります。」

話を聞いてみると確かにこの教えを受けると、みんな大変革しているそうです。
実はこの働きは一つの教会で学ぶものではなくて、全教会で学ぶためのものです。
それは、エペソ書にある「ひとりの新しい人」を創りあげるためのものだからです。

エペソ人への手紙2章14節~16節

「キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き、ご自分の肉によって、
数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄したのである。

それは、彼にあって、二つのものをひとりの新しい人に造りかえて平和をきたらせ、
十字架によって、二つのものを一つのからだとして神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。 」

以上ですが、この「ひとりの新しい人」が、実は教会の癒しやキリストのからだの建て上げに大きく関与しています。

僕は、教えに対してかなり良いものだとわかりましたが、僕自身はやるべきことがあったので、そちらに誰かを紹介していくだけにしようと思いました。

感謝なことに教師の立場で関わって欲しいと言うことでしたが、やはりお断りしました。
なぜなら、7年も教会で礼拝もしていない人間が突然教える立場になると、必ず嫉妬や誤解を生むからです。

それに、僕が直接関わると啓示されている働きに問題が起きます。
どうしても、教会の中では出来ない働きなので、僕はこの働きのサポートだけをするということにしました。

ちなみにそのテキストは先生の手書きをコピーしたものでした。
それで僕は、それをワードに打ち込みをして、みんなにコピーしてあげるという提案をしました。

霊の母は喜んでくれて、早速その日から泊り込みで文字の打ち込み作業を夜通ししました。

しかし、その後ある問題が発生しました。

それは、僕がずっと寝不足で体調不良なので、そのからだのきつさを霊の母やとりなし手たちが霊的賜物で受け取ってしまい、僕のせいで眠れないし、祈れないということでした。

そして僕がパソコンを1日中使うので、それを批難されました。
クリスチャンがそんなものを1日中するのは反対だということでした。
そんなものをしていると絶対に祈れないからということでした。
さらに、汚れたものを見て罪を犯すからと言う事でした。

毎日そう言う事ばかり言われ、僕は苦しくなり霊の母に言いました。

「もう、今後僕のことは誰も祈らないで下さい。これからは自分で断食して祈ります。そして自分でとりなし手を探します。」

実は、テキストの打ち込み事体、別な人が出来るので僕がやる必要もないと言われましたし、霊の母に言わせると、「私は、今は国家レベルの霊的な働きをしているのであなたがここをかき乱して余計な十字架を負わせられると困る。」と言うので、僕は仕方なくそこを去ることにしました。

確かに霊の母は、業界でも有名な牧師先生方と特別な働きをしています。
かなりのビッグネームの方々ばかりです。
僕のようなものが邪魔をするようなことになれば、それこそ国家的な働きに支障をきたします。

沖縄を出る前に霊的な親孝行をするつもりでしたが、残念ながら全然逆な立場になってしまいました。

でも、僕は満足していました。
なぜなら、霊の母とのやり取りの中で聖霊様からちゃんと啓示を戴いたからです。
つまり、業界用語で言う「召命」です。
この啓示を受けた人が牧師になったりします。
しかし、僕が受けた啓示は牧師ではありませんでした。
そうではなくて、使徒パウロと同じミッションです。
そう言う啓示を求めて何度も通っていたので、僕はそのことで満足していました。

僕は、インターネット上で数百人の方々とやりとりをしていましたが、特にひとりのある方のために祈っていました。

「No.19 霊の2倍の賜物」でも紹介しましたが、もう一度そのままお伝えします。


僕が、この働きについて答えを求めていると、幻が見えました。

それは有名な絵です。

イエス様が子羊を両肩に乗せている画像です。

そして、みことばが与えられました。

「あなたは失われた1匹の羊の為に命を捨てなさい」

僕は、「アーメン。分りました。」と、迷わずその言葉を受け入れました。

更にその聖書箇所を読んでみると啓示が与えられました。

マタイによる福音書10章5節~14節

イエスはこの十二人をつかわすに当り、彼らに命じて言われた、「異邦人の道に行くな。
またサマリヤ人の町にはいるな。
むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところに行け。

行って、『天国が近づいた』と宣べ伝えよ。

病人をいやし、死人をよみがえらせ、らい病人をきよめ、悪霊を追い出せ。
ただで受けたのだから、ただで与えるがよい。

財布の中に金、銀または銭を入れて行くな。

旅行のための袋も、二枚の下着も、くつも、つえも持って行くな。働き人がその食物を得るのは当然である。

どの町、どの村にはいっても、その中でだれがふさわしい人か、たずね出して、立ち去るまではその人のところにとどまっておれ。

その家にはいったなら、平安を祈ってあげなさい。

もし平安を受けるにふさわしい家であれば、あなたがたの祈る平安はその家に来るであろう。もしふさわしくなければ、その平安はあなたがたに帰って来るであろう。

もしあなたがたを迎えもせず、またあなたがたの言葉を聞きもしない人があれば、その家や町を立ち去る時に、足のちりを払い落しなさい。

以上ですが、僕はそのままこのみことばを受け入れました。

僕が1匹の羊の為に命を捨てると、このことが起こると言う啓示です。
なので、僕は聖霊様の言葉に従いそれを行う決心をしました。

・・・と言っても、今までしてきたことと同じことを使命感を持って教会で行うだけの話です。
そのためには、僕のことを祈りで支えてくれる人が必要です。

今は、その人たちを捜し求めている状態ですが、準備が整えばその働きを喜んでしたいと思いますので、祈りの必要を感じてくれた方がいらっしゃいましたらぜひ、この働きの為にお祈り下さいね。

その方々にも主の豊かな恵みがありますように・・
イエス・キリストの名前によりお祈りします。
アーメン。

僕は、「No.19 霊の2倍の賜物」でそう書きました。

啓示を頂いてから1ヶ月ほどになりますが、実は奇跡が起きました。
しかも、僕が一番願っていた最も大きな奇跡です。

この、奇跡が起きるときに霊の母のところに聖霊様の臨在が今までに無いほどに満ち溢れました。

更に、その日、僕は前の日からほとんど寝ていないのに夜通し祈らされました。

それが3日続きました。

その時に、完全なる奇跡が起きました。

霊の母でさえこんな感じの奇跡は初めてだと言うことでした。

僕が、戦っていたのは数千の神々です。
更に、ひとりの人の命のためです。

もろもろの問題が劇的に解決しました。

1年祈り続けても状況が悪くなる一方でしたが、僕は啓示を受けたときに聖霊様に言いました。

「分かりました。僕は1匹の羊のために命を捨てます。これから断食をしながら祈り戦います。この断食は命がけではありません。その羊のために命を捨てます。僕は命を求めないのでぜひ、その羊を救って下さい。」

僕はすぐに断食に入りましたが最低でも49日は行い、それでも解決出来なければそれ以上行うつもりでした。

しかし、何とたった3日で聖霊様が働き5日目には完全勝利してしまいました。

ありえないほどの逆転大勝利です。

僕は、どんな最悪な状況でも「イエス様は最強!」と何度も宣言しました。

イエス・キリストは主の主・王の王・神の中の神です。

ほんとに、イエス・キリストは最強なお方です。

その事を、その羊に教えることが出来ました。
ほんとに何とも言えない感謝です。

僕は、あまりにも劇的な勝利を体験してしまいましたので、そのまま感謝して断食をすることにしました。

これは、示された7つの教会を通してキリストのからだが癒されるためです
僕は自分の命を捨ててでも祈ったことがかなえられたので、今度はイエス様のからだである教会が癒されるために、そのまま断食することにしました。

でもこれは、初めて40日断食したときの預言の成就になります。

なぜなら、あの時僕が40日断食をさせられた理由は、教会の癒しに関わると言われたからです。

ですから、ちょうど7つの教会なので、7週の断食を行うことにしました。
現在は、ちょうど1ヶ月です。

しかし、毎日が平安で平安でたまりません。
毎日が奇跡の連続です。

更に、この1ヶ月の間に僕の個人的なとりなし手が数名も与えられました
これは物凄い価値のあることです。
しかも、僕との信頼関係は誰よりも深いです。
更にそこに牧師先生方も加わってきました。
ありえないほど感謝です。

それと、まず最初に、僕はこの「No.25 1匹の羊のために命を捨てなさい」までまとめて7つの教会の牧師先生方に読んでもらおうと思いました。

僕の考えではなく、全て啓示によるものであることを知って欲しいからです。

しかし、その前に僕は、高校の頃、僕を救って教会に導いてくれた兄弟に会って最初にこの証を聞かせたいと思いました。

10年程つきあっていませんでしたが、たまたま去年かおととしに1度だけ会いました。

僕はまた彼と偶然会えるようにと祈りましたが、なんと霊の母のところに行くときにすぐ近くに彼がいました。

祈って3日目のことです。

僕は興奮して、このことを証しました。

そして、彼はこのことを理解してくれて僕のとりなし手になってくれました

更に、彼に最初にこの証を聞かせることが出来ました。
そして10年ぶりに彼の教会で共に礼拝を捧げました。
僕は、リアル教会での礼拝は7年ぶりになります。
あまりにも満たされて涙が滝のように流れてきました。

素晴らしい礼拝でした。
しかもメッセージは彼の担当でした。
僕の日曜学校の先生がそちらの牧師先生でしたが、抱き合って喜びました。
又、同じ日曜学校の仲間がそちらの副牧師になっていたので感激しました。

母教会にいた方々も多かったので懐かしい対面となりました。
僕は、一人きりではなく、霊的な家族がいたんだなとその時に認識できました。

僕の働きを彼が牧師先生に話をしてくれたので、相談に乗ってくれると言うことでした。
ほんとに感謝です。

僕は、この「No.25 1匹の羊のために命を捨てなさい」を書いたら書籍にして手渡す約束をしました。

牧師婦人も楽しみに待ってくれるそうです。
ほんとに感謝ですね。

僕が、次に行った教会は母教会のブランチ教会ではありませんが、3年ほど前からそちらの牧師先生のことをサポートしなさいと聖霊様から示されていました。

10年前に集会で初めてお会いして帰りは車で自宅前まで送ってもらいましたが、それだけのお付き合いです。
しかし、聖霊様はこの牧師先生のことをサポートしなさいと言います。
それで僕はどのように関わればいいのかわからずにいましたが、なんと僕の一番の親友が礼拝している教会の牧師でした。
この姉妹とも、実は数年ぶりの再会でした。

更に、クリスチャン新聞の発行者も同じ先生の教会でした。
やはり、導きなのだなと強く感じました。

さてその後、ラジオの打ち合わせが始まりましたが、そのときに最初に会った牧師先生がその示されていた牧師先生でした。

僕は、このことを簡単に証ししてしばらくは別なことをしていましたが、アンビリバボーを書籍化して先生方に見せるために、その先生の教会で先週礼拝を捧げてきました。

そして昨日、一部分ですが証しを読んで頂きました。
そうすると、更に詳しく聞きたいという事でした。
ほんとに感謝です。

教会で運営している英会話教室のホームページを作らせて頂きましたが、それも喜んで頂きました。

次は、教会のホームページの作成に取り掛かります。
その合間にこの証しも書いているというわけです。

次の、礼拝の日までに書き上げるからという事でお話しましたが、それを読んで頂いてから更に詳しく話し合いたいと思います。

僕が初めてその教会に行く前の晩のことなのですが、賛美が止まりませんでした。
眠いのに賛美が止まらず、とうとう朝まで賛美をしてそのまま教会へ向かいました。

そんなに遠くない場所なので歩いていきましたが、教会へ向かいながら平安で平安でたまりません。

僕が、教会につくとその牧師先生がいました。
ほかには誰もいなかったので、チャンスだと思い、僕のミッションを少し聞いてもらいました。

それでなんと、一緒に協力して沖縄のリバイバルの為に進んでいくことになりました。
ハレルヤ!主を賛美します。

今週から、教会のホームページや礼拝メッセージのオンライン配信など僕が担当することになりました。

それと、7つの教会を僕は巡りますが、そのことも祈ってもらえますし、その先生のもとで一定期間、奉仕をしたり学びを受けたりなど、僕のミッションを喜んでサポートしてくれます。
ご夫婦とも、喜んでくれました。

そちらの教会での礼拝前に賛美の時間が1時間ほどありましたので、僕は心からイエス様に賛美を捧げていました。

すると、兄弟姉妹が次々教会に入ってきました。
ところが僕は、一番後ろで立って賛美を捧げていましたが、後ろの列の方々が全員白髪だらけのお年寄りでした。

僕はおかしくなり、思わず「ここは老人クラブなのか?」と心の中で笑っていました。
これは馬鹿にしたのではなく、ほほえましかったからです^^

しかし、そのときに聖霊様が言いました。

「私はこの場所からでもリバイバルを起こします!」

僕はこの言葉を聴いて、涙と感謝でいっぱいになりました。
そのことを先生にお話してとても喜んでくれました。

聖餐式も、7年ぶりにリアル教会で受けることが出来て、これも涙が止まりませんでした。
その日は特別、素晴らしい日になりました。

それとその頃、僕はある人を霊の母のところで行われるミニストリーに誘うつもりでいました。
しかし、僕自身は行くつもりはありませんでした。

ところが、前の晩に突然聖霊様がそのご夫妻のところに行って、朝まで祈るようにと示されました。

僕は、どうしようか悩みましたが、それでも強く促すのでアポ無しで突然その場所へ行きました。

そして、霊の母に言いました。

「実は、用事があって来たのではなく、聖霊様が明日のミニストリーのために祈りに行きなさいと言うので、予約の電話も無しで突然来ました。ですから、庭でもいいので朝まで祈ってていいですか?」

僕は、外でもいいので迷惑をかけないように夜通し祈って帰るつもりでした。

ご主人は、あとから帰ってきましたが、8年ぶりの再会でした。
そして、少しだけ交わりをしました。

まずは、僕が受けた啓示を聞いてもらいました。
そして、先生の啓示とミッションも話してくれました。

そうするとなんと、全て一致していました。

僕らは人間的な話し合いはしませんでしたが、全て聖霊様の導きでお互いが動かされていたことを知りました。

お互いが会っていない間、それぞれ聖霊様の取り扱いを受けていました。
先生は使徒の働きをしていましたが、僕と会わない間に聖霊様からの啓示で「賜物よりも上からの油注ぎよりも内側を養いなさい。」と、僕と全く同じことを聖霊様に示されていました。

だから、お互いに賜物を使っていませんでした。

7年かけて、教えのテキスストが完成し、更にプレーヤーセンターを沖縄でスタートして毎月1週間は沖縄に滞在してリバイバルの為にミニストリーをするように示されたと言うことです。

ですから、先生は7年以上賜物を用いてのミニストリーをしていませんでした

僕は、納得して礼拝堂で朝まで祈ることにしました。
夜、先生方が休む前に僕が一人で祈っていると、まずご主人の方が一緒に祈り始めました。

しばらくして、霊の母が祈りに来ました。

3人が揃って祈った瞬間、突然僕の中である異変が起きました。
なんと、突然僕は霊の中で号泣してしまいました。

声には出しませんでしたが、激しく泣きました。

僕は、3人で親子のように一致して祈れたことを霊のうちで切望していたとわかりました。

実は、この先生方の元で献身して仕えていましたが、ある時事件が起きて更に聖霊様の啓示により、僕は教会を出ました。

奥さんのほうには啓示を受けたことを手紙に書いて手渡しをして、教会を出たのですが、ご主人のほうとは何の話もしませんでした。

僕は、先生の弟子として仕えていましたが、突然教会から姿を消しました。
しかし、それから神様の時が満ちて、3人で祈ることが出来ました。

その日の朝もまた、3人で祈りましたが、やはり僕は涙が止まりませんでした。
霊的に完全に癒されてしまいました。

僕はもう今後、それ以上癒しが必要ないほどの完全な癒しを受けてしまいました。

そして3日間のミニストリーが始まりました。

3日間のうち、最初の2日は2回、最終日は夕方のみ1回で合計5回のミニストリーでした。

内容は、先生が7年かけてまとめた教えに関するミニストリーです。
夕方のメッセージが終わると、そのままミニストリーが始まります。

そして、油注ぎが溢れて癒しが起こり啓示が解き放たれます。

僕は、教えに関することは全て聖霊様から直接啓示を受けていた内容だったので全て「アーメン」でした。
しかし、感動したのは先生が変わっていたからです。

先生は、あの頃僕に、「キャサリン・クールマンやベニー・ヒン、ロドニーハワードブラウンを研究してミニストリーが出来るようにしなさい。」と言いました。

しかし僕は、聖霊様から直接習いたいと思っていたので、全く興味がありませんでした。
でも、あるとき、その人たちの事を調べてみると、実はかなり危険な働きであることもわかりました。

つまり、聖霊による油注ぎと悪霊による油注ぎがあると言うことです。
僕は、このことをあるとき霊の母に教えましたが、相手にされませんでした。

更に、小さな教会から大きな教会に移るときに、数名の兄弟姉妹に神様から啓示をもらうようにと先生にお願いされました。

僕が祈るとすぐに聖霊様があるみ言葉を与えてくれました。

箴言第3章1節~10節

「わが子よ、わたしの教を忘れず、わたしの戒めを心にとめよ。
そうすれば、これはあなたの日を長くし、命の年を延べ、あなたに平安を増し加える。
いつくしみと、まこととを捨ててはならない、
それをあなたの首に結び、心の碑にしるせ。
そうすれば、あなたは神と人との前に恵みと、誉とを得る。
心をつくして主に信頼せよ、自分の知識にたよってはならない。
すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
自分を見て賢いと思ってはならない、
主を恐れて、悪を離れよ。
そうすれば、あなたの身を健やかにし、
あなたの骨に元気を与える。
あなたの財産と、すべての産物の初なりをもって主をあがめよ。
そうすれば、あなたの倉は満ちて余り、
あなたの酒ぶねは新しい酒であふれる。」

以上ですが、僕はこの聖書箇所を与えられたので、すぐに奥さんに渡しました。
そして、それをご主人に渡して読んでいましたが、読んだ後、両手を広げて「何を馬鹿なこと言っているの?」みたいなジェスチャーをされました。

僕はそれをみて、「あ、啓示を受けたから僕はそのまま書いたのに、完全に拒否された。」
そう思いました。

そして、次の週に礼拝で啓示を受けたみ言葉をみんなの前で紹介していきました。
しかし、僕の書いたみ言葉だけは無視されました。

僕は、仕方ないと思いながら、集会が終わったあとに先生に挨拶しようと思って、目の前に行きましたが、目をそらされました。

それで僕は人格まで否定されたような気持ちになりましたが、仕方がないので挨拶もしないで片付けをして帰りました。

僕は、その時に心の中で言いました。
「啓示や預言を受けても、どうせ無視されるし無駄だから、もう今後は何も言わないようにしよう。」

さて、それから大きな場所に移動して働きが更に拡大していきました。
僕は静かに熱心に教会に仕えました。

しかし、それから1年ほど経ったある時、霊の母に言われました。

「今日、聖霊様から啓示がありました。あなたはかなり大きな罪を犯していますね。聖霊様がこんなに激しく怒るのだから、あなたはそれを告白して悔い改めして下さい。」

僕はそれを聞いて言いました。

「そんなに激しく怒るほど僕は愛されているのですね。心当たりがないので祈ってみます。」

基本的に預言や啓示は神様が私たちを愛しているから与えられるものです。
僕はこのことをよく知っていたので、恐れることなく先生にそう答えました。

ほんとは、同じように先生方にも僕が与えられた啓示も受け取って欲しいと思いながら僕は、何が原因なのか祈っていました。

その頃は毎日明け方から教会で祈っていましたが、その帰りに近くのコンビニに行き、トイレに入ろうとした時です。

突然、聖霊様が言いました。

「あなたはなぜ、私が示すことを教会に言わないのですか?」

僕は、この言葉を聞いて驚きました。

「なるほど、これが僕の大きな罪だったんだ。」

聖霊様から啓示を受けても、大事なことだけは絶対に言いませんでした。

「どおりで、怒るはずだ」と思いながらも逆に、原因がわかったので僕は安心してそのことを先生に報告しました。

それからは、受けた啓示を言うようにしましたが、もうその時には手遅れで、そのあと教会は大変なことになってしまいました。

教会が主から啓示を受けてもそれを受け入れないのなら必ずこう言う事が起こります。
教会に預言者を立てたのは、神様からの預言を教会に告げるためです。
これはかなり重要なことですが、今の時代にはあまり重要視されていないどころか無視されているように感じます。

ですから、教会の働きは聖霊様の助けや啓示が無ければ問題が起こります。
僕はそのことが十分にわかりました。そして悔い改めをしました。

話を戻しますが、ミニストリーの中で先生の話を聞いて何が変わったかと言うと、油注ぎに関する考え方です。

先生は一番後ろの僕の目を見ながら涙を流して語りました。

「私も、失敗の中から主に救われ教えられました。油注ぎはいいものですが、上からの油注ぎだけを求めるのは危険です。なぜなら、聖霊によるものと、悪霊によるものとがあるからです。ですから、内なる油を徹底的に求めてそれから上からの油注ぎを求めればいいことがわかりました。そして、私はその霊の賜物や上からの油注ぎを求めないでただひたすら内側の油と内側の命だけを求めてきました。」

僕は、先生が涙を流しながら僕の目を見て話すのを聞いていました。
そして、最初から全てのことを許しているので、霊の中で先生の人格を受け入れ感謝しました。

僕は、このミニストリーに参加してほんとによかったと思いました。

僕らは、大きな問題を超越して十字架の力で霊のうちで和解し一致したのでした。
この瞬間、僕は霊のうちで満足しました。

これでキリストのからだの癒しが起きます。
そして、キリストのからだが建てあげあれます。
僕は、啓示により霊の中でそれを知ることが出来ました。

翌日には2時間以上先生と二人きりで話し合うことが出来ました。
更に、啓示の一致があり、聖霊様の働きが一つであることがわかりました。

しかし、僕はひとつだけ先生に言いたいことがありました。
それは、「教会は愛が基で建てあげられていくべきだ」と言うことです。

「僕は、この教会の長男として言います。
この霊の家族を愛で育てていかなくてはいけないです。
その為に、愛を示して愛で子供たちを育てて欲しい・・・」

特に、妻を愛して欲しいと言う意味を込めました。
それは言いませんでしたが・・・

夫婦が愛で一致するとこれは霊的に物凄い事になります。
エペソ書にもあるように、夫婦はキリストと教会とを象徴していて実はこのことが聖書の奥義です。

エペソ人への手紙5章22節~33節

妻たる者よ。主に仕えるように自分の夫に仕えなさい。
キリストが教会のかしらであって、自らは、からだなる教会の救主であられるように、夫は妻のかしらである。
そして教会がキリストに仕えるように、妻もすべてのことにおいて、夫に仕えるべきである。
夫たる者よ。キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように、妻を愛しなさい。
キリストがそうなさったのは、水で洗うことにより、言葉によって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、
また、しみも、しわも、そのたぐいのものがいっさいなく、清くて傷のない栄光の姿の教会を、ご自分に迎えるためである。
それと同じく、夫も自分の妻を、自分のからだのように愛さねばならない。自分の妻を愛する者は、自分自身を愛するのである。
自分自身を憎んだ者は、いまだかつて、ひとりもいない。かえって、キリストが教会になさったようにして、おのれを育て養うのが常である。
わたしたちは、キリストのからだの肢体なのである。
「それゆえに、人は父母を離れてその妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである」。
この奥義は大きい。それは、キリストと教会とをさしている。
いずれにしても、あなたがたは、それぞれ、自分の妻を自分自身のように愛しなさい。妻もまた夫を敬いなさい。

以上ですが、ですから、夫婦が一致して愛を実践すれば完璧です。
僕は、そう祈りました。

そして、次の日から先生とメールでやり取りをするようになりましたが、その中で驚くことがありました。

何と僕の苗字ではなくて名前で呼びました。

しかも、「愛するkeystoneへ」

もちろん本名で書いてありました。
僕を霊の息子として愛してくれているのだと知りました。

僕はそれを見て感動しました。

教会は、霊的な戦いの場所で、癒しや奇跡も起きる場所ですが、やはり基本は愛の実践です。

そのことが、自然な状態で表現されたので僕は祈りがかなえられたので感謝をしました。

霊的な最前線で戦うからこそ、霊的な事件も起こるし、時にはサタンに敗北もします。
しかし、聖霊様はそのことを通して神様の愛を教えてくれます。

ダビデがそうでした。

ダビデは大きな罪を犯しましたが、その中からでもイスラエルで最も主に愛された王になりました。

そしてその家系からイエス・キリストが誕生しました。

人間は弱く罪深い存在ですが、その中からでも神様は栄光を表して下さいます。

私たちは、イエス様に罪を許された義人です。
ですから、私たちも罪を犯して失敗した人を許せます。

主の祈りにあるとおりです。

マタイによる福音書6章9節~15節

天にいますわれらの父よ、
御名があがめられますように。
御国がきますように。
みこころが天に行われるとおり、
地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの食物を、
きょうもお与えください。
わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、
わたしたちの負債をもおゆるしください。
わたしたちを試みに会わせないで、
悪しき者からお救いください。

もしも、あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父も、あなたがたをゆるして下さるであろう。
もし人をゆるさないならば、あなたがたの父も、あなたがたのあやまちをゆるして下さらないであろう。

クリスチャンは自分の罪をイエス様が全て対処し許してくれました
ですから、私たちは誰かの罪も許すことが出来ます。

僕がクリスチャンになって一番良かったことは、「誰のことでも許せる」と言うことです。
これは何よりも大きな価値があります。

もし、教会で許しが無ければこれほど悲しいことは無いです。
どうか、僕の尊敬する先生方のことも許して下さい。

僕のことも受け入れてくれましたし、僕のことも許して欲しいです。

イエス様が来られる前にバブテスマのヨハネが悔い改めを解いていましたが、そのことは今の時代でも必要かもしれません。

お互いに罪を悔い改め、罪を告白しあうときに聖霊様が働くはずです。

それから教会が癒されキリストのからだが癒されることになります

僕が、7つの教会を回るのは、母教会の牧師先生や兄弟姉妹に許して欲しいからです。
放蕩息子を受け入れて欲しいからです。

それはなぜかと言うと、教会の癒しとキリストのからだの建て上げのためになるからです。

そこで実は僕が提案したいことがあります。

放蕩息子が父親の元に戻ったときに、父は愛餐会を開きました。

ルカによる福音書15章11節~32節

また言われた、「ある人に、ふたりのむすこがあった。
ところが、弟が父親に言った、『父よ、あなたの財産のうちでわたしがいただく分をください』。そこで、父はその身代をふたりに分けてやった。
それから幾日もたたないうちに、弟は自分のものを全部とりまとめて遠い所へ行き、そこで放蕩に身を持ちくずして財産を使い果した。
何もかも浪費してしまったのち、その地方にひどいききんがあったので、彼は食べることにも窮しはじめた。
そこで、その地方のある住民のところに行って身を寄せたところが、その人は彼を畑にやって豚を飼わせた。
彼は、豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいと思うほどであったが、何もくれる人はなかった。
そこで彼は本心に立ちかえって言った、『父のところには食物のあり余っている雇人が大ぜいいるのに、わたしはここで飢えて死のうとしている。
立って、父のところへ帰って、こう言おう、父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。
もう、あなたのむすこと呼ばれる資格はありません。どうぞ、雇人のひとり同様にしてください』。
そこで立って、父のところへ出かけた。まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ、哀れに思って走り寄り、その首をだいて接吻した。
むすこは父に言った、『父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。もうあなたのむすこと呼ばれる資格はありません』。
しかし父は僕たちに言いつけた、『さあ、早く、最上の着物を出してきてこの子に着せ、指輪を手にはめ、はきものを足にはかせなさい。
また、肥えた子牛を引いてきてほふりなさい。食べて楽しもうではないか。
このむすこが死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから』。それから祝宴がはじまった。
ところが、兄は畑にいたが、帰ってきて家に近づくと、音楽や踊りの音が聞えたので、 15:26ひとりの僕を呼んで、『いったい、これは何事なのか』と尋ねた。
僕は答えた、『あなたのご兄弟がお帰りになりました。無事に迎えたというので、父上が肥えた子牛をほふらせなさったのです』。
兄はおこって家にはいろうとしなかったので、父が出てきてなだめると、
兄は父にむかって言った、『わたしは何か年もあなたに仕えて、一度でもあなたの言いつけにそむいたことはなかったのに、友だちと楽しむために子やぎ一匹も下さったことはありません。
それだのに、遊女どもと一緒になって、あなたの身代を食いつぶしたこのあなたの子が帰ってくると、そのために肥えた子牛をほふりなさいました』。
すると父は言った、『子よ、あなたはいつもわたしと一緒にいるし、またわたしのものは全部あなたのものだ。
しかし、このあなたの弟は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのはあたりまえである』」。

以上です。

僕自身のことをもてなすと言う意味ではありません。
実は聖霊様から啓示がありました。

7つの教会合同で愛餐会を1週間開きます。
数日でもかまいません。

教会を離れている兄弟姉妹を探して訪ねて愛餐会にお誘いします。
そして、そこで聖餐式を行います。

そうすると、これがエゼキエル34書の応答になり、神様の栄光が現れて教会が回復して癒されてキリストのからだが建てあげられていきます。

僕は、そのことを知らせるために今この証を書いていますし、これから教会を更に訪ねていきます。

果たして、放蕩息子が父親に受け入れられたように僕のことも受け入れてくれるでしょうか?

それは、動いてみなければ分かりません。
ただ、言える事は、僕にとってはかなりの十字架です。

教会と教会はキリストのからだになります。
そしてひとりひとりはイエス様の細胞だとも言えます。

それなら、前にもお話しましたが、細胞と細胞をつなげる接着分子のことを「ラミニン」と言います。

その分子構造はなんと十字架の形をしています。
ですからそれと全く同じです。

教会が癒され和解し、ひとつになるには十字架が必要です。
今回の働きは僕にとってかなりの十字架です。
人間的にはやりたくありません。

しかし、キリストのからだが癒され建てあげるのを見るのが僕の一番の願いです。
その為にはこの方法しかありませんでした。

聖霊様の啓示なので仕方がありません。

まだまだ、これからリアルタイムで起こることを続けて書いていきます。
教会を巡りながらになりますので、その証も追加していきます。

ぜひ、これを読んでくださる全ての方にお願いです。

イエス・キリストのからだの癒しとからだの建て上げがどうか見れますように・・・
そして、許しと和解と一致と愛で教会が満たされますように・・・
僕に勇気と信仰と愛が増し加えられるようにお祈り下さい。

このアンビリバボー体験談はこれからも書き続けていきます。
そのこともぜひ、お祈りよろしくお願いします。

エペソ人への手紙

6:11悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい。6:12わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。

 


Keystoneより


 
証し(youtube
(※イエスを信じる人に神は現れます。)

癒し・奇跡
(※あなたが神の子の特権を行使すると全く同じことが起こります。)
天国と地獄
(※死後の世界が確実にある事を知って下さい。)
 
キリストの再臨
(※大艱難時代が目前なので、今すぐ神の国を目指して下さい。)
 
■賛美
 
■オンライン教会
Keystone
Keystoneのアンビリバボー体験談集
0
  • 0円
  • ダウンロード

22 / 64