小説の未来(2)

                         多くの取材は必要ですか?

 

 取材にもいろいろありますが、ノンフィクション小説を書くうえでは、多くの取材は欠かせないでしょう。でも、フィクションを書くのであれば、取材をしてもその取材した内容の使い方が違ってきます。「母性の罪」では、姫島で起きた事件を書いたわけですが、姫島で起きた事実の事件を書いたのではありません。孤島という個性を利用した架空の事件を創造し、日常では味わうことができない情動を読者に与えるわけです。

 

 はっきりわかりませんが、多くの作家はなんらかの取材をしているのではないかと思います。でも、その目的は、小説を書くうえでその内容を参考にするということであって、取材した内容をそのまま書くということではありません。私の場合、取材で得た見聞から思いもよらないヒントが得られることがあります。誰しも先入観というものがありますから、取材することによって、目から鱗が落ちる、ということがあるわけです。

 

 軍人とか原発労働者になっての実体験取材は、知識と感性を豊富にします。そして、体験を豊富にすることは、小説を書くうえで役に立つように思われます。でも、体験が豊富になったからと言って、小説が書けるわけではありません。確かに、体験はドラマ展開に役立ちますが、フィクション小説は自分の体験を書くのではないのです。前述したように自分の心を見つめることが大切で、自分の心をしっかり見つめることができるようになって初めて、自分の体験が作品に生かされてくるのです。

なるべくありのままに自分の実体験を書く私小説では、自分をしっかり見つめることになるので、最初に私小説を書かれるのもいいかもしれません。小説を書くうえで大切なことは、体験したことをしっかり見つめ、自分の個性をさらけ出すことです。作者の個性が、オリジナルな作品を生み出す原動力になると思っています。作品作りには、テクニック以上に作者の心が大切だと思います。

 

作家としての心構えみたいなものはありますか?

 

 これから、たくさん小説を書きたいと思っておられる方への助言ですが、最初からテーマを決め、ドラマ展開を考え、傑作を書くぞと意気込むのも結構ですが、自分の内面を見つめながら自分なりの“おいしい料理”を作る気持ちで書かれてはいかがでしょうか?私は、お客さんに賞味していただく料理を作るような気持ちで小説を書いています。自分の書いた小説をおいしいと思う方もいれば、まずいと思われる方もいるわけです。

 

 前述したように、小説は料理のようなものではないかと思っています。同じ豚骨ラーメンでも作る人によって味は変わります。同じ殺人事件を扱った推理小説でも殺人方法の工夫や登場人物の言葉遣いによって、作品の味がガラッと変わってきます。やはり、小説の味は、作者の全人格が醸し出されると考えた方がいいと思います。小説という料理は、書き手の味がにじみ出るわけですから、自分という個性にこだわって、オリジナルな作品に挑戦していただきたいと思います。

ラーメンでも、みそラーメンが大好きだという方もいれば、豚骨ラーメンが大好きだという方がいるわけですから、料理人は自分が得意とするラーメンを提供し、お客様に賞味していただければいいのではないかと思います。小説にも同じようなことが言えると思うので、作家は自分が得意とする作品をたくさん書いて、多くの方に読んでいただき、いろんな批評を得ることが大切ではないかと思います。

 

 陳腐な言い方ですが、小説も「量から質」ではないでしょうか。たくさん書いて多くの批判を受けて、少しずつ質が向上すると考えればいいと思います。最初から読者を満足させられる作品は、そう簡単にはできないと思います。根気良く、自分の心や性格を見つめ、じっくりと作品作りに取り組んでいただきたいと思います。真摯に自分を見つめて書かれた作品は、読者を感動させられると思います。

 

インターネットが情報ツールの中核をなし、さらに人間以上の知能を持つAIが登場するに至った現在、賞、俳優、TV、マスコミなどを利用し、販売部数を一時的に増やすやり方は、やむをえないのかもしれません。でも、小説を書くということは、読者に“生きる喜びと感動”を与えるものであってほしいと思います。最近、市販作品にウケ狙いに終始した作品が増えているように見受けられますが、このような傾向は、作家の質を低下させるのではないかと懸念しています。

出来れば、これから作家を志す方たちは、単にウケを狙った作品を書くのではなく、自分の心と対峙し、自分に対する厳しい目を持ち、じっくりと「自然と人間」を見つめて作品作りに取り組んでほしいと思います。小説を書いて金儲けをしたいという思いで書くこともそれなりの価値があるので、金儲け作品を否定しているわけではありません。畢竟、芸術作品の価値は、未来も含めた人類が決定するものだと思っています。

 

絵画、彫刻、陶芸、作曲、作詞、アニメ、など芸術作品は、多々あるでしょう。芸術作品の価値とは、いったいどんなものでしょうか?私の個人的な見解ですが、芸術作品には、すべてそれなりの価値があると考えています。プロの作品には多くの読者を獲得できるような価値があり、アマの作品にも書き手の個性が現れているわけですから、それなりの価値があると思います。素直な目を持った子供が描いた絵も、打算的な心を持った大人が描いた絵も、それなりの価値があるのではないでしょうか。

 

 技術的に稚拙な小学生が書いた小説でも、大人には見えなかった世界を表現していれば、それなりの価値があると思います。つまり、価値は、作品に触れたその人が決めるものだと思います。だからこそ、アマは、たくさんの作品を作り、多くの人たちから評価されるべきだと思っています。個人的には、アマの作品は、100の作品の内1つでも評価されればいいと思います。“小説家を志す”ということは、地図もない、ゴールも見えない無限の宇宙へ旅立つようなものではないでしょうか。

春日信彦
作家:春日信彦
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