ヒフミ愛

 目をパチクリさせ我に返った亜紀は、オドロオドロしい怪談話をするように小さな声で話し始めた。「まさに、21世紀のホラードラマって感じね。AIイケメンティーチャーが、冗談のように言ってた。超国際金融資本家は、AIを使って、人間の知能では到底太刀打ちできないマネーゲームを仕掛けてるんだって。いずれAI戦争が起きて、地球は放射能で覆われ、人類は滅亡するって」さやかもアンナもヒフミンも亜紀も、お互いの目を見つめ合って、小刻みに震えだした。

 

 ヒフミンは、AIと聞いて、ライバルの秀樹を思い出した。「あのヤロー、きっと、AIを使って、人類を滅ぼすに違いない。アキちゃん、ヒデキなんかと、結婚しちゃだめだ。陰険で、人をバカにするようなあんなヤローとは、付き合っちゃだめだ」またまた、いい加減なことをいう小ブタヤローと思った亜紀は、立ち上がってヒフミンを睨み付けた。「ヒフミン、たいがいにしてよ。ヒデキとは何の関係もないんだから、付き合ってもいないし、結婚もしないし、もう、そんな話やめて」亜紀は、右手のこぶしで殴りかかろうとした。

 

 アンナは、夜叉(やしゃ)の形相(ぎょうそう)になって右腕を振り上げた亜紀を見て、とっさに、亜紀の右腕をつかんだ。「アキ、よしなさい。ヒフミンも女子の気持ちを考えなさい。まったく、おバカなんだから」ヒフミンは、殴られるかと思い、椅子から飛び跳ねていた。マジに怒った亜紀を見たのは初めてらしく、顔が引きつっていた。「ゴメン、二度と言わない。ゴメン」

 

さやかもヒフミンの傍若無人(ぼうじゃくぶじん)に怒りが爆発した。目を吊り上げたさやかは、即座に立ち上がり、ヒフミンの横に立つと左手でグイッと頭を押さえつけて頭を下げさせた。「心から、ちゃんと、謝りなさい、ヒフミン。もう、アキのことを、二度と言っちゃダメ、分かった」ふくれっ面のさやかの怒りは、おさまらず、グイグイっと押さえつけた後、右手の拳骨でゴツンと一発食らわせた。

                        スパイダーの怒り

 

 ヒフミンの家は、亜紀の家から500メートルほど南方向にある広い庭を構えた旧家で、母屋の東側に1ヘクタールほどのオリーブ畑がある。亜紀は、歩いてヒフミンの家まで遊びに行ったことが何度かあり、時々、ピースに会いに行くことはさほど大変なことではない。そのこともあって、少しは気が楽であった。家族で話し合った結果、ピースは、翌日の日曜日の午後に引っ越しすることになった。そのことは、スパイダーにも話しておくべきだったが、引っ越した後でも事情を話せばわかってくれると安易に考え、話していなかった。

 

アンナは、午後1時半ごろ、キャットフード、キャットハウス、トイレ、マット、などピースの家財をベンツでヒフミンの家まで運びこんだ。そして、ヒフミンと亜紀は、運び込まれた家財をピースのために用意された6畳の洋間に運びこんだ。その部屋は、納戸として使っていた部屋で、窓は小さく西向きだったので、ピースが気にいるか不安であったが、部屋の広さは一匹の猫にとっては十分な広さだった。とりあえず、しばらくはその部屋で暮らしてもらうことにした。

 

亜紀は、ピースを安心させるためにホームステイのことをじっくり話して自宅に帰ることにした。ピースは、昨日の会話からヒフミンの家に連れて来られることを知っていたが、亜紀の気持ちをもう一度はっきりと知りたかった。冠木門の入口側の階段に腰かけた亜紀は、ピースを膝の上に載せ、目を見つめて話し始めた。「ピース、よ~~く、聞いてね。今日から、しばらく、ヒフミンと一緒に暮らすの。決して、亜紀やアンナが、ピースを嫌いになったからじゃないの。

 

ヒフミンが、ピースのことが大好きで、ピースと一緒に暮らしたいっていうから、しばらく、一緒に住んであげてほしいの。もし、ヒフミンと暮らすのが嫌になったら、いつでも帰ってきていいのよ。亜紀の家とヒフミンの家は、500メートルぐらいだから、そんなに遠くないし、亜紀も、スパイダーも、時々、ピースに会いに来るし。ヒフミンは、少し、ガサツだけど、気持ちはとっても優しいから。分かるでしょ。

あ、それと、ヒフミンのお姉ちゃんは、出稼ぎに行って、ヒフミンはとっても寂しいんだって。ピースが慰めてあげれば、ヒフミンはとっても喜ぶと思う。勝手なことばかり言って、ピースは怒るかもしれないけれど、ヒフミンを慰めてあげて。亜紀もアンナも、ピースのことがとっても大好き。だから、おうちが恋しくなったら、いつでも、帰ってきていいのよ。分かってね、ピース。それじゃ」

 

亜紀は、別れを告げると、聡明なピースは、小さくうなずいた。亜紀は、ヒフミンにピースを手渡すと「それじゃ、よろしく」と言って踝(くびす)を返した。歩きながら帰る亜紀の後姿を悲しそうな瞳で見つめていたが、ピースは亜紀のあとを追うことはなかった。大学教授に優しく育てられたピースは、亜紀とヒフミンの気持ちを十分くみ取っていた。「アキちゃん、ありがとう。きっと、幸せにするから」ヒフミンは、ピースをギュッと抱きしめ、つぶやいた。

 

いつもなら、500メートルぐらいの距離は短く感じていた。元気良く、駆け足で帰っていた距離が、なぜか、この日に限って、走ろうと思っても、脚が動こうとしなかった。また、家までの距離が不思議なくらい長く感じた。亜紀は、悪いことをしたとは思わなかったが、やはり、何か後ろめたさが付きまとっていた。ピースの気持ちを踏みにじったのではないかという疑念が、頭の片隅にあって、気持ちがスッキリしなかった。

 

南北に走る平原歴史公園通りの南側から肩を落としてトボトボと歩いて帰ってくる亜紀の姿が、垣根の横で日向ぼっこしていたスパイダーの目に飛び込んできた。誰かにイジメられたと思ったスパイダーは、全速力で駆けて迎えに行った。いつもならば、亜紀は、跳びついてくるスパイダーを抱きかかえ、頭をナデナデして笑顔を見せていたが、今日ばかりは、スパイダーのお迎えも空振りだった。

これは一大事と思ったスパイダーは、即座に声をかけた。「アキちゃん、誰だ、イジメたやつは。懲らしめてやる」魂が抜け落ちてしまったような表情の亜紀は、スパイダーの頭にそっと手を置いた。まったく、こんなに無反応の亜紀を見たのは、初めてであった。「どうしたんだ。怖くて、言えないのか?勇気を出せ。反撃しなかったら、また、イジメられるぞ。闘うんだ」スパイダーの叫び声も“馬の耳に念仏”のごとく、亜紀は、ぼんやりとスパイダーを見つめていた。

 

誰かがポンポンと小さく肩を叩くような気がした亜紀は、ふと我に返り小さな笑顔を作って答えた。「あら、スパイダー、元気?今、ヒフミンの家からの帰りなの。ピース置いてきちゃった。あ、そうだ。スパイダーには、話してなかったのよね」スパイダーは、何のことやらさっぱりわからず、首をかしげた。「ピースを置いてきたって、どういうこと?」亜紀は、ちょっと気まずくなって、公園で話すことにした。「ちょっと、話しづらいのよね。公園で話すから」亜紀は、自宅前を通り過ぎて自宅の北側にある桜の木で囲まれた公園に向かった。

 

スパイダーは、いったいどういうことだろう、と首をかしげながら亜紀のあとをついて行った。昨夜から、ピースの様子がどことなく変であったことを思い出した。いつもなら、夕食後、冗談を言ったり、テレビを見たり、亜紀の膝で居眠りしたり、気まぐれなことをしていたが、昨夜に限って寂しそうな顔をして部屋にこもっていた。もしかして、ピースが変な病気にでもかかって、それで、隔離するためにヒフミンの家に追いやられたんじゃないか、とよからぬ憶測をしてしまった。

 

肩を落としてゆっくりとベンチに腰かけた亜紀は、あ~~、と大きなため息をついた。スパイダーは、亜紀の正面にお座りすると、励ますように声をかけた。「アキちゃん、元気出しなよ。いったい、どうしたというんだ?ピースが伝染病にでもかかったのか?そりゃ~、気取ったネコだって、病気はするさ。オレと違って、ピースは、オバンだし。しょうがないさ。そんなに、暗い顔をせずに、さあ、笑顔を作って」

春日信彦
作家:春日信彦
ヒフミ愛
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