• 『邪馬台三国志』倭奴国と邪馬台国の栄枯盛衰(短縮編)

    古代史の常識や通説を歴史的観点から検証していくと、これまで信じて疑うことのなかった皇統万世一系も、戦後に「百余国を束ねる王朝など存在しなかった」と教えられたことも、誤りです。邪馬台国史の全貌がとんと解明できない原因は、ここにあります。一から、考え直す以外にありません。 中国大陸の古い歴史を背負ってきた渡来人たちが築きた弥生史は、魂の再来・古の善政再現・孫子の「戦わずして勝つ」の実現に挑戦した歴…
  • 『邪馬台三国志』古代史の常識と通説を疑え

    司馬遷の信念に従い、記紀など資料、中国史書、内外の伝承、神社の縁起、地名の由来を織り交ぜながら、倭奴国と邪馬台国の生い立ち、互いに覇権を争いあった歴史、その末に大和朝廷が成った歴史を物語化しました。 古代史の常識や通説を歴史的観点から検証していくと、戦前から信じて疑うことのなかった皇統万世一系も、戦後に「百余国を束ねる王朝など存在しなかった」と教えられたことも、誤りです。邪馬台国史の全貌がとん…
  • 『邪馬台三国志』天照大御神(ヒミコ)と素戔嗚尊/神武天皇と日本武尊

    〜乱世を鎮めた英傑たちの生涯〜 倭奴国王朝六代女系天神(向津姫の母か祖母)の御代、即ち伊奘諾政権期の一八〇年代、東の副都を治める皇太子(向津姫の婿養子)が三輪オロチ族と組んで反乱した。伊奘諾は大軍を率いて東征したが、逆に北九州を蹂躙され、本拠の熊襲に逃げ込んだ。 ここに皇太子率いる畿内の邪馬台国、高千穂郷に天宮する高天原が並立した。 百年後、日向から東征した磐余彦(神武)は、邪馬台国の日本…
  • 『邪馬台三国志』戦わずして勝った英雄列伝

    孫子曰く、「百戦百勝は善の善なるものにあらず。戦わずして敵兵を屈服させるのが善の善なるものなり。故に、上兵は謀を伐つ」 〜素戔嗚尊の大蛇(邪馬台国王、オロチの天照大神親子)退治/高皇産霊の葦原中つ国平定/神功皇后の新羅遠征/日本武尊の北伐〜 倭奴国王朝六代女系天神の御代、即ち伊奘諾政権期の一八〇年代、東の副都を治める皇太子が三輪オロチ族と組んで反乱し、邪馬台国を立てた。出雲の決戦で敗れた伊奘…
  • 『邪馬台三国志』ダイジェスト版

    司馬遷の信念に従い、記紀など資料、中国史書、内外の伝承、神社の縁起、地名の由来を織り交ぜながら、倭奴国と邪馬台国の生い立ち、互いに覇権を争いあった歴史、その末に大和朝廷が成った歴史を物語化しました。 古代史の常識や通説を歴史的観点から検証していくと、戦前から信じて疑うことのなかった皇統万世一系も、戦後に「百余国を束ねる王朝など存在しなかった」と教えられたことも、誤りです。邪馬台国史の全貌がとん…
  • 『邪馬台三国志』倭奴国と邪馬台国の栄枯盛衰物語

    記紀など資料、中国史書、内外の伝承、神社の縁起、地名の由来を織り交ぜながら、倭奴国と邪馬台国の生い立ち、その王朝の成り立ち、覇権を争いあった歴史を物語化。大和朝廷ができるまでの歴史物語です。最新の『邪馬台三国志』から物語部分を抜粋して編集。
  • 『邪馬台三国志』検証してみよう

     司馬遷の信念の下に、水田稲作の開始(縄文晩期)から邪馬台国の興亡・大和朝廷成立にいたる王朝史全容を解明して物語化。魏・呉・蜀の「三国志」を凌駕する世界に比類のない歴史です。ブログ版に準じて再編した邪馬台三国志(全)の抜粋・要約版。追加した記事も多々あります。 前五世紀、天地(あめつち、那珂つ国/天之国)が北九州に都して東海以西を治めていた。以後、厳之国、倭国、豊葦原中つ国、伊都国の王朝へと変…
  • 邪馬台(やまと)三国志(全)

    司馬遷の信念に従い、記紀など資料、中国史書、内外の伝承、神社の縁起、地名の由来を織り交ぜながら、倭奴国と邪馬台国の生い立ち、互いに覇権を争いあった歴史、その末に大和朝廷が成った歴史を物語化しました。 古代史の常識や通説を歴史的観点から検証していくと、戦前から信じて疑うことのなかった皇統万世一系も、戦後に「百余国を束ねる王朝など存在しなかった」と教えられたことも、誤りです。邪馬台国史の全貌がとん…
  • 邪馬台三国志 箸墓古墳(ヒミコの墓)の変遷

    司馬遷の信念に従い、記紀など資料、中国史書、内外の伝承、神社の縁起、地名の由来を織り交ぜながら、倭奴国と邪馬台国の生い立ち、互いに覇権を争いあった歴史、その末に大和朝廷が成った歴史を物語化しました。 古代史の常識や通説を歴史的観点から検証していくと、戦前から信じて疑うことのなかった皇統万世一系も、戦後に「百余国を束ねる王朝など存在しなかった」と教えられたことも、誤りです。邪馬台国史の全貌がとん…
  • 新ヤマト・出雲・邪馬台の三国志(下)

    ヤマト(九州)は東海以西を治めていたが、二世紀末、大和の三輪氏が邪馬台を建て反乱した。ヤマトは敗れ日向に遷った。天照大御神は日向から大和に遷座して女王に立ち、日向王朝と対立する。三世紀末、神武は邪馬台を討ち大和朝廷を開く。邪馬台時代の歴史を物語に。  今の世界情勢と日本のおかれた立場は、大乱前の倭奴国と似通った面があります。本書を読み通すことで、将来の日本を見通せる天眼を養っていただければ、幸…
  • 新ヤマト・出雲・邪馬台の三国志(上)

    ヤマト(九州)は東海以西を治めていたが、二世紀末、大和の三輪氏が邪馬台を建て反乱した。ヤマトは敗れ日向に遷った。天照大御神は日向から大和に遷座して女王に立ち、日向王朝と対立する。三世紀末、神武は邪馬台を討ち大和朝廷を開く。邪馬台時代の歴史を物語に。 (目次は、上中下巻通してのものです)  今の世界情勢と日本のおかれた立場は、大乱前の倭奴国と似通った面があります。本書を読み通すことで、将来の日…