小説の未来(2)

プロとアマにどんな違いがありますか?

 

 読者は、小説を読む時にどのようなことを作品に期待するのでしょうか?小説は、あくまでも娯楽の一つですから、読者は小説に快楽の提供を期待すると思われます。小説から学問的知識を得ることができる場合もありますが、これは、むしろ例外であって、一般的には、小説は読者に快楽を与える娯楽本と言えるでしょう。そこで、プロの作家は読者を喜ばすために工夫を凝らすわけです。言い換えれば、読者を楽しませる工夫ができる、販売部数を増やすことができる作家がプロです。

 

 小説にはいろんな分野がありますが、市販されている作品に共通する点は、読者が喜ぶような内容が展開されているということです。もし、非常に哲学的で正義について考えさせる作品があるとします。その内容に価値があると一部の読者が認めても、ちっとも面白くない、という噂が流れた場合、その作品の販売部数は伸びないでしょう。そこで、プロの作家は、多くの読者を獲得するために読者を楽しませるための内容を書くのです。

 

 プロの作家は、自分のためはもとより出版社のためにも、たくさん売れる作品を書く努力をします。今、「愛」をテーマに書く場合、異性愛、同性愛、親子愛、兄弟愛、等いろんな角度からとらえた愛をドラマ展開していきます。金儲けを考えなければ、作家は真摯に考えた内容の作品を書くでしょうが、金儲けという、出版社のためという、多くの読者を獲得しなければならないという、これらの条件が加わると読者ウケする工夫が凝らされた作品が生まれるのです。

プロは、このことは当然のこととして作品作りをするのですが、アマは、出版社のためにというような条件に縛られることはないので、自由奔放に自分の思いに従って作品作りができます。個人的には、本来、小説はビジネスとは関係なく書かれるべきだと思っています。でも、ほとんどの小説は、読者のために書かれるものですから、少なからず読者を喜ばす内容が含まれる必要があると思われます。

 

 きっと、賞を取りたくてひたすらウケ狙いの作品を書いているアマは多いと思われます。これはこれで、プロを目指しているわけですから、いいのではないでしょうか。また、アマの中には、創作に生きがいを感じて、受賞とかウケを考えずにわが道を行くという方もいるのではないでしょうか。いずれにしても、アマは自由奔放に“わが道を行く”という特権を持っていると言えるのかもしれません。

 

最初にテーマを設定するのですか?

 

私の場合、概念的なテーマから具体的なテーマへと変化していく場合が多いと思います。たとえば、「愛」をテーマとして、ドラマ展開していくうちに、異性愛であったり、同性愛だったり、兄弟愛だったりと変化していくのです。「愛」の人間関係は、無限に広がっていきます。この無限に広がっていく「愛」の世界から、自分なりの小さな愛の世界を描写していくことになります。

「ありふれた殺人」「蜜の罠」などは、同性愛が展開されていますし、「見えない子供たち」「長生きしてね」などでは姉弟愛、「恋占い」では兄妹愛が展開されています。おそらく、どんな作品でも人間関係を描く場合「愛」を抜きに書くことはできないでしょう。また、「愛」を中心に人間関係が描かれるからこそ、読者はドキドキ、ハラハラ、ワクワクするのではないでしょうか?多くの読者は、「愛」のドラマ展開に喜びを感じるのではないかと思います。

 

 当然、いろんなテーマがありますが、私の場合、大きなテーマとして、「愛」「家族」「国家」「戦争」「犯罪」などがあります。「犯罪」をテーマとしたものに、「地下室の妖気」「老婆の一撃」などがあります。「地下室の妖気」は、メチル水銀を含んだ廃液を無処理で水俣湾に流し、そのことによって水俣病を引き起こした企業の犯罪について、「老婆の一撃」では、血友病患者への非加熱製剤投与によって、エイズ患者を増加させた製薬会社の犯罪について書いてみました。

 

 具体的なテーマは、無限にあると言えますし、同じテーマでも作家によって全く違った作品が出来上がる事でしょう。「謎解き」をテーマとした当初から計算された小説もあります。刑事や探偵が殺人事件を解決する推理小説です。この手の作品では、登場人物やアリバイ工作や殺人方法に工夫が凝らされ、さらに読者を迷路に誘い込むような罠も仕掛けられていて、読者は刑事や探偵と一緒になってなぞ解きを楽しみます。

                         多くの取材は必要ですか?

 

 取材にもいろいろありますが、ノンフィクション小説を書くうえでは、多くの取材は欠かせないでしょう。でも、フィクションを書くのであれば、取材をしてもその取材した内容の使い方が違ってきます。「母性の罪」では、姫島で起きた事件を書いたわけですが、姫島で起きた事実の事件を書いたのではありません。孤島という個性を利用した架空の事件を創造し、日常では味わうことができない情動を読者に与えるわけです。

 

 はっきりわかりませんが、多くの作家はなんらかの取材をしているのではないかと思います。でも、その目的は、小説を書くうえでその内容を参考にするということであって、取材した内容をそのまま書くということではありません。私の場合、取材で得た見聞から思いもよらないヒントが得られることがあります。誰しも先入観というものがありますから、取材することによって、目から鱗が落ちる、ということがあるわけです。

 

 軍人とか原発労働者になっての実体験取材は、知識と感性を豊富にします。そして、体験を豊富にすることは、小説を書くうえで役に立つように思われます。でも、体験が豊富になったからと言って、小説が書けるわけではありません。確かに、体験はドラマ展開に役立ちますが、フィクション小説は自分の体験を書くのではないのです。前述したように自分の心を見つめることが大切で、自分の心をしっかり見つめることができるようになって初めて、自分の体験が作品に生かされてくるのです。

春日信彦
作家:春日信彦
小説の未来(2)
0
  • 0円
  • ダウンロード

1 / 8

  • 最初のページ
  • 前のページ
  • 次のページ
  • 最後のページ
  • もくじ
  • ダウンロード
  • 設定

    文字サイズ

    フォント