禅宗と言えば、現代人には、座禅や精進料理など、謹厳な修業のイメージが強い。このイメージは、外れているわけではないが、室町時代の禅宗というのは、もっとアグレッシブでクリエイティブな存在だったのではないか。と思われる。
禅宗は、基本、限られた修行僧が研鑽を積み、厳しい戒律を守りながら、深遠で難解な仏教の教理の理解を深めていくという、小乗仏教の流れから来ている古い宗派である。であるから、禅宗の僧は、その修行のレベルにもよるが、基本は、知的なエリート、教養人として、人々の尊敬を集める存在だった。
のち、仏教の世界では、念仏を唱えるだけで極楽に行けるとか、難解な教理を理解しなくても利益が得られるという一種の大衆化運動ともいえる新興的宗派が現われるが、ある意味、最も伝統的な宗派といえる禅宗も、生き生きと活発だった。
例えば、現代の方々もご存知の禅問答。これを、禅宗では、公案という。これは、基本、高位の僧が、仏法の教義、理論に基づいて、問題を投げかけ、修行中の僧がそれに答える、という一種のディベートのようなものだが、ディベートと違うのは、議論の勝ち負けを判定する、というよりは、むしろ、設問の立て方、及び、仏教の教理に従いつつも、その回答のユニークな発想、機転、趣向の深さなどを競う、という一種の話芸、パフォーマンス的なイベントなのである。つまり、弥太流に解釈すれば、口のうまさを競う知的ゲームなのである。誤解を恐れずに、さらに言えば、禅の修業で、もうひとつ、代表的なもの、座禅だが、これも、けっして苦行ではなく、五感を遮断して、瞑想することにより、一種のトランス状態を体験する、というむしろ快楽的なものである。
禅僧は、知的遊びをリードするオピニオンリーダー、パフォーマーだったのだ。
そのスターの一人が一休だった。
一休の発言、文章(主に漢詩)は、政治的な発言から、プライベートな恋愛論など、多岐に渡ったが、機知と教養に富み、なおかつ、ユニークで、文章の調子も美しかった。ある意味、一種の人気流行作家であり、思想家であり、社会評論家であり、作品だけでなく、公家、武家から一般庶民に至るまで、一休の作品だけに留まらず、その一挙手一投足に注目する存在だった。
御所に行ってから、しばらく、弥太は姿を見せなかったが、ある日、ふらりと庵を訪ねてきた。
「どうした、将軍。心配しておったぞ。はて、少しやせたかな」
「ああ、和尚。俺は、俺は、病だった。身体が、火のように熱くなってな、それから、冬のように寒くなってな。七日も気を失っておった。」
「そういう時は、おれのところに来い。いや、来ればよかろう。ここは、寺じゃ。よい薬もあるのだぞ」
弥太は、返事をしなかった。
「なあ、和尚。それよりも、ひとつ教えてほしいことがあるんだ。」
「なんじゃ、それより、上がったらよかろう。」
「うんにゃあ、おれはここでいいんだ。それより、和尚。お前は、おれより、だいぶ頭がよくて、物を知っていそうだ。」
「俺は、何も知らぬ。何もわかっておらぬ。俺に、何かを聞こうというのは無駄というものだ。」
「とにかく、教えてくれ。」
「んむ、無駄だと思うがな。試しに言ってみたらよい。」
「あ、あ、あの世にな」
「あの世になんじゃ」
「極楽は、あるのだろうか?」
「極楽だと?」
一休は、大笑した。あまりに大きな声で笑い続けたので、小僧が心配して、見に来たほどだった。
「何がおかしい!俺は、本心から聞いておるのだぞ!」
「すまぬな、すまぬ。お前をバカにしたわけではないのだ」
それでも、一休の笑いは収まらなかった。
「では、なぜ笑う!返答によっては、坊主でも斬るぞ!」
弥太は、背中の刀に手をかけた。
「待て、待て、弥太。お前とは仲良く居たいからのう。ただ、あまりにも突飛な話だったからのう、面食らっただけじゃ。その答えを知りたいのか?」
「……ああ、知りたい。俺は、七日七晩、熱にうなされた時にのう、そのう、仏様に、会ったんじゃ。」
「仏に。ほう。」
「俺は、夢の中でたずねた。俺は、極楽に行くのか、地獄に行くのか、と」
「それで、どうした?」
「仏様は、な。黙って、そのう、笑っておったような、泣いておったような、なんとも言えぬ顔でな。何もおっしゃらなかった。」
「それで、どうした。」
「それで、それでな、すうっと消えたんじゃ。」
「なぜ、それが仏様だとわかったのか、仏様は、名乗ったのか」
弥太は、首を横に振った。
「では、なぜ、そのお方が仏様とわかったのじゃ」
「……わかったのじゃ。俺には、それが仏様だと」
「ふむ、それならば、それは、仏様だったんじゃろうなあ。」
「仏様は、極楽にいらっしゃるんだろう?仏様は、極楽から俺に会いに来たんじゃろう?
仏様は、俺を極楽に連れに来たのじゃろうか?」
「ふうむ。それは、そうでもあるまい。」
「なぜだ」
「連れに来たのなら、連れて行ったはずだ。仏様は、そのまま帰ったのだろう」
「うむ。そうじゃ。」
「それならば、連れに来た訳ではないのだろう。仏様が仕損じる訳はあるまいて」
「なるほどそうか」
「仏様は、お前の様子を見に来たのだろう。」
「……。」
「それで、弥太、お前の迷いごとに答えてやるとだな。極楽は、あってない。地獄もあってない。ということだ。」
「……なんじゃ、それは?」
「あの世などない。人間は、死んだら無じゃ。人間だけではないぞ、生き物は、皆、死ねば無に還るんじゃ。極楽も地獄もない。何もないのじゃ。」
弥太は、納得がいかないようだった。
「……では、では、極楽も地獄もないってことなのか?」
「ああ、そもそも、あの世がないんじゃから、極楽も地獄もない、ということだ。」
「だが、だが、今、お前は、極楽も地獄もあって、ない、と言ったではないか!」
「ああ、言った。極楽も地獄も、あの世にはないが、この世にあるからじゃ。弥太、お前は、女を手篭めにしたことはあるか?」
「ああ?ああ、ああ、ああ、……ある。」
「なぜ、手篭めにしたのじゃ。」
「それは、……その」
「女を手篭めにしたときは、どんな心持ちだったか?」
「……それは、」
「心持ちがよかったであろう」
「そんなことが極楽の話と何のかかわりがあるんじゃ!」
「女を手篭めにした時のお前の、その心持ちが極楽じゃ。」
「?」
「一方、お前に手篭めにされた女はどうだった?泣き叫んだであろう」
「……ああ、まあ、そうだな」
「手篭めにされた女は、地獄に居たのじゃ。この前、お前は、池の鯉を取って、おれに馳走してくれたろう」
「ああ。した。」
「鯉をくろうた我らは、極楽じゃ。だが、食らわれた鯉のほうは地獄じゃ。」
「……。」
「わかるか?弥太。」
「……わからん。」
「極楽も、地獄も、この世にあるということじゃ。そして、極楽の裏に地獄がある。極楽と地獄は裏表ということじゃ。」
弥太は、顔をしかめ、しばらく思案していたようだった。
「つまり、だな、女を手篭めにしたり、鯉をくろうた俺は、死んで、極楽には行けないのか、地獄に行くしかないのか、ということ聞きたかったのだ」
「まだ、わからんのか、困った奴だな。あの世には、極楽も地獄もないのだ。もうすでに、お前は、極楽も地獄も、この世で味わっているということだ。」
「むむむむむ」
弥太は、いっそう顔をしかめた。
「じゃあ、じゃあな、俺の前に現われた仏様は、普段どこに住んでいるのじゃ?極楽ではないのか?仏様は、どこにいるんじゃ?」
「お前、本当に、仏様を見たのか?」
「ああ、見た。確かに見た。」
「困ったのう、俺は、仏様を見たことがないのじゃ。」
「お前、坊主のクセに、仏様を見たことがないのか?」
「ああ、ない。生まれてこのかた一度もな」
弥太は、非常に、疑わしい目つきで一休を見た。
「お前は、本当に偉い坊さんなのか?」
「では、こういう話はどうだ?仏様はのう、普段は、目に見えぬが、この世のどこかに住んでおられるのじゃ。そして、人が信心を持ったときに、目に見えるようになる。だから、お前が、熱に浮かされて、普段忘れていた信心を起した時に現われたのだ。これで、どうだ?」
弥太は、またまた、疑わしい目つきをした。
「じゃあ、仏様を見たことがないお前は、信心がないのか?」
「ああ、そうだ。信心がない。」
「坊主のクセにか?」
「ああ、そうだ。坊主のクセに信心がないのだ、俺は」
「やっぱり、お前は、いんちきだな。」
「ああ、そうだ、俺は、いんちきな坊主だ。いや、坊主のフリをした、いんちきだ。再前から言っておるではないか」
「ううむ。俺は、嘘ではなく、本当の話を聞きたい。もっと偉い坊主の話を聞きたい。」
「それならば、どこぞに聞きに行けばよかろう。俺より偉い坊主なんぞ、いくらでも居るぞ。聞いて来い!いや、聞いてくるのがよいのではないかと思うぞ」
「ああ、そうする」
弥太は、そう言って、もっさりとした足取りで、庵の庭を出て行こうとした。
「ああ、将軍、しばし待つがよかろう!」
一休は、やや慌てた様子で、弥太に声をかけると、奥に消え、しばらくして戻ってきた。手には、小さな布袋を2つ持っていた。
「将軍、これを進ぜよう。これは、熱が出た時に飲む薬草で、今ひとつは、腹を下した時の薬草じゃ。ともに、湯を沸かして煎じて呑むのじゃぞ。そして、また、病に罹ったら、すぐにこれを飲み、ここへ来るのじゃぞ。あのお屋敷で寝ているより安心じゃ」
弥太は、黙って受け取ると、黙って、立ち去っていった。