ヒフミ愛

金持ち特区

 

 亜紀の気持ちは、スッキリしなかった。やはり、ピースと別れることを思うと、急激な寂しさが襲ってきた。なんといっても、理解し合える一番の話し相手はピースだった。中卒のアンナとは、意見が合わず、拓実とは、会話にならず、スパイダーは男子の考えばかり主張して、女子の気持ちを理解できない。さやかは、志摩総合病院に行ったまま、たまにしか帰ってこず、帰ってきたと思えばとんぼ返りですぐに病院に戻って行く。

 

ピースがいなくなった生活を思うだけで、今にも泣き叫びたいほどの悲しみが込み上げてきた。いまさら、ヒフミンにピースをあきらめてほしいとは言えず、とにかくピースがヒフミンを嫌って戻ってくることを神様にお願いした。寂しそうな表情の亜紀が気になったのか、ヒフミンが亜紀に声をかけた。「アキちゃん、心配ご無用。きっと、ピースを幸せにするから。エサもきちんとやるし、散歩にも連れて行く。神様に誓って、約束する」ヒフミンは、今はうれしさいっぱいで、亜紀の寂しさを分かるはずもなかった。

 

亜紀は、悲しそうな顔で、小さくうなずいた。「ヒフミン、お願いね。ピースは、大人だから、手はかからないと思うけど、時々、カゼを引くから、健康には十分気を付けてね。元気が無いときは、病院に連れて行ってあげてね」ガッツポーズをしたヒフミンは、ドヤ顔で威勢良く返事した。「まかせんしゃい。しっかり、抱きしめて、カゼなんかひかせんバイ」ヒフミンは、ピースを見つめグイッと抱きしめた。きつく抱きしめすぎたのか、ピースは、体をくねらせヒフミンの懐から飛び出してしまった。

 

ヒフミンは、「ピース、ピース」と叫びながら、あとを追いかけたが、ピースは、捕まったら拷問にかけられると言わんばかりに、逃げるようにリビングを駆け抜け、ベランダに脱出した。亜紀は、ヒフミンの荒っぽいしぐさが気になっていた。ヒフミンは、興奮すると、力を入れすぎることがある。「ヒフミン、何度も言ってるじゃない、もっとやさしく、抱きしめないと。ピースに嫌われるわよ。ほら、逃げ出したじゃない」

 

目じりを下げたショボい表情になったヒフミンは、反省の色を見せたかに見えたが、椅子に腰かけるや否や話を亜紀にふった。「分かったよ。優しくすりゃいいんだろ。そういうアキちゃんは、誰と結婚したいんだ。ヒデキか?」秀樹と聞いて、亜紀は固まってしまった。女子は、結婚のことを時々、ガールズトークでするが、それは大人になっての結婚のことで、現実的なことではなかった。

 

「何、言いてるの。結婚っていうのは、大人の話でしょ。小学生が、言うことじゃないの。何度も言うけど、ヒフミンは、ピースと結婚できないのよ。ホームステイは、ピースの面倒をヒフミンが見るってこと。ただ、それだけ。分かった。バ~~~カ」亜紀は、目を吊り上げてヒフミンを睨み付けた。「ハハハ・・」ヒフミンは、大声で笑った。「分かってるって、アキちゃんは、頭はいいけど、がんこだな~~。人間と猫も結婚できるって。オリーブ園で、結婚式を挙げて、披露宴もするつもりなんだ。みんなで楽しく、やろうよ。結婚式、待ち遠しいな~~」

 

さすがに、アンナとさやかもあきれ返ってしまった。さやかも、ヒフミンは非常識だと思っていたが、ここまで能天気でおバカだとは思わなかった。「ヒフミン、気持ちはわかるけど、結婚というのは、お互いの気持ちが必要でしょ。あまり、先走らない方がいいと思うわよ。ピースの返事は、まだでしょ」ヒフミンは、ピースに嫌われたときのことを思い描いたのか、目じりを下げて、コクンと頭を落とした。

 

さやかは、ちょっと言い過ぎたと思い、話を替えることにした。「そう、志摩総合病院を中心に、“金持ち特区”ができるそうよ。アンナたちも、金持ち特区に入れるんじゃない」アンナは、初めて聞く、“金持ち特区”に関心を示した。「さやか、その、金持ち特区、って何よ。金持ちが集まるってこと。全国から?」

 

さやかは、この極秘情報を話すことにした。「まだニュースで報道されてないんだけど、関東が、原発事故による放射能で住めなくなったじゃない。だから、関東の金持ちが、続々と福岡にやって来てるのよ。そこで、全国的に人気のある風光明媚な糸島に目をつけた政府が、志摩に、特別に金持ちのための住宅街を作る計画を立てたのよ。でも、そこに住むには条件があって、年収2000万円以上の人、もしくは、総資産5000万円以上保有している世帯じゃないと入れないらしいの。アンナは、死亡保険金の貯金が1億円以上あるから、入れるんじゃない」アンナは、インテリばかりが集まるようなところに入る気は毛頭なく、素知らぬ顔をしていた。

 

ところが、突然、ヒフミンが目を丸くして叫んだ。「本当ですか?志摩にですか?ぼくんちなんか、貧乏でお母ちゃんの薬代もろくに払えないっていうのに。お姉ちゃんは、仕送りするために、出稼ぎに行ったっていうのに。それはないよ。そんなに金持ちがたくさんいるんだったら、貧乏人に、少しでもいいから、お金ばらまいてくれよ。うらやましいな~。アキちゃんちも、大金持ちなのか。いいよな~、金持ちの子供って。金持ちの家に、生まれたかったな~。そうだ、ヒデキんちも金持ちだし、きっと、ヒデキは、金持ち特区にやってくるに違いない。そして、アキちゃんと結婚するに決まってる。チクショー、ヒデキのやつ」

 

 さやかの話を真に受けたヒフミンは、マジに妄想の世界に入り、発狂してしまった。アンナは、アメリカにはそのような金持ちの街があると最近見たニュースで言っていたのを思い出した。だから、本当に金持ち特区ができるのではないかと思えた。「そんな金持ち特区に入る気はないけど、関東の金持ちが、続々と九州に移住していると噂で聞いたわ。それって、もう国会で決まったことなの?天皇、皇后だって、放射能で死にたくないだろうし、皇居も福岡に移るのかしら?」

 

 さやかは、さらに、マジな顔つきで話を続けた。「もはや、政府とは無関係の数人の超国際金融資本家が、日本の政治をコントロールしてるの。金持ちも、大企業の本社も、皇居も、福岡に移るらしいわよ。いずれ、首都が東京から福岡に移るのも、時間の問題らしいわ。さらに、彼らが、水面下で九州の土地を買収してるんだって。九州は、日本であっても、いずれ彼らの領土になるのよ。まさに、21世紀の怪奇ね」アンナ、亜紀、ヒフミンは、目を点にして、じっとさやかの話に耳を傾けていた。

 目をパチクリさせ我に返った亜紀は、オドロオドロしい怪談話をするように小さな声で話し始めた。「まさに、21世紀のホラードラマって感じね。AIイケメンティーチャーが、冗談のように言ってた。超国際金融資本家は、AIを使って、人間の知能では到底太刀打ちできないマネーゲームを仕掛けてるんだって。いずれAI戦争が起きて、地球は放射能で覆われ、人類は滅亡するって」さやかもアンナもヒフミンも亜紀も、お互いの目を見つめ合って、小刻みに震えだした。

 

 ヒフミンは、AIと聞いて、ライバルの秀樹を思い出した。「あのヤロー、きっと、AIを使って、人類を滅ぼすに違いない。アキちゃん、ヒデキなんかと、結婚しちゃだめだ。陰険で、人をバカにするようなあんなヤローとは、付き合っちゃだめだ」またまた、いい加減なことをいう小ブタヤローと思った亜紀は、立ち上がってヒフミンを睨み付けた。「ヒフミン、たいがいにしてよ。ヒデキとは何の関係もないんだから、付き合ってもいないし、結婚もしないし、もう、そんな話やめて」亜紀は、右手のこぶしで殴りかかろうとした。

 

 アンナは、夜叉(やしゃ)の形相(ぎょうそう)になって右腕を振り上げた亜紀を見て、とっさに、亜紀の右腕をつかんだ。「アキ、よしなさい。ヒフミンも女子の気持ちを考えなさい。まったく、おバカなんだから」ヒフミンは、殴られるかと思い、椅子から飛び跳ねていた。マジに怒った亜紀を見たのは初めてらしく、顔が引きつっていた。「ゴメン、二度と言わない。ゴメン」

 

さやかもヒフミンの傍若無人(ぼうじゃくぶじん)に怒りが爆発した。目を吊り上げたさやかは、即座に立ち上がり、ヒフミンの横に立つと左手でグイッと頭を押さえつけて頭を下げさせた。「心から、ちゃんと、謝りなさい、ヒフミン。もう、アキのことを、二度と言っちゃダメ、分かった」ふくれっ面のさやかの怒りは、おさまらず、グイグイっと押さえつけた後、右手の拳骨でゴツンと一発食らわせた。

春日信彦
作家:春日信彦
ヒフミ愛
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