天の川

「無事、F大学に合格できました。報告が遅くなって、申し分けありません。教頭、あ、校長に、いろいろとご指導いただいたおかげです。ありがとうございました。校長に昇格されたんですね。すごいですね。おめでとうございます。これからますます、糸中も有名になりますね」校長は、ほめられて苦笑いした。「そう、5月のゴールデンウィークに、横山がT大学合格の報告に来たわ。ゆう子に会いたいって、言ってたわよ」

 

横山からは、合格してすぐに報告を受けていた。里帰りした時には、会いたいとも言っていた。「はい、夏休みの里帰りのときに、会いたいと思っています。さすが横山。横山だったら、世界一の裁判長になれると思います。それに比べ、何か、ダメなんです。自分でもわからないです。なぜか、やる気が出ないんです。授業中も、ぼんやりして、集中できないんです。せっかく、英語科に入れたというのに。やはり、教師に向いてないってことでしょうか?」

 

中学のころと一向に変わってないと思い、一度、うなずき、返事した。「中学のころと、まったく、変わってないわね。素直なようで、素直じゃない。要は、教師になりたいという強い意志はないってこと。でも、誰だって、自分のことって、わかんないものなのよ。わたしだって、教師に向いていると思って、教師になったわけじゃないわ。とにかく、チャレンジしたの。やってみなくちゃ、自分も見えてこないのよ。案ずるより産むがやすし,って言うでしょ」

ゆう子は、なんでも、やる前からいろんな不安が込み上げてきて、躊躇する癖があった。恋愛もそうであった、恋愛してみなければ、相手の気持ちも自分の気持ちもわからないはずなのに、恋愛する前から、相手の気持ちや自分の気持ちを決めつけてしまうところがあった。美緒のように無心になって恋愛に飛び込む勇気がなかった。何か、弱気で、優柔不断で、失敗ばかりを考えて、第一歩を踏み出せないところがあった。

 

「はい、やっぱ、ダメですね。この性格、治らないんでしょうね。臆病なんです。すぐに逃げ出そうとするんです。本当に、やってみなきゃ、わかんないのに。教師になる前から、しり込みしてるんです。結局、親の希望を叶えるために、大学に入ったのでしょうか?自分の夢が、見えてこないんです。こんな気持ちで、先生になんて、無理ですよね。このままでは、大学も、卒業できるか、どうか?」

 

人というのは、弱いものだと分かっている校長は、笑顔で答えた。「何、そんなに、落ち込んでるの。今言ったでしょ、誰だって、自分のことなんて、分からないのよ。性格のことをとやかく言うぐらいだったら、まずは、やってみることよ。そうだ、夏休みに、1年生の補講授業をやってもらおうかしら。それがいい。ゆう子、教えてみなさい。教えるということは、どういうことか、自分なりに考えてみなさ」

教師の資格もないものが授業をして、英語を習い始めた1年生に英語を嫌いにさせては、申し訳ないと思い、ゆう子は、即座に断った。「それは、できません。教師の資格もないし。家庭教師の経験はあるけど、教壇に立って教えるなんて、絶対にできません。生徒たちから、ダメ出しを食らうに決まっています。きっと、校長に迷惑をかけることになります。授業を見学させていただくだけで、十分です」

 

校長は、うなずき、返事した。「先生の補佐として、教えてもらうのよ。でも、見学だけでは、ダメ。教壇に立って教えて初めて、教えるということの喜びが実感できるの。とにかく、自分なりに情熱をもって全力で教えてみなさい。英語の勉強は楽しい、っていう気持ちを伝えればいいの。自分の気持ちに素直になれば、必ずできます。英検1級を持ってるじゃないの、自信を持ちなさい。よし、大学を卒業したら、糸中の英語の先生をしなさい。そして、英語の成績、全国一にしなさい。分かった?」

 

ゆう子は、躊躇したが、校長の好意を無駄にしたくなかった。とにかくやってみる決意をしたゆう子は、目を輝かせ、返事した。「はい、やってみます。自分の気持ちを伝えてみます。生徒を前にすれば、今までに無かった自分が現れてくれるかもしれません。ダメ出しを食らうかもしれません。でも、それが現実の自分だと思います。ぜひ、チャレンジさせてください。後輩に胸が張れる先輩になれるように、全力でやってみます」

 

校長は、ニコッと笑顔を作り、うなずいた。「そうよ、それでいいの。誰だって、弱いものなの。自分を責めずに、チャレンジしなさい。与えられた道なんてないのよ、道なんて、歩いた後にできるの。手探りでいいの。転ぶこともあるし、傷だってできる、泣きたい時だってある、もう歩きたくないって思う時もある、でも、それでも、歩くの。歩くことが、それが、人生よ。第一歩を踏み出しなさい」

 

校長は、ゆう子が口に出さなくとも、心の奥底に消すことができない悩みをちゃんと知っていた。それは、天国に行ってしまった勇樹への恋心との葛藤だった。「ゆう子、少しは、元気が出た?誰だって、弱いのよ。先生も同じ。強がっているだけ。何回も失恋して、結婚も失敗して、心は傷だらけ。でも、生きてる限り、歩き続けなくっちゃ。ゆう子のひこ星も、きっと、ゆう子が歩き出すことを願っていると思う」

 

そう言い終えた校長は、そっと席を立ち、窓際から掛け声を出し合い練習に励む野球部員たちを見つめた。“ひこ星”ゆう子は、ハッとした。どうして、そんなことを。突然、脳裏のスクリーンに夜空に光り輝く天の川が現れた。そして、西の夜空を懸命に走っているひこ星が、東の夜空の寂しそうなゆう子姫に声をかけた。「しょげた顔は、似合わんばい。さあ、走らんか、なんばしよっとか」

春日信彦
作家:春日信彦
天の川
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