ヒフミ愛

プロへの決意を母親に伝え、気持ちが晴れ晴れとしたヒフミンは、ピースと一緒に桜を見ようと、早速、ピースの部屋に向かった。ピースもすでに食事を終えて、ヒフミンがやってくるのを待っていた。ヒフミンは、ピースをびっくりさせないように静かにドアを開け、忍び足で部屋に入った。「もう、お別れだ」とつぶやき、亜紀に言われたようにピースを優しく抱きかかえた。

 

ヒフミンは、冠木門を出ると左右にツツジが植えられた外庭の中央道をゆっくり歩き、外庭前の東西に走る細い通りに出て、左に曲がった。そこには、大きな桜の木があり、びっしりと桜を咲かせていた。ヒフミンは、桜の木の下にやってくると、よく見えるようにピースを両手で持ち上げ、ヒフミンもピンク色の桜を見上げた。ちょっと、寂し気にヒフミンはつぶやいた。「ピース、きれいだろ。桜って、いいな~。アキちゃんちに帰っても、時々、遊びに来てくれよな。ボク、頑張るから」

 

ふと、女子の声がしたような気がして、西側の曽根幹線道路に振り向いた。オリーブ畑をはさんで50メートルほど離れた幹線道路から亜紀が歩きながら両手を振っていた。ヒフミンが右手を振ると「ピース、ピース」と亜紀のかわいい声が澄み切った空気に響き渡った。スパイダーは、肉眼では確認できないほど遠くに見えるちっちゃなピースの姿に気づいたのか、突然、ピースめがけて駆けだした。亜紀もスパイダーに引っ張られながらヒフミンのもとにかけて行った。

 

亜紀が息を切らせてヒフミンのもとにたどり着くと、ヒフミンは笑顔で挨拶した。「オハヨ~、今、ピースと花見をしてたんだ。グッドタイミングだね。みんなで、花見をしよう」亜紀は、大きな桜の木にびっしり咲き誇った桜の花に目をやり、青空に向かって叫んだ。「サクラは、ステキ」あちらこちらの桜の木に目をキョロキョロとやりながら、話を続けた。「ヒフミンちには、桜の木がたくさんあって、いいね」

ヒフミンは、照れくさそうに答えた。「ぼくんちのは、あの1本だけなんだ。この桜も、あっちの桜も、よそんちのなんだ。でも、曽根には、桜がたくさんあって、いいよな。ピースも、サクラ、好きみたいだよ。ほら」ヒフミンは、腕の中で気持ちよさそうな表情を作っているピースを見つめ、亜紀にものぞかせようと亜紀の目の前にピースを持って行った。亜紀は、ピースの幸せそうな表情を見て少し安心した。

 

亜紀は、ピースの頭をナデナデするとヒフミンに声をかけた。「ピース、ここが気にいったみたいね。よかったわね、ヒフミン」ヒフミンは、大きな桜の木を見上げ、独り言のように言った。「うん、でも、ピースは、帰りたいみたい。ピースは、やっぱ、アキちゃんと一緒がいいよ。一晩、一緒に過ごせて、うれしかった。だから、アキちゃんちに、今日、返すよ」ヒフミンの気持ちは、スッキリしていた。亜紀は、たったの一日で返すことに、びっくりしてしまった。「え、もう返すの?ピース、嫌がったの?キャットフード、食べなかったの?」

 

ヒフミンは、青空を見つめて、自分の将来について語ることにした。「いや、ピースは、とっても、機嫌がよかった。でも、今のボクとは、釣り合わない。こんな血統書付きで、高価なネコは、今のボクには、飼えない。きっと、金持ちになって、ピースを迎えに行く。それまで、我慢する。ピースは、長生きするよな」ヒフミンが言ってることがピンと来なかったが、きっと、おじいちゃんに飼うことを反対されたと思った。

 

亜紀は、納得したかのように返事した。「ピースは、今、何歳か、わかんないけど、きっと、長生きすると思う。ヒフミンが金持ちになるまで、アキが責任もって飼うから、安心して」亜紀は、ヒフミンが金持ちになるとは心では思っていなかった。意地悪を言うようで気が引けたが、どうやって金持ちになるのか聞いてみた。「ね~、ヒフミン、金持ちになるって、社長にでもなるの?」

ヒフミンは、はっきりと将棋のプロになると言いたかったが、今の段階では恥ずかしくて言えなかった。「とにかく、金持ちになると決めたんだ。きっと、なってみせる。ボクは、ヒデキのような金持ちのボンボンじゃないけど、ボクだって、金持ちになってみせる。“歩”だって、“と金“になれるじゃないか。絶対、”と金“になってみせる。アキちゃん、約束する。必ず、”と金“になって、ピースを迎えに行く」

 

亜紀は、“と金”、と聞いてヒフミンのプロへの決意を確信した。その時、大きな目標に向かって走り出すヒフミンの勇気が感じ取られた。小さくうなずいた亜紀は、大きな声でエールを送った。「ヒフミンなら、きっと名人になれる」

 

春日信彦
作家:春日信彦
ヒフミ愛
0
  • 0円
  • ダウンロード

25 / 27

  • 最初のページ
  • 前のページ
  • 次のページ
  • 最後のページ
  • もくじ
  • ダウンロード
  • 設定

    文字サイズ

    フォント