暗殺

「そうよ、こんな国家がかかわった気味の悪い事件に、刑事は首を突っ込まない方がいいわ。二人とも、おとなしく、署長の指示に従うべきよ。でも、なんとなく、校長は、少しにおうわね。ちょっとだけ、探りを入れてみようかしら。私だったら、怪しまれないと思うの。こう見えても、高校時代は、新聞部の部長だったのよ。青少年育成委員会の代表として、校長に会ってみるわ。これだったら、誰も文句は言えないでしょ」伊達と沢富は、目が点になってしまった。

 

助っ人

 

615日(木)、朝食の後片付けがひと段落すると、キッチンテーブルの椅子に腰かけたナオ子は、今後の調査のことを考えた。昨日は、勢い余って名探偵気取りをしてしまったが、いざ実行に移すとなると、なんとなく、心細くなってきた。沢富の暗殺説では、校長が主犯格となっていたが、一度、面会したぐらいで校長が犯人であるかどうかが分かるはずがないことは言うまでもなかった。悪いことをするような人物かどうかは、なんとなく、直感的に分かるような気がしたが、確固たる証拠をつかまない限り、校長に天誅(てんちゅう)をくわえることができないことに気分が落ち込み始めた。

 

このまま落ち込んでいたのでは、闘う前から負けてしまうと思った。気を取り直したナオ子は、塩をまく前のお相撲さんのように両手でホッペタをバシバシと叩き気合を入れた。そして、名門ナカス女学院の取材という名目で校長との面会依頼の電話をすることにした。電話に出た受付嬢の返事では、今月は、スケジュールがいっぱいで面会できないとの返事だった。事件後、校長はすべての取材を断っているように思えた。

 

このまま引き下がっては、二度と面会できないように思えたナオ子は、世界的に有名なバッテン真理教の神父でもある校長の紹介と歴史あるナカス女学院の栄光を全国に知らしめたい、とおべんちゃらを並べて、必死に面会のアポがとれるまで食い下がった。約30分間の押し問答の末、青少年育成委員会のインタビューということで、どうにか621日(水)午後3時に10分間の面会のアポを取ることができた。

歯が浮くようなお世辞を並べて面会の約束を取り付けたものの今一つ気持ちがスッキリしなかった。というのも、夫がいうように、校長が犯人であっても上層部の指示で刑事は手も足も出せないということ、さらに、警察が校長を護衛しているという不可解な不条理に納得がいかなかったからだ。仮に、校長が本当に犯人だったとして、なにか、校長に天誅をくわえるいい方法はないかと考えてみた。しばらく目をつぶって考えてみたが、名案はまったく浮かんでこなかった。

 

ナオ子は、自分の行動にやるせないものを感じた。いったい、自分は何をやりたいのだろうかと疑問を持った。彼女の無念を晴らしてあげたい一心で、校長との対決の面会をしようと意気込んでいるが、こんなことをしても、彼女の冥福を祈ることになるのだろうかと思った。単なる独りよがりのようで、むなしくなってしまった。それかといって、彼女が暗殺された可能性があるにもかかわらず、事実を確かめず、このまま泣き寝入りをするのもしゃくだった。

 

当然、まず、校長が殺害にかかわっていたかどうかを確かめることが先決だが、本当に、校長が殺害にかかわっていたことが分かった場合、どうやって、彼女の敵を取ればいいのか?そのことを考えれば考えるほど、ますます自分の無力さを感じ、落ち込んでしまった。昨夜から、彼女の亡霊が、助けて、助けて、とナオ子に助けを求める声が何度も頭の中を駆け巡り、事実を確かめなければ、いつまでたっても、彼女は成仏できないように思えた。

 

まだ、彼女の暗殺が判明したわけではなかったが、ナオ子の頭の中に助けを求める彼女の亡霊が現れるようになって、彼女の殺害が事実のようになってしまっていた。じっと考え続けていると暗闇の中に引きずり込まれていくような恐怖感に襲われ、全身に震えが起き始めた。その時、脳裏に能天気なひろ子の笑顔が浮かび上がった。現実に引き戻されたナオ子は、急にひろ子に会いたくなった。そうだ、ひろ子さんに会えば、ないかいいヒントが得られるかも知れない、そう思った時、スマホのひろ子の名前をタッチしていた。

非番のひろ子はシャワーを浴びていた。リビングのテーブルの上に置いていたスマホから“かもめはかもめ”の着メロが鳴った。こんな時にと思ったが、花柄のバスタオルをつかみ取ると乳房をブルンブルンさせながら、リビングにかけて行った。ナオ子の名前を見て、今ごろなんだろうと思ったが、即座に通話をタッチした。ハイと返事するとナオ子の甲高い声が耳に突き刺さった。「今、お仕事中?ちょっといいかしら?」ひろ子は、張りを失い始めたお尻をバスタオルでふきながら答えた。「ハ~~、なにか?」

 

ナオ子は、とにかくすぐにでも会いたい一心で、昼食の誘いをすることにした。「ちょっと、ひろ子さんに聞いてほしい話があるの。お昼、ご一緒しない。お仕事で、ダメかしら?」よりによってシャワーの最中に、ランチの誘いとは、と思ってはみたが、非番でヒマしていたときの渡りに船と思い、軽やかな声で返事した。「はい、今日は、非番でヒマしてたんです。ナオ子さんにお会いしたいと思っていたところなんです」

 

ひろ子が、適当に喜んでみせると、パッと笑顔を作ったナオ子は、話を続けた。「そう、よかったわ。お家にいらして。楽天ポイントをためて、松阪牛のロースを買ったのよ。待ってるわね」ひろ子は松坂牛と聞いて、よだれが出そうになった。このような高級な牛肉を一度は食べてみたいと思っていた。「え、松阪牛ですか。最高級じゃないですか。まだ、食べたことがないんです。はい、お昼前に伺います」こんなに落ち込んでいる時に、今朝、タイミングよく松阪牛のロースが届き、しかも、ひろ子とランチできるとは、神様のお導きではないかと両手を合わせて感謝した。

 

ひろ子は、12時前にマンションに到着した。すでにステーキの準備はできていた。テーブルについたひろ子は、初めて目の前で見る松阪牛に釘付けになった。「これが松阪牛ですね。何か、食べるのがもったいないような気がしますね。こんな、芸術的な霜降り、初めて見ました。まさに食べる芸術品ですね。見るだけでも、目の保養になりますね」ナオ子も結婚記念日ぐらいしか食べられなかった。

「ひろ子さん、さあ、いただきましょう。レアが最高よ」大きなフライパンに牛脂を溶かし、スライスニンニクを敷くとロース一切れを入れた。強火で1分焼いて、一回ひっくり返すの。そして、弱火で30秒。ポン酢でいただくと最高。ひろ子さん、どうぞ」ナオ子は、ひろ子のさらにステーキを乗せた。目を輝かせたひろ子は、喜色満面で香水のような甘い香りをスッ~~と吸い込んだ。「なんて、いい香り。あ~~、幸せ。生きててよかった」

 

ナオ子は、大げさな表現に笑いが込み上げてきた。「そう、言っていただくとうれしいわ。さあ、召し上がれ」ひろ子は、ナイフを肉の上に置くとナイフの重みですっと切れた。「こんなの、初めて。すっごく、やわらかいんですね」一口頬張り、やわらかい歯ごたえを感じると、甘い肉汁が口いっぱいに広がって行った。「こんなの、生まれて初めて。こんなにおいしいお肉が、この世にあるんですね。もう、いつ死んでもいいって感じ。最高」

 

ナオ子は、笑いをこらえるのに必死だった。100グラム8000円と言ったら、気絶するじゃないかと思い、値段は言わないことにした。早速もう一枚を焼くとナオ子もお肉を口に押し込んだ。去年の誕生日祝いにもらったワイングラスに赤ワインを注ぎ、ひろ子に差し出した。「どうぞ、この赤ワインも楽天で買ったの」ひろ子は、楽天のことが知りたくなった。「ナオ子さん、楽天って、そんなにいいんですか?」ナオ子は、楽天ポイントのことを話すことにした。「いいっていうか、楽天ポイントが、すっごくたまるのよ。だから、ポイントをためて、年に一度、6月に松阪牛を注文するってわけ」

 

ひろ子は、すでにクレジットカードを2枚持っていたが、今持っているカードにはそれほどポイントはたまらなかった。「そうですか。そんなにたまるんだったら、私も、楽天にしようかな~。あ、そう、お話があるって、おっしゃってましたよね」ひろ子の笑顔を見ていると、ナオ子は、すっかり例の話をするのを忘れていた。「そうなのよ。聞いてくださる?ちょっと、暗い話なんだけど」

春日信彦
作家:春日信彦
暗殺
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