下帯一つの姿で仁王立ちの弥太は、川の中で微動だにせずに、川面を眺めていた。
「!」弥太は、無言のまま、川に両腕を突っ込み、リッパな鯉を摑み取りにして、暴れる鯉を岸に投げた。いきなり鯉を投げられて、慌てた一休は、しりもちをついた。
「なんだあ、坊主!来てたのかあ!」
弥太は、子供のように大声を上げて、うれしそうに笑った。
「いいところに来たなあ。坊主、今、大獲物をとったとこじゃ。」
「馳走してくれるのか。」
「ああ、この前は、酒を馳走になったからな。魚の一匹くらいは食わせてやるわ」
「ふん、恩着せがましいのう。こいつも、いつか死ぬ。いつか死ぬものを、たまたま今とっつかまえて、食らうだけのことじゃ。」
そして、一休は、石の上で跳ねる鯉に向かって、「成仏しろ!」と印度を渡した。
すると、不思議なことに、鯉は、静かになって、パクパクと口を動かすだけになった。
「ふうん、さすがに、坊主は、変な術を使うんだなあ」と弥太が覗き込んだ。
「術など使っておらん。たまたま、こいつが成仏しかけた時に印度を渡しただけじゃ」
弥太は、それに答えず、焚き火を熾し、鯉に太い枝を刺し、炙り出した。
「坊主も食えるんだろ。殺生ものだけどよ」
「ああ、食らうぞ。他の坊主はダメじゃが、わしはいいのじゃ」
そして、二人は黙って、鯉が焼けるのを待って、焼けた鯉を串から順番に食らった。
弥太は、上機嫌だった。
「どうだ、殺生はうまいだろう!坊主」
「味噌か塩があれば、もっとうまいぞ」
「持ってないのか?」
「これから京に調達に行くところじゃ」
「で、用心棒について来いってか?」
「命令はせぬ。誘いじゃ」
「ふん、おれが、おまえを殺して、身ぐるみ剥ぐことだってあるんだぞ!おれは野盗だからな!」
「おまえは、金目のものじゃなくば盗らんじゃろ。盗りたいものがあるんなら、今、言ってみろ。下帯でもなんでもやるぞ!」
弥太は、真剣な顔をして、一休さんを頭のてっぺんから、足先まで眺めていたが、ふと気を外した。「おい、坊主、その場で、跳ねてみろ」
「ああ?」
「いいから跳ねてみろ」
一休は跳んで見せたが、持っていた尺丈の金具がカランカランと鳴るだけで、金目の物の音がしなかった。
弥太は、目を細くして、それを見ていた。
「金品がないから、京に行くんじゃ、今日この頃は、京も物騒じゃろう。一人では心細いからのう」
「おめえのところにゃ若い坊主がいっぱいいるだろう?あいつらは連れて歩かんのか」
「あいつらは、経を読むだけじゃ。喧嘩となると、まるで作法がわからん。」
一休は、面白そうな顔をした。
「おお、そうじゃ、弥太。たびたび、穴倉を出てきて、うちの若い者に、喧嘩の作法を教えてくれんかの。飯も銭も出すぞ。このごろは、本当に、物騒になっていかんからな。そうだ、それがいい!弥太!大将軍!うちの者に、喧嘩の指南を頼みたい!おまえが教えれば、京で一番の僧兵になれる。お前も、その指南役で、武士に取り立ててもらえるやもしらん。楽な暮らしができるぞお」
「そんなにうまく行くんかい、家柄もねえ、みなしごのおれをよお」
「この一休がなんとかして進ぜよう。この間、命を助けられた義理もあるでな」
弥太は、また、黙って、一休の風体見ると、また、黙って、目を細め、一層怪しげな顔になった。
「まあ、いいや、今日は、おれもヒマなんだ。お前の用心棒をやってやるよ。その代わり、京でせしめた金品は、全て山分けだ。それでいいだろ」
「おおお、大きく出たのう。それでもかまわん。わしが、今日、都で得たものは、半分おまえにくれてやるぞ。これで、約束が成立じゃ。では、まいろうぞ!大将軍!」
腹ごしらえもなった二人は、この前のように、おもむろに歩き出した。
しかし、今回は、近所の商家や大農家を物色するようなことなく、一休は、まっすぐに京の大通りの真ん中を、弥太をつれ、のんびりと歩いた。
すると、向こう側から、馬に乗った侍がやってきた。「これ!端を通れ!端を通れというに!」侍は大声を上げた。
弥太が背中の大刀に手をかけるのが見えた。
「まあまあ、そこの御仁、はやりなさるな。こんなことで、命のやり取りは、あまりに無駄じゃ、わしは、仰せのとおり、この橋を渡っておる。橋を渡れ、と御仁が言いなさるから。おとなしく従ったまでじゃ。なんぞ、文句があるのかのう?」
この、のんびりした一休の物腰に、いつの間にか集まっていた見物人達がどっと沸いた。
すると、馬上の武士は、いささか居たたれなくなったのだろう、やや、憤慨した顔つきをしたが、それきり黙ってしまった。
「では、仰せのとおりに、橋を渡らせていただくぞ」そう言って、一休は、橋の真ん中を堂々と行き過ぎていった。
「ほんとに、口がうまいのう、クソ坊主は」弥太が追いついてきて、一休の耳元で囁いた。「ふん、修行のたまものよ」そう言って、一休も笑った。
そして、京の大通りの真ん中を悠々と歩き、ついには、なんと、橋を渡りきり、御所の正門までたどり着いた。その間、さしもの野盗弥太も気が気ではなかった。
「おい、坊主!ここはダメだ!ここは、その、帝がいるところだろ?」
一休さんは、いつもの、ぼろぼろの装束だったが、おっとりと、しかし、全く気遅れをしない風で、門番に、何事が告げると、なんと大仰な門が開いた。一休さんは、弥太に手招きをした。
「へ?おれが、野盗のおれが、御所に入る?帝のいる御所に?」弥太は、一瞬体が震えた。武者震いではない、怖くて震えたのだ。なんという坊主なんだ!こやつは!一体?
「早く来い!あ、いや、来るといいと存ずるよ。大将軍」
呼ばれるままに、ふらふらと門の中に入ろうとする弥太の前に、門番が立ちはだかった。
「おそれながら」
「へ?」
「御所では、お刀をお預かりいたします。」
「へ?これを?」弥太は、背中の大刀を指差し、気おされたまま、それを外し、門番に渡した。門番は、弥太に傅きながら、白布を持った手で、うやうやしく弥太の大刀を押し頂くと、門の陰に持っていってしまった。
「お刀は、御所をお出ましになられる時に、お返しいたします。」
「お、おう」そう言って、弥太は、なんとなく体のバランスが取れないようなフラフラした足取りで、一休に追いついた。
「なんだか、刀がないと、間抜けだのう」一休がからかい気味に声をかけると、弥太は、いたずらっぽく目配せをして、懐に隠していた手裏剣をこっそり見せた。
「あはははは」一休は、高笑いをした。
二人は、従者に案内されながら、さらに奥に進んだ。
そして、御所の正面の玉砂利の中庭につくと、弥太が、ここで停められた。
「護衛の方は、こちらにお控えくださいませ」従者に言われるままに、弥太は、おとなしく、その場に控えた。
「おう、将軍、今日は、やけに神妙だのう」一休が、また、からかい気味に弥太に声をかけたが、弥太は、引きつった顔で黙ったままだった。
一休は、弥太を置いて、そのまま、大きな庭を横切るかたちで、御所の建物に近づいていった。
「お出ましであるから、頭を下げよ」隣の従者が、弥太に言った。見ると、従者の男は、すでに、玉砂利の庭に頭を擦りつけて、這いつくばっていた。
(お出ましって?まさかミカドが?)まだ、事態を飲み込みきれない気がしたが、弥太も仕方なく、手と頭を地につけた。
遠くから、坊主の笑い声が聞こえた。ちょっとだけ首を起こして、建物のほうを窺った。
ぼろを着た一休は、縁側に近いところに正座して、御簾の奥の人物と、なにやら楽しげに話し込んでいるようだった。
御簾の向こうは、まさか、ミカド?まさかまさかまさか。
半刻ほど、そのような時間が過ぎると、一休は、ゆっくり帰ってきた。
「おい、坊主!一体なんだってんだ!おまえは誰なんだ!」
思わず、我慢できず、弥太がそういうと、隣の従者が、本当に本当に、肝をつぶしたように驚いて、二、三歩後ずさって、弥太の顔を睨みつけた。
「よいのじゃ、よいのじゃ、気にせんでよい」一休は、何ごともないように、手を振った。
弥太は、それっきり黙りこんでしまった。
一休は、しきりと弥太に話しかけたが、弥太は、上の空で、生返事しかしなかった。
御所を出て、二人で、しばらく京の町を歩いた。
「さて、物乞いに回らねばな。お前に払う駄賃が出ない。」
「あの、坊さんよ。」
「なんじゃ、将軍。」
「お前さんが、話していたのは、一体誰なんじゃ」
「ミカドだよ。俺は、ミカドの親戚だからな。跡継ぎを誰にするか、相談されたんじゃ」
「!」
弥太は、また、黙り込んでしまった。あまりに突飛な話なので、これは、本当のことなのか、それとも狐にばかされているのか、図りかねている風情だった。
「ミカドは、今、手元不如意でな、何もみやげはなかったからのう。町で物乞いをして帰ろうぞ。将軍よ。」
「……」
「ん?将軍、どうしたのじゃ?腹でも痛むのか?」
「ああ、あのな、坊主!」
「なんじゃ、弥太!」
「いや、あのう、坊主様。」
「だからなんじゃ、弥太よ」
「おれは、名前が欲しいんだ」
「名前?名前って、お前には立派な名前があるではないか!」
「そうじゃねえ。おらあ、武士の名前が欲しいんだ。野盗の名前じゃなくて、立派な武士の名前が欲しいんだ!なんとかならねえだろうか」
一休は、弥太を値踏みするように、目を細めながら、見つめた。
「よし、いいだろう。この一休禅師が、お前に、武士の名前を授けてやろう。ありがたく受け取れ!……お前は、これから、野盗守弥太じゃ。野盗守弥太と名乗れ!」
「野盗守弥太?ふざけるな!そんな名前じゃねえんだよ、俺が欲しいのは!」
「んんん?何が言いたいのじゃ、よくわからんのう」
「だから、藤原のなんとか、とか、足利のかんとか、とか、そういう名前よ。それを、確かに、こやつは、藤原の何とかじゃ、と、ミ、ミ、ミカドに一筆いただきたいんじゃ!」
「なるほど、そういうことか」
一休は、面白そうだった。
「つまり、こういうことか。お前は、今まで、あの穴倉にいて、獲物を獲ったり、時には、あの山道を通る旅の人を襲って、金品を奪って、暮らしてきたが、それも辛くなってきた。同じ、人から金品を奪うのでも、いつやって来るかわからない旅人を待つより、毎年、決まって決まった百姓から金品を奪えるようにしたほうがラクじゃからな。これを世の中では年貢という。だから、年貢を取れる領地を持つ武士になりたいと考えた。だが、今のままでは、その望みは適いそうもない。腕っ節は立つが、氏素性がわからない今のお前では、誰も相手にはしてくれんからな。そこで、お前は考えた、ミカドから、この者は、確かな血筋の武士じゃとお墨付きをいただけば、世間にも体面がもてよう、と。うむ。なかなかいい考えだ。少しは知恵がついたのう。えらいぞ、弥太。」
「……」
「そうして、うまく立ち回り、楽をして稼ぎたい。安楽に暮らしたい。誰もが考えることじゃ。いいだろう。今度、御所に行った時に、ミカドにお願いしてやろう。それで、満足か?弥太」
「……いいや。もう、いいや。」
「んん?どうした、弥太。お前の望みを聞いてやろうと言っているのだぞ。」
「だから、もういいや。」
「なぜだ?なぜ、ことわる」
「最初は、名前さえもらえれば、俺の願いがなんでも適うように思ったが、お前の話を聞くうちに、なんだか、面白い話じゃねえように思えてきた。」
弥太は、急にしゅんとしてしまった。
「なんじゃ、そうか。やめにするか。それならそれで、仕方あるまい。」
「坊さん」
「なんだ、将軍。」
「お前は、意地が悪いな。」
「今さら、わかったのか。俺は、人一倍意地が悪いのだ。ひねくれて育ったからな」
そうして、二人は、黙ったまま、歩き、この前のように、大きな商家や百姓家を回り、銭や食料を得た。
「なあ、坊主。」
「なんだ、将軍。」
「お前は、いんちきだな。」
一休は、愉快そうに笑った。
「おれは、人から物を奪うのに、刀を使って脅したりしなきゃならねえが、お前は、なんかうまいこと言ったり、なんか書いただけで、せしめられるんだろう。」
「ああ、そうだ。」
「お前は、いんちきで嘘つきだ!」
「ああ、そうだ。俺は、いんちきで嘘つきだ。よくぞ見抜いたな。えらいぞ、将軍。」
「でも、どうして、皆、ありがたがって銭や物を差し出すのだ。その術を知りたい」
「弥太、人はな、本当のことばかり言われていては、一日とて生きていけないのだ。嘘を言われて、嘘を信じさせられて、はじめて、人は生きていけるのだ。俺は、その手助けをしているのだ。」
弥太は、目を細め、非常に疑わしい顔をした。
「それも、嘘じゃないか?うまいこと言っているだけじゃないのか?」
一休は、実に面白そうに笑った。
「よくぞ、見破ったな。なかなかすごいぞ。大将軍!」