小説「一休さんと野盗弥太」 (書き下ろし新作)

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一休の前から、弥太が消えて、三月が経った。
 その間、気塞ぎな長い梅雨があり、開けても、気温が上がらず、冷夏となった。
 現代でも、冷夏は、農業に大きな影響を与えるが、当時は、もっと深刻である。稲も作物も実らず、苛酷な徴税も相まって、特に、百姓に、餓死者が、ばたばたと出た。
 もちろん、百姓だけではない。百姓は、当時の社会構造においては、富を生み出す唯一のインフラと言えた。この百姓たちが、ばたばたと倒れてしまえば、当然社会全体に支障をきたす。京には、田畑を捨てて、流れ込んでくる、乞食、流民があふれ、治安は悪化。さらに、衛生環境の悪化も手伝って、疫病がはやりだしていた。
 さらに、社会不安は、多くの騒乱を生み、京の都は、たびたび戦火に包まれた。

一休が、京の寺を捨てて、この山奥の庵に引っ込んだのも、その難から逃れるためだったのだ。
「弥太も死んだのだろうか?」一休は、時々、そんなことを案じたが、口には出さなかった。 
 都市、農村の崩壊は、もちろん、世相の荒廃をも生む。力のないものは、餓死したり、病死したりしたが、力のあるものの中には、盗み、強盗、人を殺して、金品を強奪しても生き抜こうとする輩も多く現われた。
 一休と出会った弥太も、そんな野盗の一人だった。
 野盗どもは、弥太のように、単身で人を襲う者も多かったが、中には、一族郎党で徒党を組み、正規の軍隊そのままに、武具を備え、集団的な戦法で戦うものもあった。また、最初は、無法者の野盗集団であったが、やがて、権力を定着させ、公卿から、守護職のお墨付きをもらう者までいた。まあ、つまり、武士と野盗との違いなどというものは、当時では、そのような程度なものだった。

 当時の世相については、もうひとつ、理解しておきたいことがある。それは、一休のいる仏僧の世界のことである。

 室町時代の支配層は、大きく言って、三つあった。
 一つは、天皇家を頂点とする公卿の支配。これは、平安時代に確立された律令体制に基づく官僚体制、統治体制に基づいており、これが正式には、日本全体の支配の構造だった。
しかし、その経済的な基盤となるべき荘園の管理権を公卿の下部組織である国司から、守護大名に奪われる事態が進んでいた。つまり、多くの公家、天皇家さえも、次々と徴税権を武家に奪われていく。これは、公家の経済的基盤の喪失を意味する。天皇=公卿体制は、権威は保ちつつも、衰退して行く過程にあった。
 そして、もう一つは、公卿から、全国の荘園や領地の徴税権を奪う形で、勢力をつけた武士集団。初期は名目上、公卿達の作った律令体制の中で、一種の用心棒、警備員といった地位に甘んじていたが、実質は、支配層の主役に躍り出た守護大名集団である。この猛々しい武力集団たちは、各地にそれぞれ領地を持ち、互いに拮抗状態にあったが、その中でも、最も軍事力に優れた大名が、天皇より、征夷大将軍という肩書きを拝命することにより、全国の守護大名に号令を出せる形で、幕府を開いた。だから、天下人と言っても、今で言う中央集権的な政府というよりも、むしろ、最も強大な武力を有する最大実力者という程度のもので、全国の守護大名に号令して、全て言うことを聞かせるという立場はまだ、確立できていなかった。

 さて、最後は、寺社、つまり、僧の世界である。
 この僧達も、一種の支配者集団として、確立していた。
 いまでこそ、寺社仏閣というのは、古色蒼然とした静的なものとして、捉えられているが、当時の寺社、特に、仏教というものは、いわゆる先進技術、科学、医療,社会制度など、世の中のあらゆる面で、優れたノウハウを、研究、提供、開発、啓蒙する機関として活発に機能していた。また、社会的には、天皇の律令制、武家の領地からも、超然とした立場を有している独自の支配層だった。これは、そもそも、古の平城京時代、仏教の日本本格デビュー時から始まる。日本に、仏教を公式に定着させたのは、吉備真備。そして、吉備真備がお膳立てする形で登場した渡来僧・鑑真によって、日本における仏教の地位は確立する。時代は、さかのぼるが、当時の朝廷は、政治、社会、あらゆる面で行き詰まりをみせており、その打開策として、超先進国・中国より渡来した最新の仏教の思想、技術、ノウハウを積極的に採り入れる国策を取った。つまり、神仏混交である。これが、今の日本人が、複数の宗教行事を抵抗なく採り入れる精神的な背景になっているとも言える。とともに、仏教界は、天皇制からも、武家からも、超然とした、一種の知的エリート集団としての特権的地位を得たのである。特権は、精神的なもの、制度的なものだけでなく、例えば、寺社の私有する私荘園の不介入権とか、私兵である僧兵による軍備権など、なまなましいものも含まれており、世俗的な意味でも、寺社は、大きな権力を有していた。

 天皇と平城京時代から続く律令制度を形式的集団的に守る官僚・公卿集団。武力により実質的に徴税権、経済を握る武家集団。そして、独自の先進的な思想、ノウハウ、技術を、武器に、公卿にも武家にも干渉されない独自の支配構造を確立する仏教僧界。その3つが当時の支配層だった。
 この3者の支配構造は、事後、信長の延暦寺焼き討ちなど、いろいろと変遷はあったが、結局、江戸時代まで守られた。

 一休は、その中で、一風変わった禅僧として知られていた。
 一休は、生涯無一物として、いつも、粗末な墨衣を着、家財を一切持たず、風そう水宿、つまり、居所を決めず、さまざまな場所に住み、気ままに出かけ、説法などを施していた、と言われている。禅宗の精神から言えば、むしろ、一休の行状のほうが、宗理に適っているように思われる。世にはばかるとは言え、皇統の血筋の一休なら、望めば、大寺の高位の僧正に収まり、多くの僧に仕えられながら、安楽に暮らすことも充分に可能だっただろうと思われるのだが、一休はそうはしなかった。ここに、一休の独特の人生観がある。
 一休には、世俗的な、権威、名誉というものに対して、終生、強い反発心が見られる。
 世が世なら、天皇になっていたかもしれない身だったのに、それを、物心つかないうちから、強制的に捨てさせられた。
それならば、いっそ自分は、世の世俗的な権威や名誉というものから徹底して超然とした禅の境地というものを究める道で、自己のアイデンティティというものを貫こう。という、一休独自の覚悟が彼の人生の各所に見られる。これは、一休が、少年から青年時代に、二度も、禁忌である自殺を試みたことからも窺える。捻じ曲げられた自分の運命を受け容れるのには、このような試練を経なければならなかったのだろう。
そんな一休であるから、世俗権力の代表、時の八代将軍義政、そして、その妻として、実権のない夫に代わって、権勢を恣にしていた日野富子に対する反駁は、熾烈なものだった。また、同門の弟弟子の禅僧で、上昇志向、権威志向が強かった養叟への批判も露骨で厳しかった。
後年、大寺の住持を任じられたこともあったが、一休は、それに甘んじることなく、ある意味、破戒的に、奔放に、しかし、何物も持たず、そして、それゆえ、それに縛られることなく、身分に捉われることなく、貴賎の別なく、禅の教えを説いて回った。
そのようなライフスタイルが、何百年かのち、当時の絵草子作者の創作を加えて「一休とんち噺」として、江戸庶民の人気者となる下地となったのだろう。

下帯一つの姿で仁王立ちの弥太は、川の中で微動だにせずに、川面を眺めていた。
「!」弥太は、無言のまま、川に両腕を突っ込み、リッパな鯉を摑み取りにして、暴れる鯉を岸に投げた。いきなり鯉を投げられて、慌てた一休は、しりもちをついた。
「なんだあ、坊主!来てたのかあ!」
弥太は、子供のように大声を上げて、うれしそうに笑った。
「いいところに来たなあ。坊主、今、大獲物をとったとこじゃ。」
「馳走してくれるのか。」
「ああ、この前は、酒を馳走になったからな。魚の一匹くらいは食わせてやるわ」
「ふん、恩着せがましいのう。こいつも、いつか死ぬ。いつか死ぬものを、たまたま今とっつかまえて、食らうだけのことじゃ。」
そして、一休は、石の上で跳ねる鯉に向かって、「成仏しろ!」と印度を渡した。
すると、不思議なことに、鯉は、静かになって、パクパクと口を動かすだけになった。
「ふうん、さすがに、坊主は、変な術を使うんだなあ」と弥太が覗き込んだ。
「術など使っておらん。たまたま、こいつが成仏しかけた時に印度を渡しただけじゃ」
弥太は、それに答えず、焚き火を熾し、鯉に太い枝を刺し、炙り出した。
「坊主も食えるんだろ。殺生ものだけどよ」
「ああ、食らうぞ。他の坊主はダメじゃが、わしはいいのじゃ」

そして、二人は黙って、鯉が焼けるのを待って、焼けた鯉を串から順番に食らった。
弥太は、上機嫌だった。
「どうだ、殺生はうまいだろう!坊主」
「味噌か塩があれば、もっとうまいぞ」
「持ってないのか?」
「これから京に調達に行くところじゃ」
「で、用心棒について来いってか?」
「命令はせぬ。誘いじゃ」
「ふん、おれが、おまえを殺して、身ぐるみ剥ぐことだってあるんだぞ!おれは野盗だからな!」
「おまえは、金目のものじゃなくば盗らんじゃろ。盗りたいものがあるんなら、今、言ってみろ。下帯でもなんでもやるぞ!」
弥太は、真剣な顔をして、一休さんを頭のてっぺんから、足先まで眺めていたが、ふと気を外した。「おい、坊主、その場で、跳ねてみろ」
「ああ?」
「いいから跳ねてみろ」
一休は跳んで見せたが、持っていた尺丈の金具がカランカランと鳴るだけで、金目の物の音がしなかった。
弥太は、目を細くして、それを見ていた。
「金品がないから、京に行くんじゃ、今日この頃は、京も物騒じゃろう。一人では心細いからのう」
「おめえのところにゃ若い坊主がいっぱいいるだろう?あいつらは連れて歩かんのか」
「あいつらは、経を読むだけじゃ。喧嘩となると、まるで作法がわからん。」
 一休は、面白そうな顔をした。
「おお、そうじゃ、弥太。たびたび、穴倉を出てきて、うちの若い者に、喧嘩の作法を教えてくれんかの。飯も銭も出すぞ。このごろは、本当に、物騒になっていかんからな。そうだ、それがいい!弥太!大将軍!うちの者に、喧嘩の指南を頼みたい!おまえが教えれば、京で一番の僧兵になれる。お前も、その指南役で、武士に取り立ててもらえるやもしらん。楽な暮らしができるぞお」
「そんなにうまく行くんかい、家柄もねえ、みなしごのおれをよお」
「この一休がなんとかして進ぜよう。この間、命を助けられた義理もあるでな」
弥太は、また、黙って、一休の風体見ると、また、黙って、目を細め、一層怪しげな顔になった。
「まあ、いいや、今日は、おれもヒマなんだ。お前の用心棒をやってやるよ。その代わり、京でせしめた金品は、全て山分けだ。それでいいだろ」
「おおお、大きく出たのう。それでもかまわん。わしが、今日、都で得たものは、半分おまえにくれてやるぞ。これで、約束が成立じゃ。では、まいろうぞ!大将軍!」

腹ごしらえもなった二人は、この前のように、おもむろに歩き出した。
しかし、今回は、近所の商家や大農家を物色するようなことなく、一休は、まっすぐに京の大通りの真ん中を、弥太をつれ、のんびりと歩いた。
すると、向こう側から、馬に乗った侍がやってきた。「これ!端を通れ!端を通れというに!」侍は大声を上げた。
弥太が背中の大刀に手をかけるのが見えた。
「まあまあ、そこの御仁、はやりなさるな。こんなことで、命のやり取りは、あまりに無駄じゃ、わしは、仰せのとおり、この橋を渡っておる。橋を渡れ、と御仁が言いなさるから。おとなしく従ったまでじゃ。なんぞ、文句があるのかのう?」
 この、のんびりした一休の物腰に、いつの間にか集まっていた見物人達がどっと沸いた。
すると、馬上の武士は、いささか居たたれなくなったのだろう、やや、憤慨した顔つきをしたが、それきり黙ってしまった。
「では、仰せのとおりに、橋を渡らせていただくぞ」そう言って、一休は、橋の真ん中を堂々と行き過ぎていった。
「ほんとに、口がうまいのう、クソ坊主は」弥太が追いついてきて、一休の耳元で囁いた。「ふん、修行のたまものよ」そう言って、一休も笑った。

そして、京の大通りの真ん中を悠々と歩き、ついには、なんと、橋を渡りきり、御所の正門までたどり着いた。その間、さしもの野盗弥太も気が気ではなかった。
「おい、坊主!ここはダメだ!ここは、その、帝がいるところだろ?」
一休さんは、いつもの、ぼろぼろの装束だったが、おっとりと、しかし、全く気遅れをしない風で、門番に、何事が告げると、なんと大仰な門が開いた。一休さんは、弥太に手招きをした。
「へ?おれが、野盗のおれが、御所に入る?帝のいる御所に?」弥太は、一瞬体が震えた。武者震いではない、怖くて震えたのだ。なんという坊主なんだ!こやつは!一体?
「早く来い!あ、いや、来るといいと存ずるよ。大将軍」
 呼ばれるままに、ふらふらと門の中に入ろうとする弥太の前に、門番が立ちはだかった。
「おそれながら」
「へ?」
「御所では、お刀をお預かりいたします。」
「へ?これを?」弥太は、背中の大刀を指差し、気おされたまま、それを外し、門番に渡した。門番は、弥太に傅きながら、白布を持った手で、うやうやしく弥太の大刀を押し頂くと、門の陰に持っていってしまった。
「お刀は、御所をお出ましになられる時に、お返しいたします。」
「お、おう」そう言って、弥太は、なんとなく体のバランスが取れないようなフラフラした足取りで、一休に追いついた。
「なんだか、刀がないと、間抜けだのう」一休がからかい気味に声をかけると、弥太は、いたずらっぽく目配せをして、懐に隠していた手裏剣をこっそり見せた。
「あはははは」一休は、高笑いをした。

 二人は、従者に案内されながら、さらに奥に進んだ。
 そして、御所の正面の玉砂利の中庭につくと、弥太が、ここで停められた。
「護衛の方は、こちらにお控えくださいませ」従者に言われるままに、弥太は、おとなしく、その場に控えた。
「おう、将軍、今日は、やけに神妙だのう」一休が、また、からかい気味に弥太に声をかけたが、弥太は、引きつった顔で黙ったままだった。
 一休は、弥太を置いて、そのまま、大きな庭を横切るかたちで、御所の建物に近づいていった。

「お出ましであるから、頭を下げよ」隣の従者が、弥太に言った。見ると、従者の男は、すでに、玉砂利の庭に頭を擦りつけて、這いつくばっていた。
(お出ましって?まさかミカドが?)まだ、事態を飲み込みきれない気がしたが、弥太も仕方なく、手と頭を地につけた。

 遠くから、坊主の笑い声が聞こえた。ちょっとだけ首を起こして、建物のほうを窺った。
 ぼろを着た一休は、縁側に近いところに正座して、御簾の奥の人物と、なにやら楽しげに話し込んでいるようだった。
御簾の向こうは、まさか、ミカド?まさかまさかまさか。
 
 半刻ほど、そのような時間が過ぎると、一休は、ゆっくり帰ってきた。
「おい、坊主!一体なんだってんだ!おまえは誰なんだ!」
 思わず、我慢できず、弥太がそういうと、隣の従者が、本当に本当に、肝をつぶしたように驚いて、二、三歩後ずさって、弥太の顔を睨みつけた。
「よいのじゃ、よいのじゃ、気にせんでよい」一休は、何ごともないように、手を振った。

 弥太は、それっきり黙りこんでしまった。
 一休は、しきりと弥太に話しかけたが、弥太は、上の空で、生返事しかしなかった。

 御所を出て、二人で、しばらく京の町を歩いた。

「さて、物乞いに回らねばな。お前に払う駄賃が出ない。」
「あの、坊さんよ。」
「なんじゃ、将軍。」
「お前さんが、話していたのは、一体誰なんじゃ」
「ミカドだよ。俺は、ミカドの親戚だからな。跡継ぎを誰にするか、相談されたんじゃ」
「!」
 弥太は、また、黙り込んでしまった。あまりに突飛な話なので、これは、本当のことなのか、それとも狐にばかされているのか、図りかねている風情だった。
「ミカドは、今、手元不如意でな、何もみやげはなかったからのう。町で物乞いをして帰ろうぞ。将軍よ。」
「……」
「ん?将軍、どうしたのじゃ?腹でも痛むのか?」
「ああ、あのな、坊主!」
「なんじゃ、弥太!」
「いや、あのう、坊主様。」
「だからなんじゃ、弥太よ」
「おれは、名前が欲しいんだ」
「名前?名前って、お前には立派な名前があるではないか!」
「そうじゃねえ。おらあ、武士の名前が欲しいんだ。野盗の名前じゃなくて、立派な武士の名前が欲しいんだ!なんとかならねえだろうか」
 一休は、弥太を値踏みするように、目を細めながら、見つめた。
「よし、いいだろう。この一休禅師が、お前に、武士の名前を授けてやろう。ありがたく受け取れ!……お前は、これから、野盗守弥太じゃ。野盗守弥太と名乗れ!」
「野盗守弥太?ふざけるな!そんな名前じゃねえんだよ、俺が欲しいのは!」
「んんん?何が言いたいのじゃ、よくわからんのう」
「だから、藤原のなんとか、とか、足利のかんとか、とか、そういう名前よ。それを、確かに、こやつは、藤原の何とかじゃ、と、ミ、ミ、ミカドに一筆いただきたいんじゃ!」
「なるほど、そういうことか」
 一休は、面白そうだった。
「つまり、こういうことか。お前は、今まで、あの穴倉にいて、獲物を獲ったり、時には、あの山道を通る旅の人を襲って、金品を奪って、暮らしてきたが、それも辛くなってきた。同じ、人から金品を奪うのでも、いつやって来るかわからない旅人を待つより、毎年、決まって決まった百姓から金品を奪えるようにしたほうがラクじゃからな。これを世の中では年貢という。だから、年貢を取れる領地を持つ武士になりたいと考えた。だが、今のままでは、その望みは適いそうもない。腕っ節は立つが、氏素性がわからない今のお前では、誰も相手にはしてくれんからな。そこで、お前は考えた、ミカドから、この者は、確かな血筋の武士じゃとお墨付きをいただけば、世間にも体面がもてよう、と。うむ。なかなかいい考えだ。少しは知恵がついたのう。えらいぞ、弥太。」
「……」
「そうして、うまく立ち回り、楽をして稼ぎたい。安楽に暮らしたい。誰もが考えることじゃ。いいだろう。今度、御所に行った時に、ミカドにお願いしてやろう。それで、満足か?弥太」
「……いいや。もう、いいや。」
「んん?どうした、弥太。お前の望みを聞いてやろうと言っているのだぞ。」
「だから、もういいや。」
「なぜだ?なぜ、ことわる」
「最初は、名前さえもらえれば、俺の願いがなんでも適うように思ったが、お前の話を聞くうちに、なんだか、面白い話じゃねえように思えてきた。」
 弥太は、急にしゅんとしてしまった。
「なんじゃ、そうか。やめにするか。それならそれで、仕方あるまい。」
「坊さん」
「なんだ、将軍。」
「お前は、意地が悪いな。」
「今さら、わかったのか。俺は、人一倍意地が悪いのだ。ひねくれて育ったからな」

 そうして、二人は、黙ったまま、歩き、この前のように、大きな商家や百姓家を回り、銭や食料を得た。

「なあ、坊主。」
「なんだ、将軍。」
「お前は、いんちきだな。」
 一休は、愉快そうに笑った。
「おれは、人から物を奪うのに、刀を使って脅したりしなきゃならねえが、お前は、なんかうまいこと言ったり、なんか書いただけで、せしめられるんだろう。」
「ああ、そうだ。」
「お前は、いんちきで嘘つきだ!」
「ああ、そうだ。俺は、いんちきで嘘つきだ。よくぞ見抜いたな。えらいぞ、将軍。」
「でも、どうして、皆、ありがたがって銭や物を差し出すのだ。その術を知りたい」
「弥太、人はな、本当のことばかり言われていては、一日とて生きていけないのだ。嘘を言われて、嘘を信じさせられて、はじめて、人は生きていけるのだ。俺は、その手助けをしているのだ。」
 弥太は、目を細め、非常に疑わしい顔をした。
「それも、嘘じゃないか?うまいこと言っているだけじゃないのか?」
 一休は、実に面白そうに笑った。
「よくぞ、見破ったな。なかなかすごいぞ。大将軍!」

禅宗と言えば、現代人には、座禅や精進料理など、謹厳な修業のイメージが強い。このイメージは、外れているわけではないが、室町時代の禅宗というのは、もっとアグレッシブでクリエイティブな存在だったのではないか。と思われる。
 禅宗は、基本、限られた修行僧が研鑽を積み、厳しい戒律を守りながら、深遠で難解な仏教の教理の理解を深めていくという、小乗仏教の流れから来ている古い宗派である。であるから、禅宗の僧は、その修行のレベルにもよるが、基本は、知的なエリート、教養人として、人々の尊敬を集める存在だった。
 のち、仏教の世界では、念仏を唱えるだけで極楽に行けるとか、難解な教理を理解しなくても利益が得られるという一種の大衆化運動ともいえる新興的宗派が現われるが、ある意味、最も伝統的な宗派といえる禅宗も、生き生きと活発だった。
 例えば、現代の方々もご存知の禅問答。これを、禅宗では、公案という。これは、基本、高位の僧が、仏法の教義、理論に基づいて、問題を投げかけ、修行中の僧がそれに答える、という一種のディベートのようなものだが、ディベートと違うのは、議論の勝ち負けを判定する、というよりは、むしろ、設問の立て方、及び、仏教の教理に従いつつも、その回答のユニークな発想、機転、趣向の深さなどを競う、という一種の話芸、パフォーマンス的なイベントなのである。つまり、弥太流に解釈すれば、口のうまさを競う知的ゲームなのである。誤解を恐れずに、さらに言えば、禅の修業で、もうひとつ、代表的なもの、座禅だが、これも、けっして苦行ではなく、五感を遮断して、瞑想することにより、一種のトランス状態を体験する、というむしろ快楽的なものである。
 禅僧は、知的遊びをリードするオピニオンリーダー、パフォーマーだったのだ。
 そのスターの一人が一休だった。
 一休の発言、文章(主に漢詩)は、政治的な発言から、プライベートな恋愛論など、多岐に渡ったが、機知と教養に富み、なおかつ、ユニークで、文章の調子も美しかった。ある意味、一種の人気流行作家であり、思想家であり、社会評論家であり、作品だけでなく、公家、武家から一般庶民に至るまで、一休の作品だけに留まらず、その一挙手一投足に注目する存在だった。


 御所に行ってから、しばらく、弥太は姿を見せなかったが、ある日、ふらりと庵を訪ねてきた。
「どうした、将軍。心配しておったぞ。はて、少しやせたかな」
「ああ、和尚。俺は、俺は、病だった。身体が、火のように熱くなってな、それから、冬のように寒くなってな。七日も気を失っておった。」
「そういう時は、おれのところに来い。いや、来ればよかろう。ここは、寺じゃ。よい薬もあるのだぞ」
 弥太は、返事をしなかった。
「なあ、和尚。それよりも、ひとつ教えてほしいことがあるんだ。」
「なんじゃ、それより、上がったらよかろう。」
「うんにゃあ、おれはここでいいんだ。それより、和尚。お前は、おれより、だいぶ頭がよくて、物を知っていそうだ。」
「俺は、何も知らぬ。何もわかっておらぬ。俺に、何かを聞こうというのは無駄というものだ。」
「とにかく、教えてくれ。」
「んむ、無駄だと思うがな。試しに言ってみたらよい。」
「あ、あ、あの世にな」
「あの世になんじゃ」
「極楽は、あるのだろうか?」
「極楽だと?」
 一休は、大笑した。あまりに大きな声で笑い続けたので、小僧が心配して、見に来たほどだった。
「何がおかしい!俺は、本心から聞いておるのだぞ!」
「すまぬな、すまぬ。お前をバカにしたわけではないのだ」
 それでも、一休の笑いは収まらなかった。
「では、なぜ笑う!返答によっては、坊主でも斬るぞ!」
 弥太は、背中の刀に手をかけた。
「待て、待て、弥太。お前とは仲良く居たいからのう。ただ、あまりにも突飛な話だったからのう、面食らっただけじゃ。その答えを知りたいのか?」
「……ああ、知りたい。俺は、七日七晩、熱にうなされた時にのう、そのう、仏様に、会ったんじゃ。」
「仏に。ほう。」
「俺は、夢の中でたずねた。俺は、極楽に行くのか、地獄に行くのか、と」
「それで、どうした?」
「仏様は、な。黙って、そのう、笑っておったような、泣いておったような、なんとも言えぬ顔でな。何もおっしゃらなかった。」
「それで、どうした。」
「それで、それでな、すうっと消えたんじゃ。」
「なぜ、それが仏様だとわかったのか、仏様は、名乗ったのか」
 弥太は、首を横に振った。
「では、なぜ、そのお方が仏様とわかったのじゃ」
「……わかったのじゃ。俺には、それが仏様だと」
「ふむ、それならば、それは、仏様だったんじゃろうなあ。」
「仏様は、極楽にいらっしゃるんだろう?仏様は、極楽から俺に会いに来たんじゃろう?
仏様は、俺を極楽に連れに来たのじゃろうか?」
「ふうむ。それは、そうでもあるまい。」
「なぜだ」
「連れに来たのなら、連れて行ったはずだ。仏様は、そのまま帰ったのだろう」
「うむ。そうじゃ。」
「それならば、連れに来た訳ではないのだろう。仏様が仕損じる訳はあるまいて」
「なるほどそうか」
「仏様は、お前の様子を見に来たのだろう。」


「……。」
「それで、弥太、お前の迷いごとに答えてやるとだな。極楽は、あってない。地獄もあってない。ということだ。」
「……なんじゃ、それは?」
「あの世などない。人間は、死んだら無じゃ。人間だけではないぞ、生き物は、皆、死ねば無に還るんじゃ。極楽も地獄もない。何もないのじゃ。」
 弥太は、納得がいかないようだった。
「……では、では、極楽も地獄もないってことなのか?」
「ああ、そもそも、あの世がないんじゃから、極楽も地獄もない、ということだ。」
「だが、だが、今、お前は、極楽も地獄もあって、ない、と言ったではないか!」
「ああ、言った。極楽も地獄も、あの世にはないが、この世にあるからじゃ。弥太、お前は、女を手篭めにしたことはあるか?」
「ああ?ああ、ああ、ああ、……ある。」
「なぜ、手篭めにしたのじゃ。」
「それは、……その」
「女を手篭めにしたときは、どんな心持ちだったか?」
「……それは、」
「心持ちがよかったであろう」
「そんなことが極楽の話と何のかかわりがあるんじゃ!」
「女を手篭めにした時のお前の、その心持ちが極楽じゃ。」
「?」
「一方、お前に手篭めにされた女はどうだった?泣き叫んだであろう」
「……ああ、まあ、そうだな」
「手篭めにされた女は、地獄に居たのじゃ。この前、お前は、池の鯉を取って、おれに馳走してくれたろう」
「ああ。した。」
「鯉をくろうた我らは、極楽じゃ。だが、食らわれた鯉のほうは地獄じゃ。」
「……。」
「わかるか?弥太。」
「……わからん。」
「極楽も、地獄も、この世にあるということじゃ。そして、極楽の裏に地獄がある。極楽と地獄は裏表ということじゃ。」
 弥太は、顔をしかめ、しばらく思案していたようだった。
「つまり、だな、女を手篭めにしたり、鯉をくろうた俺は、死んで、極楽には行けないのか、地獄に行くしかないのか、ということ聞きたかったのだ」
「まだ、わからんのか、困った奴だな。あの世には、極楽も地獄もないのだ。もうすでに、お前は、極楽も地獄も、この世で味わっているということだ。」
「むむむむむ」
 弥太は、いっそう顔をしかめた。
「じゃあ、じゃあな、俺の前に現われた仏様は、普段どこに住んでいるのじゃ?極楽ではないのか?仏様は、どこにいるんじゃ?」
「お前、本当に、仏様を見たのか?」
「ああ、見た。確かに見た。」
「困ったのう、俺は、仏様を見たことがないのじゃ。」
「お前、坊主のクセに、仏様を見たことがないのか?」
「ああ、ない。生まれてこのかた一度もな」
 弥太は、非常に、疑わしい目つきで一休を見た。
「お前は、本当に偉い坊さんなのか?」
「では、こういう話はどうだ?仏様はのう、普段は、目に見えぬが、この世のどこかに住んでおられるのじゃ。そして、人が信心を持ったときに、目に見えるようになる。だから、お前が、熱に浮かされて、普段忘れていた信心を起した時に現われたのだ。これで、どうだ?」
 弥太は、またまた、疑わしい目つきをした。
「じゃあ、仏様を見たことがないお前は、信心がないのか?」
「ああ、そうだ。信心がない。」
「坊主のクセにか?」
「ああ、そうだ。坊主のクセに信心がないのだ、俺は」
「やっぱり、お前は、いんちきだな。」
「ああ、そうだ、俺は、いんちきな坊主だ。いや、坊主のフリをした、いんちきだ。再前から言っておるではないか」
「ううむ。俺は、嘘ではなく、本当の話を聞きたい。もっと偉い坊主の話を聞きたい。」
「それならば、どこぞに聞きに行けばよかろう。俺より偉い坊主なんぞ、いくらでも居るぞ。聞いて来い!いや、聞いてくるのがよいのではないかと思うぞ」
「ああ、そうする」
 弥太は、そう言って、もっさりとした足取りで、庵の庭を出て行こうとした。
「ああ、将軍、しばし待つがよかろう!」
 一休は、やや慌てた様子で、弥太に声をかけると、奥に消え、しばらくして戻ってきた。手には、小さな布袋を2つ持っていた。
「将軍、これを進ぜよう。これは、熱が出た時に飲む薬草で、今ひとつは、腹を下した時の薬草じゃ。ともに、湯を沸かして煎じて呑むのじゃぞ。そして、また、病に罹ったら、すぐにこれを飲み、ここへ来るのじゃぞ。あのお屋敷で寝ているより安心じゃ」
 弥太は、黙って受け取ると、黙って、立ち去っていった。

時は、少し、遡る。

 弥太の子分だった吾作は百姓の家の長男だったが、十歳の時、ひどい旱魃が続いて、米が取れず、おまけに流行り病で、親兄弟が全滅したので、年貢の取立ての前に、逃亡した。親兄弟が皆死んだ中で、生き延びたのだから、もともと身体が強かったのだろう、山の中をさ迷い、木の実や草や虫まで食い、夜は、木の洞などで、夜露をしのいで眠っていたのだが、野垂れ死にはしなかった。しかし、冬が近づくにつれて、さすがに、体が弱り、動けなくなっているところを、弥太に拾われた。
弥太は、最初、吾作を襲って、金品を奪おうと思ったらしい。しかし、すぐに、ただ野垂れ死にしかかっている子供であると見て、打ち捨てておくかどうか、しばらく思案したが、結局、吾作を抱きかかえ、洞につれてかえり、粥を食わせたり、少し元気になると肉を食わせたりして、面倒を見た。その少し前に、弥太を拾って育ててくれた親方を瘧で亡くしていたので、何か感じるところがあったのかもしれない。弥太は、鬼神のような激しい男だったのだが、その時ばかりは、少々仏心が出たのだ。
 吾作が元気になると、今度は、子分として、獲物のとり方や、剣の使い方など、いろいろと仕込み、一緒に狩りに行ったり、時には、旅人を襲う手伝いをさせたりした。
 つまり、吾作にとって、弥太は、恩人だった。
 そうして、犬の仔のように、弥太にくっついて、5年程が過ぎて、吾作は、逞しく、恐ろしい野盗になっていった。
「いつまでも、吾作では、百姓みたいじゃのう、そうじゃ、お前は、今日から小弥太と名乗れ。」ある日、弥太にそう言われたので、吾作は、小弥太と名乗るようになった。

 小弥太が十六になると、何か、小弥太にもよくわからないが、心中に変化が起こってきた。弥太が小弥太に発する何気ない言葉ひとつひとつに、何かひどく腹が立つ気がしてきたのだ。弥太は、命の恩人で、野盗の師匠でもある。逆らう気など、微塵もないはずだったのだが、なぜか、弥太に命令されると、心のうちに、むくむくと反抗心が湧いてきて、自分でも、時に抑えがたい衝動を感じてしまう。
 そんなこともあって、小弥太は、弥太から少し距離を置き、なるべく、別行動をとるようになっていった。弥太は、なぜか、それについて、何も文句を言わなかった。
 
 一人で獲物を探して、山の中をさ迷っていると、弥太は、川のほとりで、一人の娘を見つけた。娘は、年の頃、十六、七歳。浅黄色の着物に茜色の帯。あまり日に焼けていなかったので百姓の娘ではなさそうだった。では、どんな素性の娘だ?という疑問が一瞬よぎったが、それよりもなによりも、小弥太の頭の中は、興奮で破裂しそうだった。
娘は、水浴びをしようと、あたりを伺いながら、着物を一枚一枚脱いでいった。小弥太は、茂みの中に身を潜めて、その様子を凝視していた。自分の意思ではどうしようもない。目をそらそうとしても、どうしても目をそらすことができなかった。
 娘は、やがて、一糸まとわぬ姿になり、池の中に入っていった。最初、足先だけを水に浸けて、水温を確かめると、一歩一歩水の中に身を進めた。足を動かすたびに動く、丸い尻の動きに、小弥太は、激しいものを感じた。「なぜ、あんなに尻が柔らかそうなのだ、なぜ、あんなに肌が白いのだ!」小弥太は、茂みの中で身悶えした。息が苦しくなった。


 娘は、池の水に腰まで浸かると、こちらを振り向いて、女特有のゆっくりと仕草で、身体中をなで始めた。形のよい、張りのある乳房が揺れた。まるで、それは、みずみずしい果実のようだった。娘は、縛っていた髪も解き、毛先を水に浸けて、両手で挟むようにして、くわえていた櫛を丹念に使った。黒髪と白い肌、赤い唇、そして桃色の乳首。この世のものではない、と小弥太は思った。
 小半刻も、そうしていたであろうか、娘は、やがて身体の手入れを終えて、腰を上げた。
 池の水面から、娘の女陰の翳りが現れた時、とうとう小弥太は弾けた。
 小弥太は、無我夢中で駆けて、池の中に走り込み、裸の娘の肩をつかんだ。娘は、短い悲鳴を上げ、身をよじって抵抗したが、身体が大きく逞しい小弥太にかなう訳もなく、その太い腕の中で、震えるだけだった。小弥太は、無理やり、裸の娘を抱え上げて、池から走り出ると、草むらまで駆けていって、娘を地面にドサリと降ろした。拍子に、娘の白い肌は、黒々とした土にまみれた。むせるような草の匂いのほかに、何か、衝動を招く匂いがした。
 小弥太は、憑かれたように、一層、息を荒くすると、自分の衣服を剥ぎ取るようにして脱ぎ、娘の上に覆いかぶさった。娘は、また、甲高い悲鳴を上げた。その声が、小弥太の興奮を一層に高めた。小弥太は、乱暴に、娘の乳房を揉みしだいた。力まかせにつかんだので、白い乳房は、赤く血の色が滲み、痛々しく潰れた。小弥太は、娘の乳房をつかみながら、娘の首や頬、当たりかまわず、口をつけ、吸い、嘗め回した。先ほど感じたなまめかしい匂いが一層強く匂って、それに、また誘発された。ひとしきり、娘の身体を一心にまさぐっていたが、女を知らぬ悲しさ、それから先、どうしていいものやら行き詰ってしまった。ふと、娘の顔を見ると、娘の目が小弥太の目を見ていた。小弥太は、その時、娘の胸を吸っていたので、娘は、見下ろすように、下目で、小弥太を見ている感じだった。最初の激しい動きが止まってから、娘の逆襲が始まった。逆襲といっても、暴力ではない、メス特有の逆襲だ。娘は、口の端をちょっとあげて、艶然とした表情を浮かべると、一瞬のうちに、体を入れ替えた。今度は、小弥太の上に乗り、男の部分をまさぐり、それをいきなり口に含んだ。「!」小弥太の脳天に衝撃が走った。小弥太は、自分の切っ先に、娘の舌のちょっとざらざらした感触を感じた。小弥太は、すぐに果てた。小弥太は、えびぞりながら、激しく全身を痙攣させた。
それほどの快感だった。
果てながら、小弥太には、親分の弥太のことが浮かんだ。
弥太に対する反抗心、不満が、一気に解消していくのを感じた。いや、解消したのというのは、正確ではない。それまで、世の中全体に対する嫌悪の情が、弥太ひとりに向いていたのが、何か、ばからしく、急に視野が広がったように感じたのだ。弥太など何ほどでもない。弥太だけを見て、心乱していたことが、意味がなかったのだ、と悟った。
娘を見ると、娘は、また、艶然としたメスの表情を浮かべながら、果てた小弥太の男を、まだまさぐっていた。娘の舌が、ちろちろと動き、小弥太の男の先端を刺激し続けていた。若い小弥太はすぐに復活した。一度、情欲を爆発させた男の部分は、より一層、快感を強く感じるようになっている気がした。先ほどは、無我夢中で、何がなんだかわからないうちに果ててしまったのだが、今度は、やや落ち着いて、自分の状態を少し客観的に認識することができた。
娘の頭が、下半身から、上に上がってきた。それにつれて、娘のやわらかい身体の感触が、腹に、胸に、頸筋に感じられた。やがて、娘の息遣いが近づいてきた。そして、やわらかい唇が重ねられてきた。娘の息遣いが一層激しさを増した。しばらく、その感触に、陶然としていたが、ふっと、娘の頭が離れる気配があった。頭を巡らせると、娘が、小弥太の身体の上に乗りながら、上半身を起し、両手で、小弥太の男をつかみ、自分の女陰に導こうとしているのが見えた。そして、二度ほど試すように切っ先だけを入れてから、ぐっと腰を落とし、自分の中に収めた。娘は、大きな声を上げた。
小弥太の背中にも、電流が走った。そして、小弥太は、自分の男が味わう未知の感触を不思議に思った。「まるでうなぎのようじゃ」小弥太は、うなぎのぬるぬるした感触を思い出していた。娘が腰を使うと、また、すぐに果てた。

それから、何度も娘は、小弥太を導き、小弥太は何度も果てた。何度果てても、やめる気にはならなかった。小弥太は、娘に溺れた。
気がつくと、周囲は、赤く、夕暮れの気配が迫ってきていた。
娘は、ぐったりとした風情で、小弥太にしなだれかかっていた。その風情を見ると、小弥太の中に、今まで感じたことがない、甘い感情が湧き上がってきた。娘は、小弥太の胸をまさぐると、顔を近づけてきて、唇を求めてきた。小弥太は、娘の唇を吸った。ひとしきり、唇を吸いあって、離れると、娘は「……明日も」と小さな声で言った。

翌日は、朝から大雨が降った。
こんな天気だから、娘は来るまいと、思ったが、やっぱり足は、昨日の池のほとりに向かってしまった。
すると、木の陰から、娘が現われた。
雨を避け、大きな木の洞に隠れるようにして、再び、何度も情を交わした。

娘と別れて、むっつりと、弥太の洞に帰ってくると、弥太は、一瞬、じろりと探るような目つきをしたが何も言わなかった。しかし、弥太は、何事か気づいているような気がしてならなかった。

 そんな日々をひと月ほど過ごしただろうか、小弥太とほとんど毎日情を交わすようになって、娘は、ますます、肌が白く、艶めかしくなっていった。
 小弥太は、もうひと時も、娘と離したくないと思うようになっていた。そして、ある日、娘がやって来なくなることを恐れるようになった。昼、娘と会い、情を交わし、夜、弥太の洞に帰ってくると、言うに言えない焦燥感が、小弥太を悩ました。
「明日は、猪を獲りにいくぞ。明日は出かけるな」ある日、弥太が、寝際にそう言った。
 その言葉を聞いて、翌朝暗いうちに、小弥太は、弥太の元から姿を消した。

 二人だけの秘密の場所で出会ってから、小弥太は、娘に、「親分に背いてきた。もう親分のところには、帰れない」と言うと、娘は、まるで、それを予め知っていたように、小弥太に唇を押し当てて、ゆっくりとうなづいた。
 そして、また情を交わしてから、小弥太は、娘に手を引かれて、今まで、通ったことのない山道に分け入って行った。
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