この話は、最も封印していた部分のお話になります。
この内容を公開するのは、まるで心理学者フロイトが自分のプライベートな体験談を犠牲にして、精神医学のために赤裸々に公開したのと同じです。
(※この件に関して20年以上たって初めて知った不思議な事実があります。この章の最初から最後まで順番にお読み下さい。)
今回は、僕が壮絶な結婚生活を通して、学んだ神様の深くて激しい愛についてお話しします。
僕は、結婚前に9年ほどお付き合いした女性がいましたが、彼女の遊び癖に何年も悩んでいて、もうお別れしようと決断して、別れた翌日位に、偶然ですが、9年ぶりに幼馴染だったある女性と再会したのでした。
僕はその時、仕事中の仕入先で、彼女に突然名前を呼ばれて、そちらに向かって歩いて行きました。
そうすると、聖霊様から声がありました。
「彼女を助けなさい。」
僕は、「どういうことだろう?」と思いました。
しかし、「聖霊様がそういうのなら、何か大きな問題があるはずだ」と確信しました。
すると、彼女は僕に、「ひさしぶりだね。なつかしいから一緒にお酒でも飲みに行こう」と誘ってくれましたが、僕は彼女に答えました。
「僕は、お酒は飲まないし、単なるおしゃべりなら他の人といけばいいとは思うけど・・・でも、もし、コーヒーとか食事だけでもいいのなら明日ならOKだよ。」と答えました。
聖霊様から、「彼女を助けなさい。」と言われていたので、僕は彼女の誘いに乗ることにしました。
そして翌日、僕の車でドライブをすることになりました。
ある海辺のレストランで一緒にディナーをしましたが、その時に僕が言いました。
「今日君と会ったのは、デートとかが目的ではなくて、実は、神様から啓示があって、君を助けなさいと言われたからだよ。ばかみたいに思うかもしれないけれど、僕はクリスチャンなので、神様の声が聞こえるから、これは真剣な話だよ。それで一体どうしたの?そんなに深刻な問題があるのなら、何でも気軽に僕に話して欲しい。」
僕が最初にこのことを話すと、彼女は涙をぼろぼろ流して言いました。
「実は、毎日苦しくて誰にも相談出来なくて、いつも死ぬことばかり考えているの・・・」
彼女は、最初で僕が自分のことを打ち明けたので、信頼して全てを打ち明けてくれました。
彼女の悩みを簡潔に言うと、こう言う事でした。
彼女は実家の家業をしていて、仕事内容は、毎日夜中に起きて、大きなトラックに荷物を山積みして乗せて、それを店舗で販売すると言うことでした。
その中で問題なのが、彼女のお付き合いしている男性の件でした。
水商売をしているときに出会った男性で、元々は暴力団員。
しかし、お付き合いをしてからは彼女の運転手をしていました。
ところが、毎日仕事前にお酒を飲もので、運転もできない状態で、更に重たい荷物を彼女一人でトラックに載せていて、彼はそばで熟睡しているだけなので、体も心も疲れ果て、長年の無理がたたり、子宮内膜症で出血も止まらないし、どんなに苦しくても家族にも相談出来なくて、うつ状態になってしまいました。
また、そのための解決法がないのでいっそのこと死んでしまいたいと言う極限状態でした。
そして、更にこう言いました。
「あなたが、中学の時にもっと私に優しくしていてくれたら、人生はもっといいものに変わっていたかも知れない・・・」
僕は、この言葉を聞いて心が痛くなりました。
実は、彼女とは小学校からの同級生で、更に家も近所なので、よくみんなで遊んだりしていました。
そして彼女の初恋の相手は僕でした。
中学にあがると、そのことがうわさになり、みんなが僕を冷やかしました。
思春期の僕は、それが嫌でたまらずに、彼女を逆恨みして徹底的に無視して、影で悪口ばかりを言っていました。
しかも中学の3年間ずっとです。
廊下で会うと、僕は彼女を避けて反対方向にいつも歩いていました。
露骨にみんなが分るように、そう言うひどい態度を3年間も続けてしまいました。
ほんとは、彼女のことを嫌いではないのに、僕は赤面症なので、みんなが冷やかすのが耐え切れませんでした。
しかし、修学旅行のときに夜遅く、誰もいないときに船の中で彼女とばったり出くわしてしまいました。
僕は二人きりだったので、どきどきしながらも声をかけました。
簡単なあいさつだけでしたが、ほんとは意地悪なことをして心が苦しかったので、そのときはお互い、にこやかに少しでも会話が出来たので、僕は嬉しかったのを覚えていますが、話をしたのはその時1度限りでした。
そう言う背景があっての再会でしたし、だからこそ僕は、彼女に対してすまないと思いました。
そして、それだけではありませんでした。
実は、夜のお仕事をしている時に、僕の職場の同僚が数名、彼女との結婚を目当てに毎晩のように会いに来ていたらしいのですが、僕をぜひお店に連れてきて欲しいと毎回お願いしたそうです。
しかし、僕は仕事が忙しくて全然来てくれないと言う事でした。
でも、僕はそんな話は一度も聞いたことがありませんでした。
その後、彼女はとても落ち込んだそうです。
そしてその頃に、この例の男性と出会って、寂しさを埋めるためにお付き合いしたと言うことでした。
僕はなお更、彼女に対して心が痛くなり、その場で今までのことを謝り、そのことを許してもらいました。
そうすると、彼女はとても癒されて満足していました。
しかし、現実的な問題は残されたままです。
そこで、僕は言いました。
「じゃあ、僕はこれから君の事を命がけで助けるので、心配しないでいいからもう、死にたいなんて考えないでね。」
彼女は、うなずいて涙を流して喜んでくれました。
そしてその後は、夜通しいろんなお話をして、夜が明ける前に彼女を帰してあげました。
それから結婚前提でちょうど1年お付き合いをして僕らは結婚しました。
実はその1年も波乱万丈でした。
それと、結婚前に彼女と話をしていると、何度も同じ幻を見ました。
それは、新約聖書の使徒行伝に出てくる、殉教者ステパノのシーンとよく似ていました。
ステパノは12使徒ではありませんが、使徒達の給仕役でした。
しかし、ステパノは恵みと力とに満ちて、民衆の中で、めざましい奇跡としるしとを行っていました。
更に、イエス様とまったく同じ経験をして殉教しています。
つまり、正しい神の言葉を述べて、更に癒しや奇跡や不思議を大胆に行い、イエス様と同じく不当な裁判にかけられて、それでも神の言葉を大胆に語り、石で撃ち殺されましたが、イエス様と同じで彼らの為にとりなしをしました。
では、彼が殉教するシーンだけ紹介します。
使徒行伝第7章54節~60節
人々はこれを聞いて、心の底から激しく怒り、ステパノにむかって、歯ぎしりをした。
しかし、彼は聖霊に満たされて、天を見つめていると、神の栄光が現れ、イエスが神の右に立っておられるのが見えた。
そこで、彼は「ああ、天が開けて、人の子が神の右に立っておいでになるのが見える」と言った。
人々は大声で叫びながら、耳をおおい、ステパノを目がけて、いっせいに殺到し、彼を市外に引き出して、石で打った。
これに立ち合った人たちは、自分の上着を脱いで、サウロという若者の足もとに置いた。
こうして、彼らがステパノに石を投げつけている間、ステパノは祈りつづけて言った、「主イエスよ、わたしの霊をお受け下さい」。
そして、ひざまずいて、大声で叫んだ、「主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせないで下さい」。こう言って、彼は眠りについた。
以上ですが、ステパノは僕がイエス様の弟子達の中で一番尊敬している人物でした。
そのステパノと同じシーンの幻を数回見ました。
僕が、彼女の家族にかこまれて罵倒され、石で撃ち殺されているシーンでした。
このリアルな映像が結婚の直前に何度もはっきり見えました。
そして、それが現実なものになりました。
不当な裁判を受け、迫害に遭い、挙句の果てに無残に殺されてしまったのと同じでした。
それに関連してのことなのですが、僕は仕事中にいつも一人の時間を持ち、祈っていました。
あるときの事ですが何と、僕が自分の意識しない言葉で勝手に祈りだしました。
簡単に言うとこう言う事です。
「イエス様、僕はこれから自分に降りかかる、多くの災難を感謝して受け入れます。」
僕は、この言葉が自分の口から出たときに、びっくりしました。
なぜなら、自分の結婚や将来についての祝福を祈っていたからです。
ですから、自分の口から勝手に全く正反対な言葉が出てきたので、驚いてしまいました。
ステパノと同じ内容の数回にわたる幻といい、結婚生活はかなりの苦難があることを覚悟していましたが、それでも僕は彼女を愛しぬこうと決めていました。
しかし、そんな僕の思いを簡単に完全に打ち砕くことが起こりました。
ある時、僕が一人でコーヒーを飲んでいた時の事です。
突然聖霊様が言いました。
「あなたは預言者ホセアの体験をしなさい」
実は、僕は偶然ですが、ホセア書だけはなぜか読んだことがありませんでした。
あんなに聖書を読んでいるのに自分でも不思議です。
教会に行って7年も経つのに、なぜだか、そこだけは読まないで、その日までいたのでした。
僕は、一体どういう体験なのだろうかと思いながら、かなり期待をして聖書を開けてみました。
なぜなら、預言者の体験なので、神様の栄光が現れる特別な素晴らしい働きだと知っていたからです。
しかし、僕は最初の数行を読んだだけで、一気に血の気が引き、失意と絶望のどん底に突き落とされてしまいました。
ホセア書第1章1節~11節
ユダヤの王ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの世、イスラエルの王ヨアシの子ヤラベアムの世に、ベエリの子ホセアに臨んだ主の言葉。
主が最初ホセアによって語られた時、主はホセアに言われた、「行って、淫行の妻と、淫行によって生れた子らを受けいれよ。この国は主にそむいて、はなはだしい淫行をなしているからである」。
そこで彼は行ってデブライムの娘ゴメルをめとった。彼女はみごもって男の子を産んだ。
主はまた彼に言われた、「あなたはその子の名をエズレルと名づけよ。しばらくしてわたしはエズレルの血のためにエヒウの家を罰し、イスラエルの家の国を滅ぼすからである。
その日、わたしはエズレルの谷でイスラエルの弓を折る」と。
ゴメルはまたみごもって女の子を産んだ。主はホセアに言われた、「あなたはその名をロルハマと名づけよ。わたしはもはやイスラエルの家をあわれまず、決してこれをゆるさないからである。
しかし、わたしはユダの家をあわれみ、その神、主によってこれを救う。わたしは弓、つるぎ、戦争、馬および騎兵によって救うのではない」と。
ゴメルはロルハマを乳離れさせたとき、またみごもって男の子を産んだ。
主は言われた、「その子の名をロアンミと名づけよ。あなたがたは、わたしの民ではなく、わたしは、あなたがたの神ではないからである」。
しかしイスラエルの人々の数は海の砂のように量ることも、数えることもできないほどになって、さきに彼らが「あなたがたは、わたしの民ではない」と言われたその所で、「あなたがたは生ける神の子である」と言われるようになる。
そしてユダの人々とイスラエルの人々は共に集まり、ひとりの長を立てて、その地からのぼって来る。エズレルの日は大いなるものとなる。
以上ですが、僕はこのホセア書を数行読んで、泣きながらイエス様にお願いをしました。
「イエス様、どうかお願いします。僕には無理な体験です。僕は死ねと言われれば、それさえ受け入れますが、この体験だけは止めて下さい。絶対に無理です。どうか助けてください。」
しかし、イエス様は何も答えてくれませんでした。
僕は、仕方がないのでホセア書全体を一気に読みました。
そして、結果的に神様の深い愛を知ることが出来ました。
ホセアの体験が無ければ、人間が神様の愛の深みや激しさを知ることは、不可能だと言うことがよく理解できました。
そして、その神様の深くて激しい愛を知るために、僕はそのことを受け入れるしかありませんでした。
そして僕は静かに祈りました。
「ただただ、あなたのみこころが行われますように・・・あなたの深くて激しい愛を知ることが出来ますように・・そしてイエス様だけが栄光を受けますように・・・イエス様の名前によりお祈りします。アーメン。」
僕はそれ以上の祈りの言葉が出ませんでした。
僕は、結婚前にこの啓示を受けましたが、それを受け入れました。
その後、僕は結婚をするにあたり、彼女に条件を付けました。
「もし、この条件を守れないのなら、結婚は到底無理なので、必ず守るように」とお願いしました。
それは、「今は仕事はしない」と言う事と、「今は家族との縁を切る」と言う事と、「教会には毎週行く」と言う事です。
そして僕は、彼女に対して最低でも体を1年以上は休めて、体も治して丈夫な赤ちゃんをちゃんと産める体になる為に、仕事を今すぐ辞めてとお願いしましたが、誰も彼女の為に仕事を代わってくれる人はいませんでした。
職場の人間は皆、家族や兄弟であるにもかかわらず、誰も彼女の体の事には気を使わず、更に、酒を飲んで遊んでばかりいる元カレの事で死にたいくらいに悩んでいる彼女の苦しさを誰一人、知ろうとはしませんでしたし、そればかりか、誰も元カレに文句を言う人もいませんでした。
又、彼女が仕事を辞めると、他の誰かが嫌な仕事を代わりにやらないといけなくなるので、その理由だけで僕はみんなに嫌われていました。
つまり、誰一人僕が彼女と付き合うのを喜んではいませんでした。
逆に、彼女の元彼が仕事を辞めたり、彼女と別れることなどが、会社や自分らにとっては不利益だと考えているくらいの、何とも言えない凄い家族でした。
仕方が無いのでしばらくは、僕がタダ働きでずっと彼女の仕事を手伝っていました。
そして、結婚前には仕事を辞めてもらいました。
しかし、妻は結婚後、たったの2週間で僕に一言も相談せずに勝手に仕事を始めてしまったのでした。
僕は、そのことについてかなりショックを受け、ほんとに裏切られたと言う気持ちでいっぱいでした。
あれだけ苦しんでも元カノよりも妻を選んで結婚したのに、簡単に僕との約束を破って家族を選んでしまったのでした。
妻は、「たった2週間だけお願いと言う事だったので、それならいいと思って引き受けた。」・・・と言う事でしたが、僕は家族を全く信用していませんでした。
しかし、それよりも妻が僕の事を全く無視して、結婚についての約束を破ってしまったと言う事が何よりも衝撃的でした。
結果的に僕の願いに反して、それからも妻は仕事をしていましたが、元彼と仕事をさせるのが嫌だったので僕が代わりに仕事を手伝いました。
僕自身も仕事を別にしていたし、更に妻の父親の会社の子会社も設立して事業を行っていたので、その中で夜中から朝までハードな肉体労働を手伝うと言うのは、まさに殺人的な仕事量でした。
あまりにも仕事が忙しいので、お互いに時間的なすれ違いが多く、結婚をしてからの2週間以外は一緒に食事も出来ず、一緒にお風呂も入れず、一緒に寝ることも出来ませんでした。
しかも、仕事を3つもこなしていたので、ほとんど妻の実家の会社で寝泊りをしている状態でした。
家に戻るのはお風呂に入る時くらいでしたが、その時でも妻はいつも家族と食事をしたり、遊びに行ったりして、僕と時間を共にする事は全くありませんでした。
更に、こんな状態でも仕事とは言え、妻は元彼と二人きりで車に乗って家に帰ってくることがありました。
僕は何よりそれが耐え切れなくてずいぶん苦しみました。
「僕は、一体何のために妻と結婚したんだろう?二人が少しでも長い時間一緒にいたいから誰でも結婚するのではないのか?だとしたら自分の結婚生活は何て悲しい結婚生活なんだろう?」
いつも、そんな事を考えながら、毎日忙しい日々を過ごしていました。
こんな事が結婚してから3年も続きました。
ちょうど、そのころ僕の体はあまりの過労のために、極限状態にまで来ていました。
僕は、ほんとは早く二人とも健康になって、そのあとにかわいい赤ちゃんも欲しくてたまりませんでした。
それは、毎日その為に苦しくて惨めな思いをしていたからです。
例えば、妻の妹夫婦が出来ちゃった結婚をした時のお祝いの席で、家族や親戚に「何でお前たちは結婚して3年にもなるのに子供が出来ないんだ?もし作りかたが分からないのだったら、妹夫婦に習ったらいいんじゃないのか!?」
と言われて、皆、大爆笑でしたが、僕はただ下をうつむいて涙を必死にこらえているだけでした。
そして、妻の実家で飼っている牛の去勢手術の手伝いをしている時にも、「お前も全く何の役にも立たないから、牛と一緒に去勢をしたほうがいいんじゃないのか?」と、親兄弟に言われ、みんなに腹を抱えて笑われてしまいました。
僕は、妻に最初で約束したとおりに、彼女が仕事を辞めて体調を整えてからしか子供を作ろうとは考えていなかったので、悔しいけれど将来の元気な赤ちゃんの為に、どんな屈辱にも耐えていました。
しかし、肝心の妻がどうしても仕事も辞めずに、僕よりも家族の方を大切にするので、いつまでも苦しく惨めな日が続きました。
それからしばらくたったある日、僕は原因不明の腹痛と共に高熱を出して苦しんでいました。
熱は40度近くにもなっていましたが、それでも妻が看病をしてくれるわけではありませんでした。
それどころか、「今日は年末だから家族と忘年会があるので、付き合いでもあるし行ってくるね。」・・・と、言われてしまいました。
僕は、高熱を出しながらも、さすがにその言葉にぶち切れてしまいました。
「何で自分の夫が死にそうな思いで苦しんでいるのに、又家族を選ぶの?しかも今日は年越しなのに自分はまたいつものように一人でいるしかないわけ?それなら自分は家の鍵を閉めるよ!それでもいいなら行けばいいよ!」・・・と、言いましたが、妻は「なるべく早く帰ってくるから・・・」と言って、僕を残して行ってしまいました。
僕は結婚して3年間もこんな事が続いていたので、もう何もかもが嫌になっていました。
そして、深夜零時を過ぎても妻が帰らなかったので、怒ってドアの内鍵をかけてしまいました。
それから、何時間かして妻は帰ってきましたが、僕は高熱のせいで声も出ないし、全く動く事も出来ませんでした。
ましてや自分の事を捨てていった妻の為に、もはや起き上がる気力もありませんでした。
僕はそのまま気を失うようにして寝てしまいましたが、翌日の午後に妻は帰ってきました。
そして、妻は帰ってくるなり、泣きながらこう言いました。「何でドアのロックをかけたの?何で何度開けてとお願いしても開けてくれなかったの?」
僕は、「何を泣いてるんだこいつは?」と思いながら、「何でって、そんなに行きたいのなら鍵をかけるからと最初で言ってあったし、その前にあまりにもきつくて声も出ないし、動く事も出来ない状態だったから仕方が無いよ。」と言いました。
そして、「泣きたいのはこっちのほうだよ」と心の中で怒っていました。
しかし、妻はそれでも泣き続けていたので僕は何かおかしいと思い、「どうしたの?何か悲しい事でもあったの?」と、聞きました。
そうすると、妻は泣きながら答えました。
「実は、あなたに鍵を閉められたから、仕方なく妹の家に泊めてもらいに行ったのだけど、朝になったら妹は出かけていて・・・そしたら妹の旦那が突然私に抱きかかってきて・・・そして、前からお前の事が好きだったとか言われて・・・・
それに、このことを内緒にしないと妹と別れてしまうから誰にも言わないようにと言われたの・・・」
僕は、妻の言葉を聞いて、とても怒りを感じ、すぐに妹夫婦の家に行こうとしました。
しかし、僕は妻の言葉で行くのを止めてしまいました。
「私のせいで妹が離婚をしたらかわいそうだから、絶対に行かないで!お願いだから何も無かった事にして!」
僕は、妻の口から全く想像もしなかった言葉を聞いてしまい、とても心が苦しいうえに無気力になり、激しい怒りも一瞬にして消え、僕の心はただのむなしさと、深い悲しみとに変ってしまいました。
しかし、この後更に、苦しくて悲しい出来事が突然の津波のように立て続けに起こるとは全く想像もしていませんでした。
その後も、殺人的なスケジュールの中で、仕事をこなしていましたが、それから2ヶ月たったある日に又、過労で2日ほど高熱を出してしまいました。
しかも、お腹の痛みが尋常ではありません。
僕は一人で病院へ行き、診察の前に妻に電話をしました。
「実は、ある遠くの病院の駐車場で今激しい腹痛と高熱で死にそうになっているのだけど、もし今まで通りの結婚生活を送るつもりなら、自分はこのまま死んでもそれでいいと思っている。だけどもし、君が僕の事を、家族よりも大切に思って、毎日ご飯も一緒に食べたり、普通の夫婦のように愛し合ってくれるんだったら、診察をうけて治してもらおうと考えているのだけど、君はどっちがいいの?」
僕がこのように真剣に尋ねると、
「ごめんなさい。自分が今まであなたに対して悪い事をしていたので、それは心から謝るし、これからは反省して、良い妻になるから、だから病院でちゃんと診て貰って、お願いだから死んでもいいとか言わないで・・・」
と、妻は泣きながら言いました。
「じゃあ、君が今すぐ来てくれるのなら、自分は診察を受けるから、どうか気を失わないうちに気をつけてこっちに来てね。」
僕は、そう言って高熱と激痛の中、妻をひたすら待っていました。
その後、妻がやって来たので一緒に病院へ入り診察を受けました。
その結果、緊急入院となりましたが、大きな総合病院であるにも関わらず、全く原因が分かりませんでした。
各専門の検査師や医者が体中を調べましたが、レントゲンを写しても僕の内臓は、影が出ていて全く内臓の状況が分からなかったそうです。
もっと言えば、内臓が全く写っていなかったので、「あなたは宇宙人なの?」と先生方に言われてしまいました。
1週間以上も40度近い高熱が続き、お腹の激痛もピークに達していたのですが、原因が分からない為に、薬の投与も無く、一切の治療行為も行われませんでした。
連日の高熱と、あまりの激痛の為に何度も気を失ってしまいましたが、僕のそんな姿を見るたびに妻は、心が締め付けられ、自責の念に駆られ、自宅に帰ってからいつも泣いていたそうです。
そんなある日の夜遅くに、このままでは危険だと言う事なので、緊急手術を行うと言う事になりました。
手術の説明の時に、執刀医の院長先生が僕に言いました。
「あなたは、このままだと確実に死ぬでしょう。でも、原因はまだ分かりませんが、手術を今すぐ行えば助かるかもしれません。しかし、無事成功出来たとしても、一生子供は作れないと思いますので、それは覚悟していて下さいね。それでは、手術の前にぜひ家族を呼んでいて下さい。」
僕は最初から、「もう死んでもいい」と思っていたので、それは仕方がないと、死を受け入れていましたが、