小説の未来(2)

ラーメンでも、みそラーメンが大好きだという方もいれば、豚骨ラーメンが大好きだという方がいるわけですから、料理人は自分が得意とするラーメンを提供し、お客様に賞味していただければいいのではないかと思います。小説にも同じようなことが言えると思うので、作家は自分が得意とする作品をたくさん書いて、多くの方に読んでいただき、いろんな批評を得ることが大切ではないかと思います。

 

 陳腐な言い方ですが、小説も「量から質」ではないでしょうか。たくさん書いて多くの批判を受けて、少しずつ質が向上すると考えればいいと思います。最初から読者を満足させられる作品は、そう簡単にはできないと思います。根気良く、自分の心や性格を見つめ、じっくりと作品作りに取り組んでいただきたいと思います。真摯に自分を見つめて書かれた作品は、読者を感動させられると思います。

 

インターネットが情報ツールの中核をなし、さらに人間以上の知能を持つAIが登場するに至った現在、賞、俳優、TV、マスコミなどを利用し、販売部数を一時的に増やすやり方は、やむをえないのかもしれません。でも、小説を書くということは、読者に“生きる喜びと感動”を与えるものであってほしいと思います。最近、市販作品にウケ狙いに終始した作品が増えているように見受けられますが、このような傾向は、作家の質を低下させるのではないかと懸念しています。

出来れば、これから作家を志す方たちは、単にウケを狙った作品を書くのではなく、自分の心と対峙し、自分に対する厳しい目を持ち、じっくりと「自然と人間」を見つめて作品作りに取り組んでほしいと思います。小説を書いて金儲けをしたいという思いで書くこともそれなりの価値があるので、金儲け作品を否定しているわけではありません。畢竟、芸術作品の価値は、未来も含めた人類が決定するものだと思っています。

 

絵画、彫刻、陶芸、作曲、作詞、アニメ、など芸術作品は、多々あるでしょう。芸術作品の価値とは、いったいどんなものでしょうか?私の個人的な見解ですが、芸術作品には、すべてそれなりの価値があると考えています。プロの作品には多くの読者を獲得できるような価値があり、アマの作品にも書き手の個性が現れているわけですから、それなりの価値があると思います。素直な目を持った子供が描いた絵も、打算的な心を持った大人が描いた絵も、それなりの価値があるのではないでしょうか。

 

 技術的に稚拙な小学生が書いた小説でも、大人には見えなかった世界を表現していれば、それなりの価値があると思います。つまり、価値は、作品に触れたその人が決めるものだと思います。だからこそ、アマは、たくさんの作品を作り、多くの人たちから評価されるべきだと思っています。個人的には、アマの作品は、100の作品の内1つでも評価されればいいと思います。“小説家を志す”ということは、地図もない、ゴールも見えない無限の宇宙へ旅立つようなものではないでしょうか。

おそらく、プロの小説家になれる人は、ほんの一握りで、しかも、歴史に残るような作家は、プロの中のさらに一握りではないでしょうか。そのようなことを考えれば、貧乏生活しながら小説家を目指すなんて馬鹿げていると思われるでしょうが、前述したように、作品の価値は作品に触れた人が決めるのです。アマの作品であっても、作品の価値を認めてくれる人が一人でもいたなら、その作品に費やした努力と時間は、無駄ではないと思います。

 

 アマの作品でも、いったん生み出された作品は、それなりの生命を持ち続けると思っています。アマだから、プロだから、という気持ちは捨てて、作品のために情熱を傾けていただきたいと思います。小説家を志し、誰からも評価されず挫折される方は多いと思いますが、認められることにこだわらず、命ある限り、創作に取り組んでほしいと思います。「作品」は永遠に生き続ける「命」だと思います。焦らず、驕らず、未来を見つめて、お互い頑張りましょう。

春日信彦
作家:春日信彦
小説の未来(2)
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