ヒフミ愛

亜紀は、どのように話そうかと話の流れを頭の中でまとめていた。大きく深呼吸すると、勇気を振り絞って話すことにした。「あのね、悪気はないのよ。怒らないでね。本当に、悪気はないんだから。あのね、ピースは、当分、ヒフミンの家で暮らすことになったの。あくまでも、ホームステイだから、ピースが返ってきたい時に、いつでも、帰ってこられるの。だから、無理やり、ヒフミンの家に預けたんじゃないの。そのことは、分かってね。あくまでも、試しに、預けただけだから。スパイダーに黙っていたことは、謝るわ。ちゃんと、スパイダーにも話すべきだったけど、アキったら、バカね。本当に、ごめんなさい」

 

寝耳(ねみみ)に水、とはこのことだった。スパイダーは、心の底から怒りが込み上げてきた。「アキちゃん、そんな、大切なことは、前もって言ってくれよ。ボクだって、家族の一員じゃないか。ボクは、イヌだけど、ピースとはうまくやっていたんだ。ピースは、納得して行ったのかよ。本当に、無理やりじゃないだろうな。強引に連れて行ったのなら、アキちゃんと言えども、許さないからな」スパイダーは、ウ~~~、とうなり声をあげた。

 

牙をむき出したスパイダーを見た亜紀はのけぞった。「本当にごめんなさい。ピースは、ちゃんとわかってくれたの。あのね、ヒフミンのお姉ちゃんが、今月から出稼ぎに行ったの。それで、ヒフミンは、一人ぼっちになって、悲しんでいたのよ。それで、ヒフミンを慰めてあげて、ってお願いしたの。そしたら、ピースは、承諾してくれたのよ。だから、無理やりじゃないの。ピースには、いつでも、おうちに帰ってきていいって、話しておいたから。心配しないで、スパイダー」

 

ほんの少し気持ちが落ち着いたのか、コクンコクンと頭を上下させた。無理やりでなければ、ピースの気持ちに任せればいいと思った。ヒフミンの家も、すぐそこだし、かけて行けばすぐに会えると思った。「そういうことだったら、いいけど。ピースは、大人だから、母性本能とやらで、ヒフミンを慰めようと承知したんだろう。まあ、いいや。いつでも、会えるし、あの子ブタは、おバカだけど、優しいところはあるから。明日、散歩がてらに、ピースの様子を見に行くとするか」

スパイダーは、シッポを左右に振って、ニコッと笑顔を作った。スパイダーの機嫌がよくなったと知り、亜紀は胸をなでおろした。やっぱ、ピースには無理なお願いをしたようで、ちょっと心配になったが、ピースはスパイダーと違ってしっかりしているから、ヒフミンとうまくやって行けるように思えた。「分かってくれて、よかった。本当に、ごめんね。ピースがいなくなって、寂しくなるけど、遠くに行ったわけじゃないし、いつでも会えるし、これでよかったのよね。スパイダーもそう思うよね」スパイダーも笑顔を作って、ワンと吠えた。

 

スパイダーの機嫌がよくなってホッとした亜紀は、スパイダーが好きな“ネコ、よんじゃった”をスキップしながら歌い始めた。ネコ、よんじゃった ネコ、よんじゃった ネコ、よんでもないのに よってきた ネコ、ついてくる ネコ、ついてくる ネコ、こなくていいのについてくる ノドならしてあまえては エサをねだるおちょうしもの ゴロニャ~ン、あしもとすりよって ゴロニャ~ン、あいきょうふりまいて でもネコジタで でもネコジタで ネコ、あついものはたべられない ネコ、へこんでる ネコ、へこんでる ネコ、おなかすかしてへこんでる・・・亜紀の歌声を聞いたスパイダーは、メトロノームのようにシッポを左右にふりながら、リズミカルにステップを踏み始めた。

 

                           高嶺(たかね)の花

 

ヒフミンは、ピースがやってきて、急激に元気が出た。早速、腎臓(じんぞう)病で寝込んでいる母親に紹介することにした。ピースを抱きかかえたヒフミンは、母親の寝室のドアをそっと引いた。狸(たぬき)寝入りをしていた母親は、ベッドでかすかな寝息を立てていた。そっと忍び込んだヒフミンは、小さな声で声をかけた。「お母ちゃん、お母ちゃん、大丈夫?」母親は、ゆっくり瞼(まぶた)を開いた。「なんだい?」顔を傾けた母親は、ヒフミンが抱っこしている猫に目をやった。

 

ヒフミンは、母親にピースの顔を見せようとピースを少し持ち上げ、母親の顔の前に持って行った。「ほら、かわいいだろう。ピースっていうんだ。今日から、家族の一員だよ」母親は、ニコッと笑顔を作ったが、怪訝(けげん)そうな表情を作り、尋ねた。「いったい、そんな立派な猫、誰から預かったんだい?この猫は、血統書付きの猫じゃないのかい?こんな、立派な猫預かって、大丈夫かい?ちゃんと、面倒、見れるのかい?」

 

ヒフミンは、ピースをそっと母親の枕元に置いて、ドヤ顔で答えた。「そうさ、この猫は、日本一賢くて、美しい猫さ。亜紀ちゃんちから、もらったんだ。でも、ピースがこの家を気にいればの話だけどね。しばらく、うちにホームステイさせて、様子を見るんだ。ピースが、気にいってくれるといいんだけど。ボク、頑張って、一生懸命、ピースの面倒見る。だから、お母ちゃん、ピース、飼うの、賛成してくれるよね」

 

母親は、ニコッと笑顔を作り、返事した。「そうかい。アキちゃんちからもらったのかい。でも、よくも、こんな立派な猫をくれたね。ヒフミンに、面倒見切れるかね~。なんといって、もらったんだい。無理やり、もらったんじゃなかろうね」ヒフミンは、ちょっと眉間(みけん)に皺(しわ)を寄せたが、素直に事情を話した。「違うよ。ちゃんとお願いしたんだ。ボクは、ピースが大好きで、ピースを命がけで一生面倒見るって。必ず、幸せにするって。それに、お姉ちゃんがいなくなって、寂しいってことも言ったけど」 

 

母親は、黙って聞いていたが、小さな笑顔で答えた。「だろうね。あちらのご家族にしっかりお礼を言うんだよ。お母さんが、出向いてお礼に行きたいんだけど、このありさまだから。ピースを預かっている間は、しっかり面倒を見て、エサも食事の時間と量を守って、ちゃんと、食べさせるんだよ。血統書付きの猫は、飼うのが難しいんだよ。万が一、病気にでもさせたら、大変だよ。十分気を付けて、無事に返すんだよ」

 

返すという言葉を聞いて、寂しそうな表情を作ったヒフミンは、小さくうなずいて、返事した。「分かったよ。ピースが、帰りたいといえば、返すことになっているし。その時は、潔(いさぎよ)く、返すけん、寂しいけど。それまでは、一生懸命、面倒見る。きっと、お母ちゃんも、ピースの優しい顔を見てると、元気になるけん。ピースは、幸運の招き猫猫やけん。そうだ、おじいちゃんにも、紹介しなくっちゃ」

 

母親の了解を得たヒフミンは、ピースを抱きかかえると、おじいちゃんを探しに庭に出た。玄関前の小さな池を配した内庭には、おじいちゃんの姿はなかった。冠木門(かぶきもん)をくぐって、外庭に出ると、右手に見える小さな畑の片隅に鎮座している大きな岩に腰かけて、おじいちゃんはのんびりと桜を眺めていた。おじいちゃんの畑には、ナス、キュウリ、トマト、ピーマン、サツマイモ、大根、玉ネギ、ゴーヤ、インゲン、モロッコ豆などが植えてあった。

 

ピースを抱えたヒフミンは、笑顔でおじいちゃんに駆け寄って行った。「おじいちゃん、ほら、かわいいだろ~。ピースっていうんだ。アキちゃんちから、もらったんだ」おじいちゃんは、一目見て、高級な猫であることに気づいた。じっとピースの顔を覗き込み、ヒフミンに返事した。「これは、大した猫だ。血統書付きだな。高かっただろうな。毛並みはいいし、顔つきに、気品がある。一般庶民が飼っているそこいらの猫とは違う。いつまで預かるんだ?なるべく早く返した方がいい」

早く返した方がいいと言われ、カチンときた。ヒフミンは、口をとがらせ、事情を説明した。「おじいちゃん、分かってるよ。でも、アキちゃんが、しばらくホームステイさせて、ピースの様子を見ていいって。ボク、しっかり面倒見るし、エサもちゃんとやる。やけん、よかろ。おじいちゃんにも、お母ちゃんにも、迷惑かけん。責任もって、面倒見る。絶対、約束する。飼っても、よかろ?おじいちゃん」

 

ウ~~、とうなったおじいちゃんは、腕組みをして、ことの重大さを説明することにした。「ヒフミン、この猫は、そこいらにいる猫じゃない。間違いなく、血統書付きの高価な猫だ。買うとすれば、100万円ぐらいする。こんな猫が病気にでもなったら、動物病院に連れて行かんといかん。一回診てもらうだけでも、1万ぐらいするぞ。そんな治療代、おじいちゃん、だせんバイ」ヒフミンは、猫を飼うことを安易に考えていた。エサをやって、かわいがればいいぐらいにしか考えていなかった。猫を飼うのにお金がかかることなど、まったく考えたこともなかった。

 

「本当?ピースって、100円万もするとね」“100万、100万、100万、”ズキン、ズキン、ズキンと頭痛のように頭を叩き始めた。次第に、手が震えだし、腰が抜けて、畑にバタンと倒れ込んだ。地震が起きたかとびっくりしたピースは、ヒフミンの懐から飛び出し、一目散に畑から逃げ出していった。天を仰いだヒフミンは、亜紀が恨めしくなった。どうして、ピースが血統書付きで、高価な猫だってことをもっと早くに言わなかったのか、と心で叫んだ。すぐ返すのは悔しかったが、明日には、ピースを返すことにした。

 

薬が効きすぎたと思ったおじいちゃんは、岩からヒョイと飛び降りて、倒れ込んだヒフミンに手を貸した。「おい、そんなに、がっかりするな。ヒフミンも、血統書付きの猫が飼えるぐらいの男になればいい。しっかりせんか。男なら、金持ちになってみろ」あまりのショックで、ヒフミンは立ち上がってもふらついていた。金持ちと聞いて、一瞬、イラッと来た。お姉ちゃんは、家族のために出稼ぎに行っているというのに、どうして、子供に金持ちになれなんて言うや、と心の中で愚痴(ぐち)をこぼした。

春日信彦
作家:春日信彦
ヒフミ愛
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