八
小谷病院の副院長篤彦の体調は、早期に発見され、ありうる限りの手を尽くしても放射線治療が避けられなくなってきていた。診療を続けることはそのうちできなくなる。
父親の院長篤志は、この古めかしい郡上八幡市にこれまで多少なりとも貢献してきた医者一家であることを誇りに思っていたし、それはさらに子孫にも引き継がれていくはずであった自身もそして息子も一人っ子であることが、今ほど残念に思われたことはない。
書棚を眺めていると、市の変革や市政の移り変わりをまとめた冊子が、いつか贈られたのであろう、いくつか目に付いた。
「は」
と、篤志は声を出した。試しにやってみても良いではないか。
京都府綾部市のこんな市政史、郷土史などを見てみよう、運が良ければ佐藤克男に触れられているかもしれない。もちろんいわゆる興信所を使う手もあったが、そこまでするほどの期待がなかった。
電話でなんとかすむのか、誰かを送らねばならないのか、まず電話をかけて様子を見るべし、となった。
「個人宛にお送りするほど部数がございません」と言われて、篤志の孫達、新米の兄弟医者が僕らで一っ走りドライブがてら言っても良いよ、今度は揃って乗り気になった。彼らにしても頼りの親父に何かあったら一大事なのである。
大した距離ではない。
「綾部市なんて来ることになろうとは、思いもしなかったよなあ」
「人生、何が待っているかわからんものだ。ええと、図書館かな、ゆっくり見ることができるだろう」
終戦前後あたりの冊子を周囲に積み上げてさ、やるぞ、気合いを入れろ、と得意の集中力で読み込み始めた。
歴史的な記述も結構興味深かった。明智光秀が尊ばれている様子が残っているのを、歴史担当の整形外科医の弟は珍しげに読んだ。
佐藤という苗字はあちこちに出てくるが、とりあえずは不明である。
そのうちにある佐藤一族が目立ってきた。何か人手が入用になった時、開墾、護岸工事、天災の補修などに働く人を派遣する役割、いわゆる人買い、俠客のような位置にある家だ。その三代目らしい、「克男」についにぶつかったのである。
ここで、もし戸籍を見ることができれば、サワの子供がいつ生まれたのかがわかるのだが、現在の法律では親族以外がそれを見ることは不可能だった。
「僕らがヤクザならなあ、賄賂か恐喝かだけど」「アホか」「生存確認だけでもできないかな」「そうだなあ。そうか、佐藤家の出身地らしい、この勝俣という地域に行ってみよう。知っている人がいるかも」
地域には町内会長という存在がある。市役所で確認し、タクシーで直行した。佐藤克男という名前はもちろん知られていた。顔を見せたのは相当の年齢らしい人物で、豊かな暮らしを偲ばせる風雅な様子をしている。
意外にも、その娘は有名であった。兄弟の医者が隠すことなく、切羽詰まった事情であることを話すと、そうかもしれませぬなあ、と腕を組んだ。
「娘さんは、確か、結婚式にはもう生まれて日が経っているような赤ん坊だった、そうです。噂ではですなあ、そりゃ、花嫁は別嬪さんだったから一も二もなく実子にして、名前をつけたとかですよ」
血縁である可能性もある。しかし、たとえ見つかっても、DNA検査だなあと二人とも思った。他の親族はもう残っていないようなので、克男夫婦も亡くなったとすると、あとは、、と考えていた兄の典亮が、「他に兄弟姉妹は?」と慌てて尋ねた。
「ああ、私どもが知っている限りでは確か弟がいました。ええ、名前はねえ、どうやったかいな二人とも、人に聞いてみませんと」
わかりさえすればまずは、ネット検索だ。
夜になって、電話をもらった。なんと娘とその弟の名前が分かった。町内会長の末娘が同じ学校だったのだ。
「なるほど、なるほど、佐藤小夜子、克史」と兄弟は我が意を得たりと笑い合った。
九
佐藤克史は、月に一度姉からメールをもらう。日本とタイとに分かれて生存確認する。姉の小夜子より五歳若いのだが、還暦を過ぎてなお、仕事も健康もタイで模索しているところである。
息子の誠が間も無くインターンに入り、医者になることだけが彼を頑張らせていた。
父親は違うが、自分たち姉弟がどちらも才覚がありながらそれを生かし、社会に役立てられないことを口惜しく思うのだ。小夜子の窮状には言う言葉もなく、援助などできるはずもなかった。お互いに自分の窮状を率直に伝えないように配慮さえしていた。
何と返信しようか、考えあぐねていると、息子の誠からメールが入った。幾つかインターンの地方受け入れ先病院がある由、それらの名前を書き送ってきて、父親の意見を聞きたいらしい。彼は外科志望である。
「郡上八幡、小谷病院、、、」
そこにしろ、と書いてから、しばらく考えて実は、と理由を書き添えた。
小夜子はどうしても敢えてできなかった。母のサワの遺言でもあったからだが、小夜子らしい意地もあった。惨めになるだけだ、潔く消えた方がましだ、と言い聞かせて人生を過ごした。それを知っているので克史も手を打たなかった。相手方との金銭的な取引があったとしても、佐藤克男への恩義が母にあったとしても、それで済む問題ではないはずだった。
見えない運命の手が導いているように思えた。タイに居ると、肩の力が抜けてくる。心を柔らかくして無にして、エネルギーの流れを受け入れる用意ができる。