僕には娘が二人いて、二人とも聖霊体験をしています。
長女は5歳のときに僕と二人きりで暮らしました。
それは、妻と別居していたからです。
しかし、そう言うこともすでに啓示をもらっていました。
これはいつかお話したいと思います。
長女だけ、連れて一緒に仕事に出ているときに、僕の母親に預けていた次女を、妻にだまって連れて行かれました。
僕は、それが、あまりにも悲しくて、1週間1日中涙が止まりませんでした。
仕事をしていても、誰かと話しをしていても、涙が全然止まりませんでした。
僕はあまりにも悲しいので、親友に連れられて彼の教会に行きました。
そこでは、ちょうど笑いの集会が行われていました。
それは、聖霊の働きでみんなが笑い出すと言う現象でした。
その笑いの霊を受けると、心にある傷の癒しを受けます。
しかし、みんなが笑いまくっている中で、僕だけは涙が止まりませんでした。
かなり、浮いていました。
それほど僕の悲しみは深かったからです。
ちなみに教会の牧師先生は、僕が高校の時の日曜学校の先生でした。
僕が余りに、涙が止まらず悲しいのを見て、先生も笑うのもやめてしまいました。
そして、祈ってもらいました。
僕もイエス様に祈りました。
「イエス様、僕はあまりにも悲しすぎて涙が止まりません。
心が痛くて、苦しくてどうしようもないです。どうか僕を癒して下さい。」
祈りというよりも、自分の苦悩を必死に訴えました。
すると、聖霊様が答えました。
「あなたは自分の悲しみよりも、あなたの妻が私から離れ去ったことを悲しみなさい。
そして彼女を許し、愛しなさい。」
僕は、そう言われて、自分のことばかりで悲しんでいたことに気がつきました。
そしてそれを悔い改めして、聖霊様に言いました。
「聖霊様、分りました。僕は自分の事だけを考えていて、自分のことだけを悲しんでいて、彼女のことを全く考えてもいませんでした。どうかこのことを許して下さい。それと、あなたが教会を愛するように、僕も彼女を許し、愛します。」
そして、それを言ったと同時に、幻が見えました。
突然、イエス様の腕が出てきて、その手が僕の体の中に入っていき、僕の胸の辺りにある根深い悲しみや痛みの塊を根こそぎ、引き抜いてくれました。
そうすると、その瞬間、1週間も心が痛くて悲しんでいたのに、それがまったく消えてしまいました。
それで僕は、完全なる心の癒しを体験しました。
その時から涙も止まり、心の痛みも消えて平安になり、自分のことよりも妻の事を祈れるようになりました。
そして妻と次女のために、毎日長女と一緒に涙を流しながら祈りました。
ある時、礼拝で聖餐式を受けている時に、僕は聖霊様に示されて、長女に聖餐式についての説明をしました。
ちょうど、電話口の壁にレオナルド・ダヴィンチの「最後の晩餐」の絵が飾ってあったので、聖餐式の途中で、彼女をそこに連れて行き、聖餐式のことを説明しました。
「これはね、イエス様が十字架にかかるまえに、弟子たちと一緒に食事をしたときの絵だよ。イエス様は自分が十字架で死ぬことが分っていて、それを記念にして、パンとぶどう酒を与えたのだけど、これはね、パンはイエス様のからだを意味していて、ぶどう酒はイエス様が十字架で流した血のことを言っているんだよ。だから、それを食べて飲むことによって、自分もイエス様のように十字架にかかって死んでもいいほどイエス様を愛して信じて従いますというための聖餐式だよ。」
僕は、小学1年生の娘に分りやすいように説明しました。
娘は僕の説明を聞いて言いました。
「お父さん。私もイエス様の為に死んでもいいから、聖餐式を受けたい。
どうしたら子供でも受けられるの?」と、涙を浮かべて言いました。
僕はこの言葉を聞いて驚きました。
彼女は、イエス様の為に命を捨ててもいいほどの信仰を持っているし、それほどにイエス様を愛しているのだということが分りました。
しかし、残念ながら教会では子供には聖餐式を授けていません。
それで僕は娘に言いました。
「わかったよ。でも、教会では大人しか受けられないから、夕方にでもお父さんと一緒に聖餐式をしようね」
そう言うと、娘は更に涙を浮かべて喜んでいました。
そして、その日の夕方、ぶどうジュースとクラッカーを買ってきて、車の中で聖餐式を行いました。
ちゃんと、み言葉も読んで本格的にそれを行いました。
コリント人への第一の手紙11章23節~:26節
わたしは、主から受けたことを、また、あなたがたに伝えたのである。
すなわち、主イエスは、渡される夜、パンをとり、
感謝してこれをさき、そして言われた、「これはあなたがたのための、わたしのからだである。わたしを記念するため、このように行いなさい」。
食事ののち、杯をも同じようにして言われた、「この杯は、わたしの血による新しい契約である。飲むたびに、わたしの記念として、このように行いなさい」。
だから、あなたがたは、このパンを食し、この杯を飲むごとに、それによって、主がこられる時に至るまで、主の死を告げ知らせるのである。
以上ですが、僕は娘と一緒に聖餐式を受けて、そして彼女の両手に僕の両手を添えて、感謝を捧げ、そして、娘の祝福を祈りました。
娘と聖餐式を受ける事が出来て、僕は心から主に感謝しました。
そして、お祈りが終わると娘が言いました。
「お父さん。あのね。お父さんが、私の手に両手を置いてお祈りしたときに、空から天使が飛んできて、お父さんの両手に天使が両手を置いて、一緒ににこにこしながら祈ってくれたよ。」
僕はこの証しを聞いて心からイエス様に感謝しました。
この時から娘は幻を見たり、聖霊様の声を聞いたり、啓示を受けたり、癒しが出来るようになりました。
それどころか、なんと、ミニストリーが出来るほどになりました。
僕の親友の母は、僕の娘のことを「女サムエル」と、呼んでいたほどです。
サムエルとは旧約聖書に出てくる、偉大な預言者のことですが、よくキリスト教の絵画に子供が祈ってるかわいい絵がありますよね?
あれが預言者サムエルの幼いころの姿です。
教会の先生からも娘は預言者だと言われました。
なぜなら、毎日書く日記がおもしろいからです。
まだ起こっていないことばかり、前もって日記に書くようになっていたのですから・・・
それを読むのがいつも楽しみでした。
そして娘が前もって書くことは全てその通りになりました。
聖霊様は、子供たちの信仰を祝福してくれています。
僕は、それから毎月、娘と聖餐式をするようになったし、自宅でお祈りも礼拝も一緒に捧げる様になりました。
そして、彼女の賜物が僕から分与されて預言も出来るし、聖霊様と会話も出来るし、幻も見るし、幻や夢の解き明かしも出来るし、とにかく、聖書もほとんど知らないのに、聖書の奥義さえも語りました。
それには、僕もびっくりです。
ある時、こう言う事がありました。
僕が教会の癒しの集会の前に、教会で数人で祈っていた時の事です。
聖霊様が僕に言いました。
「あなたは幼子を軽んじてはいけません。天国は幼子のものです。」
僕は、それを聞いて、「聖霊様、分りました。僕は、幼子を軽んじません。そして、その人格を尊敬して、一人の神の器として受け入れます。」と言いました。
僕がそれを心の中で告白したとたんに、娘がおもしろいことをし始めました。
講壇の前で、僕らが祈っていると、僕らの後ろに立って、手をかざし力を全身にこめて祈っていました。
これって、小学1年生が普通やらないですよね?
つまり、聖霊様からの啓示を受けて僕らのとりなしをしているわけです。
普通なら、「今、お祈りしているから、隣の部屋で絵でも描いていてね。」と言っていたと思いますが、その時には聖霊様から啓示があったので、彼女が導かれるままにさせました。
そして、娘が言いました。
「お父さん。神様の為にイスを用意したいけど、準備してもいい?イエス様からお願いされたから、イスを持ってきて並べたいから。」
僕は、「うん。いいよ。イエス様がお願いしているのなら、なんでもしてね。」
僕は、そう言いました。
そして、そばにいた姉妹たちも、それを眺めていました。
僕は、一体どうするのだろうかと、それを見守っていました。
そして、講壇の前にイスを並べ始めました。
一つ目を並べ、もうひとつも並べ、更にもうひとつを並べました。
僕は、少し不思議に思いました。
「どうしてイエス様のためにイスを3つも並べるのだろう・・・」
娘は、並べ終わると僕に言いました。
「お父さん、あのね。イエス様が教えてくれたことを言うね。
このイスは、イエス様のお父さんのイスで、このイスはイエス様のイスで、このイスは神様のイスだよ。」と、にこにこ顔で言いました。
僕はこの説明を聞いて驚き、そして感動しました。
なぜなら、聖書の神様は、父・子・聖霊の三位一体の神様であるからです。
もちろん、娘にこの真理が分る訳もないし、聖霊様のことも説明したことなんかありませんでした。
聖霊様の事をどう呼んで言いか分らないので、「イエス様のお父さんと、イエス様と、神様」と、表現していたのでした。
そしてこれだけではありません。
娘が更にいました。
「お父さん。イエス様が言っていることで、私が言っていることじゃないから、今から言うことを怒らないで信じてね。」
それを聞いて僕は言いました。
「お父さんが、怒るわけないよ。大丈夫だからイエス様が言ったことを、ちゃんと聞くから教えてくれる?」
すると娘が言いました。
「あのね。教会が終わったら、いつも行ってる海に行きなさいって・・・。これは私が行きたいから言ってるんじゃないよ。イエス様が言ってるんだよ。」
僕は、笑いながら、「うんうん。大丈夫。分ってるよ。だから何でもそのまま話してね。」
そうすると、娘が言いました。
「海に行ったら、お父さんは7回海に入ったり出たりしなさいって、イエス様が言ってるよ。そしたらね。お父さんの足の病気が治るからそれを言いなさいと言われた。」
僕は、この言葉を聞いてほんとに驚いて感動してしましました。
なぜなら、その頃僕は、原因不明の足の皮膚病で数ヶ月も苦しんでいたからです。
しかも、皮膚病を海に7回も出入りして治すと言うのは、聖書に全く同じ事が書かれているからでした。
第二列王紀第5章1節~14節
スリヤ王の軍勢の長ナアマンはその主君に重んじられた有力な人であった。
主がかつて彼を用いてスリヤに勝利を得させられたからである。
彼は大勇士であったが、らい病をわずらっていた。
さきにスリヤびとが略奪隊を組んで出てきたとき、イスラエルの地からひとりの少女を捕えて行った。
彼女はナアマンの妻に仕えたが、
その女主人にむかって、「ああ、御主人がサマリヤにいる預言者と共におられたらよかったでしょうに。彼はそのらい病をいやしたことでしょう」と言ったので、
ナアマンは行って、その主君に、「イスラエルの地からきた娘がこういう事を言いました」と告げると、
スリヤ王は言った、「それでは行きなさい。わたしはイスラエルの王に手紙を書きましょう」。
そこで彼は銀十タラントと、金六千シケルと、晴れ着十着を携えて行った。
彼がイスラエルの王に持って行った手紙には、「この手紙があなたにとどいたならば、わたしの家来ナアマンを、あなたにつかわしたことと御承知ください。あなたに彼のらい病をいやしていただくためです」とあった。
イスラエルの王はその手紙を読んだ時、衣を裂いて言った、「わたしは殺したり、生かしたりすることのできる神であろうか。どうしてこの人は、らい病人をわたしにつかわして、それをいやせと言うのか。
あなたがたは、彼がわたしに争いをしかけているのを知って警戒するがよい」。
神の人エリシャは、イスラエルの王がその衣を裂いたことを聞き、王に人をつかわして言った、「どうしてあなたは衣を裂いたのですか。彼をわたしのもとにこさせなさい。
そうすれば彼はイスラエルに預言者のあることを知るようになるでしょう」。
そこでナアマンは馬と車とを従えてきて、エリシャの家の入口に立った。
するとエリシャは彼に使者をつかわして言った、「あなたはヨルダンへ行って七たび身を洗いなさい。そうすれば、あなたの肉はもとにかえって清くなるでしょう」。
しかしナアマンは怒って去り、そして言った、「わたしは、彼がきっとわたしのもとに出てきて立ち、その神、主の名を呼んで、その箇所の上に手を動かして、らい病をいやすのだろうと思った。
ダマスコの川アバナとパルパルはイスラエルのすべての川水にまさるではないか。わたしはこれらの川に身を洗って清まることができないのであろうか」。こうして彼は身をめぐらし、怒って去った。
その時、しもべたちは彼に近よって言った、「わが父よ、預言者があなたに、何か大きな事をせよと命じても、あなたはそれをなさらなかったでしょうか。まして彼はあなたに『身を洗って清くなれ』と言うだけではありませんか」。
そこでナアマンは下って行って、神の人の言葉のように七たびヨルダンに身を浸すと、その肉がもとにかえって幼な子の肉のようになり、清くなった。
以上ですが、聖書に書いてある、そのままのことを娘は聖霊様から受けて、それを僕に伝えてくれたのでした。
そして言われた通りに信仰を持って、海に7回浸りました。
7回目に足を見てみると、すでに癒しが始まっていて数日で完治してしまいました。
どんなに薬を塗っても全然癒されなかったのに、聖霊様の啓示によって娘の言葉で僕はそれに従い完全なる癒しを受けました。
更に、このことは僕の内側の高ぶりを完全に打ち砕き、それからは更に娘の人格を尊重するようになりました。
親子と言うより、信仰の友と言う感じになりました。
ほんとに、聖霊様は素晴らしいですね。
その後も更に、娘の信仰も賜物も聖霊様が育てて祝福してくれました。
ある時、僕がテーブルの前に座り、聖書を読んでいると、目の前にいる娘が言いました。
「お父さん。もう少しだけ右によってくれる?」
僕は何だろうと思いながらも、言われたとおりに右側によりました。
「もうちょっと、右によって、そうそうそこでちょうどいいよ。」
僕は娘の言う通りにしましたが、意味が分らなかったので質問しました。
「何で?それがどうかしたの?」
すると娘が笑いながら答えました。
「お父さんの隣にイエス様が座っていたから、一緒にくっついて聖書を読んで欲しかった。」
僕はこれを聞いて感動しました。
「ああ、娘はほんとに素晴らしいな。
清くなければ神を見ることは出来ないし、清い子供だからこそ神様が見えるんだ。」
そう思って、更に僕が聖書を読むときでも、いつでもイエス様が隣にいてくれていることも分りました。
考えてみたらそれは当然です。
なぜなら、僕が聖書を読むと聖霊様が必ず話しかけてきてくれたのですから。
こんな感じで毎日が奇蹟の連続でした。
それと、週末だけの約束で、娘を妻のところにお泊りさせていましたが、ある時に起きたことです。
妻が僕に、いつものように暴言を吐き、言葉で責め続けていました。
僕は、黙ってそれを聞いていました。
そして、しばらくして彼女は突然家に戻っていきました。
すると、娘が言いました。
「お父さん。あのね。お母さんが、お父さんに怒って文句を言っている時に、お母さんの胸のところから小さくて黒い天使が出てきて、お父さんに向かって、ボクシングみたいにパンチを出しながら、もっとやれやれ!って言っていたよ。だから、私はイエス様に助けて下さいってお祈りしていたんだよ。そしたらお母さんは黙ってお家に帰ってくれた。」
僕は、その言葉を聞いて娘の霊的成長に心から感謝をしました。
普通なら小学1年の子供が、両親のそんな姿を見たら、傷ついて悲しいだけの話なのに、それどころか娘は、僕ら両親のことを祈りで支えて、一人で悪霊と戦っていたのでした。
ほんとに素晴らしい祈りの戦士ですね。
僕はその時に、「幼子を軽んじてはいけません!」と言う意味がほんとによく分りました。
考えてみたら、まだ一緒に家族で住んでいるときにも、土曜学校と言う子供集会を僕が開いていたのですが、その子供たちは娘がリーダーになって賛美や踊りを指揮していました。
そして、娘に油注ぎがありました。
なぜなら、子供たちの賛美が半端なく凄いからです。
どう言う事かと言うと、子供たちが賛美をすると天が突き抜けるからです。
そこには油注ぎがあります。
それで、あるとき僕は、日曜学校の教師に言いました。
「日曜学校の子供たちは何であんなに元気が無いの?僕らの家の土曜学校は賛美をすると、天が開き、子供たちは教会の子供たちよりも輝いて力もあるし、元気いっぱい。もしよければ、僕に1ヶ月だけ時間を下さい。子供たちにそういう賛美を教えてあげたいのですけど、いいですか?」
そうすると、先生は喜んで僕らに任せてくれました。
それから1ヶ月4回ほどでしたが、日曜学校の時間に、僕と娘達が賛美をリードして子供たちに僕らが家で行っていることを教えました。
そして、1ヵ月後に礼拝でそれを披露する事になりました。
突然のサプライズで僕と娘達が前に出て、他の子供たちを前に出して賛美をしました。
するとどうでしょう。
みんなは感動して大喜び、更にその瞬間、日曜学校の教師に油注ぎがあり、突然大きな声で異言を語り始めました。
彼が、教会で異言を語るのを初めて見ました。
更にその油注ぎがほかの兄弟姉妹にも注がれていきました。
あまりにも素晴らしいので、その日の夕拝にも子供たちの賛美を披露させてもらいました。
そうすると、更に教会全体に油が注がれました。
このように、娘や子供たちの油注ぎのパワーは素晴らしいです。
皆さんも、ぜひ幼子を受け入れて下さいね。
それからあるとき、僕はなんとなく旧約聖書のような祭壇で礼拝をしたいと思い、簡単ですがまねごとのようにして、お香に火をつけてイエス様を礼拝してみました。
すると娘も僕のそばで黙って礼拝をしました。
礼拝が終わり、娘を見てみると目を丸くしていました。
「どうしたの?」と聞いたら娘が言いました。
「お父さんがお祈りしたら、お父さんの背中から大きな火が出てきて、それが天井まで焼けるくらいに燃えていたよ。」
僕はそれを聞いて驚きました。
この礼拝を神様は受け入れているのだと知りました。
それと、娘が毎日でも幻と同時に、その解き証しをもらえるので、それも楽しみでした。
あるとき僕は、娘に質問をしました。
「お母さんとお父さんはいつごろ仲直りできるかイエス様に聞いてくれる?」
そしたら娘は目を閉じて聖霊様と話をしていました。
そしてすぐに言いました。
「お父さん。あのね。お父さんが羊をたくさん養ったら、お母さんとなかよくなれるってイエス様が言ってるよ。」
小学1年生の娘が羊を養うと言う、霊的な意味を分るはずもないので、僕は驚きましたが、聖霊様に感謝しました。
羊を養うとは、実はイエス様を信じた人々を養いなさいと言う意味です。
またある時、僕が祈っていると幻を見ました。
それは、祈っている僕の後ろで大きなカマを持っている天使がいました。
そして、麦のような草のようなものを僕の後ろで刈り取っていました。
それを見て僕は思いました。
「これは、僕の犯してきた罪の行いの結果を刈り取りしているんだ。」
そして、聖霊様にお祈りしました。
「聖霊様、僕の過去の罪の結果の刈り取りがあるのならどうぞ、それを一気に刈り取って下さい。僕はそれを全て受け入れます。」
僕はそれを真剣に祈り求めました。
すると、聖霊様が言いました。
「それなら、それらを一気に刈り取ります。あなたはそのために娘を手放しなさい。」
僕はこの言葉を聞いて衝撃を受けました。
なぜなら、次女も奪われた上に長女まで手放すことになるからです。
しかし、その時に後ろにいた天使が全ての刈り取りを一気に終えていました。
刈り取る音が「バサッ」と聞こえました。
僕は、もうそれを受け入れるしかない事が分りました。
そして聖霊様に言いました。
「聖霊様、分りました。その通りにします。その代わり、娘たちをどうぞ僕の代わりに守っていて下さい。」
僕は心がとても痛くて大変でしたが、娘が学校から帰ると、「お父さんと一緒にドライブして公園でお弁当を食べようね。」と言って、最後の日を迎えることにしました。
そして、食事を終えて公園のベンチに座り、娘に言いました。
「今から、お父さんが大事なお話をするから聞いてね。今日、お父さんがお祈りをしていたら、イエス様が娘をお母さんのところに行かせなさいって言われたよ。」
僕が、そのことを言うと、娘は泣きながら言いました。
「お父さんのそばから絶対に離れたくない。お父さんのほうがいいよ。お父さんは何も悪くないのに、何でお父さんはひとりぼっちになるの?」
そして僕は言いました。
「お父さんも、悲しいけど、男だし強いから大丈夫だよ。でも、心配ならイエス様に何でお母さんのところに行かないといけないのか自分で聞いてごらん。」
僕がそう言うと、娘は目を閉じて静かに祈り始めました。
そしてしばらくして娘が言いました。
「お父さん。あのね。イエス様が明日からお母さんのところに行きなさいって。そしてお母さんと妹のために毎日祈りなさいって言われたよ。だから悲しいけど私がお母さんと妹を明日から守るね。」
僕はその言葉を聞いて、娘と抱き合い、涙を流しながら精一杯褒めてあげました。
娘はほんとにお父さん思いです。
彼女が3歳位の時でした。
僕は、お正月に一人で家のペンキ塗りをしていました。
せっかくの正月なので、家族で近くの動物園に行く約束をしていました。
妻と娘は、正月と言うことで実家に戻っていましたが、僕は約束の日時にペンキ塗りを終える為に、ほとんで眠らないで2日も作業をしていました。
しかし、約束の日時が来ても連絡もないし、返事もありません。
僕は肉体的にも精神的にも疲れがピークに達していました。
そして約束の日の暗くなる頃に、妻と娘が戻ってきました。
「何で、連絡も取れないし、こんなに遅く帰ってきたの?
こんなに、遅くなったらもう動物園は閉まっているからもう行けないよ!」
僕が、そう言うと、妻が言いました。
「ああ、それなら大丈夫。動物園には家族と行って来たよ。」
僕は、この言葉を聞いて怒りが込み上げて、妻の背中に飛び蹴りをした・・・と言うか、ペンキで両手が汚れていたので、足で背中を押して倒しました。
そしたら、それを見た娘が走ってきて、倒れた妻の背中を何度も足で蹴っていました。
僕は、それをみて怒りが治まり、それ以上は何も言いませんでした。
なぜ娘がそう言うことをしたのかと言うと、それには大きな理由があります。
実は、毎日妻の暴力を僕は受けていたからです。
気に食わない事があると、娘の目の前で殴る蹴るはもちろん、しまいにはヌンチャクで僕を叩きまくります。
娘はそれを見ていつも僕をかばい、妻を押しのけていましたが、妻は娘を払いのけて倒れさせました。
そして、部屋の鍵を閉めて娘が見れないようにして、僕をヌンチャクで気が済むまで叩き続けました。
娘は部屋の外でドアを叩きながら、「お父さんをいじめないで、お父さんを叩かないで」と、何度も大声で叫んでいましたが、妻にはそんな声なんか全然届きませんでした。
そう言う僕が、初めて反撃をしたので、それを見て長女は、倒れた妻の背中を何度も蹴り続けていました。
その娘の姿を見て僕は、怒りが消えたので、娘に言いました。
「もうお父さんは怒っていないから、お母さんを蹴らなくてもいいよ。お父さんを助けてくれてありがとう。ほんとにいい子だね。」
普通なら叱るべきかも知れませんが、僕は娘の愛情に癒されました。
しかし、それを見た妻はショックを受けて無言で部屋に入りました。
そう言う愛しい娘達を妻に預けたのですから、僕はかなり悲しい思いをしました。
ほんとに父親思いの優しい娘達でした。
僕が、長女を妻に完全に預けると、毎週二人を僕が預かり、週末だけは寝泊り出来るようになりました。
しかし、それからしばらくして、妻に呼び出され、待ち合わせをしました。
そうすると、彼女の兄弟たちが全員夫婦ごとに集まっていました。
そして数時間、僕を罵倒し続け、離婚を迫りました。
そして、それを条件に、これからも娘たちと毎週会わせるとからと言う約束をしてもらいました。
僕は次の日に仕方なく離婚届にサインをしましたが、その時に妻の長男にお願いをしました。
「この、離婚の理由がもし、彼女の浮気とかなら僕は絶対に認められないので、その時は僕の味方をしてくれますか?」
僕が兄にそう言うと、「そこは責任を持つので、印鑑を押しなさい。」と言われたので、そうすることにしました。
それから、1週間ほどたった日のことです。
たまたま夜遅くに娘たちと、妻の家の前を通りかけました。
そしたら、お風呂の明かりがついていたので、それを娘たちと眺めていました。
そして、夜遅くでしたが彼女は車に乗って、ある場所に向かいました。
娘たちも、「お母さんはこんな夜遅くからお化粧してどこに行くのかな?」と不思議がっていたので、後を着いていきました。
そうすると、ある民家に入っていきました。
僕は、すぐに彼女に電話をしました。
娘たちには静かにするように言いました。
「実は家の近くに来ていて、どうしても子供たちがお母さんの顔を見たいというのだけど、数分でいいから出てきてもらえないかな?」
僕が、そう言うと彼女が言いました。
「ごめんなさい。実は今、頭痛がひどくて家で寝込んでいて、起き上がれないので、今日は無理だと子供たちに言ってくれない?」
この会話を子供たちも聞いていたので、僕は彼女にいました。
「実は、申し訳ないのだけれど、さっき、そちらの家の前を通りかかったら、車で出かけるのを子供たちと目撃して、そのまま着いて行ったら、誰かの家の前で車を止めたよね?子供たちもそれを見ているし、今もそばでこの会話を聞いているよ。だから、近くのファーストフードの駐車場に来てくれないかな?」
僕がそう言うと、彼女は納得してしてその場所に来ました。
次女は、彼女を見て泣きました。
長女は、涙をこらえていました。
僕は、何も言わずに、目の前で彼女の兄に電話をしました。
そして、その内容を話しました。
しかし、兄は全くめんどくさい態度で僕の話を無視しました。
それで、僕は「やはりこう言う事だったんだね。子供たちに対してどう説明するの?」
次女が泣き止まないので、僕は母親の車に黙って乗せてあげました。
そして、長女に向かって言いました。
「お母さんの家に泊まる?」
長女は首を横に振りながら、「お父さんと一緒に眠って明日教会に行きたい。」と言いました。
無言で僕らは手を振っていましたが、妻は、泣きながら長女に手を振っていました。
そして、次女を抱きしめ家に戻ってくれました。
僕は、彼女が家に戻るのを長女と確認して、一緒にイエス様に彼女の為に悔い改めをして祈り、その日は家に戻り休みました。
次の日は教会だったので、次女を迎えに行きました。
僕は、次女を運転席のそばに座らせて心の中でこう祈りました。
「イエス様、僕は次女の事が心配です。どうか彼女が傷ついたりしないように守って下さい。」
僕が心の中でそう祈り終えると、突然、次女が僕の顔を見て言いました。
「お父さん。あのね。イエス様がね。大丈夫だから何も心配しないでって言ってるよ。イエス様が今すぐお父さんに教えてって言ってた。」
僕は、まだ4歳の次女の言葉を聞いて涙が止まりませんでした。
そして、心から感謝しました。
なぜなら、聖霊様はしっかり僕の祈りを聞いてくれているし、長女だけではなく、次女にも毎日リアルに話しかけてくれていることを知ったからです。
次女は更にいました。
「お父さん。イエス様の力がいつも肩に乗ってるから大丈夫だよ」
と言って、自分の肩を指差しました。
つまり、イエス様が肩にいるのが見えているわけですね。
ほんとに素晴らしいイエス様に栄光をお返しします。
更にある時、娘たちと一緒に教会の前を通り過ぎました。
そしてすぐ後に、次女が言いました。
「お父さん。さっき、教会の前を通った時に夢を見たよ。」
しかし、次女は実は起きていました。
僕はそれにピンと来ました。
それで、次女に聞きました。
「どんな夢を見たの?」
「あのね。教会のところから大きなイエス様が出てきて、悪魔のおしりを叩いてからね。そしてイエス様が、お母さんの邪魔をする悪魔はイエス様が、おしりをぺんぺんするからお母さんを教会に連れてきてねってイエス様が言っていた。」
僕は、それを聞いて聖霊様に感謝しました。
実は次女は夢ではなくて、幻を見てイエス様から直接啓示を受けたのでした。
そして僕は、次女に言いました。
「じゃあ、お母さんにそれをちゃんとお話して教会に連れて行ってね。」
そうすると、娘たちは喜んで「うん!」と返事をしてくれました。
幼子ってほんとに凄いですね。
素晴らしい信仰です。
大人も見習いたいほどだと思いました。
しかし、僕はそのあとからは一切子供たちと会わせてもらえないし、連絡さえ拒否されるようになってしまいました。
もう8年以上も娘達の顔も見ていないし、声も聞いた事がありません。
でも、イエス様の約束を信じて今は祈るしかありません。
素晴らしい娘達を育てて日々リアルに守って下さる聖霊様に感謝を捧げてイエス様の栄光を褒め称えます。
主イエス・キリストの名前により全てのことを感謝します。
アーメン
Keystoneより