小説の未来(8)

薬性を有する“気持ち”

 

 私たちは、麻薬性を有する宗教と同じような効用を持ったいろんな“気持ち”を子供のころから無意識に作り上げています。たとえば、権力、名誉、社会的地位、学歴、などに基づく優越感とか、お金を持っているときの豊かな気持ちとか、プライドとか、自分を美人と思う気持ちとか、自分は秀才だと思う気持ちとか、このような精神を高揚させる気持ちは、麻薬性を持った気持ちと考えられます。

 

私は、気持ちを楽にしてくれる精神的麻薬は、日々の苦しみに耐えて生きていくうえで、必ず必要となるものだと思っています。また、この精神的麻薬を断つことによって起きる禁断症状が、いろんな犯罪やトラブルを引き起こしていると思っています。恋愛や犯罪などのテーマで小説を創作していますが、私の場合、その創作過程において“精神的麻薬”の概念が大きく作用していると思っています。

最も身近な例として、人は、褒められたり、お上手を言われたり、お世辞を言われたり、そのようなことをされるとうれしくなりますね。また、TVやニュースで殺人や芸能人の離婚など他人の不幸を知ると、人は無意識に心の底で喜んでいます。このことは、多くの人が悲劇のニュースに関心を示すことで分かります。これらの現象も、一時的な快感を引き起こす精神的麻薬を投与されたのと同じことなのです。人は生きていれば、“快感”を得たくなるのです。なぜならば、日常生活において不快感が頻繁に起きているからです。

 

私たちは、“快感と不快感”のバランスを取るために、何らかの方法で快感を得ようとするのです。そして、快感を得るために、小説を読んだり、TVを見たり、映画を見たり、ゲームをしたり、音楽を聞いたり、スポーツ観戦したり、ギャンブルしたり、そのような娯楽行為を行うのです。小説は、娯楽を提供するという主な役割を担っていますが、私としては、そのほかに、人間の心理と知性を探り、複雑な人間関係から生まれる“社会・国家の在り方”を考察する役割も担っているのではないかと思っています。

自作の補足解説

 

 シリーズ以外には、A.「女教師の賭け」B.「幻の恋」C.「スラム街の天使」D「父と娘」E.「身代わり」の5編があります。

 

 A.「女教師の賭け」では、画家を目指す高校生と女教師との密かな恋愛を描きました。主人公は、画家を目指す高校生の真美雄。母子家庭の真美雄は、授業料の高い美術専門課程のある私立高校に進学できる経済状況になかった。そのため、真美雄は定時制高校に進学するつもりだったが、中学3年生の時、幸運にも全国中学生絵画コンクールで文部科学大臣賞を受賞した。そのことが評価された真美雄は、福岡美大付属高校に授業料全額免除の特待生として入学することができた。

 

しかし、入学後、なぜか、突然、絵が描けなくなってしまった。まったく、頭から美のイメージが消え去ってしまったのだった。教師から授業料泥棒と言われるまでになり、思い悩んだ挙句、真美雄は退学を決意した。ある日、美術の時間に、真美雄が憧れている准教授絵美先生に退学届を提出しようと退学届を胸ポケットに入れていた。ところが、キャンバスをぼんやり見つめている真美雄の横に立った彼女は、マンションに来るようにとのメモを彼に手渡した。

 

約束の時間にマンションにやってきた真美雄は、マンションの一室に案内され、10万ドルする絵美先生そっくりのマネキンを見せられる。そのマネキンの肌は、生きている女性の肌とほとんど変わらず、その体型の曲線も絵美先生とまったく同じだった。絵美先生は、真美雄の画才を復活させるために、一度は、自分の体を差し出そうとまで思い詰めた。だが、それでは、真美雄は受け入れてくれないと思い、自分とまったくそっくりのマネキンを製造することにしたのだった。

マネキンを目の前にした真美雄は、感動すると同時に全身に震えが起きた。天から美の女神が舞い降りたのだった。絵美先生は、紅潮した顔の真美雄の手を取るとマネキンの頬に手を押し当て、指先で頭のてっぺんから足の指先までをじっくり味わうように指示した。震える指先は、精巧に作られた女体の肌をゆっくり這いまわり続けた。そして、真美雄のイメージ脳に妖艶な絵美先生の裸体曲線が鮮明に彫り込まれていった。

 

 絵が描けなくなってしまった真美雄のことが心配になっていた母親裕子は、父親輝雄について事実を話す決心をした。父輝雄は失踪したのではなく、本当は、今住んでいるこの部屋で自殺したと真美雄に伝えた。画学生だった輝雄は、画才のない自分に絶望し、自殺したのだった。事実を知らされた真美雄は、時々夢に現れる黄色い髪の青年が、父親であることに気づいた。

 

 そして、二度と絵筆を握らないと決意していたが、画学生だった父親と絵美先生の情熱に報いるために、絵を描き続ける決意をした。その夜、夢に現れた黄色い髪の青年は、あたかもルノワールが描いたかのような絵美先生の裸体画を真美雄に手渡すと、笑顔を残して暗闇の中に消え去った。翌朝、母裕子は、いつか手渡す時が来ると隠し持っていた黄色い絵の具がついた輝雄の絵筆をそっと真美雄に手渡した。

春日信彦
作家:春日信彦
小説の未来(8)
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