天の川

鳥羽はしめたと思い、ゆう子のことを質問しようと口を開いた時、突然、鳥羽の頭上から聞きなれた声がした。「おい、美緒とデートか?こいつ、隅に置けないやつだ」鳥羽の左横に写真部の小松がにやけた顔で突っ立っていた。誤解されたと思った美緒は、即座に返事した。「何、言ってるの。ちょっと、話してただけ」そう言い終えた美緒は、すっと立ち上がりカウンターにかけて行った。

 

獲物を取り逃がしたような目つきでじっと美緒の後姿を見つめていた鳥羽だったが、ほんの少し手ごたえを感じ、心でほくそ笑んだ。「ちょっと、お邪魔だったかな。ワリ~ワリ~」小松は頭をかきながら謝ったが、鳥羽は、平然とした顔で返事した。「いや、別に。ちょっと、志望校のことを話していただけだ」軽くいなした鳥羽は小松を無視して、食べかけのイチゴジャムパンを右手につかみ、出口に向かって歩き出した。 

 

高望み

 

美緒は、最近、なんとなく元気が無いゆう子のことが気になっていた。ゆう子は、けだるそうにベッドの端に腰かけ、魂の抜け殻のようにぼんやりして、美緒のことは頭にない様子であった。いつもならば、9時過ぎごろから美緒の左横に腰かけ、英語を教えていた。美緒はゆう子がやってくるのをじっと待っていたが、9時を20分過ぎても身動き一つしなかった。

 

あまりにも覚えが悪い美緒のことが嫌いになったのではないかと不安に思い、うつろな眼で壁を見つめているゆう子に声をかけた。「先輩、元気ないですね。何か、心配事でもあるんじゃないですか?」声をかけられたゆう子は、ハッと我に返り、返事した。「え、どうしたの?あ、勉強ね。もう、9時過ぎてるじゃない。ごめん」ゆう子が立ち上がろうとした時、美緒が先に立ち上がった。「先輩、最近、ぼんやりしてますよ。何かあったんじゃないですか?一人で悩むのは、よくないと思います。美緒でよかったら、話してください」

 

学校でもぼんやりして、授業にも身が入っていないことは、自覚していた。特に、悩みがあるわけではなく、今一つ、気合が入らないのだった。将来のことを考えれば考えるほど、自分のやるべきことが分からなくなり、勉強していても集中力が続かず、いつの間にかぼんやりしてしまうのだった。最近では、友達と話をしていても、「聞いてるの?」って言われるようになっていた。

 

勉強机の左横の丸椅子をひょいと右手で持ち上げ、、ゆう子の前に置くとドスンと腰かけた。そして、憂鬱そうなゆう子の顔をグイッと見つめると美緒は語気を強めて言い切った。「もしかして、美緒があまりにもバカだから、教えるのがあほらしくなったんでしょ」ゆう子は、自分の態度がそんな風に思われていることに愕然とした。背筋をピンと伸ばし、マジな顔つきで即座に打ち消した。

「違うわよ。美緒は、熱心だし、頑張り屋じゃない。ほら、今回の模擬試験の英語の偏差値、2も上がっていたじゃない。頑張ったじゃない。この調子。きっと、合格できる」美緒は褒められてうれしかったが、素直に信じることができなかった。「でも、本当に、合格できるの?こんなバカでも。美緒は、どうしても合格したいのよ。頼りは、先輩しかいないし。この通り、見捨てないでください」

 

美緒は、観音様に拝むように両手を顔の前で合わせ、頭を下げた。ゆう子は、あまりにも真剣な美緒に度肝を抜かれた。「やめて、そんなの。美緒は、大丈夫よ。きっと、合格できるって。でも、どうして、そんなに大学に行きたいの?確かに就職難だけど、女子は、大学に行かなくっても、就職できると思うけど。何か、資格を取りたいの?」美緒は、大学に行きたい理由を即座に言えなかった。

 

大学に行きたい理由は、おっさんデカことサワピ~と結婚したかったからだったが、そんなことを言えば、笑われるような気がして、口にできなかった。美緒は、うつむいてしょげてしまった。「何か深いわけでもあるの?大学に行くことは、すっごく、いいことだから、応援するけど、美緒の頑張りを見てるとマグマのような熱い気持ちを感じるの。ゆう子は、そんな美緒を見習いたいのよ。参考までに、聞かせてほしいな」

もし、黙っていると、ゆう子を怒らせてしまうようで、それかといって、おっさんのサワピ~と結婚したいから、といえば笑われるような気がして、どうしていいかわからず、顔が真っ赤になってしまった。「いいのよ、人に言えないこともあるし、悪かったわ。美緒は、向上心があって、大学を目指しているんだから、理由はともあれ、立派なことよ。それに比べて、優柔不断で、勉強もろくにせず、のほほんと毎日を過ごしてる自分が、情けない。美緒を見習わなくっちゃ」

 

美緒は、何か買いかぶられてしまったようで、ここのままでは、気持ちの整理がつかなくなってしまった。「先輩、別に言えない理由じゃないんです。大それたことじゃないんです。絶対に、笑わないでください。いや、やっぱ、笑われる」美緒は、顔を激しく左右に振った。大学進学の理由で笑うようなことがあるとは、考えられなかった。「何言ってるの。笑うだなんて。美緒の熱い気持ちを見習いたいだけよ」

 

美緒は、笑われると思ったが、黙っていると負い目を感じて勉強に身が入らなくなるような気がして、恥を忍んで、一気に話すことにした。「本当に、笑っちゃ、いやよ。約束して、先輩」眉毛を八の字にしたゆう子は、いったいどういうことかと首をかしげた。「笑うだなんて、とんでもない。聞かせて、美緒」美緒は、大きく深呼吸すると、10メートルの高さの飛び板から、真っ逆さまに飛び降りる覚悟で声を発した。

春日信彦
作家:春日信彦
天の川
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