ヒフミ愛

亜紀がお店に駆けこんだ時、アンナは暖簾(のれん)を取り込んでいた。天気が良かったせいか、開店から老人たちの団体客がやってきて、ぜんざいが完売していた。まだ、2時を少し過ぎたころだったが、ぜんざい目当てのお客にぜんざいは売り切れました、と注文を断るのも悪いと思ったアンナは、さやかと相談した結果、店じまいをすることにした。「ママ、もう、店じまい?」アンナは、ご機嫌の声で返事した。「今日は、商売繁盛よ。もう、ぜんざい、売り切れたの、ラッキー」

 

さやかの援護を期待した亜紀は、さやかの顔を見つめてお世辞を言った。「さやかお姉ちゃんが、手伝ってくれたからじゃない。かわいいウェイトレス目当てに、お客がわんさかやってきたのよ」さやかは、お世辞を言ってくれた亜紀に笑顔を向けたが、なにか魂胆(こんたん)があるとピンときた。「そういってくれると、うれしいわ。アキちゃん、何か、ママにお願いでもあるのかな?顔にそう書いてあるぞ」亜紀は、心を見透かされて、顔を真っ赤にした。「やっぱ、お姉ちゃんは、名探偵。そうなの。ママ、お願いがあるんだけど。聞いてくれる?」

 

亜紀のお願いは、いつも非常識なことが多いと分かっていたアンナは、口をひん曲げて返事した。「まあ、聞くだけね」さやかも亜紀のお願いは、突拍子(とっぴょうし)もないことが多いと分かっていたため、キッチンでじっくり聞こうとアンナに声をかけた。「アンナ、もう片付いたわ。キッチンで、亜紀ちゃんのお願い、聞いてあげましょうよ。アキちゃんのお願いって、何だろう。ワクワクするわ」笑顔になった亜紀は、「ママ、ママ、早く」と声をかけながら、アンナの後ろに回り込むと大きなお尻を押し始めた。いやな予感を感じたアンナは、ピンクのエプロンを外しながらゆっくり歩き始めた。

 

 キッチンにさやかが顔をのぞかせるとヒフミンがピースを抱っこして突っ立っていた。「あら、ヒフミン、ピースを抱きしめて、ラブラブじゃない」ヒフミンは、ラブラブと言われて、天にも昇る気持ちになった。そして、すでに亜紀がお願いを話したと思い、返事をすると即座に頭を下げた。「さやかさん、ラブラブに見えますか。ピースが大好きなんです。よろしくお願いします」さやかは、お願いします、と聞いて、亜紀のお願いは、ヒフミンのことだとピンときた。

しばらくして、「よいしょ、よいしょ」という亜紀の声が廊下から響いてくると、しかめっ面のアンナが、亜紀にお尻を押されながらしぶしぶキッチンに入ってきた。アンナの姿を見たヒフミンは、直立不動で深々と頭を下げた。「お母様、お願いします。かならず、幸せにします。ぜひ、お願いします」アンナは、何のことやらさっぱりわからなかった。「ヒフミン、まだ、ママには話してないの。これからお願いするから、ヒフミンも一緒にお願いして」

 

アンナは、お願いがヒフミンのことだと分かり、一層、顔をぐにゃっとしかめた。亜紀の顔をじっと見つめたアンナは、内心耳栓をしたい気持ちになったが、まな板の鯉(こい)の心境になりお茶を入れることにした。さやかは、お願いがヒフミンのことだと分かり、二人に声をかけた。「亜紀もヒフミンもお腰かけなさい。アンナに、よ~~く、わかるように話すのよ」

 

アンナは、ブルーとホワイトのチェック柄のトレイをテーブルに置き、さやかには紅茶を、亜紀とヒフミンには、オレンジジュースを差し出した。アンナが、さやかの左横にゆっくり腰かけると二人に声をかけた。「ジュースでも飲んで、気を落ち着かせて、大人にも、よ~~く、分かるように、話してちょうだい。お願いとやらを」アンナは、ティーカップを手に取り、二人を睨(にら)み付けるような眼差(まなざ)しで紅茶をすすった。

 

 亜紀は、どのようにお願いしていいか、頭の中が整理できていなかったが、ヒフミンの気持ちを素直に伝えることにした。「ママ、ヒフミンは、ピースのことが大好きなの。ママも知ってるよね。それで、ヒフミンが、ピースと結婚したいっていうの」アンナは、結婚と聞いて口に含んでいた紅茶を吹き出してしまった。紅茶を吹きかけられた目の前に座っていた亜紀は、キャ~~と叫んで、跳びあがった。「ママったら」亜紀は、アンナを睨み付けて怒鳴った。

 「アキ、ゴメン」と謝るとアンナは即座に立ち上がり、バスルーム横の洗面所にかけて行った。フェイスタオルを手にしたアンナは、戻ってくると顔にかかった紅茶を丁寧にふき取った。ア~~、と大きなため息をついたが、ニコッと笑顔を作り、亜紀に返事した。「ごめんね、アキ。でも、結婚とかいうからよ。そりゃ~、吹き出すわよ。それで、話の続きだけど」アンナは、腰を下ろすと、ニコッと笑顔を作り、二人の顔を交互に見つめた。

 

亜紀は大きくゆっくり深呼吸をして続きを話し始めた。「ヒフミンは、ピースが大好きなの。だから、ピースと結婚したいんだって。何度も、人間と猫は、結婚できないといったんだけど、ヒフミンは、できると言い張るのよ。そこで、お願いなんだけど。ピースの気持ちを知るために、ヒフミンの家にホームステイさせたいの。もし、ピースがヒフミンの家で気持ちよく暮らせるようなら、ピースをヒフミンにあげようかと思うんだけど。ママは、賛成してくれる?」

 

アンナは、ピースを特に好きではなかったが、いざ、手放すとなると即座に返事ができなかった。腕組みをしたアンナは、しばらく考え込んだ。アンナは、猫が好きな方ではなかったので手放してもいいとは思ったが、もし、いなくなればなんとなく寂しくなるような気もした。スパイダーが悲しまないだろうか?拓実が泣き出さないだろうか?ピースは、突然迷い込んできた居候(いそうろう)だったが、家族の一人でもあるようで、気持ちがスッキリしなかった。

 

さやかが、アンナの気持ちを察して口をはさんだ。「アキちゃんは、本当にピースを手放してもいいの?寂しくないの?」亜紀は、本当は手放したくなかった。でも、ピースがヒフミンのことが好きで、ヒフミンと一緒に暮らすことを望むのなら、ピースのために手放してもいいと思った。亜紀の気持ちは中途半端だったが、ピースの幸せを考え自分の気持ちを伝えた。「確かに、ピースがいなくなるのは、とっても寂しい。でも、ピースが幸せになるのであれば、ヒフミンに面倒を見てもらってもいいと思う。あくまでも、ピースの気持ち次第よ」

ヒフミンは、ここぞと自分の意見を述べた。「ボクは、ピースを幸せにします。命がけでピースを幸せにします。ピースと一緒に暮らしたいのです。お願いします。今すぐ、結婚させてください。お母様、お願いします」ヒフミンは、ピースの目をじっと見つめ笑顔を作った。アンナは、ヒフミンの気持ちに圧倒され始めていた。亜紀がヒフミンの気持ちに押し切られたのも無理はないと思えた。さやかもヒフミンの熱意に圧倒されていた。

 

アンナは、この場でヒフミンの気持ちを踏みにじることができない心境になってしまった。この際、ピースの気持ちを知るために、ホームステイを許可することにした。「ヒフミンがそこまで言うんなら、ホームステイをやってみるといいわ。でも、ピースが嫌がったら、この結婚話は、なかったということでいい?」ヒフミンは、自信ありげに、大きくうなずき、返事した。「分かりました。ピースの気持ち次第ということですね。ピースが、嫌がれば、ボクも男らしく諦(あきら)めます」

 

アンナは、ヒフミンに、ほんの少し常識がある事にホッとした。「アキ、ピースの気持ち次第ということでいいわね。ピースを手放すことになっても、文句言っちゃだめよ。みんなで、決めたことなんだから、いい」亜紀は、一瞬、しかめっ面をした。脳裏に手放す時の情景が浮かぶと、寂しさかドッとこみあげてきた。心の底では、ピースが嫌がってヒフミンの家から逃げ出してほしいと願った。

 

 ヒフミンが、どうして、今ごろになって、急にピースと結婚したいと言い始めたのか、さやかには腑(ふ)に落ちなかった。さやかは、正面に腰かけているヒフミンをじっと見つめ、しばらく考えを巡らせた。さやかは、なにか隠された事情があるような気がして、ピースを抱きしめ幸福そうなヒフミンに声をかけた。「ヒフミン、ピースが好きなのは、ずっと前からでしょ。どうして、今ごろになって、突然、結婚したいなんて言い出したの?」

サーファーヒカル
作家:春日信彦
ヒフミ愛
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