小説の未来(10)

文学の印象

 

 文学に興味がない方でも、小学生のころ、夏目漱石(なつめそうせき)、芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)、川端康成(かわばたやすなり)などの名前を聞かれたことがあると思います。彼らは、文豪(ぶんごう)と呼ばれ、国民に親しまれています。

 

でも、結構、文章が難しいため、文学とは、凡人には理解できないような難解なもので堅苦しいもののように思われているのではないでしょうか?彼らの作品を読んでみると、難しい漢字やまったく意味の分からない言葉がやたらと出てきます。きっと、中学生であれば、2,3行読んだだけで、嫌気がさすのではないでしょうか?

 

 ちなみに、明治、大正、昭和の文豪たちの学歴を調べてみると、さすがに文豪だけあって、ほとんどが東大卒なのです。このことを知れば、なおさら、文学は難しいものだと引いてしまいます。東大卒の文豪には、夏目漱石(文学部)、芥川龍之介(法学部)、川端康成(文学部)、森鷗外(医学部)、三島由紀夫(法学部)、安部公房(医学部)、大江健三郎(文学部)、などいます。

 

また、中退者にも、太宰治、谷崎潤一郎、志賀直哉、などの文豪がいます。森鷗外のように、医学博士であって文学博士でもあるという作家もいるわけですから、文学なんって、秀才の趣味であって、凡人がたしなむものではないように思ってしまいます。

 

 でも、私が大好きな松本清張(まつもとせいちょう)は、びっくりするような学歴です。なんと、驚くなかれ、小学校卒なのです。彼は、小学校を卒業して、働きながら文学の勉強を独学でやってのけました。そして、見事、文豪と肩を並べるまでになったのです。また、推理小説のパイオニアであり、多くの読者を獲得した大衆作家になったのです。彼は、高学歴ではありませんが、きっと、文学の才能は多分にあったのでしょう。

 私は、文学者の学歴にはそれほど興味はないのですが、彼らの生い立ちには興味があります。特に、幼少のころの環境に強く興味を惹かれます。というのは、作品には、作家の個性が現れますが、やはり、作家の個性を形成するうえで核となっているものの一つに、幼少のころに無意識に形成された性格があると思うからです。

 

上記の作家の中には、森鴎外や安部公房のような医学部卒の作家がいますが、医者にならず作家になった要因の一つに、幼少のころに形成された潜在的な性格があるのではないかと思っています。

 

 彼らの幼少期を調べてみると、一般的でない環境というべきかもしれませんが、不遇な環境に育った作家がいます。川端康成は、1歳の時に父親を、2歳のころには母親を亡くしています。夏目漱石は、里子に出されて育っています。三島由紀夫は、祖母に女の子のようなしつけをされて、過保護に育てられています。芥川龍之介は、叔母に養育され、11歳の時、叔父の養子となっています。太宰治は、生まれてすぐから乳母に育てられ、3歳から小学校までは女中の子守で育てられました。

 

 文豪と呼ばれる作家たちは、秀才で文才に恵まれていたからこそ、歴史に残る作家になったと思いますが、彼らの中には不遇な幼少期という一面を持ち合わせた作家たちもいたのです。

 

おそらく、幼少期における不遇の経験は、“悲しみ”という心の傷となり、一生心の底に眠っていたに違いありません。そして、その悲しみは、作品の創造に影響を与えていたと思います。

人生は、逆戻りできません。だから、その人の環境も心の傷も、自分ではどうすることもできなかった宿命と言えます。また、神様のいたずらなのか、その宿命に引きずられるように秀才である彼らは、文学の道を歩まされたようにも思われます。

 

 川端康成の“伊豆の踊子”は大好きな作品の一つですが、この作品から、人生の宿命を感じてしまいました。学生と踊子は、偶然の出会いで愛し合いますが、のそれぞれの生きる道の違いが、悲痛な別れを二人に与えました。その後、二人は、どのような運命を歩んだかは、誰も知る由もありません。

 

小説家は、人間をいろんな角度から見つめ、独自の構想を練り上げ、架空の世界を作り上げていきます。そして、自分が作り上げた架空の世界を公表する芸術家なのです。だから、常識に反した言動を取った場合、誤解されることもしばしばあるのではないでしょうか?

 

 三島由紀夫、川端康成、太宰治、などの自殺は、謎に包まれ、いい印象を与えるものではありません。でも、小説家としては、歴史に残る素晴らしい作家だと思っています。私は、趣味で小説を書く凡人ですから、作品の評論はできません。でも、作家の生い立ちを知ると、作品の根底にある悲しみがなんとなく伝わってくるのです。

 

 私は、高学歴でも秀才でもありません。また、高度に洗練された文章を書く文才もありません。そのことを承知したうえで、私が書きたい作品は、中学生や高校生でも十分に読みこなせる作品です。これからも、多くの読者から、“分かりやすくて、楽しめた”と言っていただける作品を書き続けたいと思っています。

 

覚えのいい人と疑い深い人

 

 “覚えのいい人”は、勉強が出来る秀才のイメージがあって、なんとなく印象がいいのですが、“疑い深い人”はいかがなものでしょう。ちょっと陰険で人づき合いが悪い印象を持ちますね。私は、後者の“疑い深い人”に属します。

 

覚えのいい人は、医者、弁護士、教職、のような資格を必要とする仕事に向いていると思いますが、疑い深い人はどのような職業に向いているのでしょうか?小学生の頃はそうでもなかったのですが、中学生になったころから疑い深くなりました。とにかく、物事を素直に受け入れられなくなってしまったのです。

 

 おそらく、多くの方は、このころになると大人の世界を嫌悪する時期ではなかったでしょうか?例えば、学歴社会です。受験勉強をして、いい大学に入るのが、立派な人間なのか?学歴で人を差別していいのか?そんな疑問を一度は抱かれたのではないでしょうか?

 

確かに、社会制度には、それなりのメリットはあります。でも、一方では、デメリットもあるわけです。人は、常識的な一面ばかりにとらわれて、気づきにくいもう一面を見逃しやすいのです。

 

 確かに、将来、医者や弁護士のような資格取得が条件の仕事につきたい人たちにとっては、多くの知識は必要です。だから、多くの言語クイズをやって、多くの言語知識を得ることは無駄ではありません。

春日信彦
作家:春日信彦
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