夢のネックレス

会長は、目じりを下げてニコッと笑顔を作り、うなずいた。「ありがとう。この子が亜紀ちゃんだね。どんなプレゼントだろう~ね~、プレゼントを見せておくれ」アンナは、病人でも食べられるようにと糸島牛乳を使った手作りのプリンを箱から取り出し見せた。亜紀は、一晩かけて描いたアンパンマンの絵を両手で持ち上げて見せた。絵の上部には、“アンパンマンになったおじいちゃん“と青のクレヨンで書かれてあった。

 

会長は、黙って二人のプレゼントに見入っていた。「ありがとう。生まれて初めてだよ。こんなに心のこもったプレゼントをいただくなんて。本当に、ありがとう」亜紀が描いた会長の顔が、まん丸のアンパンだったことに笑顔で尋ねた。「おじいちゃんに似ていないね。アンパンマンって、誰だい?」まったくアニメを見ない会長は、アンパンマンを知らなかった。

 

あきれた顔をした亜紀は、即座に答えた。「え、おじいちゃん、アンパンマン、知らないの?正義の味方よ。悪い奴らをやっつけるんだから。すっごく、強いんだから。亜紀、アンパンマン、大好き」亜紀は、あたかもアンパンマンが友達かのように自慢げに話した。目を輝かせた亜紀は、さらに声を張り上げて話し続けた。「おじいちゃん、元気になったら、公園で遊びましょ。ピースもスパイダーも風来坊も、おじいちゃんに会いたがってるんだから」

会長は、目を閉じて、小さくうなずいた。「亜紀ちゃんには、お友達がたくさんいて、よかったね。おじいちゃんには、敵はいても、お友達はいないんだ。亜紀ちゃんがうらやましいよ。それに、おじいちゃんを正義の味方と思ってくれたんだね。でも、おじいちゃんは、残念なことに、正義の味方じゃないんだよ。アンパンマンにやられる悪者の親分さ。戦争で使う機関銃や戦闘機やミサイルを作り、世界中の国家に売りさばく武器商人さ。がっかりさせて、ごめんよ」

 

アンナは、とっさに亜紀の口をふさいだ。会長は、静かに瞼を開くと話を続けた。「そう、気を使わなくともいい。事実は事実だ。亜紀ちゃん、おじいちゃんの夢は、愉快に遊ぶ子供たちを描くルノワールのような画家になりたかったんだ。でも、なれなかった。結局、どういうわけか、武器商人になってしまった。そして、多くの子供たちを殺してしまった。神様は、許してくれないだろう。きっと、地獄に落ちる」力尽きたかのように言い終えると静かに瞼を閉じた。

 

 アンナは、会長を怒らせてしまったと思い、顔が真っ青になった。亜紀も固まってしまった。さやかが、即座に話に割り込んだ。「会長、亜紀ちゃんは、早く元気になってほしいと、一晩かけて、一生懸命、描いたんです。上手に描けているじゃないですか。ほら、まん丸笑顔の会長って、チョ~かわいい」さやかは、クスクスっと笑った。会長も目じりから涙を流し、笑顔を作った。

さやかは、ぐったりとしてしまった会長を寝かせつけ、三人は静かに病室を出た。二人は、さやかと正面玄関で別れるとアンナは亜紀の手を引っ張り、病院から逃げるかのように小走りで駐車場に向かった。車に乗り込みハンドルを握りしめたアンナは、なんとなくほっとした。子供たちに優しいおじいちゃんと思い込んでいた亜紀は、おじいちゃんが武器商人の悪者と知って、少し、がっかりした。

 

                 夢のネックレス

 

 ヒフミンの姉、香子(キョウコ)は、ヒフミンの激変に困惑していた。7月末までの奨励会受験申込み期限が過ぎてからは、魂が抜けたような子ブタになっていた。毎日のように将棋を指していたヒフミンが、今では、将棋について一言もしゃべらなくなった。勉強机の上には必ず将棋盤と駒が置いてあったが、部屋のどこにも将棋盤と駒の姿はなかった。それまでは、時々、アマ2段の香子に相手を頼んでいたが、それもまったくなくなった。思い余って、香子は将棋の相手を申し出たが、やんない、とあっさり断られた。

 

 ヒフミンは、受験すれば必ず合格すると確信していた香子は、受験をしないヒフミンの気持ちがわからなかった。そのことで、若いころアマ竜王戦の福岡県代表になったことのある祖父の銀次に相談することにした。夕食後、銀次は、いつものようにちゃぶ台でじっとアマ竜王決勝戦の棋譜を見つめていた。「おじいちゃん、ちょっといい」銀次は、香子のマジな口調に驚き振り向いた。「なんだ。お小遣いなら、もうないぞ。薬代で、我が家は火の車だ。そのくらい、分かってるだろ」

 香子は、銀次の正面に胡坐をかいて、銀次を睨みつけた。「違うったら。ヒフミンのことよ。最近変じゃない。将棋をまったく指さなくなったのよ。奨励会は、一生受験しない、っていうし。もう、将棋は飽きたとか何とか言って。あの将棋バカが、将棋を指さないってことは、きっと、何かあるのよ。おじいちゃんに心当たり無い?」銀次は、面倒くさい話を持ってきたとしかめっ面で答えた。「そのうち、気が向けば、指すさ。ほっとけばいい」

 

 でも、香子の気持ちは、治まらなかった。「おじいちゃん、本当にそう思う。あの将棋バカが、将棋を指さないのよ。おかしいでしょ。あいつったら、将棋盤と駒は、友達にやったとかなんとか言って、変でしょ。そう思わない?」銀次は、奨励会試験を受験しなかったことで、ヒフミンの気持ちを察していた。そこで、香子を諭すように返事した。「香子は、奨励会の難しさを知らないからだ。奨励会なんて、そんなに簡単に入れるものじゃない。そのことが、ようやく分かったんじゃないか」

 

 「おじいちゃんって、冷たいのね。何よ、最初から落ちると決めつけるなんて。確かにバカだけど、将棋の天才じゃない。どうして不合格になるって決めつけるのよ。やってみなきゃ、わかんないじゃない。一度や二度、落ちたっていいじゃない。とにかく、何度でも、チャレンジすべきじゃない」銀次は、これ以上ヒフミンのことは話したくなかったが、香子を納得させるために話を続けた。

春日信彦
作家:春日信彦
夢のネックレス
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