天の川

愛の説教

 

安田も無事F大学商学部に合格し、心に余裕ができたのかしばらくやめていた写真を撮り始めていた。鳥羽は、安田の部屋に呼ばれ、被写体としてポーズをとっていた。安田は、高校2年生の時までは、親の整備工場の跡を継ぐ覚悟だったが、高校3年の夏休みにリノと再会し、リノを好きになり、気持ちが急変した。安田は、自分以上に車いじりが好きな弟に家業の跡継ぎを任せることにした。そして、リノの願いをかなえるべく指原家の養子に入る決意をした。

 

安田とリノは、大学卒業後、結婚する約束を交わしていた。そのことは、二人だけの秘密で、鳥羽にも内緒にしていた。安田がゆう子と同じF大学に進学したと知った時、鳥羽は、目を丸くして驚いた。安田は整備士の資格を取るために自動車の専門学校に進学すると思っていたからだ。ゆう子の学生生活が気になっていた鳥羽は、安田からゆう子のことを聞き出そうと安田のモデルを快く応じていた。

 

筋肉美を数枚撮り終えた安田は、鳥羽に休憩を指示した。いつものように、渋い顔の安田は白の椅子に腰かけ、休憩を待ちかねていた鳥羽は青の椅子に腰かけた。腰かける否や鳥羽は、安田に声をかけた。「先輩、大学生活はどうですか?」一人の世界に入り込んだ安田は、渋い顔をして、フレッジにゆっくり歩いて行った。500ミリリットルのアクエリアスのペットボトルを二本ぶら下げて、白い椅子に戻ってくると、一本を鳥羽に手渡した。

「いただきます」ペットボトルを手に取った鳥羽は、キャップをひねり取り、胃の中に放り込むように、ゴクゴクと喉を鳴らし、冷たいアクエリアスを流し込んだ。安田は、何か考え込んだような表情で、ゆっくり喉を冷やすように飲んだ。「どうも、今一つだな~。最近、マンネリ化して、陳腐な作品ばかりだ。もっと、斬新な、あっと言わせるような、前衛的な、そんなのがほしいんだが。やっぱ、俺には、才能がないってことかな~」

 

付き合いでポーズをとっているだけのモデルでしかない鳥羽にとって、写真の芸術性などはどうでもよかった。それより、ゆう子のことが気になっていた。「先輩、ゆう子先輩とは、たまには会いますか?」安田は、まったく意表を突いた質問に面食らった。「え、ゆう子?会うわけ、ないだろう。彼女じゃあるまいし。お前は、わけのわからん、やっちゃ。ゆう子のこと、まだ、思ってるのか。いい加減に、あきらめろ。お前の狙う相手じゃない」

 

鳥羽は、グサッと来たが、それでも、食い下がった。「いや、まあ。それは、分かっています。でも、ゆう子姫を一生お守りしたいんです。だから、まあ。ゆう子姫になにか、変な虫がつかないかと思って。やっぱ、なんといっても、グラドルですから、気になるんです。できれば、時々会って、様子を聞いてきてもらえませんか?」あまりにもバカげたお願いに、吹き出しそうになったが、ちょっと先輩ぶって、お説教してやることにした。

 

「本当に、お前は、おめでたい奴だ。この前にも、言っただろ。恋愛とは、平等なる精神によって成り立つんだと。お前のは、単なる片思いでもなく、恋愛でもない。ゆう子は、お前のことなどなんとも思っていない。こんなのは、恋愛じゃない。たいがいで目を覚ませ。お前は、ゆう子のなんなんだ?単なる奴隷か?一生守るって、正気の沙汰じゃない。自分が言っていることが、分かってんのか?」

 

目じりを下げて泣きそうな顔になったが、鳥羽の気持ちは変わらなかった。ペットボトルの口をくわえると、グイッとアクエリアスを流し込み、大きく深呼吸した。そして、深刻な表情で両手に握りこぶしを作り、つぶやき始めた。「いいんです。なんと言われようと。ゆう子姫にお仕えすると決めたんです。ゆう子姫を守るためだったら、命も惜しくありません。先輩、お願いです。ゆう子姫の写真を撮ってきてくださいよ。元気なゆう子姫の姿を見ないと、心配で、夜も眠れないんです」

 

これはかなりの重症と思ったが、引っ張って病院に連れていくことはできず、とりあえず、徐々に諭すことにした。「鳥羽、とにかく落ち着け。お前の気持ちは、よ~~~く、分かった。でも、あまりの思い込みは、相手にとっても迷惑だ。一歩間違えば、ストーカーに間違えられる。冷静になって、考えてみろ。ゆう子には、すでに彼氏がいるはずだ。そこにお前が出しゃばって、ゆう子の恋愛を邪魔すれば、ゆう子は悲しむんじゃないか?ゆう子のことを思うんだったら、潔く、身を引け。それが男ってもんだ。分かるだろ」

ゆう子が悲しむと聞かされた鳥羽は、泣きそうな顔になり、うつむいてしまった。思い詰めて自殺するんじゃないかと不安になった安田は、鳥羽の気持ちを少しでも楽にしようと話を替えることにした。「鳥羽、元気を出せ。恋愛というものは、突然やってくるものだ。小田の歌にもあるじゃないか、ラブストーリは突然に。そう、そう、俺のことなんだが、大学を卒業したら、リノと結婚するつもりだ。だから、経営の勉強をするために、F大学に行くことにしたんだ。このことは、内緒だぞ」

 

泣きそうな顔をしていた鳥羽であったが、ひょいと顔を持ち上げた。「え、結婚。リノさんと。なんだ、そういうことですか。先輩だけ、いい思いをするってことですか。俺には、地獄に突き落とすようなことを言って。いいですよ、そうですか、よかったですね。もう、先輩には、相談しません。ゆう子姫のことは、自分の心の中にしまい込みます。ストーカーまがいなことは、一切しません。じっと耐えて、一生耐えて、心の底で、お仕えします」

 

これはちょっとまずいことを言ってしまったと後悔したが、後の祭りだった。このままでは、恨まれてしまうと不安になった安田は、何とかご機嫌を取ろうと頭をひねった。ポンと膝を叩いた安田は、作り笑顔で心にもないことを話し始めた。「おい、お前は、医学部志望だったよな。聞くところによると、医学部生は、モテるらしいぞ。来年、見事、医学部に合格すれば、いっぱしの医学部生じゃないか。もしかしたら、ゆう子が振り向くかも?」安田は、心の中でペロッと舌を出した。

春日信彦
作家:春日信彦
天の川
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